第29話 火竜防衛戦線(下)
リーフは背に負った両手剣――魔剣ギルスムニルを抜き放った。
――早速のお出ましたぁ、威勢がいいじゃねぇか。
目の前のモンスターの群れに闘争心を刺激されたのか、ギルはクケケケッと獰猛に笑った。
リーフの前に迫り来るのは、巨大なトカゲに似たモンスターだった。巨石を思わせる砂と錆のまだら模様を背負った四つ脚。胸を張って太く長い首をもたげ、翼のようなヒレがついた強靱な前足で巨大な頭部を支えていた。顎は長く、先端が嘴のように硬質化している。
本気の跳躍は城壁を軽く飛び越え、生きた攻城兵器として城塞都市を食い荒らすイシユミトビトカゲだ。
トビトカゲは前足のかぎ爪で地面を抉り、頭を持ち上げた姿勢を保ったまま走っていた。さながら、蛙の跳躍のような突進だった。だが、滑稽な見た目ではあるがその速度は馬に並ぶ程で、おそらく本気はもっと速いのだろう。
体格も馬と同程度、突進に巻き込まれればひとたまりもないのは明らかであった。
しかし、リーフは一切躊躇うことなく突貫した。
「おい、戻れぇっ!」
焦った傭兵の声が背後からとぶ。リーフの足は鈍ることなく、むしろ加速してトビトカゲに突っ込んだ。今さら引き返したとして、柵の向こう側へと辿り着く前に追いつかれてしまうからだ。
――伸長っ!
ギルが鋭く宣言した。両手剣の表層に不可視の神性が充填される。
モンスターの五歩手前でリーフが大きく踏み込み、跳躍した。下段からモンスターの頭めがけて剣を振るう。
硬質な顎にするりと魔剣の切っ先が侵入し、並の鋼を容易く弾く頭骨が斜めに切りとばされた。脳漿と血が空に噴き上がる。
リーフはモンスターの鱗に覆われた首に真横に着地し、モンスターの最期の呼吸に合わせて強く蹴った。モンスターの死体が後ろに倒れ、奪った勢いでリーフは防衛線の手前まで跳ぶ。白い外套の背で着地、そこから二回転、身体を起こしながら両手剣を背中に戻し、盛り土の斜面を駆け上がった。
「撃てぇっ!」
盛り土を登るリーフの頭上で、銃声が轟いた。弾幕が九頭を迎え撃った。
対モンスター用に製造された大口径の弾丸は、確実にモンスターの身体を穿っていた。だが、正面からでは心臓には届かず、頭も硬質な外皮が殆どの弾をはじき返していた。
弾幕によってモンスターの進行速度は抑えられたものの、斜面を登るリーフの後ろにモンスターは迫りつつあった。
急斜面を登るリーフの目の前に、突然、棒が差し出された。目で先を辿ると、長槍を持った傭兵がいた。
「掴まれ!」
リーフが槍の柄を掴むと、盛り土の頂上までぐいと引っ張り上げられた。柵の間に薄い身体を滑り込ませ、リーフは陣へと帰還した。
「感謝する」
「いいってことよ」
手短に言葉を交わし、二人は事前に指示された配置に走った。柵の裏に、一定間隔を空けて傭兵がずらりと並んだ。弾幕を張る銃士の後ろで、身を低くして待機した。
それほど間を置かず、モンスターは防衛線に到達した。盛り土の斜面を一歩で飛び越え、柵に大質量を叩きつけた。柵が悲鳴のような軋みをあげ、木片が埃のように飛び散った。特殊な組み方をした柵はなんとか一撃を耐えたが、長くは持ちこたえられそうになかった。
だが、それを許すほど傭兵たちも呑気ではない。待機していた魔戦士の傭兵が各々の魔剣を携えて、一斉にモンスターに襲いかかった。
両手剣、槍、斧――刃という括りは同じであれど、一つとして同じ形のない魔剣が柵の隙間からモンスターの肉を斬りつけ、突き刺し、叩き切った。
刃物で与えられる痛みにモンスターは吠え、柵を破壊せんと重圧を再びかけた。さらに柵の隙間から口の先や爪を突き出し、傭兵に攻撃を加える。何人かが吹き飛ばされ、かぎ爪による負傷者も発生した。
「ぐああっ」
爪に引っかけられた一人が柵の外に引きずり出されようとしていた。右腕は負傷したのか力なく垂れ下がり、踏ん張ろうとする足もむなしく上半身が柵の向こう側へといってしまった。
「ひっ」
