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表と裏騒動記  作者: 美祢林太郎
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1 爽やか中学教師

1 爽やか中学教師


 春の爽やかな日差しが教室の窓から差している。この爽やかな日差しを一身に浴びているのが教壇に立っている教師の白鳥翔太である。教卓には花瓶にフリージアが差してあった。


 始業式が終わって、小峰中学校3年3組のホームルームの時間が始まった。担任は白鳥だ。毎年恒例のクラス替えが行われたこともあり、シャッフルされた新しいメンバーの中で生徒はみんな少々緊張した面持ちであったが、同時に、背筋を伸ばして最高学年になった自負が感じられるようでもあった。泣いても笑ってもこのメンバーで一年間最後の中学校生活を送っていくことになる。

 教壇に立つ白鳥は生徒の顔を見渡した。みんな、彼が担任であることを喜んでくれているようだった。これは決して彼の勝手な思い込みではない。白鳥は2年をかけてこの学年の多くの生徒に信頼を勝ち取るまでになっていた。

 白鳥は特別面白いことを言うわけではないし、子供たちの間で人気のある芸能人の話題に自分の方から積極的に入っていくわけでもない。子供たちと話を合わせるために、わざわざそうしたテレビ番組を見ることもしない。どちらかというと、芸能界の話題は苦手な方だ。

 それでも生徒からは爽やかで、なおかつ教育に熱心な教師とみられていた。最近の学校では年配者が多く、生徒たちには若いというだけで魅力的に映る。生徒にとって好感度の第一はこの若さによる眩しさなのだ。31歳になる白鳥が眩しいばかりの光を放っているかどうかはさておき、教員の間では相対的にかなり若い方であることに間違いはない。白鳥は外見や立ち居振る舞いによって、生徒たちが抱いている若さの輝きを裏切ることはなかった。だが、彼の人気の秘密はもちろん若さだけにあるのではなく、核心部分は白鳥翔太の工夫された授業にあった。

 白鳥の担当する科目は日本史で、どの生徒にもわかりやすい授業を心掛けた。時には授業の中でNHKの大河ドラマの一場面を生徒に演技させた。生徒は時代の英雄よりも現代の有名な役者になりきることがうれしいようだった。関ヶ原の戦いでは徳川家康と石田三成の心中を考えさせ発表させた。日露戦争で日本海軍がバルチック艦隊に負けたとしたならば、その後の日本はどうなっていたかをみんなに議論させた。もちろんそこに正解はないが、生徒たちは歴史に興味を持ち、自分たちで下調べをし、主体的に考えるようになっていった。

 白鳥は、多くの生徒が非行や引きこもりなどの問題行動を起こす主要な原因は、授業について行けなくなるからだとシンプルに考えていた。学校で激増する不適応な子供たちの心理面のケアを強化するよりも、生徒たちが学校で、いや一日の大半を費やす授業を魅力的にし、そこに達成感を得るようにすることの方が、生徒の心理を安定させるために重要だというのが彼の持論だった。世の中はその逆を行っているように白鳥は感じていたが、彼の考えを学校の同僚たちに声高に主張するつもりはなかった。授業が下手な教員が多いのは、生徒たちの話を聞いてよくわかっていたからだ。それを指摘し改善するのは教師のプライドを傷つけることになるので、荒療治を伴うことがわかっていたからだ。白鳥は先頭に立って、そんな大変なことをする気はさらさらなかった。事なかれ主義者だと言われればその通りだ。聖徳太子ではないが、和を以て貴しとなすのが彼の表向きの信条である。

 生徒の個別指導も他の教員たちから過剰だと反発を受けない程度にさらりとこなしていた。それでも、できない子にはできない子用のプリントを作成し、個人の学力を的確に把握して、放課後に個別指導を行った。実は、これは学力試験のための対策だ。テストで高得点を取れば生徒本人が嬉しいことはもとより、白鳥自身にとっても他の教員から教科指導力が評価され、特色のある授業法に文句が出されることもない。一石二鳥だ。いずれにしても、成績が良いと、生徒も教師も学校の中で生きやすくなることは間違いない。

