2 ネットモンスター
2 ネットモンスター
白鳥翔太の6畳一間の部屋には、彼が学校の教員をしていることがわかる物は何一つ存在しない。本や教育雑誌、学校の書類の類は何もない。教育に関するほとんどの本は赴任が決まった時点で捨てたし、残ったわずかな本も職員室の机の上においている。もちろん、商社に勤めていたことがわかるような本は一冊もない。ベッドと小さな机と椅子があるだけの、まるで囚人の部屋のような殺風景な部屋だ。部屋のコーナーに渡された棒にハンガーがかけられ、そこにスーツが吊るされ、ワイシャツや下着の類はベッドの下の引き出しにしまわれていた。夕食は学校で出前を取ってすませていた。
白鳥は帰宅すると着替えもせずに、そそくさとパソコンの前に座った。かれは画面上で何かをチェックしているようで、スクロールする度に口元で笑ったり、眉毛を動かして神経質そうに髪を掻いた。そして、頭を上げて少しぶつぶつと独り言を言ったかと思うと、猛スピードで何かを打ち始めた。それはすぐに打ち止んだので短文のようである。少し打つと頭を上げて、ぶつぶつと呟いては、再び激しく短文を打つことを繰り返した。打ち方は職員室の静かなタッチのタイピングとは明らかに違って、鍵盤を激しくたたくピアニストのようで、部屋中に鳴り響く派手な打ち方をしていた。彼はタイプの音が隣の部屋に聞こえないように、鉄筋コンクリートの気密性の高いアパートを借りていた。木造のアパートだったら隣の部屋にタイピングの音が漏れていたのは間違いない。すでに深夜だ。木造のアパートだったら、きっと隣近所から苦情が来たことだろう。かれはこの作業をしばらく続け、作業が終わると入力したデータをUSBメモリーに入れて電源を切った。これが彼の日課なのだ。
彼は毎週のごとく金曜日の深夜になると車を30分ばかり走らせて、隣の街の駅前にあるインターネットカフェに出向き、一晩中、様々なサイトを見ながら短いコメントを打ち込んだ。時々USBメモリーに入れた文章をコピペし、それを少し加工して入力した。コメントの内容は誹謗中傷である。白鳥のハンドルネームは恐竜史上最強とうたわれているティラノサウルス・レックスの略称「Tレックス」を使っていたが、その筋では「炎上キング」として有名だった。
彼が自分の部屋のパソコンで打たずに、どうしてわざわざ深夜に隣町のネットカフェに行くのかと言えば、それは万が一誰かに彼の書き込みが見つけられても、自分の正体を突き止められないためであった。だから、時々ネットカフェも替えていたし、意識して曜日も替えることにしていた。卑怯者はどこまでも臆病なのだ。
何を書き込んでいたかって? それは単純だ。
「ボケ、ボケ、ボケ」
「カス、カス、カス」
「土下座、土下座、土下座」
「黒、黒、黒」
「死ね、死ね、死ね」
「甘えんじゃないぞ」
「便器に顔を突っ込んで反省しろ」
「お袋さんが泣いているぞ」
「懺悔の値打ちもないぞ」
ネットへの悪口雑言を書くからと言って、白鳥翔太がイデオロギーや政治に特別な偏向があったわけではない。そうした社会的なことに興味はまったくないと言ってもいいほどだ。ニヒリスト、アナーキスト、そんなカッコいいものでもない。
思想的に空っぽといっても、今の時代に過激な言葉を書くためには右翼を装っていた方がいいようだ。いわゆるネトウヨである。この方が一般受けする。表の学校の顔はどこまでも民主的、裏の顔は最悪の権威主義的、なかなか面白い取り合わせだ。左翼っぽく書いてもいいんだけれど、今の日本じゃ受けないだろう。右翼だと、国家、日本人、日本精神、日本の美、神、そしてなによりも非国民と罵ればいいだけだからな。左翼のように小難しい理屈をぐずぐずと展開する必要はない。ネトウヨと呼ばれる連中は、野次が上手だったらいいのだ。平たく言えば、一発ギャグのようなものだ。
