第17話 雷のやくそく、鉱石の目(1)
ここから、五千字程度に区切って投稿することにしました。
そのついでにカクヨム版から加筆しています。
裏路地をぱたぱたと軽い足音が駆け抜けていった。
あつらえたかのように誰も通らない道を走るのは、フードを被った小さな姿。後ろから追いかけてくるものはまだ見えないというのに、ただ真っ直ぐに走って逃げていた。
突然、上空から人影が飛来した。着地して、フード姿に並走する。驚いて一瞬フードの足が乱れたが、すぐに持ち直して走り続けた。
「ぼっちゃん、次の角を右に曲がれ」
降ってきた男が言った。
言葉に従い、フードの人物は右に曲がって走り続けた。それにぴたりと男がついていく。
「次の角を左、左、右に曲がったら助けを呼べ、絶対に助けてくれるからな」
「本当かよ……」
「ホントホント、おじさんを信じろ」
口の左端を吊り上げて男は笑みを作った。
「じゃあ、今度また初めましてしような、ぼっちゃん!」
意味不明な挨拶だけを残し、男の姿は朱色の煙となって消えた。
消えた男と入れ替わるように、フード姿の背後に追いかける集団が現れた。武器と敵意を携え、追いかけられているフード姿を逃すつもりはなさそうだった。
「ったく、全員ぶっ飛ばせばいいじゃん……あれ?」
フード姿は現状を導いた相手に悪態を吐いたが、どうにも相手の名前が口から出てこなかった。
確かに聞いた名前を思い出せないことを不思議に思いながらも、考える暇なしにただ逃げ続けるしかなかった。
◆ ◆ ◆
「全員ぶっ飛ばして火山に叩きこんじまえよ……ったくあの戦争バカ共」
男は悪態を吐いた口に芋のパンケーキを頬張った。口よりも大きな切れをくちゃっと畳んで一口で入れ、そのままもしゃもしゃと咀嚼して飲み込んだ。
黒いぼさぼさの頭に黒いマント姿の男は、朝から糖蜜漬けの果実がのったパンケーキを食べていた。大きな遮光眼鏡で顔を隠しているせいで年齢は定かではないが、声や仕草はかなり若く見えた。
パンケーキをごくりと飲み込むと、遮光眼鏡越しでも分かるくらい男の表情がぱっと明るくなった。
「美味ぇな、これ。食っとけ」
男はフォークの先にパンケーキを一枚引っ掛けると、隣の皿にぽいっと放り込んだ。
「文句言うか食べるかどっちかにしなさいよ害悪骨董品の分際で……あ、こっちのパンも美味しいよ」
男の対面に座った女がじっとりとした目で睨んだ。女は背丈こそ男に並ぶような長身だったが、少女といっていいほどの若々しい顔立ちだった。珍しい黒髪黒目に白い肌で、豊かな胸の曲線がよく見える革のジャケットを着ていた。
女もまた手に取ったパンにバターを塗ってパンケーキの上に積み上げた。
「……いや、もう十分食べたよ」
パンとパンケーキが乗った皿の前には、げんなりとした顔の痩躯の青年が座っていた。暗褐色の外套の背中を丸め、食事時でも革手袋を外していない。
「リンも、ギルの真似をしなくていいから」
青年はスプーンもフォークも持たず、指先で皿の縁をつついていた。勝手に積み上がっていく朝食に、翡翠のような緑白色の目が困惑を浮かべていた。
「そういうのは一回でも満腹になってから言え」
フォークの先を突きつけてギルと呼ばれた男が言った。
「食いたくねぇのは腹一杯とはちげーぞ」
パンやらパンケーキやらが放り込まれた皿は、元々軽食が盛り付けられていた。尤も、塩を振りかけた茹で芋一個を軽食と定義するならば、であったが。
「リーフ、南部に来てからもっと食細くなってない?」
リンと呼ばれた少女は心配そうに青年の顔を覗き込んだ。
リーフの目が泳いだ。
「それは……」
口から溢れかけた言葉を飲み込んで、リーフは諦めたようにフォークを手にとった。
「俺でも竜相手じゃ軽すぎんのに、マジで食っとかねぇと地の果てまでぶっ飛ばされんぞ」