 試験に出る単語や年号を覚えるのは、思っているほど難しいことではない。意外かもしれないが、難しいのは問題文を読んでその内容を理解することだ。試験直前は時間がないので、できない子には仕方ないので、丸暗記させて条件反射を磨いている。定期試験の範囲はたかだかしれているのだ。

 白鳥は夜遅くまで職員室に残って授業の準備をした。彼のタイピングはとても静かなので、同僚たちは気が付いていないようだったが、じっくり見ると彼のタイピングは異常に速かった。このタイピングの速度だけをもってしても、与えられた作業を他の人の半分以下の時間ですますことができるようだ。

 問題を抱えている子供の指導については、積極的に先輩の教員に相談した。先輩の意見が参考にならなくても、相談することによって人間関係が円滑になる。白鳥はそつのない男だが、それでいて相手に微塵も嫌味を感じさせることがない。まだ勤めて三年目が始まったばかりだというのに、同僚たちも安心して見ていられると評価した。そんな彼を教員になるために生まれてきたような人間だと噂する者もいるくらいだった。

 毎週「クラス通信」を作成して、生徒の動向や生の声を家庭に届けていることも、親たちに評判が良い一因だった。家庭訪問をして親と会話をすることもいとわなかった。

 子供の素行についても注意を払い、いじめが起きていないか注意を払った。生徒は苦手な科目や嫌いな先生たち、そしてなによりも生徒間の人間関係によってストレスが蓄積してくるので、どうしてもガス抜きが必要になってくる。普通は生徒間でストレスを解消していくのだが、それができない生徒には教師が話を聞いてやらなければならない。白鳥が生徒たちに人気があるのは、魅力的な授業もそうだが、それ以上に生徒の日常に起こった他愛ない話を辛抱強く聞いてやることにある。「うん、そうだね」というのが彼の口からいつも出てくる言葉だ。生徒の話に相槌を打って同意している。相談者の話を否定してはいけないということは、どの臨床心理学の本にも書かれていることのようだが、彼も読んだことがあるのだろうか? それにしては、かれの対応はどこから見てもパターン化されておらず、かれの心の奥底から発しているかのように見える。このことを子供たちは密かに感じ取っているのだろう。子供たちの嗅覚は鋭く、かれらを騙すことはできない。それとも彼は生まれ持って慈愛に満ちた性格なのだろうか。慈愛? いくらなんでも慈愛は仰々し過ぎるかもしれない。寛容、このくらいが適切だろう。現代の教育にはこの寛容さが大切だとされているし、現代人にも広く寛容さが求められている。

 世の中には黒白だけでは判定できないことがいっぱいある。彼は生徒と同じ目線になるまで腰を低くして話をする。個人個人を尊重する教育を徹底し、よそのクラスの生徒が羨むようなクラスが形成されていくはずだ。そんな期待をホームルームの時間を共有する3年3組の生徒全員が持った。


 白鳥は東京の名門私立大学を卒業後、超一流商社に7年間勤めた。仕事も順調で、上司からも将来を嘱望されるまでになっていたが、何を思ったか、30歳を前にして中学校の教員に転職することになったと言って、突然3月末に退職した。そう言えば、退職前の2年間はしばしば長期休暇を取るようになったが、それは教育実習の単位をとるためだったのだろう。彼は首都圏の中学校の教員採用試験を受けて合格していた。

