第20話 雷のやくそく、鉱石の目(4)
五人の警吏の格好をした集団が裏通りを歩いていた。警吏たちは皆、同じ型の剣を帯び、一様に表情が硬かった。
先頭を歩く者は、まだ日が高いというのに、左手にカンテラを持っていた。
カンテラの中心には油を吸う綿の芯がなかった。代わりに、透明な結晶が硝子の枠の中に据えられていた。よく見ると、硝子の中には薄く霧が漂っていた。
警吏がカンテラを目線まで持ち上げ、左右に大きく振った。すると、右にカンテラが振れた際に水晶が僅かに光った。日中で辛うじて目視できる程度であったが、確かに光ったのだ。
水晶が光った先には、脇道があった。
「対象との遭遇戦を予測。これより武装の封印を解除する」
五人同時に剣を抜いた。剣の表面を神性が覆い、臨戦態勢となる。
通りの角に一人がはりつき、奥の様子を窺うために僅かに顔を出した。
かつん、と石が転がる音と共に、灰色の風が通りから流れ出した。
神性を鈍らせる霧から逃れるために、届かない場所まで後退――しようとした眼の前に火炎瓶が投げ込まれた。
冷気纏う魔剣が瓶を真っ二つに割り、冷たくなった油と瓶の破片が辺りに散らばる。油の飛沫を浴びにきたかのように、白い影が煙幕の向こうから間髪入れずに突き抜けた。
「はあっ」
リーフが先頭の警吏に剣を振り下ろした。旋風を纏った魔剣が斬撃を防ぐ。
風に押され、リーフと煙が後方に弾かれた。
リーフは煙の手前で踏ん張り、再び警吏に斬り込む。今度は風に煽られないよう重心を低く保ち抉るように突進した。
「大丈夫、大丈夫だから」
リンは散弾銃〈森狼〉を構えた。装填されているのは強化型対モンスター弾が二発。
「本気で狙えば、リーフには絶対に当たらないから」
煙幕の向こうに辛うじて見えるリーフの後頭部に照準を合わせた。
「迷わなければ、リーフは絶対に躱すからっ」
リンが引き金を引く直前、リーフが頭を下げて飛び退った。
弾丸はリーフの頭頂部を掠めて警吏の胸部に大穴を開けた。弾けた鮮血を浴び、リーフの顔が赤く染まる。
追い打ちをかけるようにリーフの剣が警吏の喉を突いて喉仏を抉りとった。魔剣の侵食が進んでいたとしても、死に至る深さまで斬り込んだ。
警吏の左手からカンテラが落ちるのと、リーフがただの煙幕の中に後退するのはほぼ同時。冷気を纏う魔剣がリーフのいた空間を空振りした。
他の警吏が魔剣を振るうと、熱風が煙幕を完全に吹き飛ばした。
通りの奥には、散弾銃を構えるリンとその前に立つリーフがいた。リンは荷車や木箱で作った簡易的なバリケードの後ろから銃口を覗かせていた。白い外套をはためかせ、リーフは再び真正面から突撃する。
通りの真ん中に置かれたケースを踏み台にし、リーフは冷気の魔剣を持った警吏に斬りかかった。リーフの全体重を掛けた重い一撃を警吏は魔剣で受け止める。リーフのただの剣に、魔剣の発する冷気が染み渡り霜がはりついた。
あっという間に素手では持てない程に剣は凍てついた。革手袋ごしにリーフの手は冷たく焼かれ、リーフの顔が凍傷の痛みに歪んだ。それでも剣を手放さず、掌から灰色の霧を僅かに発生させて柄だけでも神性を中和した。その状態を維持したまま、リーフは冷気の魔剣を使う警吏を斬りつけた。
もみ合うリーフと冷気の魔剣を横目に、三人の警吏が同時にリンに向かって走った。砂を纏った魔剣、陽炎を発する魔剣、謎の青い光を宿す魔剣――三振りの魔剣がリンに迫った。殺傷能力の高い武器を持つリンを確実に潰しにかかっていた。
リーフに二人以上の相手をする余裕はなく、素通りを許す他なかった。
耳当てについた獣耳を揺らし、リンは砂の魔剣を持った警吏を反射的に目で追った。標的に選んだのは勘である。
