一、忍見
忍見の両親は、共に神人だ。神人同士が子をなすのは珍しく、見た目も普通の神人とは違って居る。
白い髪に、白い瞳。通常ならば赤い目で神兎とされる神人ならず、瞳までが白いのだ。其れ故忍見自身、族の神人達より命が短い事を知って居る。
両親は既に亡く、独り窺見として巫王の元で働く身だった。
十五になった年に、巫王から命を授かった。族の巫女姫である亜耶と、愛娘の真耶佳を連れて巫王の御館を出て行った羽鳥を、監視せよと。
羽鳥は巫王の二の妹だ。一の妹である姉姫が果敢無くなったのを機に、女御館で暮らし始めた。巫王の愛情が己に向けられないのを、恨んでの事だった。
陸の族から娶られた頃は美しかったと云うが、今はその俤は見られない。姉姫の真耶佳に異常な愛情を傾け、顔にも険しい皺が刻まれている。亜耶への仕打ちは酷い物だ。
娘達はさぞ窮屈な事だろう。そんな巫王の思いを受け、忍見は毎日御館の屋根から内側を透見する。
亜耶の間は、流石巫女姫だけあって目隠しが為されている。未だ十二だと云うのに、其の霊力には目を見張るばかりだ。
十四になる真耶佳は、昼は母に伴われて湯殿や化粧場に赴く。羽鳥も真耶佳も、忍見に気付いて居る節は無い。
独り残される亜耶の元には、足繁く神殿の御使い達や神山に住む大蛇が通って来る。亜耶は亜耶で、母に隠れて自由を謳歌して居る様だ。
ただ気懸かりなのは、羽鳥が真耶佳を端の間に置き、中央の間の亜耶に聞こえる様に真耶佳の為だけの美し言を放つ事。此れでは、亜耶は萎縮してしまうのでは無いか。
羽鳥と亜耶が一緒に居るのを、忍見は見た事が無い。母が御館に居る時は、亜耶は結界の中に閉じ籠もって居るからだ。食事も、亜耶は残り物。唯一の救いは、真耶佳が腐れる事無く亜耶を可愛がって居る事だろう。
真耶佳は美しく、気立てが良い。忍見は、いつしか真耶佳を目で追う様になって居た。大王に嫁ぐ姫だ、そう自身に言い聞かせても、真耶佳を思う心は止められなかった。
雨の季節が来た頃、羽鳥が急に体を壊した。真耶佳は其れを機に、独りで外出する様になる。
一つ年上の異母兄に、薬草を調合して貰う為に。
「真耶佳」
或る日、亜耶が出掛けの真耶佳に声を掛けた。羽鳥は、眠って居る。
「お母様は胸の病よ。近付いては駄目。真耶佳に移るわ」
「え………」
「真耶佳は大王に嫁ぐ姫。胸の病など持って行ったら、杜の族ごと滅ぼされる。忘れないで」
亜耶は其の侭自分の間に戻ろうとしたが、真耶佳に引き留められていた。
「待って、亜耶。お母様は、果敢無くなるの?」
「ええ、近いうちに」
言葉を失った真耶佳に、薬の差し入れは自分が代わると亜耶は言った。真耶佳は、湯殿で毎日綺麗にするのと、感染を防ぐ薬草を時記から貰ってくる様に。
「…分かったわ」
「薬を持って来たら、私を呼んで」
菫青石の勾玉を揺らして、亜耶は自分の間へと戻って行った。急いだのか、廊下に出た足には沓が履かれて居無かった。
珍しく出て来た亜耶に気を取られ、忍見は足下が濡れている事を忘れて居た。今の会話は、巫王に伝えねばなるまい。急いで屋根を降りようとして、足が滑った。
何とか泥濘んだ地面に音も無く降り立つには成功したが、場所が悪かった。顔を上げたら、女御館から出て来た真耶佳が目の前に居るのだ。
「貴男、神人ね…空から、降って来たの…?」
そう言い乍ら、真耶佳の頬が赤く染まっていく。胸が高鳴っているのを、窺見である忍見は聞き分けた。驚かせたのだろう、と。其の時はそれしか思わなかった。
「男御館まで、お送りしましょう」
驚かせた詫びの積もりで言った忍見に、真耶佳は目を輝かせ、益々頬を上気させる。
此の時、忍見は忘れて居た。神人達の中でも、自分が如何に抜きん出て美しいかと云う事を。