 学校の同僚たちは誰も教員以外の職に就いた経験がなく、彼の商社に勤めた経験に関心を持って、機会あるごとに色々と聞いてきた。なかには、商社で何か不始末を犯して解雇されたのではないかと勘繰る者もいたが、白鳥からはそんな悪い過去があることは微塵も感じられなかった。彼は商社の仕事は楽しかったし、給料も今よりははるかによかったけれど、帰省した時に実家で偶然中学校の卒業文集を見つけ、そこに将来は中学校の教員になると書いてあったので、初志貫徹と思い、中学校の教員に転職することを決めた、と同僚に説明した。みんな異口同音に「もったいない」と言ったが、白鳥は今の仕事に満足しているように見えた。それでも学校に勤めて一年間は、同僚たちが商社の頃の話を何くれとなく聞いてきたが、適当にやり過ごしていると、そのうち誰もそのことを話題にしなくなった。

 白鳥は酒の席でも、先輩に生徒の指導法や授業の進め方を熱心に相談し、周りからは教育に熱心な教員とみなされるようになっていった。こうしてそれほど時間の経たないうちに教師として打ち解けていった。商社勤務の経験は同僚たちに尊重され、30歳を過ぎた年齢も大学の新卒とは違った落ち着きのある大人としてとらえられた。事務仕事もそつなくこなし、仕事や話し方から彼の頭の良さがうかがえた。

 部活は、他校へ移動していった前任者が担当していた卓球部と美術部を自動的に引き継ぐことになった。白鳥はそれまで卓球を遊びとして数度しかしたことがなかったので、卓球の指導法の本を買い、何本か指導用のビデオを購入して、ユーチューブも見て勉強し、最新の指導法を身に着けた。そして一年間ほぼ毎日、部員たちと卓球するうちに、一番上手な生徒に勝てるほどの腕前になり、部員たちから一目置かれるようになった。さらに、コーチとしても信頼されるようになっていった。それまで指導者がいなくて放任されていた卓球部は、試合に出たら負けの弱小チームだった。それが、一年経つと地区大会の一回戦で勝てるまでになり、勝つ味を覚えると部員たちも練習に一生懸命に励むようになっていった。白鳥は自分の運動も兼ねて卓球部にはほとんど毎日顔を出したが、一方の美術部には顔を出さず、放任を貫いた。


 ホームルームの最後の言葉は「今年一年、よろしくお願いします」で締め、生徒たちにも互いに向かって「今年一年、よろしくお願いします」と大きな声で言ってもらった。どの顔もニコニコとほほ笑んでいた。これで一年間うまくいくことを白鳥は確信した。

 

 新学期が始まり、わたわたしているうちにゴールデンウイークに突入し、それが明けた。3年3組の教卓には花瓶にカーネーションが挿してあった。

 ゴールデンウィークが終わった最初の月曜日は、新学期が始まったような新鮮な気持ちになるのは自分だけではないだろう、と白鳥は教壇に立って思った。今日から地に足のついた本格的な学校の日常が始まる。ゴールデンウィーク前の四月はただの助走にしか過ぎない。四月、生徒たちはみんな春休みの続きの気分で、桜は散ったというのにまだ桜に酔っているようだった。そんな中で生徒と同じように教師もボーとしているが、それでもクラスの基盤づくりだけはしておかなければならなかった。この助走がうまく行くと、ゴールデンウィークが明けてからスムーズな飛行ができるのだ。

 欠席した者は誰もいなく全員がそろった。これが何より大事だ。ゴールデンウィーク中に家族でディズニーランドに行った者もいるだろうし、来年の高校受験を目指して塾で勉強していた者もいるはずだ。休みが長かったにも関わらず、浮ついているような生徒はいない。生徒はどんな過ごし方をしようが、ゴールデンウィークが明けた清々しさを感じているはずだ。

 久々に担任の白鳥の顔を見ることができて、生徒たちはみんな嬉しそうだ。彼に会えることを楽しみにしていたのだ。

 ホームルームの間中、一人の男子生徒は窓の外ばかり見ている。日本史の授業が終わると、ある女子生徒が白鳥に簡単な質問をしてきた。こうしたこともゴールデンウィーク前と何も変わらない。のどかな教室の風景だ。


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