第18話 雷のやくそく、鉱石の目(2)
一切の迷いなくギルは路地を駆け抜けた。昨日到着したばかりの町だというのに、自分の庭と言わんばかりにすいすいと走っていった。
「行き止まりかよ」
「えーっ!」
一切の迷いなく袋小路に飛び込んでいた。後ろからは、足音が迫ってきている。引き返す暇はない。
「どうすんだよっ」
「登れんこともねぇが、ほい〈翼蛇〉」
黒いマントの下から、ずるりと蛇が這い出した。
黒い蛇はギルの左腕から肩にかけて絡みつき、背部の翼膜を広げた。
ギルが垂直に飛び上がるのに合わせて蛇は翼を羽ばたかせ、一息で周囲の建物よりも高く跳躍した。
追いついてきた警吏が見上げる中、屋根に着地し、そのまま反対側へと降りた。降りるときも蛇は翼膜を広げ、二人は容易く軟着陸に成功した。
警吏が回り込んでくる前に、その場をすぐに離れた。
「やっぱ跳ぶのが一番手っ取り早いよな」
「いや、普通に飛べよ!あんた竜種だろ!」
子供の突っ込みに、ギルは顔を逸らした。
「……ちょっと、怪我してて」
「ええー」
いつの間にか二人は物音のしない区画に入り込んでいた。
ギルは足を止めて、担いでいた子供を下ろした。
「ここなら大丈夫だろ」
「あの……ありがとう」
子供はギルに礼を言った。だが、ギルは鼻で笑った。
「別に、昔の約束だから助けただけだ。テメェに礼を言われる筋合いは全くねーっての」
ギルの酷い言い草に子供は頬を膨らませた。
「なんだよそれ……約束って、せーやくのことか?」
子供は道端に置いてあった木箱に腰掛けた。
その隣の地面に、ギルも腰を下ろした。
「ああ、俺もすっかり忘れてたんだけどな」
「へー、せーやくって忘れても無くならないんだ」
「そりゃ魂に刻まれるからな、お前も変なことに使うんじゃねぇぞ」
「うん、おにーさんみたいにやりたくないことやらされないよう気をつける」
「言ってくれんな、ガキ」
ギルの口から自嘲的な笑いがくけけけ、と漏れた。
「ガキじゃない、おれにはエルヴァンっていう名前がある」
「エルヴァンか……俺はギル。で、何でお前、こんなとこにいんの?」
ギルは意味ありげにエルヴァンの顔を見上げた。
エルヴァンの髪は炎よりも明るい真紅、目も同じ色彩を宿していた。その意味をギルは一目で分かっていたし、エルヴァンもばれていることは百も承知だった。
エルヴァンは、南部を荒らしている火竜――争炎族の子供だった。
「親父がうざかったから、家出した」
ギルからの視線を外すようにエルヴァンは俯いた。
思ってもみない返事に、ギルは少し腰を浮かせた。
「家出でここまで来たのかよ。争炎の住んでる所から結構離れてんぞ、此処」
この小都市は、争炎族が現れる一帯よりもさらに北に位置しており、争炎族の子供が一人で迷い込むことは異常事態だった。
「近くだとどうせすぐに連れ戻されるし、此処まで来た。だけど、なんか変な奴らが追っかけてきて」
「まー、そりゃ争炎族は厄介者だしな。変なこと考える奴も多いだろ」
「俺、別に何もしてないのに」
「お前が何かしてなくても、争炎つったら喧嘩ふっかけまくる暴れん坊で嫌われてんの」
ギルが神獣界隈の共通認識を講釈した。
納得がいかないのか、エルヴァンは不満げに足をぶらぶらと振った。
「でも、それ、俺じゃないし」
「納得できねーってんなら、お前にはまだ外の世界が早いってこった。故郷で家族に可愛がられてろ」
ギルの辛い言葉に、エルヴァンはむっとして顔を上げた。
「何だよ、俺ばっかりガキ扱いして! ギルだってちょっと年上の子竜のくせに!」
その一言で、ギルの口元から感情が消えた。
「……そうだ、そうだったな。すっかり忘れていた」
