第19話 雷のやくそく、鉱石の目(3)
じりじりとリーフは剣を構えたまま後退した。目の前には剣を構えた警吏が三人、切っ先をリーフに向けていた。
リーフの鋼張りのブーツと、リンのロングブーツの踵がこつんとぶつかった。いつの間にか、二人は背中合わせに立っていた。リンもまた、剣を向けられて迂闊に仕掛けられなくなっていた。
驚くべきことに、手加減はしていたものの、リンとリーフの攻撃で戦闘不能になった警吏はいなかった。吹っ飛ばされて全身に打撲を負っても、鋼の踵で蹴られて金的や目潰しを食らっても、致命傷でないならばしぶとく立ち上がってきた。
こめかみから出血しようと、片足が捻挫しようと、内臓に重い一撃が残っていようと、七人の警吏はまるで堪えていなかった。
「ねぇ、どうする」
リンが警吏から目を離さずに言った。問いかけながらも、リンの片手が腰の拳銃に伸びかけていた。
リンの我慢の限界が近いことを察し、リーフは次の手を打つことにした。
「リン、手を挙げろ。絶対に撃つな」
リーフは剣を収め、両手を挙げた。
「えっ、ちょっと、リーフ!」
「すみません、すこうし調子にのってしまいました」
狼狽えるリンを尻目に、リーフは薄い表情で降伏した。
「つい勢いで妨害してしまいましたが、ボク達は見ての通りの傭兵です!何処の小教会の方々かは分かりませんが、上に逆らってはいけないと思うのです!協力致しますので、どうか剣を収めてはいただけないでしょうか!」
剣を下ろさない警吏達に向かってリーフは声を張り上げた。ついでにリンの踵を蹴り、降伏を再度促した。
警吏達が二人に向けた剣を下ろす気配はまだない。
「全面的に協力します!あの子供も勿論引き渡します!」
リーフの言葉に警吏達は顔を見合わせた。突然の掌返しに戸惑っているようだった。
争う音が聞こえなくなったからか、野次馬がそろそろと顔を出した。
ようやくリーフの意図が掴めたようで、リンはにやりとして両手を挙げた。
「協力しまーす、切り捨てないでー」
リンはあからさまに言わされているような台詞を吐き、精一杯のしょんぼりとした顔で反省した風を装った。下手な演技だったが、遠くから覗いている民衆にはぎりぎりばれなかった。
「大人しくしますので、せめて話だけでも聞いてくれませんか!」
通りに響き渡る声量で、リーフが叫んだ。
当然、通りにいる全ての人々――傍観していた民衆にも聞こえていた。これがリーフの狙いだった。
治安維持部隊が降伏した相手を手打ちにするのは市民への心象が悪い。特に、小都市の運営は複数の宗教が合同で取り仕切っている。市民から噂が広がれば、他の宗教から叩かれることは必至だ。この状況では、多少手荒に扱っても二人を生きたまま連行することが警吏達の最適解である。
「こんなに協力すると言っているというのに、まだ剣を向けるだなんてあんまりじゃあありませんか!」
まだ動かない警吏達に、リーフは哀れっぽく懇願した。
どう行動すればよいのか分かっていない警吏達に、リーフは根気強く行動の指針を示し続けた。
「とにかく、剣を下ろしてボク達の話を聞いてください。剣を振り回したら、周りの人達も危ないですよ」
人々は恐る恐る物陰から出てきていた。その姿を見て警吏達はようやく状況を理解したのか、そろそろと剣を下ろし始めた。
「本当に、協力するというのか」
警吏の一人が、リーフに声をかけた。その声に、目に、表情は殆ど宿っていなかった。
「小教会に所属する傭兵が治安維持に協力するのは、当たり前ではありませんか」