「いざとなれば、地面に身体を縫いつけるさ」
パンケーキをフォークで切り分けながら、リーフはそっけなく返した。一口の半分くらいの大きさになった欠片を口に詰めて食事を再開した。
「で、馬鹿のあんたに馬鹿にされるあいつらって何なの?」
リーフへの応対とは打って変わって、リンは刺々しい雰囲気を遮光眼鏡の男にぶつけた。
「ぶっちゃけ、あんただって戦争好きじゃん」
「俺が好きなのは誰かが喜ぶ殺し合いで、終わらせるつもりのねぇ戦争なんかやんねーよ」
「うわそれも十分やばいやつ、リーフ聞いたこいつの本性」
「約束破った腹いせに町一つ虐殺したところまでは聞いた」
「え、もっとやばいことしてた」
「知ってるに決まってんだろ、契約するときに教えるのができた魔剣ってやつだ」
「同じ魔剣でも、イーハンは経歴を黙っていたのだけれど」
「あいつはマジで人間の敵だからな」
「あーいうのは首輪つけといたら大人しいからマシ……って、ちがうちがうそうじゃなくてっ!」
つい、いつもの悪口の叩き合いに発展しそうになったことに気づいて、リンは待ったをかけた。
「その……私達は、まだ竜と戦ったことないから……戦い方とか分からなくて……あんたが一人で戦うなら別だけど、絶対リーフも戦うし……だから、その……あんたの知ってること教えなさいよ」
もじもじと、苦虫を噛み潰した顔で、リンは不倶戴天の敵であるギルに言った。
「テメェ、そこまで俺のこと嫌いだったか」
「うん、正直死ねばいいのに」
にこやかに言い切った少女に、ギルは諦めたように息を吐いた。パンケーキの最後の一枚にフォークが突き刺さった。
「もう死んでんだけど……えっとな、まず火竜っつーか争炎族は、火の力を持ってる」
「同じように、君は剣と神性を砕く雷をもっていたね」
ギルはテーブルの上に小さな黒いナイフを置いた。特に何か取り出す動作をしていなかったが、手の平の陰から取り出していた。
「テメェは盾と、神性を鈍らせる霧……霧の方全然使えてねぇけど」
ギルの顔が僅かにリーフの方に向いた。
「練習はしているよ」
リーフは食事をしていない方の手を握りしめた。一瞬、ゆらりと灰色の靄が拳に纏わりついたが、すぐに消失した。
「真太族は馬鹿力と耳がいいことだったか……あ、テメェは耳の方の才能からっきしだったよな」
「うるさい」
リンはギルを睨んでパンをかじった。
「そんな感じで、普通神性ってのは形で力が変わる。けど、奴らはどんな形でも神性を焼くんだよ、炎だからな」
「それって、モンスターに火が効くのと同じ理屈?反則じゃん」
モンスターは物理的な攻撃に対して異様な耐性を持つが、炎には他の動物と同じように焼けてしまう。そのため、モンスターの襲撃に対する最終手段として火計を備えていることが多い。
「おまけに竜種だからめちゃくちゃタフだ。後、鱗は悪魔より硬い」
「何その戦うために生まれてきたみたいな種族」
「ま、天使よりも頑丈でもなけりゃ、悪魔みてぇな即死級の技を大量に持っているわけでもねぇし。なんとか生き残れるだろ、テメェでも」
皿に残った糖蜜をフォークですくい上げ、ちびちびとギルは舐めた。
「その希望的観測何処から来たの、ねぇ?どう考えてもあんたとリーフのいいとこ取りみたいな性能だし、やばすぎ」
「隙ありゃ俺の首ねじ切るつもりのテメェに言われたくねぇよ」
リンはあからさまに視線を外した。薄い茶を啜って空気を濁した。
「それに、弱点がねーって程でもない。竜種は能力を全力で使おうとしたら翼を出す。けど、翼砕けば動けなくなるから、そこ狙えば楽勝だ」
「出会い頭に頭吹っ飛ばした方が楽な気がする……」
リンはしみじみと物騒な言葉を噛み締めた。
ギルが口の左端を釣り上げて嗤った。