少なくとも右翼には未来のビジョンは必要ない。ノスタルジックであればそれでいいのだ。過去をうまいこと切り取って美化すればいいだけだ。「君は本当の日本を知らない」って言えば食いついてくるぜ。過去は美しく響くものだ。いや、美しく響かせているだけだけどね。できれば神話の世界にまで遡った方がいい。百年、二百年前の世界では歴史学者がうるさいからだ。不都合な記憶は隠ぺいした方がいいんだ。まあ、答えに窮した時には、「非国民」「売国奴」という決まりきった言葉を投げかければいいだけだけど。なんにも難しいことはない。おれは政治や思想には立ち入らず、ただ後ろめたさを持っている弱い奴らの傷口に塩と辛子とワサビを塗って過激にこすり付けているだけなんだ。
ドラッグの使用が噂になったり、浮気をしたり、交通事故を起こしたり、婦女暴行をしたり、横領したりする奴がターゲットだ。別に本人じゃなくったって、肉親や知人が起こした事件だって構わないんだ。単なる弱い者いじめじゃないかって。そうさ、決まってるじゃないか。かさにかかっていじめてやるんだ。時には被害者の肩を持ったふりをしてね。それに絶対的な正義の側に立っているふりをするんだ。情けをかけちゃあいけない。どこまで行っても絶対的正義だぜ。情状酌量、そんなものはないね。寛容な気持ちが少しでもあったら、攻撃の手が緩んでしまうぜ。
少し賢げにモラルの崩壊という単語を使ってもいいね。モラルハザードって言い方はもう古いんじゃないか。陳腐な言葉を使うと馬鹿に見られるものな。自由や平等だって今使ったらクソだぜ。いくら格差が広がったからと言っても、平等なんて言葉は使えない。だけど、民族って言葉は古臭くてもいいんだ。郷愁を誘う言葉を入れないと右翼ではないだろう。ご都合主義かって。そりゃあ、そうさ。その通りだよ。保守的な方がいいけど、自分のことを保守って言うとダサいぜ。「腐ったサバの目みたいだ」。なかなかいいフレーズじゃないか。こうした諺を入れないと目立たないよ。これは諺じゃないって、どうでもいいじゃないか。
陳腐という言葉も攻撃に使う玉としてはそこそこいいんじゃないか。それが新しかろうが古かろうが「陳腐、陳腐、陳腐」って連発した者勝ちだからな。この世界、過激な者勝ちってところがあるからな。実際、何が陳腐なのかわからないんだけどさ。「自己批判しろ」たまには使ってみるか。
これでも日夜いろいろなところから言葉を拾い集めているんだぜ。屑拾いみたいにさ。「言葉の屑拾い」、良い響きだな。「一辺一マイクロメートルの箱の中に閉じ籠っていろ」。こりゃあ、すっきりしないな。「ミクロンの箱の中に閉じ籠れ」。このくらいでいいか。「100億光年の先まで飛んでいけ」「一万メートルの海底で目玉のない魚と戯れろ」。
「今度生まれ変わったら、おまえはダンゴムシだ」。これはいい。今度使ってみるか。「今度生まれ変わったら、おまえはアメフラシだ」「今度生まれ変わったら、おまえは出目金だ」さあ、どれを取る。どれも嫌だな。そもそも生まれ変わるわけないだろう。こんなこと信じる奴は馬鹿だ。そんな奴はダンゴムシ以下だ。ダンゴムシだって人間の生まれ変わりだなんて思っちゃあいないんだから。でも、相手にショックを与えられればいいだけだからな。言葉に信憑性なんていらないんだ。
モンスターになっている時に、生の充実感を感じているらしい。こんなのを二重人格者と呼ぶのか? それは少し仰々し過ぎるな。この程度で二重人格者だとしたら、ほとんどの奴らは二重人格者だぜ。裏表のない人間だと言い張っている奴は、世界に万分の一も居ないごく少数派なんだ。みんな程度の差はあっても裏と表があって過ごしているんだ。まあおまえが指摘するように裏の質が問題だけどな。俺は表と裏の顔が極端に違い過ぎるか。
そもそも書き込まなければ誰も攻撃してきたりはしないんだ。きっと書き込んだ奴らだってかまって欲しいんだよ。自分の弱さをさらけ出して自己満足しているんだよ。醜悪だな。不特定多数に自分の罪を告白しているんだ。告白すりゃあ、許されるって思っているのか? そりゃあ、いくらなんでも甘いんじゃないの。世界はいい人だけじゃないっちゅうの。悪い奴がいっぱいいるんだから。みんな餌が投げ込まれるのを楽しみにしている腹を空かせた鰐みたいなもんだ。告白したら、誰か親切な奴が優しい声をかけてくれるとでも思っているの? おまえの身の回りにはそんな優しい奴は一人もいないんだろう。だから、ネットで告白したんだろう?
