第28話 火竜防衛戦線(上)
テネシンの敬狼会の拠点となっている会館の前には、朝から人だかりができていた。
革鎧や大仰な甲冑を身に纏った物々しい傭兵の集団は、会館の正面玄関が開くのを今か今かと待ち構えていた。
職員が扉の鍵を開けた音がささやかに響いたと同時、一斉に傭兵たちは建物の中になだれ込んだ。鍵を開けた職員はもがくようにして傭兵の中から抜け出した。
傭兵たちが目指した先には、大きな箱があった。箱の中には木の札が大量に入っており、傭兵たちは我先にと箱に手を突っ込んでは一枚ずつ札を取っていった。札の表にはそれぞれ数字と文字が彫られ、同じものは一つとしてなかった。
傭兵たちが挑んでいるのは、本日の防衛任務の配置を決めるくじだ。人員が不足しがちな最前線に傭兵を送り込むために、比較的安全な後方支援任務を『あたり』にして募っていた。得られる日当は平等、最前線でも損耗がましな日ならば十分割に合う仕事だ。
札を取ることができた者は会館の二階に上がった。フロアには特設のカウンターがずらりと並び、傭兵はそこで待つ職員に札を渡した。
「登録証をお願いします」
職員の指示に従い、傭兵の証しであるメダルを渡す。照会作業をその場で待っていると、傭兵の隣に見慣れない姿が立っていた。
背丈はやや低めで細身。背に両手剣を背負っていることから傭兵であることは見て取れたが、前衛らしからぬ体格なうえに守りの薄そうな白い外套を着ていた。全身埃まみれで、隣に立つ傭兵の鼻にも土埃の臭いが届いた。これから仕事に向かう傭兵にしては、汚い格好だった。
傭兵は頭にも碌な防具を着けずに、銀色に輝く髪を晒していた。黒髪の混ざった銀髪は敬月教信徒がよくやる染髪で、テネシンでも珍しくはない。しかし、それが敬狼会の領域にいるのはいささか不自然だった。
頭の先まで白い傭兵はカウンターにメダルを置いた。
「メーラン家の名代です。支部長殿にお伝えしたいことがあります」
「っ! 少々お待ちください」
告げられた家名に、職員の顔色が変わった。メダルを持って慌てて奥へと下がる職員の足音がばたばたと響いた。
今まで見たことがない対応に、傭兵は目を見張った。視線は自然と、白い傭兵の顔に向けられた。
男とも、女ともつかない整った顔立ちだった。埃をかぶってもなお白さが際立つ肌は傭兵らしからぬ細やかさで、精緻な作りの鼻筋と合わせて陶製の人形を思わせた。翡翠を思わせる緑白色の目は、不躾に観察する傭兵の姿を映して薄い不快感を見せていた。
「どうかしましたか」
低い女声とも、高い男声ともとれる声で、白い傭兵が言った。
「あ、いや。見ねえ顔だと思って……」
謎の威圧感に、傭兵は無意識で半歩足を退いた。
「此処では新参者は珍しいと。これは失礼、何分到着したばかりでまだ流儀を理解していませんので、不快に思われたならば謝罪します」
人間味の薄い、極度に抑揚のない調子で白い傭兵は丁寧に言葉を紡いだ。
「チーム・チャーコウルのリーフといいます。しばらく此処に滞在するので、お見知りおきください」
南大陸の火竜北限線以南をアルゲティ地方と呼び、小都市テネシンはその最北端にして最大級の要塞だ。
南大陸では、モンスターの跋扈によって広域統治が難しく、各地で独立した小都市が点々としている。小教会という宗教コミュニティによって緩く繋がりがあるとはいえ、基本的に自治が暗黙の掟である。
しかし、アルゲティ地方では火竜を筆頭とした災害級のモンスターに対抗するために、テネシンを宗主とした都市間の同盟が結ばれていた。その繋がりは、掟に抵触するほどに強固で――災害にはあまりにも惰弱だった。
六十日間連続で観測された火竜はモンスターの生息域を大きく動かした。凶悪なモンスターの大移動に揉まれて小規模なコミュニティは三日と持たずに崩壊。飢えた群れが小都市を襲い、住民の四分の一を失う大惨事さえ発生した。
モンスターの生態を狂わせた元凶の、火竜を討伐せんとした無謀な小都市もあった。一頭の火竜に弩を打ち込んで追い払った翌日、五頭の火竜によって為す術なく焼き払われた。未だ人類は火竜の討伐という偉業には届かず、伝説の勇者は伝説のままだった。
かくして、テネシンは火竜によって未曾有の危機に瀕したアルゲティ地方の最終防衛拠点となった。
◇ ◆ ◇
小教会への挨拶と、火竜――つまるところの神獣である争炎族との遭遇報告を済ませてリーフは宿に戻った。
「リン、戻ったよ」
「……うー」
三人部屋に足を踏み入れたリーフを出迎えたのは、寝台の上からの呻き声だった。