冷静に素早く再装填、走る警吏に照準を合わせて引き金を引き――銃口が大きく跳ね上がった。銃弾は外れて壁を抉った。
砂が波となってリンの足元を襲っていた。砂はバリケードごとリンの足元をぐらりと揺らした。水よりも遥かに重たい質量攻撃に、リンはバランスを崩して倒れた。
「きゃっ!」
倒れたリンの身体を覆う形で砂が凝固した。咄嗟に銃を抱え込む体勢をとり、武器を取り上げられることだけは阻止する。
固められた砂の下でリンはもがくが、持ち前の怪力でも破壊することは叶わなかった。
折角用意したバリケードも、緩んで形を崩してしまった。
「一体目を捕縛完了。続いて二体目を捕獲する」
リンが動けないことを確認し、三人の警吏の目が冷気の魔剣に苦戦するリーフに向けられた。
「イルハールス、行け!」
リーフの叫びとほぼ同時に、通りの中央に置かれていたケースの口が弾けるように開く。ケースの中から神速で黒い大きな刃が飛び出し、陽炎の魔剣を持った警吏の腹に突き刺さる。
刃が上に跳ね、警吏の身体を直上に投げ飛ばす。屋根まで打ち上げられた身体の下で、鋏のように刃が割れた。空を飛べない警吏はそのまま重力に従って刃の間に落ちた。
ばつん
刃が合わさり、魔剣を握りしめた右腕が地面に落ちた。骨が砕ける軽い音と、肉が引き裂かれる水音が刃の下の喉から響いた。
ケースの中から出てきたのは、小屋のように大きな黒い鳥だった。
長い嘴は騎乗槍の如き鋭さ、節くれだった太い足の先に鎌鉤のような爪、曇った金色の目で警吏達を見据え、両翼を広げずともその巨体で通りを完全に塞いでいた。
「闇夢族の伏兵あり。魔剣の触媒召喚と推定。排除する」
嘴から血を滴らせた怪鳥を前にして、警吏達は全く動揺しなかった。食われた警吏の隣にいた砂の魔剣使いは、素早く砂岩の塊を作り出し、通りを分断する壁となった鳥にぶつけた。
岩をぶつけられた鳥は鳴き声をあげてよろめいた。巨体に似合わない金属を引っ掻いたような高い音がその場全員の背筋を撫でた。
不愉快な鳴き声に構わず、警吏は連続して砂岩をぶつけ、駄目押しとばかりに砂を鳥の頭に噴きつけた。
砂岩は鳥に全発命中、砂の目潰しを食らう前に怪鳥の姿は幻の如くかき消えた。砂の奔流に吹き飛ばされ、狙撃銃が壁に叩きつけられた。
「弱っ!」
リンが思わず叫んだ。想定よりも遥かに、イーハンは弱かった。
再び警吏達の注意がリーフに集まった。
砂で固められた下で、リンは顔を真っ赤にしてより一層じたばたと暴れた。固められて思うように動かない腕で必死に自分の服をまさぐり、ベルトのバックルに指を届かせる。バックルの装飾の窪みに指を掛け、カチンとスライドさせた。
「むーーっ! 変・身っ!」
掛け声と共に、リンの耳当てについた獣耳がぴくりと動いた。続いて、身体を覆っていた砂の殻が弾けとんだ。
「!」
二人の警吏は破片を避けてリンから距離を取った。
砂岩の塊を弾きとばして立ち上がったのは、獣人だった。
滑らかだった少女の首元には襟巻きのように黒い毛が生え、顔にまで黒い毛の筋が走っていた。狼の革で出来た耳当てと上着は肌と同化し、肘から先は完全に溶け合って獣のような毛むくじゃらの腕に変化していた。
獣人となったリンは右手一本で散弾銃を構え、引き金を引いた。毛深くなった指だけで支えられた銃身は射撃の衝撃でも全く揺らがなかった。
リーフが身を捩って射線から外れ、弾丸は警吏の脇腹を貫通し内臓を破壊した。間髪入れずにリーフの剣が頸動脈を切り裂いてさらに深々と胸を刺し貫いた。
リンは即座に散弾銃を捨て、バリケードの材料にしていた荷車を両手で掴んだ。そのまま荷車を持ち上げて青い魔剣を持つ警吏にフルスイングした。