恐怖に染まった目が、モンスターのがばりと開いた口腔を映した。
「はああああっ!」
掛け声と共に、リーフが魔剣を振り下ろした。届かない距離を埋めるように、朱い閃光が刃から伸びる。傭兵の頭を砕こうとしたモンスターの首があっけなく両断された。
呆然とする傭兵の顔を血で濡らしながら、矢じりのような形をした頭がどさりと落ちた。
これでリーフが仕留めたモンスターは三頭目だった。二頭目は、迎撃の担当となった箇所で相対し、一度の斬撃で胴を真っ二つにされていた。
だが、モンスターも一方的に狩られるばかりではない。柵の一部がめりめりと音を立てて倒れた。下敷きになりかけた傭兵が散り散りとなって逃げ出した。
背中を向けた一人の傭兵が前脚に叩き潰される。槍が横っ腹に突き刺されても、身をよじって使い手を振り払う。翼膜で薙ぎ払い、不用意に近付いた盾使いを吹き飛ばす。己の体液以上に、敵の血をまき散らしながらモンスターが咆哮した。
一方的に蹂躙される傭兵たちを助けようと、リーフは走り――遠雷の音で足を止めた。
モンスターの胸が弾け飛び、鮮血の大輪が咲いた。咆哮を吐いた口から血がこぼれ落ちる。さらに駄目押しとばかりに轟音と共にモンスターの胸部が深く抉られ、血の海がどくどくと広がった。
リーフの視線が後方の城壁に向いた。明瞭に捕らえられるほどの視力はないが、聞き慣れた銃声から狙撃手が誰かすぐに分かっていた。
――相変わらずいい腕してんなぁ。
獲物を横取りされたに等しかったが、ギルの声は心底楽しそうだった。
「技術も経験も自前だからね。君に頼り切りのボクとは大違いさ」
――テメェだってヤバいくらい硬ぇだろうが。つーか、ホント何でまだ死んでねぇんだよ。
「ボクが聞きたい」
柵による足止めの効果もあり、モンスターたちは傭兵によって確実に狩られていった。
最後の一体の首を、獣人化した魔戦士が斧で切り落とした。リンと同じ、真太族だったが毛色は砂色だった。三回斬りつけて切断したため、魔戦士の全身はくまなく血で染まっていた。
血飛沫が殆ど付着していない白い外套をはためかせ、リーフは壊された柵に近付いた。
柵は根元から粉々に粉砕されていた。破片になってしまった貴重な木材は再利用できそうもなかった。空いた穴は男二人が肩を並べたくらいの幅で、修繕にはそれほど時間がかからなさそうだった。
後ろを振り返ると、既に城壁から工兵の部隊が出立しているのが見えた。急いで穴を塞がなければ、次のモンスターの群れで前線が崩壊する恐れがある。テネシンが歩んでいるのは、常に薄氷の道だった。
リーフは後方に運ばれていく負傷者を尻目に、再び柵の前に進み出た。盛り土の斜面を滑り降り、そのまま前へ数歩足を運んだ。
「おい、待てよ!」
後ろから響く声に、リーフはちらりと視線を投げかけた。
槍斧を持った傭兵が、リーフの後を追って斜面を滑り降りてきた。リーフほどの軽装ではないが、革鎧を身につけた身軽そうな男だった。見覚えのある顔に、リーフの形のよい眉が僅かに動いた。
「貴方は」
「リーフ、だったか。昨日会っただろ」
「コツル、でしたよね。確か」
その傭兵は、昨日リーフが小教会を訪れたときに窓口で隣にいた男だった。
「あんたも災難だな、今日は久しぶりの大物だったんだぜ」
「そうなのですか。では、次も大物ということですか」
リーフは丘の向こうを指さした。
指さした直後、四つの矢じり型の頭が、ひょっこりと飛び出した。
コツルの顔が凍りついた。
「おいおい……まじかよ」
リーフの不審な動きを追っていた他の傭兵も、再び迫ってくるイシユミトビトカゲに気付いた。負傷者の救護活動を中断し、立てる者が柵の裏の配置についた。
幸いなことに、頭数は四頭から増えなかった。先の群れからはぐれた個体のようだ。
「コツル、下がらないのですか」
リーフが両手剣を背中から抜いた。ギルが無言で神性を刃に充填する。
「ぽっと出の新人に手柄を取られたとなりゃ、古参の名が泣くんでね」