ブーツと上着を脱ぎ散らかし、黒髪を振り乱した女が寝台に突っ伏していた。横では、赤毛の少年が呆れたように肩をすくめていた。
「おかえり、リーフ」
呻き声しか上げない女に代わって、少年がリーフに返した。
「留守番ご苦労様」
――おう、戻ったぜ、エルヴァン。
軽薄そうな男の声が、リーフと少年の耳に届いた。それらしい姿は誰の視界にも映らないが、その場の全員が当たり前のように受け入れていた。
「特に変わったことはなかったようだね」
「リンがまだ起き上がってないけど」
「それはボクが出かける前からそうだったから、特に変わったことではないね」
寝台で動かないリンを少年――エルヴァンとリーフは首すら動かさずに見た。揃って面倒臭さを表情から微塵も隠そうとしていなかった。
「それでリン、小教会に報告した依頼についてなのだけれど」
「どーせ、はい終わりー、にはならなかったんでしょ。うー……明日から頑張る」
リンはへなへなと手を振り上げ、べたっと力尽きた。目に余るものぐさっぷりに、エルヴァンが顔をしかめた。
「体力なさすぎじゃん」
「一晩中歩いたらフツーはこうなるって……あー、もう、ほんっと竜種の体力バカ」
まだ疲れの残る顔を持ち上げてリンが抗議した。可愛らしい顔立ちだったが、死んだ表情筋と寝具の皺がくっきりとついた頬のせいで台無しになっていた。
リンが主張した通り、一行は小休憩を挟みながら夜通し歩き続けて今朝方テネシンに到着していた。疲労困憊したリンは、自らが赴くべき仕事を全て放棄し、転がり込んだ先の宿で石のように寝ていた。既に太陽は空高く昇っていたが、寝台の上から離れる気配は未だになかった。
その間に、リーフが代理として用事を全て片付けていた。
――ったく、だらしねぇな。
「あんたにだけは言われたくないんですけど! 此処に来てからずーーーっとリーフに背負われっぱなしじゃん、このオンボロポンコツ骨董品!」
姿のない声に対して、リンは上半身を起こして一気にまくし立てた。びしっと突きつけた人差し指の先にはリーフが、正確にはリーフが背負った両手剣があった。
傭兵にはままあることだが、リーフは魔剣を所有していた。喋っていたのは、魔剣に宿っている神獣の魂だ。
その魔剣は、鍔に精緻な蛇の彫金が施された、仄かに赤い刃の両手剣だった。魔剣に宿る神獣の魂はギルスムニルと名乗り、種族は悪魔の異名をもつ月喰族。
そして、魔剣を所有するリーフもリンも、神獣の血脈を受け継いだ魔戦士だった。故に、魔剣の発する声を苦もなく聞き取ることができた。
――たった一日歩いただけでへばる奴に言われてもなぁあ? 俺だって、元契約者のお願い聞いて、仕方なーく大人しくしてるんだぜぇえ?
ギルがリンを煽り返した。普段の無意識の煽りではなく、明確に狙ってやっていた。昨日、散々罵倒された苛立ちを微塵も隠す気がないらしい。
「この町には今、沢山の魔戦士が集まっている。月喰は争炎ほどではないけれど、忌避されるらしい。したがって、魔剣として普通の振る舞いをしていた方が都合がよいというのがボクの判断だ。何か問題があるかい」
リーフとリンは、魔剣に生前の姿を一時的に与える人形触媒という貴重な道具を所持していた。それを使用することで、制限こそあるものの魔剣での単独行動が可能になる。だが、今はリーフの判断により人目につく場所での使用を禁止していた。
「うえー、リーフがギルの肩を持つー」
「君は今ボクの話をきちんと聞いていたのかい」
めそめそと泣き真似をするリンに、リーフが溜め息をついた。
そのままリーフの視線は、エルヴァンへと移った。
「エルヴァン、君も外見は争炎そのものなのだから、なるべく出歩かないように」
「分かってるって、もう追い回されるのはこりごりだし」
エルヴァンは力強く頷いた。炎のような髪と目をした少年は、己の立場をしっかりとわきまえていた。
「今日はいいのだけれど、明日からは仕事を受けるよ。それまでに回復しておくこと、いいね?」
相変わらず寝台の上でだらけきったリンに、リーフは釘を刺した。
「……えと、一応私がリーフの雇い主だよね? 立場逆転してない?」
リンが寝台の上に乗ったまま言った。
「今の方針に待ったをかけなかった君が悪い」
「ぐう」
リーフの容赦のない言葉に、リンは硬い寝具に顔から突っ込んだ。
◆ ◆ ◆
「まあ、足がちょっと浮腫んだ程度なら狙撃に全然問題ないんだけどねー」
テネシンの城壁の上で、リンは狙撃銃の点検をしていた。
