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表と裏騒動記  作者: 美祢林太郎
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5 新任女性教員若菜舞の事情

5 新任女性教員若菜舞の事情


 若菜舞は4月に教師になったばかりで、化粧っ気のない顔に初々しさが宿っていた。

 若菜の歓迎会の際に、演壇で自己紹介の終わった彼女にフロアーから誰かが大きな声で「彼氏はいますか」と声をかけると、躊躇することなく「います」と答えて、会場のみんなの歓声が上がった。年頃の女性だから彼氏がいても何の不思議もないが、そのことを歓迎会の席上で、職場のみんなに公言する女性はあまりいないだろう。普通はそれとなくぼかすものだ。奥ゆかしさもへったくれもあったものではない。年配の教員たちはつくづく時代が変わったものだと思ったが、そうしたかれらもかつて先輩教員から同じことを言われたものだ。ともかく、この屈託のない振る舞いによって、若菜は同僚たちのみんなから好感が持たれることになった。

 若菜は人懐っこい。もしかすると、人懐っこさは大学時代に演劇部に入っていたので、演技のうちなのかもしれない。だが、ここまでの人懐っこさはやはり天然なのだろう。どこかすっとぼけていて、嫌味を感じさせない。

 若菜は素朴な顔をし化粧っ気もないが、おそらく丁寧に化粧をすれば化粧映えがして、とびっきりの美人に変身するのかもしれない。以前、それとなく、舞台に立った経験はあるのかと訊くと、大学時代に何度か立ったと教えてくれた。ヒロインだったのかと訊いたら否定しなかったから、ヒロインだったことは間違いない。

 先生になったばかりで、いきなり変態教師騒動に遭遇してしまったが、若菜はそれを災難とは思わず、反対に胸がわくわくして高揚感を覚えているようだった。元々彼女はこうした下世話な話が好きなようだ。彼女は、それとなく同僚たちの様子を探り、生徒たちからも積極的に情報を集めて回った。あまりにも彼女の行動が校内で目立ったので、ほどなくして先輩教員から生徒たちが浮足立つからあまり派手に聞き回らないようにと厳重な注意を受けた。その場では殊勝な顔をしたが、それでもしばらくして変態教員探しを再開した。懲りない性格らしい。彼女自身、教師になって早々に変態教師騒動に出くわしたことは、なんてラッキーなんだと喜んでいた。これから何十年も続く教師生活にはどんな面白いことが待っているのか考えると興奮した。先のことはさておき、とりあえず変態教師が誰かを突き止めなくてはならないと意気込んだ。新任教員の若菜は担任を持たなかったので、比較的時間はあるのだ。

 彼女は職業の選択を間違えたようだ。刑事か探偵になればよかったのだ。いや、それよりも芸能レポーターの方が向いていたのかもしれない。

 彼女は情報を集めるために、同僚たちの飲み会には必ず参加し、じっとそば耳をたてた。もちろん飲み会では毎度変態教師の話題が出たが、いずれも同僚間の色恋をにおわすような話ばかりで、若菜にとって新鮮味にかける情報ばかりだった。それに若菜にとっては色恋沙汰が変態の名に値しているとは思えなかった。一応、変態と呼ばれるからには、相当いかがわしい行為をしていなければならないはずで、不倫くらいで変態呼ばわりしては、本当の変態に失礼だろうと考えるようになっていた。そうは言っても、若菜には具体的な変態のイメージがわかなかったので、ネットで「変態」と検索し、変態に関する本を買って読み、古今東西の犯罪史上に名前を連ねる、とてつもなくスケールのでかい変態についての知識を得ていった。いくらなんでもそんなグロテスクな犯罪者であるような変態が、彼女の身近にいるわけがないことは少し考えればわかることなのに、若菜は妄想が膨らんで、常軌を逸した変態に会えることを楽しみにするようになった。こんなことを考える若菜自身がスケールの極々小さな変態であるかのようだ。

 若菜は生徒たちに信頼が厚く、放課後に変態騒動の相談に乗ってやっている白鳥からも話を聞くことにした。白鳥は爽やかに「困ったものですね。みんな浮足立っていて。おそらく変態なんていう言葉が大げさなんですよ。結局は、「幽霊の正体見たり枯れ尾花」ですよ」と言って話が終わってしまった。若菜はこの諺を知らなかったので、白鳥と別れた後にすぐにスマホで検索した。調べて、幽霊の正体が枯れススキじゃあ面白くないと思い、白鳥の説を即座に却下した。幽霊は怨念を持ったおどろおどろしいものであるに違いないし、変態は自分たちが想像しているよりもずっとスケールのでかいグロテスクな怪物だと思った。白鳥は爽やかで素晴らしい教員だが、こうした人種はイマジネーションが貧困だと若菜は勝手に断じた。白鳥にこれ以上何を聞いても埒が明かないと思い、再び生徒から情報を収集することにした。

 生徒の名簿を見て、誰とでも仲良く話すことから相当な情報通であると思える江川さくらが最適なのではないかと考え、ターゲットを彼女に絞り、彼女から話を聞くための作戦を練った。

 日曜日に彼女と偶然に会ったことにして、ファミレスに誘い、話を聞くプランを立て、それを実行に移した。この計画はうまく進んだ。おごるからなんでも好きなものを注文していいよ、と言うと江川は嬉しそうにメニュの中からチョコレートパフェの写真を指さした。チョコレートパフェを食べている江川にいきなり変態教師の話を切り出すのもあまりに不自然なので、とりあえず「午前中は何をしていたの」と訊くと、ボランティアで道路の脇にある花壇の整備をしたと教えてくれた。休日には毎週色々なボランティア活動をしているそうだ。そんなことは学校の教師や同級生の誰も知らないことだ。この子は誰にも言わないで、隠れて良いことをする子だということがわかった。もし自分が担任だったら、内申書にこのことを書いてあげるだろうにと思った。今度、彼女の担任の白鳥に教えてあげよう。きっと白鳥も喜んでくれるはずだ。

