本当にあなたは”ヒロイン”なのですか?
ふとした思い付きで書いた。 後悔はしていない(かもしれない)
スヴァン王国の首都たる王都マカドリア、その中央に位置する王城エンスヴァン。
美しき白の双塔城と呼ばれる左右に大きくそびえ立つ真白き塔エンメレスとエンスヴァレ、その左手側にある塔エンスヴァレの真下に広がるは牢獄。
王家や国に仇なす凶悪犯を収容するその牢獄に場違いな珍客が迷い込んできた。
いや正式な書類を携え、高貴な貴人に付き添われての登場であるから迷い込んだは間違いであろう。
その珍客、もといこの国において最上位に近い高貴なる身分の女性。 公爵令嬢ロゼリア・ハイダ・エルメストはその婚約者である王太子ギシャール・オル=セヴァー・アンバレットにエスコートされながら四つ目の入り口を潜り抜ける。
この牢獄は収容している犯罪者を絶対に逃がしてはいけない、もしくは暗殺などによって獄中死されてはいけない重要な犯罪者が多いため、いくつもの門がありそこで手続きをしないと通れないようになっていた。
ギシャールは、この病的ともいえる牢獄の管理体制にため息をつきつつ、このようなものを作らざるを得なかった前王朝、ドルダータ王朝最後の王ダントッタ8世に少しの哀れみを覚えながらエスコートしている自身の婚約者ロゼリアに目を向ける。
ロゼリア・ハイダ・エルメスト、豊かなはちみつ色と称される金髪を今はハーフアップに纏め、少しは動きやすいかと軽めのドレスに身を包んだ菫色の瞳を今は曇らせうつむいて進んでいる公爵家の姫である。
幼い頃からの婚約者である彼女は常に笑顔を絶やさない女性であったが、この事件が起きてからはそのかんばせが晴れる事がなかった。
と、ロゼリアと過ごした日々をなんとはなしに思い返していたがようやく最後の門へと到着し、ここでロゼリアの手が離れた。
「本当に一人で行くのかい?」
ギシャールは不安げに彼女に尋ねた。 最初にそう言われ頷いてここにきたがやはり不安になる。
なにせ相手は凶悪犯である。
在学中からロゼリアに悪意を持っていた人物なのだ。
たとえ強固な牢に収監されていたとしても、ロゼリアだけではなく側に護衛が付いていたとしてもだ。
この王太子、青味がかった肩にかかるくらいの黒髪を無造作に首の後ろで一つに纏め、エメラルドを思わせる瞳をもつ美丈夫は幼い頃からの婚約者であるロゼリアを心底愛していたのだ。 周りがあきれるほど。
その愛が重いと周りがおののくその王太子の声に、王太子の愛を一身に受けるロゼリアはうつむいていた顔を上げる。
薄暗い中であってもその白皙の美貌に陰りは見えない。
「はい、ギィ。 これはわたくしがなさねばならないことなのです」
ロゼリアはそう言って柔らかく微笑む。 しかしギシャールはその笑みがわずかばかりひきつっているように感じた。
だが、ロゼリアの、ローゼの望みをかなえると決めたのだ。
「……分かった。 行っておいでローゼ。 でも気を付けるんだよ?」
ギシャールは一つため息をついた後、そうロゼリアに答えた。
「はい。 決して近づいたりなどは致しませんからそう心配しないでください」
ロゼリアはそう言うと護衛に頷きかけ最後の門を潜り抜ける。
ロゼリア達が潜り抜けた後、門は中にいた兵士によって閉ざされる。
外側にいた兵士が恐る恐るといった感じで貴人用にしつらえた椅子を持ってくる。
この牢獄の中では豪奢な造りだが、王族が座るとなると粗末としか言いようがない椅子に何も言わずギシャールは座り腕を組んだままむっつりとした表情を崩さない。
椅子を勧めた兵士はその表情を見て、どうか処罰されませんようにと神に祈った。
その様子を見たギシャールはため息をつきつつ椅子に不満があるわけではないと告げ、兵士を落ち着かせるのであった。
ロゼリアは門が閉じるまで立ち止まっていたが、門が閉じるや護衛の兵二人に目線で先を促し歩き出す。
護衛、といったが彼らは近衛つまり王族を守護する者である。 婚約者ではあるがまだ王太子妃となっていないロゼリアに付き従わせるのは気が引けると一旦断った彼女であったが、王太子が護衛に付けねば牢獄に行く事を許可しなかったため仕方なく連れてきたのである。