大の男でも持て余す長大な狙撃銃は、南部でも一般的になりつつあるボルトアクション式の対モンスター銃だった。
従来の単発式とは異なり、狙撃銃の横から突き出たレバーを往復させるだけで、照準を大きくずらすことなく次弾を短時間で装填できる。弾倉も外付けにすることにより、撃ち尽くしたときの再装填も容易になった。
ただし、レバーの操作にはそれなりに力を要求されるうえに、装填数が増えたことで総重量も旧式よりかなり増えていた。そのため、女子供には取り回しが難しい武器となっていた。
しかし、それをリンは軽々と抱えて整備していた。見える筋肉もない細い両腕で、ふらつくことなく銃を持ち上げ、さらには片手で抱えた体勢で銃身の二脚を立たせた。
城壁の上に銃の二脚を置き、都市の外へと銃口を向けた。
リンが銃身の上部に取り付けられた照準器を覗くと、リーフと目が合った。見慣れている筈の翡翠の眼に見つめられ、思わず息をのんだ。
リーフが立っているのは、城壁周辺の畑だった場所に築かれた陣地だ。平時であれば、モンスターとの防衛線は畑のさらに先に張ってあったそうだが、最近の激しい襲撃に修復が追いつかず、放棄せざるを得なかったらしい。なんとか耐え凌いでいる間に予備の設備を補強し、今は第二次防衛線としてモンスターからテネシンを守っていた。
第二次防衛線は城壁から五百歩程度離れた場所に設けられており、当然城壁の上の人物など豆粒のようにしか見えない。その中で、リーフはリンを識別し、視線を合わせていた。
正確には、銃口から向けられるリンの殺意に反応してリーフはリンを認識していた。
「新入りのねーちゃン、ちょっと気合い入りすぎじゃねーカい」
照準器を覗いたまま動かないリンを見て、一人の傭兵が声をかけた。言葉に南方訛りが強く、発音が耳慣れない。顔がにやつくのを隠しきれておらず、リンに言い寄ろうとしているのは明白だった。
近づいてきた男に対して、リンは銃を支える片手を離して指を突きつけた。右目は照準器を覗いたまま、リーフから視線を外さない。
「あんた、魔戦士?」
リンの態度に少しむっとしながらも、男は素直に答えた。
「……あ、あア。刺礫のエズモだ」
「ふーん。で、私は真太なんだけど、あんたの骨へし折ってもいい?」
膂力に優れた狼の神獣の名を聞いて、男の顔色がさっと変わった。
「はは、勘弁してクれ」
男はあっさりと退き、成り行きを見ていた仲間の下へとすごすご戻っていった。
その間も、リンは照準器を覗いてリーフの行動を観察していた。リーフはリンに背を向け、他の傭兵と会話している。
――あの、仲良くしておかなくて大丈夫なんですか。
「前衛ならともかく、後衛でそんな気を遣う必要性ある?」
リンが構えた狙撃銃――魔剣イルハールスから声が響いた。しかし、魔剣の心配にリンは噛みついた。戦場でリーフと離れているせいか、リンは少し機嫌が悪かった。
テネシンのルールとして、新人の傭兵は職能に関わらず初回は後方支援に回される。まずは現場の空気に慣らして、少しでも傭兵の生還率を上げるための、小教会同士の協定だ。
だが、リーフは前衛に偏った技能から、前線の枠にわざわざねじ込んでもらっていた。そもそも、後方支援に回されても基本的な筋力が不足しているリーフにできる仕事は少ない。
小教会の側からすれば、本人に問題がなければ一人でも多く前線に立って欲しいのが実情だ。そのため、リーフはあっさりと前線に回された――取引の最中に爆睡を決め込んでいたリンを後方に置いて。
照準器のまるい視界の中で、リーフがリンに再び目配せをした。革手袋をはめた指で自分の顎をなぞり、合図を送った。
「お、来た来た。イーハン、装填」
狙撃銃のレバーが勝手に動き、往復して銃弾を薬室に送った。
遠く離れた場所にいるリーフが、手信号で迫り来る敵の情報をリンに伝えていた。『十頭』『素早い』『竜種はいない』――口頭で現場に周知している内容を、リンもまた読み取っていた。
まだ目視範囲内に現れないモンスターの情報を伝えるリーフに、戸惑った表情の傭兵が数人詰め寄っていた。リーフは手振りを交えながら傭兵たちを説得し、防衛線の前へと進み出た。
盛り土と柵で作られた防衛線をすり抜け、モンスターの血肉が染み込んだ大地をリーフの足が踏みしめた。
前衛で起きている騒ぎにようやく気付いたのか、リンの近くで待機していた後衛組もにわかに騒がしくなった。
しかし、既に鎌首をもたげた異形の巨体が、丘の向こうから姿を現していた。