「分かってんじゃねぇか。それが竜種殺す一番手っ取り早いやつだよ」
話している間にも食事は着々と進み、三人分の皿は空になった。
給仕にリーフが金を渡し、三人は食堂から出た。
食堂の前でリーフは腰の剣帯に片手剣を挿した。リンは肩に大きなケースを担いだうえで、散弾銃を引っ掛けた。唯一手ぶらのギルは遮光眼鏡の角度を直した。
朝から遮光眼鏡をかけたギルに、通りすがりの住民が不審な目を向けたが、すぐに視線を逸らして歩き去った。
小都市の煉瓦の町並みは今日も活気があった。物を売る商人、買い物をする住民、親の目を盗んで駆け出す子供達――城壁の外にはモンスターが跋扈しているとは思えないくらいの、平和な風景が広がっていた。
南部キーマ地方の最南、火竜が出現したと報告があった小都市から徒歩で二日程離れた場所に位置する小都市だった。
四人は依頼を果たすために、火竜と戦う最前線に向かっていく途中だった。
「リン、イーハンは起きたかい」
「駄目っぽい。魔剣門くぐると一日は使えないの辛いわー」
リンはケースを軽く叩いて首を横に振った。
リンの持つケースの中には、狙撃銃に改装された魔剣イルハールスが収まっている。今は、小都市の出入り口に設けられた魔剣門の瘴気に当てられて会話する元気もなかった。
「俺以外の魔剣が弱っちいのは仕方ねぇけど、さすがに体力ゴミすぎるだろクソ烏」
一行に加わっているもう一振りの魔剣は、触媒で実体化したうえに朝食を平らげていた。
「リーフに寄りかかってるヒモ野郎が何か言ってるー」
悪口を聞かなかったことにして、ギルは伸びをした。
「で、クソ烏のせいで此処から動けねぇわけだが、どうすんだ」
「明日、火竜の出現地帯に向かうから、今日中に必要な準備を済ませておいて」
リーフが財布をリンに渡した。商人の護衛やモンスターの討伐で稼いだ路銀で、それなりに資金は潤っていた。
「生活費はきちんと抜いてあるから、全部使っても大丈夫だよ」
「さっすがー!リーフ分かってるー!」
「その前に、財布の中身全てを銃弾に替える必要はないのだからね?」
「……どっちがヒモなんだかな」
ギルは呆れた顔でリンに目線を送った。ばっちりリンには聞こえていたが、こちらも聞かなかったことにしていた。
ふと、ギルは周囲を見回した。
「呼んでる……」
ギルの様子がおかしいことに、リーフは即座に気づいた。
「どうしたのだい、ギル」
「呼ばれたから行ってくる」
ふらりと倒れるように方向転換し、黒いマントの裾を翻した。
「ギル!」
呼び止めるリーフの声を置き去りに、ギルは駆け出した。
□ □ ◇
「助けてーーーっ!」
高い子供の声が、通りに響いた。
裏通りの筋から大通りに飛び込んできた人影に、人々の目は一斉に集まった。
フードつきマントを被った小さい姿が脇目もふらずに大通りを走っていった。
その後ろを追いかけるのは、灰緑色の制服――警吏の格好をした一団だった。小教会傘下の警吏を示す赤い腕章を皆つけていた。
正式な警吏と思われる集団と、それに追いかけられる怪しい人物――誰もが捕物だと判断した。
「待ちやがれっ!」
小柄な体格と侮ったのか、一人の男が横をすり抜けようとしたフードを掴んだ。
フードを引っ張られ、逃走者の顔が衆目に晒された。
花が咲いたような真っ赤な頭だった。まだ幼い顔つきでフードを掴んだ男を睨む、その目も炎のように赤かった。
「ひぃっ!」
不吉な赤毛と赤目に、男の正義感は一瞬で萎み恐怖一色になった。
男が怯んだ隙に、子供は振り払って再び走り出した。
「あ、赤毛だ!」
「ひええっ!」
「逃げろ逃げろ!」
子供の姿が目に入った途端、人々は顔色を変えて逃げ始めた。
「助けてーーーーーっ!」
貴重な肺の空気を絞り出し、子供は再び叫んだ。