表情を一切変えずにリーフが言った。そして、言葉を続けた。
「ああ、ところで貴方達、本物の警吏ではないですよね」
リーフの一言で、リンも含めてその場にいた全員が凍りついた。
構わず、リーフは言葉を続けた。
「ボク達の仲間が少年を庇ったとき、何も問い質していなかった。警吏ならば、傭兵に意見する権利はありますし、普通の人間であれば声を荒げてもおかしくない状況だった。しかし、貴方達は対応しきれずに出方を窺うしかなかった。この対応力のなさは致命的でしたね。あと、仔細を述べればいくらでも粗がありますが、致命的なのは、それ――」
リーフが指差した。警吏達の持つ同じ型の剣を指した。
「貴方達が持っているような武器を、警吏は使いません。揃いの魔剣などという、悪趣味なものを」
警吏達が無言で再び剣を抜くよりも早く、リーフが上げた手を振り下ろした。
袖口から落ちた白い結晶が地面にぶつかって砕け散る。通りの真ん中が突如として灰色の霧に包まれた。
「逃げるよ、リン!」
リーフがリンの手を引いて霧の中を駆け出した。鼻の先さえ見えない視界の中、警吏の隙間を縫って霧の外へと最短距離で飛び出した。
灰色の霧を振り切って走るリーフの外套は暗褐色から白に変わっていた。髪も茶色の三編みを剥いで煌めく銀髪を晒していた。
「小教会に行くぞ!警吏の騙りがいる!」
大声で叫びながら、リーフは通りを走った。リンも揺れるケースを手で押さえながらリーフの後を追った。
「障害が偽装を看破、周知される前に抹殺する」
二人に遅れて、灰色の霧の中から偽の警吏達も抜け出した。各々の腰に帯びた剣を抜くと、剣身に陽炎や霞といった超常の事象が纏われた――紛うことなき魔剣の証だ。
魔剣の存在に気付いた民衆から悲鳴が上がった。いくら南部とはいえ、往来の真ん中で魔剣を振るうのは只事ではない。
衆目も気にせず、偽の警吏の一人が冷気纏う魔剣から氷の槍を作り出した。離れていく二人の背中に照準を合わせ、短時間で氷を鋭く練り上げた。
魔剣を抜いた警吏達にリーフが投げた白い結晶がかつんとぶつかった。再び警吏達の視界が灰色一色に染めあげられた。
霧を払うために警吏の一人が熱を放つ魔剣を大きく薙いだ。しかし、熱波は発生せず灰色の景色が僅かに揺らいだだけだった。
ようやく警吏達は、霧に包まれてから魔剣を覆う陽炎や冷気が弱まっていることに気付いた。放たれる直前だった氷槍も成長が止まり、無残に砕け散った。
「障害を未知の原種と判定、サンプルを採取し一時退却を提案――了解、支援隊と合流する」
灰色の霧が完全に消え去る前に、一団はもと来た道へと退いた。
その場に残ったのは、狼狽えることしかできない小都市の住民と――一部始終を見ていた男だけだった。
男は、騒ぎの間もずっと屋台のカウンターに行儀悪く腰掛けて酒を煽っていた。酒を飲み干し、空になった杯を男はカウンターの上に置いた。すると、屋台の上に置かれていた酒瓶に縄のような黒い尾が絡みついた。
腕ほどの太さの胴をもつ黒い蛇が、カウンターの上を這っていた。鎌首をもたげて男を見つめる朱色の目は三対、一つの胴から分かれた三つの頭が朱い舌を覗かせている。三つ首の黒蛇は酒瓶をゆっくりと傾けて、従者のように酒を注いだ。
蛇が酒を注いでいる間、男は自分の右頬の傷を指で掻いていた。男は右頬から鎖骨にかけて、引き裂いたような大きな傷跡があった。