それまでのエルヴァンの世間知らずを小馬鹿にしたような言動から一転、ギルの声はか細く、弱々しくなった。
先程までの態度が嘘のように、俯いてすっかりしょぼくれてしまった。
「俺は……どうして此処まで来てしまったんだろう」
「ど、どうしたんだよ、ギル」
エルヴァンは慌てて木箱から飛び降りてギルの目の前に立った。突然変わってしまったギルの雰囲気に狼狽えてしまっていた。
「原種及び障害を発見した。これより障害の排除を行う」
無機質な声が響いた。
エルヴァンが声がした方を向くと、追いかけてきていた警吏の一団が道を塞ぐように立っていた。警吏たちは既に剣を抜き、臨戦態勢だ。
「エルヴァン、下がっていろ」
ギルが立ち上がり、エルヴァンを後ろに庇った。
そのまま無手で構えようとするギルに、エルヴァンの手がすがった。上げかけた右腕をエルヴァンが掴むと、ぴたりと止まった。
遮光眼鏡で半分隠れた顔が、エルヴァンをちらりと見た。エルヴァンは泣き出してしまいそうな顔をしていた。
「でも、ギル、何か変じゃ……」
「変?何がだ、俺の何がおかしい」
少し掠れた声でギルが言った。左手を上げ、遮光眼鏡に手をかけた。
遮光眼鏡が地面に叩きつけられ、粉々に砕けた。
錆びた鉄よりも鮮やかな朱い双眸があった。人を小馬鹿にしたような表情も、殺し合いに心踊る輝きもなく、ただ事務的に殺す――殺意のみを湛えた目で、ギルは立っていた。
歴戦の兵のような目で見据えられ、エルヴァンは息をのんだ。
「すぐに片付ける。下がっていろ」
「うん」
ギルは感情の凪いだ声で繰り返し告げた。今度はエルヴァンも頷いて手を離し、後ろに三歩下がった。
「対象の認識を障害から特級原種に変更。武装の封印を解除。鎮圧後、対象を速やかに回収する」
警吏の一人が宣言すると、警吏たちが剣を目の前に掲げた。
それぞれの剣に、冷気、陽炎、霞、砂――様々な形をとった神性が宿った。警吏たちの武装は全て、魔剣だった。
「魔戦士か。さては貴様ら、町の人間ではないな」
警吏に擬態した魔戦士の一団は八人、対するギルは逃亡する素振りを一切見せずに黒い小剣を構えた。エルヴァンは避けられぬ戦闘から身を隠すために、木箱の後ろに逃げ込んだ。
最初に動いたのはギルだった。
小剣を振り抜いて突進し、胴を切断された魔戦士の隣に立つ二人目に振り下ろした。冷気が守りの形をとる前に、浅く刺さった切っ先が深く魔剣諸共引き裂いて斜めに肉体を分断する。
乱暴な行使に耐えられず、ギルの手の中で小剣が砕けた。
陽炎を纏った魔剣が無手のギルの胴に突き出される。ギルは黒いマントを翻し、斜めに跳んで回避。そのまま錐揉み回転しながら黒い短剣を放つ。
短剣を魔剣が弾いた瞬間、短剣が朱色の閃光を放ち爆散。魔剣を覆っていた神性が吹き飛ぶ。時間差で放たれた短剣が魔剣に着弾し再び爆散、刃を砕く。
着地したギルに砂の帯が蛇のように絡みつくが、即座に蹴散らして後退し拘束される前に抜ける。砂の蛇の上を黒い蛇が伝い滑り、奔り、魔剣を振るう暇も与えず魔戦士の腕に噛みついた。崩れた砂の蛇を踏み潰し、ギルが間合いの外から新しい小剣で突きを放つ。足りない間合いを埋めるように切っ先が瞬間的に伸び、喉を抉った。
頸椎まで断たれた首は、刃が元の長さに戻るとぐにゃりと曲がって戻らなかった。
全身に霞を纏った二人の魔戦士が同時にギルに切りかかった。ギルは片方の剣を躱し、もう片方の剣に対して潜るようにカウンターを仕掛けた。だが、剣身の距離感を霞で狂わされたせいで躱した剣はマントを裂き、カウンターを仕掛けた小剣の脆い刃が折れた。好機とばかりに攻めに転じた魔戦士の連撃をギルは大きく跳んで回避する。