とはいえ公爵家、現王朝であるアンバレット家の血を引いている、ロゼリアの父が現国王の従弟であり、隣国アラド帝国の第三皇女を母に持つ、やんごとない身分であるからには近衛としては否はないであろう。
五つ目の門を潜り抜けた先、牢獄の最終部には特に凶悪、王族に仇なさんとした者が収監される。
とはいえ、ここ近年ついぞ使われることもなかった場所でもある。
それがこの度、たった一名とはいえここが使用されるという事で一時期は騒然としたものであったが。
目的の場所、その囚人が囚われている牢までたどり着いたロゼリアと護衛兵は立ち止まる。
ロゼリアの視線を受け、護衛兵が側にいたこの囚人の監視兵に頷き入り口を開けさせる。
ここは鉄格子の前に鉄製の分厚い扉が中の囚人に、外の情報を与えまいと閉ざされていた。
今それを開き、その音に気付いたのか中にいた囚人…… 凶悪犯とは思えない部屋の中央で膝を抱えて座り込んでいた華奢な少女がノロノロと顔を上げる。
「お久しぶりですねアメリアさん」
ロゼリアのどこか苦々しさを感じさせる声に、その少女アメリア・バダム男爵令嬢はそれまでの緩慢な動きが嘘であったかのように跳ね起き、すぐさま鉄格子の前まで来ると両手で鉄格子をつかみロゼリアに唾を吐きかけんばかりの勢いで叫びだした。
「お、おまええええええぇぇ! ロゼリアぁ! お前のせいであたしがっ! こんな目にいぃぃぃぃ!! ふざけんな! 早くここからだせぇっ! あたしはヒロインよっこんなことして罰がっ…… いたっ!?」
なおも怒涛の勢いのまま言いつのろうとしたアメリアは、突然右腕を抱え後ろに飛びずさった。
見るとその腕からは少し血が出ている。 ロゼリアの側にいた護衛兵がその持っている槍で突いたのだ。
すでに引き戻している槍の穂先にも血が付いている。
槍を構えた護衛はそのまま睥睨しアメリアを睨みつけ、もう一人はロゼリアを庇い前に出る。
それをロゼリアがスッと手を上げる事で二人は後ろへ下がる。
「ありがとう。 さて……」
ロゼリアが二人に礼を言い、仕切りなおすようにアメリアに話しかける。
「もう一度言わせてもらうわアメリアさん お久しぶりね?」
アメリアはなにも言わずただロゼリアを睨みつける。
その姿に分からぬようにそっとため息をつくと再び話し出した。
「さて、時間もないので始めるとしましょうか」
そこで一度言葉を切ると軽く目を閉じ、ゆっくりと目を開いた時には苦し気な表情はなりを潜め高位貴族にふさわしい凛とした表情になった。 そして……
『アメリアさん、貴女ニホンという国をご存じかしら?』
その言葉、護衛達には理解出来なかった言語”ニホン語”を聞いたアメリアは目をこれでもかと見開きワナワナと身を震わせる。
『あ、あ、あ、あんたっ! そうかあんたも転生者かっ!? だからおかしかったんだっ! 全部あんたのせいねっこのバグがっ!!』
凶悪に顔を歪めながら叫ぶアメリアを見やりあきれたような顔を見せるロゼリア。 ふと、扇を持ってくるのを忘れていた事に気付いたがまあ今回はいいだろうと思いつつ口を開く。
『大声を出すとまた槍で突かれるわよ。 さて、やはり貴女は転生者だったのね』
そのロゼリアの言葉にビクッと身を震わせた後、アメリアは護衛の方に目を向け一歩ほど後ろに下がった。 とはいえ護衛の持つ槍は2m半ほどもあり狭い牢獄の中では逃げようもないのだが。
再びロゼリアが口を開く。
『わたくしがバグ…… というのは否定しないけれども、わたくしだけが原因じゃないのは理解してるかしら?』
ロゼリアがそう言うとアメリアは眉を顰め否定の言葉を投げる。
『あんたでしょう? あんたが転生して記憶を持っているからゲームとは違う事になったんでしょっ!?』
『確かに最初はなんとかしようとしていたわ。 でもね? そんな必要がないってわかったの…… 貴女が学園に入ってきてすぐに…… ね』
その言葉に意味が分からないとアメリアは顔を歪める。
『はあ? どういう事よ!』
ロゼリアはアメリアの問いかけに直ぐには答えず一度目を閉じる。
ギシャールは少々粗末な椅子に腰を下ろしたままこの奥に居る囚人、いやアメリア・バダム男爵令嬢について思い返していた。
桃色がかって見える銀髪、大きくくりくりとした青い瞳、美人というよりはカワイイと評されるその顔はささいな事ですぐに表情を変える…… と言われていた。 信奉者達には、であったが。