異形の蛇を侍らせているというのに、誰も不審な目を向けることはなく、そもそも男自体の存在が周囲から無視され続けていた。
「民衆を盾に状況を動かす、ねぇ。さすがは元聖職者」
男の口元が歪んだ。口の左端を釣り上げ、牙を剥き出しにして、悪意のある笑顔を作った。
「さて、お嬢さんのお手並み拝見といこうか」
◆ ◆ ◆
武器屋の裏でリーフとリンは走って乱れた息を整えていた。
「煙幕を警戒して一旦退いたみたいだ。ただ、この様子だとまた来る」
リーフが敵の行動をリンに伝えた。走り始めてから一度も振り返っていないが、リーフは偽の警吏達がとった行動を全て把握していた。
リーフには常人にはない特異な感覚として、他人の敵意や害意を直接感じとる〈害覚〉があった。相手がリーフを敵として認識している間は、向かい合った相手の思考をほぼ読めるうえに、ある程度離れていても何処にいるかは漠然と感じ取れた。
この小都市の範囲であれば、集中していればぎりぎり感知可能な圏内に入っていた。
「えー、この状況で一旦退くってことはつまり……」
「追跡者はいないから、向こうにも索敵ができる奴がいるということになる」
ボクみたいにね、とリーフが軽く首を傾げた。
リンの肩ががっくりと落ちた。
「だよねー。ガツンといっとかないと、きりが無いやつじゃん……なんでこう、勝手な行動とるかな―、ギルのお馬鹿」
「君も前に似たようなことあったよね?今更責めても仕方がない。ボク達はボク達で乗り越えよう」
頬を膨らませたリンを、リーフが宥めた。
「これからどうする?敬狼会にチクっとく?」
リンは自分が所属する小教会がある北の方面を指差した。警吏の偽物がいることを小教会に伝えれば、治安維持のために即座に警戒網が敷かれると予想しての言葉だった。小都市全体の警戒が強まれば、相手も下手に動けなくなると見ていた。
しかし、リーフはリンの指を下ろさせた。
「いや、一直線に行くのはまずい。西区を一周して敬月教の警吏に先に伝えよう」
「ん?そりゃ、リーフの見た目なら身分明かさなくても取り合ってもらえそうだけど……あー、そういうこと」
かつらを脱いで月色の髪を晒し、外套に白い結晶を張り、如何にも敬月教の信徒ですと言わんばかりの容姿のリーフに、リンは狙いを察した。リーフは、袂を分かった敬月教に敵の注意をなすりつけるつもりなのだ。
「でも、それって一歩間違えたらまずくない?折角此処まで気付かれずに来たのに」
リーフ達が南部にやってきたのは、敬月教の宗主国ギリスアンから逃れるためだ。万が一、正体を看破されると敬月教系の小教会が敵に回るだけでなく、本国まで情報が飛ぶ可能性があった。
「こんな僻地に聖騎士を送れるほどの決断力があれば、そもそもボクは此処にいないだろう。それに、いざとなれば君のところを頼りにするよ」
「任せて!いくらでも前借りしてもいいから!」
リンが目を輝かせてリーフに顔をぐいっと寄せた。鼻の頭がくっつきそうな距離に、さしものリーフもぎょっとした。
「返せる範囲で借りるから」
リーフは両手でリンを押し戻した。一生返せないくらい借りてもいいのにー、という言葉は無視した。
――ううーん……おはようございますー。
男の声が、二人の耳に届いた。
「おはよう、イーハン」
リーフがリンの持っているケースに向かって挨拶した。
「おはよー」
リンもリーフの行動が当たり前のように、自分もケースに挨拶した。正確には、ケースの中に収まった騒動霊型魔剣に挨拶した。
――あれ、ギルさんいないんですか?何かあったんです?