ギルがいた空間に蛇の尾がしなり、二人の魔戦士をまとめて打ち据えた。しかし、霞により着弾をずらされ容易く防がれた。
「また蛙か、面倒だ」
新しい小剣を携えて突進するギル目掛けて火球が連続で射出された。着弾の衝撃を避けるために、ギルは大きく跳躍した。
火の粉を纏う魔剣を持つ魔戦士が後方で火球を生成していた。その隣で冷気を纏う魔剣が氷の槍を生成していた。滞空状態で回避行動がとれないギルに向けて火球と氷槍が射出される。
黒い蛇が翼膜を広げて盾となり、身を挺して火球と氷槍を防いだ。黒い蛇は粉々に砕け、黒い結晶となって四散した。
降り注ぐ鋭い結晶に反射的に顔を庇い、四人同時に隙が生まれた。後衛二人の脳天に黒い短剣が刺さり、朱色の閃光を放って爆ぜた。
ギルは左手から地面に着地、続いて右足で地を蹴り前方へ宙返り。着地の瞬間を狙った左右の斬撃の隙間をすり抜け、さらに後方へ小剣を投擲。エルヴァンににじり寄っていた、魔剣を失った魔戦士の背中に剣が生えた。
八対一が既に二対一、普通の戦いならば戦意を失ってもおかしくない状況で、二人の魔戦士は振り返ってギルを追った。
二本の魔剣に対抗し、ギルも双剣のように小剣を片手に一本ずつ構えた。
魔戦士たちが切り込む前にギルが踏み込み双剣を薙ぎ払う。魔戦士たちは魔剣で双剣の脆い刃を受け止める――が、小剣は魔剣をすり抜けて魔戦士を切り裂いた。
熟れた果実のように、抵抗なくざっくりと胴を水平に開いた。刃渡りが足りずに両断とまではいかなかったが、派手な水音を立てて二人は倒れた。
「幻が蛙だけのものだと思うな」
血溜まりに沈む魔戦士たちを背景に背負い、ギルは呟いた。両手にあった小剣はいつの間にか消滅していた。
敵がいなくなったことで、エルヴァンは木箱の陰から出てきた。
ギルが空いた右手で新しい遮光眼鏡をかける様を、エルヴァンは呆然とした顔で見ていた。
「数は多かったけどクッソ弱かったな」
砂埃と血糊のついたマントを手で払いながら、ギルは軽い口調で言った。砂埃は取れたが、染み付いた血糊は当然落ちることはなかった。
「えーと、ギル、大丈夫か……?」
エルヴァンはおそるおそる声をかけた。
「あ? あんなのに負けるわけねぇだろ、魔剣ならせめて死霊型持ってこいってんだ。やっぱ血は落ちねぇか」
ギルはずれた答えを返した。一向に綺麗にならないマントに、ギルは叩くのを諦めた。
ギルはエルヴァンの隣まで歩みを進め、血で汚れていない右手でエルヴァンの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「なんてな。俺は馬鹿だけどな、お前がさっきのこと心配したのは分かってる。偶にあるくしゃみみてぇなもんだ、気にすんな。何百年も前に分かったつもりでも、つい考えると柄でもねぇのに湿っぽくなっちまった」
無駄に明るい声で喋るギルに対して、エルヴァンは雷に打たれたような顔になった。
「……え、今何て言った?」
「だーかーら、湿っぽいのはさっきので終わりって話だ」
「そうじゃなくて……」
ギルの手を頭から引き剥がし、エルヴァンはギルの顔と手を交互に見た。ヒトの似姿では、十代後半、否、早熟な十五と言っても通るような見た目のギルをしげしげと見た。
「ギルって年、いくつ?」
「十九」
「それは絶対嘘だ」
即座に返したギルだったが、一呼吸もおかずにエルヴァンが切り返した。
「だって俺で十六だよ、十九なわけないじゃん!」
「見た目のこと言ってんだよこっちは! 俺は十九、ヒト年齢で!」
「それ結構無理があるって!」
血飛沫で汚れた静かな路地裏で、少年達の騒がしい声が響いた。