「よいしょおっっ!」
荷車で警吏の身体をすくい上げるように引っ掛け、諸共投げ飛ばした。荷車はリンの頭よりも高く上がり、警吏の身体を下敷きにして落ちた。
リーフの外套が神性によって無敵の鎧になる一方、リンの装備は持ち前の怪力を増幅させるための装置だった。
砂の魔剣が振るわれ、リンの足元の砂が再び硬化した。しかし足を覆う砂岩を容易く蹴り砕き、再び魔剣を行使される前にリンが警吏に肉薄する。
「どおりゃあっっっ!」
リンの渾身の蹴りが砂の魔剣を持った警吏の胴に刺さった。
鈍い音と共に、砂の魔剣の警吏がくの字に曲がって吹き飛んだ。壁に全身を、頭を叩きつけ、動かなくなった。リンの周囲を散らかしていた砂がみるみるうちに蒸発し、全て幻のようになくなった。
続いて荷車で吹き飛ばした警吏を追撃しようと踏み込んだリンの身体ががくりと沈んだ。
急に足に力が入らなくなり、その場にへたりこんだ。
「なに……これ」
いつの間にか、地面に青い線が引かれていた。その線をリンの足が踏んでいた。
青い線からは蒸気が僅かにあがり、無色の何かを周囲にばら撒いていた。それを吸ったリンの身体は痺れていた。神性から精製された毒ともいえるものだった。
荷車の下から這い出した警吏が足を引きずりながらもリンに迫っていたが、リンは一歩も動けなかった。
「一体は真太の混血と判明。拘束する」
警吏はリンの右腕に目掛けて剣を振り下ろした。
「リンッ!」
リーフがリンを突き飛ばし、魔剣の間に割って入った。青い毒の刃先がリーフの右肩に当たり、外套に食い込んだ。
リンの目がリーフに釘付けになった。リーフの右手から剣が離れ、音を立てて地面に転がった。
「ぐっ」
リーフの上半身が大きく揺れて崩れかかった。それでも剣を握る警吏の腕を掴んだ。斬撃の衝撃で力が上手く入らなかったが、それでも歯を食いしばって押さえた。
「対象の耐毒性より竜種と推定、毒刃により直接投与し捕縛――」
「届いて、ないっ!」
刃先は外套に当てられた灰の革を切り裂いていたが、その下の白い本体には傷一つついていなかった。
衝撃から立ち直ったリーフはそのまま警吏の胸ぐらを掴み、頭突きを繰り出した。
リーフの頭突きが警吏の鼻を砕き、反動で警吏が仰け反った。掴んだ腕をぐいと引き戻し、もう一発、また引き戻して一発。鼻が完全に潰れるまで執拗に繰り返した。
前髪が血で汚れるのも構わず、自分の頭を鈍器のように扱い、警吏の額をかち割った。
警吏のターコイズの目と、リーフの翡翠の目が超至近距離で殺意を交わし、鈍い音を立てて離れる。
「が、がんぎゅうのげっじょうがをがぐにん。できは、ぐえっ――」
脳震盪でよろめく警吏の鳩尾に膝蹴りを叩き込み、崩折れたところを更に顔面に膝蹴り。地面に倒れるまで攻勢を一切崩さない。
リーフは剣を拾い上げ、地面に身体を投げ出した警吏の喉に突き立てた。剣を刺したまま柄を右に軽く押し、気管を完全に切り開いて自らの血で溺死させる。抵抗したのは僅かな間で、すぐに動かなくなった。
一息ついてから、リーフは剣を引き抜いた。心臓が止まっているため、血は噴き出ない。
剣を鞘に収め、リーフはリンに手を差し出した。
「リン、大丈夫かい」
差し出された手を取り、リンは少しふらつきながらも立ち上がった。
「うん、まだちょっと痺れるけど。それよりリーフ顔、顔やばい」
リーフの首から上は傷を負っていないにもかかわらず、血で真っ赤に染まっていた。銀色の髪からも血が滴り落ち、獲物に食らいついた猛獣のような形相だった。外套にも血の飛沫がかなり散っていたが、表面の結晶を剥がせば汚れも共に落ちるため二人共気にしていなかった。