コツルもリーフの隣に並び、槍斧を構えた。コツルの腕がパチパチと弾けるような音を発した。ギルの放つ雷もどきではない、正統派の雷撃を両腕に纏っていた。
「輝ける遠雷の友、クアリサンドよ」
掛け声と共に、槍斧の柄に刻まれた模様が青白く輝いた。湾曲した刃の先端に、紫電が火花を散らした。
――付与系陣術か。
ギルがぼそりと呟いた。
槍斧からは何も聞こえてこなかった。自我の薄い魔剣のようだ。
「いくぞ、新入り!」
コツルが雄叫びと共に踏み込んだ。眼前に迫ったモンスターへと、槍斧を振りかぶる。モンスターもまた、矮小な障害物を撥ねとばさんと振り上げた前脚を大地に叩きつけた。
コツルは身をひねってトビトカゲの一撃を躱し、返す刃が前脚のヒレに浅い傷をつけた。槍斧に宿った紫電がヒレの上を奔り、焦げた臭いが立ち上った。
トビトカゲの身体が派手に転んだ。魔剣の放つ雷撃で前脚が痺れ、自由がきかなくなっていた。
続けざまにコツルが槍斧を振るい、トビトカゲの前脚、後ろ脚、胴に紫電を叩き込んだ。傷自体は浅いが、流血とは異なる痛みに、悲痛な声があがった。
モンスターの叫びに、柵に向かっていた一頭が身を翻してコツルに襲いかかった。突進と共にヒレで地表を薙ぎ払い、軽装の傭兵は容易く吹き飛ばされた。
「があっ!」
槍斧を持ったまま、受け身を取り損ねたコツルの喉から無意味に呼気が吐き出される。
「コツル!」
追撃をかけようとするトビトカゲの背中を弾丸が貫いた。柵を挟んでコツルの仲間が銃を構えていた。鎧のようなヒレと頑丈な頭部のせいでトビトカゲを正面から撃ち抜くことは難しいが、背後からならば効果的だ。
トビトカゲは振り返って柵に向かって吼えた。弾丸が内臓に刺さったのか、動きはどこかぎこちない。それでも、トビトカゲは執拗に攻撃を続ける傭兵たちに向かって突進していった。
後に残されたのは、よろめきながらも立ち上がるコツルと、麻痺から回復したもう一頭のトビトカゲだった。
魔剣クアリサンドによってつけられた傷をものともせず、トビトカゲはまだ十分に戦える様子だった。しかし、コツルの身体にはまだ吹き飛ばされた衝撃が残っていた。次の攻撃を避けられるのか、そもそも生き残れるのかさえあやしい。
――顔立てて、くたばるまで見ててやろうぜ。先輩なんだろ。
「そうも言ってられないさ」
リーフは既に、別の一頭をあっさりと正面から両断していた。頭から尾の先まで、真っ二つに割れたトカゲの開きが地面に転がっていた。
――テメェの実力見誤って、見栄張ってるだけの奴なんか助けるこたぁねぇと思うぞ。
「それでも、貴重なテネシンの戦力を減らす訳にはいかない」
乗り気ではないギルを説き伏せながら、リーフはゆっくりとトビトカゲの視界に入った。
トビトカゲの視線は、手負いのコツルからリーフへとあっさり移った。リーフの鉱石のような目を見て、トビトカゲが二歩下がった。
「後は任せて貰いましょう、先輩」
両手剣を構え、リーフが前に出た。
イシユミトビトカゲが正面からリーフに飛び掛かった。土埃を巻き上げ、跳躍した巨体が弩から打ち出された矢となって風を切り裂いた。
リーフもまた正面から迎え撃った。抉り穿つ矢に巻き込まれる間一髪、頭を下げてモンスターと地面の間に身体を滑り込ませる。巻き上げられた土くれを切り裂き、紙一重で攻撃を躱しながら、両手剣の切っ先が鱗に覆われた腹を割いた。
立ち上がったリーフは両手剣を背中に戻し、背後で内臓を四散させたトビトカゲを横目で確認した。
コツルは、リーフの若い背中を見ながら唇を噛んでいた。
◆ ◆ ◆
木の杯がかつんとぶつかった。中身は片方が薄いビネガー、もう片方が温いビール。
「初任務おっつかっれさまーーーーっ! 勝利の味はどう?」
「いつも通り」
花が咲いたような笑顔のリンと、硬い表情のリーフが杯に口をつけた。