「道すがら話す。そろそろ移動しよう」
リーフが歩き始めると、リンもその斜め後ろについていった。
警吏は二人組で信徒の多い区画の巡回を行っていた。
二人組を呼び止めたのは、敬月教が信仰する天使の色に頭髪を染めた傭兵だった。少し離れた場所に長身の女性が不安げな顔で見ていた。
リーフは通りで警吏の格好に扮した魔戦士の集団がいたこと、そして無抵抗な相手に魔剣を抜いたことを殊更に強調して伝えた。
「――ということで、そちらでも人手を割いていただけませんか」
「それが先程の騒ぎの原因か……分かった、此方でも上に進言してみよう」
敬月教の印を胸元に掲げた警吏が頷いた。
「このような傭兵の言葉に耳を傾けてくださり、痛み入ります」
リーフは警吏に向けて、敬月教の流儀の礼をとった。
「いやいや、貴方のような熱心な信徒の言葉を聞かないでどうする」
「ありがとうございます。それでは、彼女を送っていきます」
「ああ。そういえば、何処の傭兵団の所属――」
警吏が言葉を続けたときには、既にリンを連れてリーフはその場を足早に去っていた。
「敬月教の人って、結構礼儀正しいね」
敬月教の警吏と十分に距離が離れたことを確認してから、リンが言った。
「元々はモンスターに対抗するための騎士集団だったから、組織内の規律はかなり厳しいのさ。というより、商業主義の敬狼会が俗に染まりすぎてると思うのだけれど」
リーフの目が突然険しくなり、翡翠の目がぎらりと光った。
「おっと、向こうも動き始めた」
歩きながら、リーフが独り言のように言った。リンの歩調が一瞬乱れたが、すぐに平静を取り戻した。
「数は……此方に五、ギルの方に十というところかな。全員魔剣持ちの魔戦士」
明後日の方向を眺めたまま、リーフは幾つかの方向を指差した。指を振った回数はきっかり十五回。
「骨董品一本ぽっちに十も割いといて、こっちにたったの五とか……舐めすぎでしょ」
「五しか割けなかった、というのが正しいかもしれない。大方、ギルが釣った駒を壊滅させたんだろう」
「すっごい簡単に想像できるのが嫌なんですけどー」
――前に、触媒使っていると全然力出ないって言ってましたけど、それでも強いですからねー、ギルさん。
「生前一体どんな化け物だったのよアイツ」
リンが顔をしかめた。
「この距離感だと……会敵にはまだ時間が掛かりそうだ。逃げながら迎え撃つ場所を探そう」
リーフが歩く速度を上げた。リンも遅れずについていった。
「リーフ、追加の煙幕は?」
「もうない」
「今から作れる?」
「無理、ギルに制御を手伝ってもらわないと。ボク一人じゃあ一日かけて半分が限界だ」
リンの口元がもにょもにょと動いた。ギルがいればいいのに、と言いそうになったが断固としてそんな言葉を口に出したくなかったのだ。
「ボクが足止めするから、その間に三人くらい減らして。後はイーハンの餌にする」
――あ、今日のご飯ですか。
「そーやってすぐ人間食わせるのグロいから勘弁して。イーハンも勝手にリーフからご飯貰わない」
リンが真っ当な意見を物騒な会話に差し込んだ。とはいえ、一人で全員を相手取る自信がないためあまり強く言えなかった。
「ギルがいないのに魔剣の相手はキツくない?」
「死霊型以外で、一撃でボクの盾を砕けるのはギルくらいだ。死にはしない」
死霊型魔剣は生者の魂を食らうという衝動のみで動く魔剣である。文字通り飛び道具として使うか魔剣門の材料かの二択しかない危険な魔剣のため、偽の警吏達が携帯している魔剣は憑依霊か騒動霊だとリーフは見込んでいた。
リーフには、並の憑依霊や騒動霊で傷つかない自信があった。しかし、血は出なくとも衝撃は身体に響くうえに、元の膂力が足りていないため組み伏せられる危険もある。
それでも前衛を張ろうとするリーフの目に、恐怖も迷いも一切なかった。
「竜種ってなんで極論好きなの? もうちょっと会話して?」
死ななければ安い、を地で行くリーフの論調に、さすがにリンも突っ込んだ。
「そもそもボクもギルも、建前では君の護衛だからね。君の前に立つのは義務みたいなものさ」
「それは……悪い気はしないかも。まあギルは死ねばいいけど」
リンは満更でもない顔をしていた。
「それはそれとして、リン」
「ん?」
「君は出会った頃と同じように、まだボクに銃を向けられるかい」