貴族、高位貴族や王族であっても物怖じしないその態度は新鮮さを持って一部の貴族に受け入れられていた。 極一部、それも低位の貴族の子息だけであったが。
その生まれは父親が男爵、母が平民のメイドであり市井で育った故か貴族社会に疎く平民らしさが消えないのだと彼女は笑って言っていた。
が、生まれは兎も角平民ゆえの態度というのは嘘だった。 正確には平民に興味を持ってギシャールが調べた結果嘘であることが分かったというべきか。
平民は決して貴族に馴れ馴れしい態度など取らないと知った時の気持ち。 ロゼリアと共にお忍びで市井に出向いた時の衝撃は今でも思いだせるだろう。
たしかに同じ平民同士であれば馴れ馴れしい者はいた…… だが貴族だと知ったあとの恐れようは、いっそ哀れに感じるほどだった。
平民は理解しているのだ。 貴族の不興を買えば自分の命などゴミも同然であると。
アメリアのように高位貴族にすり寄るなどという事はしない。 不用意に触るだけで殺されるとまで思っている。 もちろん貴族に仕える仕事をしている者はそこまで思わないのかもしれない…… いや知っていれば特に思う者もいようか。
なんにせよアメリアは異質であった。 貴族らしくなく、平民らしくなく。
貴族の事など分からないといいつつギシャールには王族の何たるかを説いたり、まあまったくの見当はずれな言い分であったが。
婚約者のいる異性に簡単に近寄る。 これも平民に聞いたところ、ありえないと言われた。
平民も貴族も同じ人間だ、平等だと語るさまは嫌悪感と共に恐怖を感じた。 ありえないのだ、貴族と平民が同じなどという思想はあり得ない。 この国、いや近隣諸国であってもそのような思想は存在しない。
そんな身分制度が崩壊するような思想を語る少女を見て、特一級の警戒対象に指名したのは我ながら素早い判断だったと思う。
孤児院の者達に文字を教え孤児院をもっと優遇したいと言ったときは呆れ、ため息が出るのを抑えるので精いっぱいであった。 孤児院が貧しく生活が困難なのはお金がない事もあるが態とそうしている部分もあるのだ。
考えてみてほしい。 生活が苦しい平民よりも豊な生活をしている孤児達を見てどう思うか。 羨み憎しみを抱く事もあるだろうし、自分たちよりいい生活をしているならと罪悪感もなしに子供を捨てるのではないか? 子供のためという免罪符を握りしめながら。
孤児院は最低限の生活を送る必要があるのだ。 彼らを守るためにも。
思いだせばまだまだ苦い記憶が浮かんでくるがギシャールは一旦その記憶を閉じ、決め手となった所業、ロゼリアに対しての冤罪に思考を変える。
教科書を破られた。 ドレスにワインを掛けられた。 ことあるごとに嫌味や罵倒を浴びせられた。 後はなんだったか? そうそう階段から突き落とされた…… だったか。
そこでギシャールは苦笑を漏らす。
なんだそのあり得ないイジメ? とやらは。
おおよそ貴族、それも高位貴族の令嬢が考ええない物の数々。 後で調べてみると平民の間でならままあることであると知ったが。
この国の貴族は一枚岩では決してない。 最大派閥のロゼリアの家、エルメスト家であってもだ。
利害の合わぬ敵対派閥は言うに及ばず。 同派閥であっても隙あらば追い抜き、引きずりおろそうとする者は多い。
その中で、失点となりえる淑女にあるまじき行動を取るなどありえないのだ。
そんな事をしてしまえば王太子妃にふさわしくないとの声が方々で上がりロゼリアはその地位からすぐさま引きずり下ろされるだろう。 ギシャールの意志など無視して。
結果アメリアの自作自演であったのだが。
「ありえない…… な」
ギシャールの思わずといった独り言に、側にいた兵士は何事かと目を向けるがギシャールの捨ておけとばかりの手ぶりに視線を前へと戻す。
『そうね。 ねえアメリアさんは何を考えて学園に入ったのかしら?』
暫しの沈黙の後のロゼリアの発言にアメリアは眉を顰めながら答える。
『っは? 決まってんでしょ、私はヒロインとしてヒーロー達と恋愛するためよ!』
それを聞いたロゼリアはフッと頬を緩める。
『じゃあゲームのヒロインはなんのために学園に通ったのかしら?』