しかし、皆子供を恐れるように離れていった。呪いの言葉を聞いたかのように、子供の声から耳を塞いで逃げていった。
「助けっ……」
助けを求めて伸ばした手は警吏に押さえつけられ、空を切って地面に叩きつけられた。
警吏は小さな子供に容赦なくのしかかり、動きを必要以上に完全に封じた。子供の口から嗚咽が漏れても拘束は緩められない。
最後の抵抗に腕を遮二無二振り回そうとすると、両腕をへし折れんばかりの力で捻りあげられた。二人の警吏が左右から腕を拘束していた。
「いぎっ」
胸部を圧迫され悲鳴に割く呼気すらなかった。浅い呼気を繰り返し、激痛に歯を食いしばって耐えた。
「原種の捕獲成功、これより拘束する」
警吏の色のない声が誰にともなく告げ、子供を押さえつけたまま懐から液体の入った瓶を取り出した。
濁った硝子の瓶の中には、不気味な青い液体が波打っていた。子供の最後の抵抗を奪うための何かが、その液体に込められているのは明白だった。
瓶が開き、瓶の口が子供の口元に押し当てられた。そのまま、子供の口の中に液体を流し込もうと瓶を傾け――
「ぐぼっ」
子供を押さえつけていた警吏が後ろに吹き飛ばされた。
さらに二人が左右に頭から倒れた。
拘束から解放され、子供は大きく咳き込んだ。
「おいガキ、助けに来たぞ」
頭上から聞こえた声に、子供は顔を上げた。
黒いマントを着た、黒い髪の男が立っていた。顔の上半分は遮光眼鏡で隠され、素顔は見えない。顔の下半分には左右非対称の笑みを貼り付け、左の牙を剥き出しにしていた。
「黒い……?」
「悪かったな、お仲間じゃなくてなぁ」
ギルは呆然とする子供の腕を掴んで立たせた。
「で、こいつらをどうすりゃいい?」
警吏達は、警戒してまだ仕掛けてこなかった。突然現れ、瞬く間に三人を伸した相手の出方をうかがっていた。
「適当にぶっ飛ばしておくのか、何人か見せしめにしとくのか――それとも全員ぶっ殺すかぁ?」
ギルは張り切った様子で、子供に尋ねた。『殺す』という言葉に、警吏達に緊張が走った。
「ええっと……」
望んだ答えのない問いかけに、子供は口ごもった。
「ギル!」
ギルの背後から声が響いた。
痩身の剣士と、大荷物を抱えた女が走ってきた。
「一体どうした」
剣士がギルの横に並んだ。
「助けてって言われたから助けた、そんだけ」
「……後で詳しい話を聞かせてもらおうか」
「おう」
リーフはギルの行動に疑念を挟まなかった。
「取り敢えず君はその少年を連れて人気のない場所に逃げろ」
「へ?」
ギルの口から間の抜けた声が溢れた。
「ここで大っぴらに力を使うつもりなのかい」
「あー……ちょっと刻む程度なら大丈夫だろ?」
「やっぱり馬鹿だわこいつー」
後ろでリンがギルを指差して大声で言った。
「いいから君は誰も見ていない場所まで走れ、その少年を連れて」
「その後は?」
「日暮れに合流するまで、絶対に捕まるな」
「捕まらなけりゃ、いいんだな」
ギルの口の左端が、つり上がって歪んだ。
「その通り」
リーフはしっかりと頷いて肯定した。
「じゃ、行ってくる」
ギルは子供をひょいと肩に担ぎ、そのまま走り出した。
子供は大人しく担がれ、落ちるまいとマントにしがみついた。
「待て!」
それまで様子を伺っていた警吏達も、標的の逃走を前に動き出した。
しかし、それを阻むようにリーフも片手剣を抜いて警吏達に切り込んだ。
リンも大荷物を振り回し、警吏をまとめて薙ぎ払っていった。
「むちゃくちゃじゃん……」
ギルに蹴り飛ばされたときよりも景気よく高く打ち上がる警吏と、目潰しに金的でのたうち回る警吏を尻目に、子供が呟いた。
それでも二人で完全に食い止めることは出来ず、半数の警吏が男を追いかけた。
ギルは子供を担いだまま、路地裏に飛び込んだ。