 ありきたりの世間話が終わった頃合いを見計らって、若菜はさりげなく変態教師の話題を振った。それから江川から知っている情報を根掘り葉掘りすべて聞き出したが、残念ながらさして目新しい情報はなかった。最後に、若菜は「江川さんが変態教師の名前を一人だけあげるとすると、誰をあげる?」とほほ笑みながら訊いた。すると江川はすかさず「若菜先生」と言って笑った。一瞬、若菜の目は丸くなった。その後で「冗談ですよ。そんなにびっくりしないでくださいよ。先生であるわけがないじゃないですか」と言って、かわいい声で笑った。江川の頬っぺたにはチョコが少し付いていて、それがまた可愛いと若菜は思った。


 同僚たちには聞かれないので言っていないが、若菜には恋人の三井の他にもう一人年配の愛人和泉がいる。


 二人もパートナーがいるのは変? それでも彼氏は三井だけよ。和泉さんは尊敬する人。人生のアドバイザーかな。三井には和泉さんほどの知性や教養はないわ。そんじょそこらには和泉さんのような素敵な人はいないと思うな。でも、どうして三井と和泉さんの二人と付き合ってはいけないの? 不道徳? 頭固いな。三井を騙してる? 別に騙してはいないわよ。彼は和泉さんのことを知っているかって? 知っているわよ。3人で食事に行くことがあるもの。三井も和泉さんのことを尊敬しているはずよ。三井はどうやっても和泉さんの知性にはかなわないものね。私は我慢しなければならないって? あなた一夫一婦制を前提に話しているんじゃないの? 私まだ三井とは結婚していないからね。法律を犯しているわけではないわよ。倫理的にどうかって? 別にそれは私と三井、和泉さんとの3人の間での話でしょう。あなたがとやかく言うことではないわよ。和泉さんは結婚していないのかって? 昔していたらしいけど、今は一人らしいわよ。時々子供に会うらしいけどね。不倫を心配しているの? おせっかいね。私は同世代の三井にも、円熟した和泉さんにも魅力を感じているのよ。あなた、スイーツを一度に二個食べないタイプね。モンブランと苺大福をどちらも食べたいと思ったら食べてもいいんじゃないの。あなた変にストイックなのよ。それとも私がそんなにうらやましいの? 彼氏がいないんだっけ。別に彼氏がいなくてもいいんじゃない。一人の時間を楽しめばいいんだから。上から目線に聞こえるの。そんなつもりは毛頭ないんだけど、そう聞こえたならば堪忍して頂戴。学校の先生がそんなふしだらなことをしてはいけないって? ふしだらっていったい何? なにか懐かしい響きね。本当にふしだらな女になろうかしら。変態という響きよりはずっとましよね。どちらかって言うと、変態という言葉は男に似合っていて、ふしだらって言葉は女に似合っているようね。これ私の偏見かしら。

 学校中、変態、変態で持ち切りだけど、みんな何が変態かわからなくなってきているのよ。そう言えば最近、授業中におならをした子がいて、クラス全員から変態呼ばわりされていたわ。もうなんでも変態になっちゃうんだから。生徒たちは無邪気でいいわね。箸が転んでもおかしい年頃なんだから。かれらは何でもかんでも変態扱いして楽しんでいればいいのよね。

 いえ、いえ、あなたを茶化しているわけじゃないのよ。そうむきにならないでよ。私がうらやましいの? そんなに怒らないでよ。あなたを怒らせる気なんか、さらさらないんだから。三井に言いつけるって? ええ、どうぞ。別に止めはしないわ。和泉さんに三井のことを話すって。別に知っていることを言われたからって、彼もどう反応していいかわからないじゃないの。

 ああ、聞かれなかったから言ってないけど、和泉さんは和泉陽子というれっきとした女性だからね。大手の雑誌の編集長らしいの。年齢は聞いたことないけど、50歳くらいかな。彼女との肉体関係? あるわよ。それがどうかしたの。最初に愛人だって言ったじゃない。忘れたの。

 和泉さんの話ばかりしたけど、三井の話もしなくっちゃあね。彼の名前は拓海っていうんだ。私たち二人は同棲しているの。校長を含めて教員はみんな知っているわよ。歓迎会の席上で教えちゃったもの。誰もこのことを問題視しなかったわよ。副校長もさばけてるしね。副校長が、「教師は聖職ではありませんから」ってみんなの前でさらっと言ってのけたわ。みんな「そうですよね」って相槌を打っていたわ。将来、私も副校長のような気風の良い女になりたいわ。理想よ。

 三井は大学時代に同じ演劇サークルに所属していた先輩なんだ。あいつは何年も留年をして結局は卒業しなかったけどね。今は小さな劇団を主宰して、それを運営しているんだ。もちろん儲かっていないわよ。無名なんだから。次回の公演には、同僚のみんなが見に行くから声をかけてくれって言っているんだ。外交辞令なのはわかっているけど、きっと何人かは見に来てくれるはずよ。白鳥先生は必ず来てくれるはずだし、校長や副校長も時間さえ合えばきっと来てくれるはずよ。生徒にも何人か声をかけないと。

 だけど、次回の公演はまだ何も決まっていないんだって。これといったネタを思いつかないそうなのよ。私は変態教師騒動を芝居にしたらって言ってるんだけど、今のところ興味を示さないのよね。彼のためにももっと変態教師のことを調べなくっちゃあね。私もただの興味本位で調査しているわけじゃないのよ。わかった?

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