おまえがマゾでなければ、自分のいたぶられる姿を見ない方がいいよ。もはや何を取り繕っても無駄なんだ。サイトを見なければそれですむじゃないか。それでも、おまえは自分の書き込みに対する反応を繰り返し見てしまう。ネットはドラッグみたいに中毒になるんだ。
白鳥は誹謗中傷を打ち込みながら、「バカなガキたちを真面目に相手できるかよ」とぶちぶちと呟いている。教室の爽やかな顔とは真逆である。暗い室内の中で液晶画面の明かりが彼の陰湿な顔を浮き上がらせていた。
なぜ彼がこんな二重人格者になったかって? それは誰にもわからない。子供の頃に親から偏った教育を受けたのかって? そんなことはない。だって、上の兄も下の妹も人並みに育っている。こんな毒のある書き込みはしていないはずだ。
白鳥はこれまで裏の顔を誰にもわからずにうまくやってきた。ネットに書き込む以外に別の人格になることはない。ある刺激で別の人格が現れるわけでもない。そもそもネットがなければ、このような二重人格になることはなかったはずだ。いや、ネットへの悪口雑言程度で二重人格という病名のごときものを付けられるのは、彼にとって本意ではないはずだ。こんなことは誰でも平気でやっているからだ。きっとネットの匿名性が悪いのだ。もし名前が晒されるのならば、彼は他人を誹謗中傷する書き込みは即座にやめるだろう。彼は実名を晒してまで目立ちたいわけではなかった。ましてや正義の味方ではないし、世間に向けて主張したいことがあるわけでもなかった。
それじゃあストレス発散の手段かって? ストレスを発散しようと思ったら、別に運動すればいいだろうし、人と話をすれば済むかもしれないし、テレビを観てれば忘れてしまうかもしれない。ネットに書き込みをするのはストレスを発散することだなんて、それは単なる見え透いた言い訳にしか過ぎない。そう言っておけば誰でもが納得するだろうからな。でも、違うんだ。ストレスなんかじゃない。
そもそも、ネットがなければ書き込まないし、ネットがなくなっても困ることはない。少し禁断症状が出るかもしれないけれど、それもすぐに治まるだろう。生きていくうえで表立った不満はない。だから不満をぶつけているわけでもない。
どうしたわけか、暴力的な言葉がおれの頭の中に発生してきて、それが溜まっていくんだ。だからそれを吐きださなければならないんだ。ウンチのようにね。暴言を吐くことが快感かって? そうだね。排泄行為だね。ネットにはそれを吐く場所があるじゃないか。痰壺みたいなもんだ。いい大人が公衆の面前で他人に向かって「ばか、ばか、ばか」って大声で罵れるか? そんなことはできないだろう。そんなの公然と口に出せるのはやくざか半ぐれくらいのものだ。
世界で一番初めに汚い言葉を吐いた人間はどんな人間で、どんな言葉を吐いたのだろうか? もしかすると、それはライオンのような猛獣に吐いたものかもしれない。ライオンはきょとんとしたことだろう。いや、多分ライオンを挑発すると怖いので、ライオンのいないところでライオンの悪口を言ったのかもしれない。やっぱり人間は卑怯者だ。おれはその卑怯者の子孫だ。
ネットの書き込みを始めたのは、中学生の頃からかな。だから筋金入りだぜ。何かコメントを書いたら反響が大きかったんだ。何を書いたか忘れたよ。どうせ同級生たちへのくだらない誹謗中傷さ。だけど、それが快感でさ。その頃は一日中書き込んでいたな。偏執狂だったんじゃないかな。だけど、そのうち教師に見つかって、親にパソコンを取り上げられたよ。それでぷっつりとやめてしまったな。憑き物が落ちたというのかな。だけど、俺が書き込みの犯人だってことはばらされなかったから、いじめに合わなかったけどな。反省したわけじゃないけど。
俺が再び書き込みを始めたのは就職してからだ。会社の不正を暴いてやったんだ。それは新聞記事にもなったぜ。断っておくけど、俺、別に正義のためじゃなかったぜ。知っていることをただ書いただけなんだ。えばり腐っていた奴みんな失脚よ。おれをかってくれていた上司も左遷させられたな。愉快じゃないか。
中学校の教師になった理由? 中学生って面白いじゃないか。なんかちぐはぐでさ。子供と大人の同居っていうのかさ。自分の中学生時代を思い出してのことなんだけどね。高校生になると、勉強ができるできないで学校が振り分けられるだろう。中学校はクラスにいろんな奴がいるからね。能力や性格や体格に関係なく同じ年齢の奴が一網打尽に集められているんだぜ。人間を観察するにはこんな面白い空間はないんじゃないかな。俺が教師として試してみることを、生徒はすべて真面目に受け取ってくれるだろう。凄いことじゃないか。俺が演出家で主役なんだ。こんなことができる職場は他にないよ。会社の社長になったってそんなことできないんだから。
夜が明けた。今日は卓球部の対外試合の日だ。生徒を引率して会場に行かなくっちゃあな。子供たちが熱心になるのも考えものだな。アパートに帰って、シャワーを浴びてスーツに着替えて出かけるか。表の世界も楽しいぜ。裏があるためには表も充実していなくてはな。