リンが腰のポーチから麻の小袋を取り出してリーフに渡した。普段は空薬莢を回収するために使用しているが、ハンカチとして使えないこともない大きさだった。
リーフは大人しく小袋で顔を拭いた。既に乾いた箇所は綺麗にならなかったが、一目で本物の警吏に通報されるような外見から離れることができた。
リーフが顔を拭いている間に、リンはイーハンを拾い上げてケースに収納した。
「さすがに騒ぎすぎよね、急いで逃げよ」
「いや、大丈夫だ」
リーフは冷静に魔戦士の死体の懐を漁っていた。
青い水薬が入った硝子瓶、小さい包みに入った黒い粉、黄色味を帯びた白い粉の包みを回収し、襟の内側に刺さっていた飾りピンを抜いた。飾りピンの頭には仄かに光る薄緑色の結晶が埋められていた。
リーフは飾りピンを耳元に寄せた。
『ディリティオ-16、応答せよ。応答せよ』
リーフが結晶を口元に寄せる。
「残念ながら、部隊は全滅しました。此方は貴方達が壊滅するまで相手をする覚悟がありますが、どうしますか」
『何故……』
結晶から返事が返ってきた。横で見ていたリンが目を丸くした。
「的確に指示が出来すぎている。それに独り言が多い。指揮との繋がりを疑うのは当たり前でしょう」
リンが、いや貴方の敵情把握能力も十分ぶっ飛んでるんですけど、と言いたげな視線をリーフに向けた。敵にネタばらしをする程殊勝ではないので、さすがに黙っていた。
「それで、そちらの返答は」
『……お前は何処の所属だ』
「後で此方から直接伺います」
リーフはそう言うと、飾りピンを地面に落とした。即座に金属の踵がピンの装飾を打ち砕いた。他の警吏からも飾りピンを抜き取り、同様に処分した。
「潜伏先は大体分かった。ギルに事情を聞いた後で、お礼参りに行くかどうか決めよう」
「煽るだけで位置特定できるのホント怖いわー。凄いけど怖ー」
リンが大げさに肩を竦めて震えてみせた。
リーフは壁に叩きつけられた警吏の口元に頬を寄せた後、瞼を押し上げて眼球を確認した。煙水晶のような黄土色の虹彩の裏に、枯れ草色の光が染みついた珍しい色だった。
リーフの翡翠の目が僅かに震えた。
「これはまだ生きているから、ついでに事情も聞こうか」
リーフが壁にめり込んだ警吏の身体を剥がすと、血糊が壁にしっかりと転写されていた。量はそれほど多くないため、手当しなくとも失血死はなさそうだった。
「そのついでにイーハンのご飯?」
「最終的にはそうなるかな」
リンは半眼で手元に抱えたケースを見た。
「……だってさ、イーハン。何か言うことは?」
――わ、わあーい! ありがとうございますー。
ずっと気絶した振りをしていたイーハンがようやく口を開いた。わざとらしく明るい声は、若干震えていた。
「そういうのいらないから。何、か、言、う、こ、と、は?」
リンはぶんぶんとケースを振り回した。
――うわーーーっ! ごめんなさいごめんなさいっ、お助け出来なくてごめんなさいーっ!
「一応契約者なんだから、ちゃんと守ってよね!」
――つっ、次は! 次は頑張りますぅーーーーっ!
リンは膨れっ面でさらにイーハンの入ったケースを振り回した。それも、獣人化を解いていないため、普段の二倍の速さでイーハンは振り回されていた。イーハンの謝罪を聞いても、その勢いは弱まる様子を見せなかった。
リーフはまだ元気そうなリンを様子を横目でちらりと見た後、屋根の上を見上げた。
屋根の上には、黒い蛇がいた。朱い目をした黒い蛇が、じっとリーフを見ていた。
リーフにとって、そしてリンにとっても見慣れた形の蛇だった。だが、リーフの感覚は蛇の主がいつもと異なることを知らせていた。
「いつまで見ているつもりだ」
リーフが呟くと、蛇は舌をちろりと一回覗かせてから去っていった。