仕事終わりの傭兵でごった返す食堂の一角を確保し、二人は夕食をとっていた。卓上に並ぶのは香辛料のきいた豆と野菜のスープに薄く切った硬いパン、こぢんまりとした燻製肉の鉢だった。
リーフが革手袋をはめたままの手でスプーンをとり、スープに浮かぶふやけた豆を二粒口に含んだ。無表情でゆっくりと口の中で転がしてから、嚥下した。
「そうそう、ちゃんと食べなきゃね」
少しずつでも食事を進める相棒を見て、リンは満足げに頷いた。食事という行為から逃げがちなリーフを宿から引きずり出し、料理を食べさせるという企みは無事に達成された。
魔剣とエルヴァンはお土産を渡すことを条件に、宿で留守番を無理やり任されていた。
「はい、貴重なお肉なんだからしっかり食べて」
摂取した食物がリーフにとって絶食した方がマシな味だったとしても、リンは料理をぐいぐい勧めた。因みにこの非情な相方は、ギルが人形触媒をテネシンで使わないと宣言した直後に、後生大事にリーフが運んでいた酒瓶をかち割った。
リンはしばらくテネシンに滞在するのをいいことに、リーフの滅茶苦茶な生活習慣を矯正する気でいた。
「そういえば、こうして二人だけで食事するのも久しぶりだったよね」
「前は、ギルが捕まったときだったかな」
「そうそれ。あのときはご飯にがっついてなかったっけ」
「ギリスアンに着くまでは、倒れるわけにはいかなかったから」
「今は?」
「できれば食べたくない、けれど……」
「けれど?」
「食べなければ君を守れない、だろう」
リーフは皿に残ったスープを一気に口の中へと流し込んだ。
リーフの目が皿の底に向いている間、リンはパンをちぎっていた手を止めた。
「そういう誓約、だからでしょ」
騒がしい食堂の空気に、リンの少し刺のある言葉が浮いた。
「ギルがそういう誓約結んじゃったから、命を共有しているリーフも守らないといけないんでしょ」
「違う」
空になった皿が卓の上に置かれた。泥水でもすすったような顔で、リーフは皿から手を離した。
「その約束事はギルが果たしているから、今はボクに履行義務はない」
「じゃあ、なんで」
「君が守ってほしいと言った。だから、ボクは守ることにした」
リンの手の中で、パンがぐしゃっと潰れた。
「そーやって私に全部押しつけないで。重すぎ」
「君が言ったことだろう」
確かに、リンは――自ら首を突っ込んだにもかかわらず――リーフにまつわる厄介事に巻き込まれた対価として、南部での護衛を強要していた。
だが、リンは唇を尖らせた。
「それとこれとは別。私はね、ただ――」
「ただ?」
リーフは口ごもったリンを促しながら、一口ビールを飲んだ。
「言わなきゃ分かんない?」
酒を一口も舐めていないにもかかわらず、リンの顔がじわりと赤くなった。
「いや、多分、いつもの流れだと大体分かる」
いつもの流れでは、リンが顔を真っ赤にしながら告白し、リーフは涼しい顔でそれを観察する。二人が出会ってから、何回となく繰り返されたやりとりだった。
「じゃあそれ、そーいうこと」
上気した顔をごまかすように、リンは杯の中身を飲み干した。即座におかわりを注文する。
「それなら、ボクからも言うことが一つある」
「なによ」
「最近気付いたことで……まあ、気付いたからといって、何が変わるということでもないのだけれど」
いつにも増して、勿体ぶった口調でリーフが言った。
「リン、君のことが嫌いではないみたいなんだ」
「は?」
「つまり、君の第一目標であった、ボクと友達になるということは達成できそうだということさ」
おめでとう、とリーフは軽く手を叩いた。
がくりとリンの頭が肩ごと落ちた。
「そういうこと言っちゃうわけ。あーーーーっ、もう、この朴念仁!」
さらなる罵倒を正面からぶつけようと、リンが顔を上げた。しかし、リーフの顔を見て一瞬呆気にとられ、頬を膨らませるとそっぽを向いた。
「でも、笑えてるから許す」
「え」
リーフが己の顔に触れた。口角が僅かに上がっていた。
その事実に、本人が一番驚いていた。