『そりゃ、病気の母親のために医術を学ぼう…… と……』
そこまで言ってアメリアは言葉に詰まった。
そう、ゲームのヒロインはその為に突然引き取られた父親のいう事を聞いて学園へ、貴族として入学したのだ。
病に苦しむ母のため、それまで放っておいた薄情な父親のいう事を聞いてでも。 決してイケメンと恋愛するためではなかった。
そしてゲームのアメリアにとっては重大な、この収監されている転生者にとってはどうでもいいような事をロゼリアは告げる。
『アメリアのお母さま、貴女が入学して2カ月ほどして亡くなられたそうよ?』
それを聞いたアメリアは唖然とした表情を浮かべしばし茫然とした。
『なんで…… あの母親が死ぬのはイシュマル様のシナリオでミニゲームを失敗した時だけじゃ!? そうかっアンタね! アンタが殺したんだっ! やっぱり悪役令嬢だったんでしょロゼリアぁ!!』
なんとも身勝手なアメリアのいいようにロゼリアはため息を吐く。
『貴女のせいでしょ。 人のせいにしないでちょうだい』
そのロゼリアの言葉にアメリアは顔を歪め吠える。
『なんでっ私のせいなのよ! 私はなにもして、な、い……』
そこまで言ってアメリアはその考えに至ったのだろう。 徐々に勢いを落とし最後には茫然とした。
そうアメリアはなにもしていない。 寮暮らしをするにあたって、ゲームの彼女であれば近所周りに支度金として男爵からもらったお金をいくばくか配り、どうか母を頼むと言っていた事を全くしていなかったと。
そして、学園生活が始まって時間を見ては母親の所に顔を出し世話を焼いていたゲームヒロインと、それに対して全く顔を出さず攻略対象に張り付いていた自分の所業を。
彼女の母親が近所の誰にも世話されず、近所の人間はアメリアが学園に通いだした事すら知らなかったのだ。 当然母親が普通に娘と暮らしていると思っていた。 異臭騒ぎが起きるまでは……
その事をロゼリアとギシャールが知ったのはイシュマル、ロナンド侯爵の子息で未成年でありながら医療分野で名を馳せた人物、攻略対象であるイシュマル・ハイド・ロナンド。 その彼が調べたからだ。
アメリアは度々イシュマルの元に現れては、母親のためと言い医療について聞いてきた。 それはよかったのだが、休みの日には母の世話をしていると言う割には町に出かける様子もなく、時にはほかの男性に張り付いている姿をよく見かけたため不審に思い調べてみたのだ。
すると、彼女が入学して2カ月たたない間にその母親が衰弱死している事が分かった。
惨い有様だったらしい。 そして当然のようにアメリアが通っていた痕跡はなかった。 誰にも知られずだれにも看取られることなく。
もうロゼリアは嫌悪感を隠そうともせず、軽蔑に満ちた視線をアメリアに向ける。
この、ゲームと現実をゴッチャにして自分の欲望だけで和を乱そうとした者。 アメリア・バダムを。
『分かったかしら? 貴女の言うバグが、わたくしなんかよりもさらに可笑しい存在が。 ゲームとの相違点、その最大の異物が誰なのか?』
ロゼリアの侮蔑交じりの言いようにアメリアはノロノロと顔を上げる。 その表情はまるですぐ側に地獄の門があることにやっと気づいたかのような唖然とした顔で……
ロゼリアはさらに言葉を紡ぐ。 トドメを刺すがごとく。
『ねえゲームの主人公はどうだったかしら? 勉強より男性を追いかける事を優先するような子だった? 母親より男性を優先するような尻軽な子だった? イジメをされたと言うために自作自演をするような子だったかしら? ……ねえアメリアさん? 貴女は本当にヒロインだった?』
トドメの、その一言がアメリアを支えていた自分はヒロインであるという思い込みを壊した、壊しつくした。
狭い牢獄の中響く絶叫は、しかしロゼリアになんの感傷も引き起こさなかった。
突然聞いたこともない言語で話し合う二人の令嬢に、それでも黙って佇んでいた二人の護衛に頷きロゼリアはその場を後にする。 決して振り返る事はせずに。
それから1週間後、貴族や一部の平民を騒がせた一人の令嬢が処刑された。
絞首刑であったという。
ジャンルは恋愛でいいのか悩み中。
よくヒロインが悪役令嬢にバグうんぬん言ってるのを見て思いついた事を書いてみた。