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Fantastic Fantom Curse 輪廻の竜  作者: 草上アケミ
第1部 偽りの救済
13/60

第13話 救済

旧題「契約満了」

かなりがっつり修正しています。

 そこは、真っ白に凍りついた森だった。

 木の幹には霜が張り付き、針のような枝葉からは氷柱を垂らしている。下草は雪に埋もれ、滑らかな白い大地が続いていた。


 白い森の中で、黒い外套を着たリーフが佇んでいた。

 体格より二回り程大きい外套を袖を捲りあげて手を通し、襟とフードに顔を半分埋めながら、リーフは立っていた。

 氷の結晶をのせた風に打たれながら、新緑色の宝石の目で正面を見ていた。


 リーフの視線の先には、白い男が立っていた。

 白い毛皮で飾られた革の上着に、手足を白い鎧で覆っていた。頭髪は、銀を基調として黒が所々に散り、少し釣り上がった双眸は深い緑を湛えていた。鼻筋が通った美男子で、リーフよりも一回り年長に見えた。表情の作りが細やかで、僅かに浮かべた笑みが絵画のように様になっていた。



「貴方とは、はじめまして、ではない筈だ」



 リーフが言った。


「そうだね。あの時は、君は正体を失いかけていたけれど、此処で会ったよ」


 男は耳障りのよい声色で返した。


「そう、あの時、貴方はボクを殺そうとしていた」

「それは違う。今言ったように、君は正体を失いかけていた。あのままでは君は死んでいた。だから、失ったものを正しく認めて心を取り戻してほしかった」

「失ったもの?」


「母親だよ。君を愛してくれた母親だ」

「そんなものはいない」


 リーフは自然に答えた。太陽と月が一つずつしかないことを幼子に諭すように、当たり前のように淀みなく答えた。

 男の目が曇った。


「ほら、あの悪魔が君の心を無理やり起こしたせいだ。君はもう傷に目を背けて生きていくしかないんだ」

「今更失くしたものが増えたところで、ボクにはもう意味がないと思うのだけれど」


 リーフの足がさくり、と新雪を踏んだ。足は殆ど雪に埋もれることなく、芝生のように重みを支えていた。


「意味はあるさ。君の命を悪魔にくれてやるつもりはないよ」


 リーフの足がもう一歩、男へと進んだ。


「それは契約違反だ。ボクはこれから死ぬのだ」

「いいや、オレは君をもう死なせないと決めたんだ」


 リーフは顔に張り付いた氷の結晶を左手で拭いながら、男へと歩み寄っていった。


「それは貴方の望みであって、ボクの望みではない」

「そうかもしれない。それでも、オレは君に生きていてほしいんだ」

「拒否する」


 男は懇願するが、リーフは言葉を全て切って捨てた。

 リーフは男の真正面に立った。男は長身で、リーフよりも頭一つ分以上背が高かった。


「しかし、拒否したところで貴方はボクの命を永らえさせてしまうのでしょう」


 リーフが大きく一歩を踏み出し、男に右手を叩きつけた。男の喉から苦痛の声が漏れた。

 男の胸を黒い刃物が貫いた。左肺に穴を穿つ重傷は背中を突き抜け、切っ先を寒空の下に晒した。


「だから、もう渡してきたし、貴方も殺す」


 リーフの右腕は血塗れだった。刃物に握りはなく、硝子片のような刃を直に握りしめていた。指も手のひらも刃物に半分近く埋まり、流れ出る血の量は男の傷とよい勝負だった。


 否、リーフの外套から滴り落ちる赤い雫は既に致死量に達していた。

 黒い外套の胸部が濡れて、色がより濃くなっていた。リーフの身体は氷のように冷たく冷え切り、血の熱にたじろぐこともない。立っていられるのは、既に死んでしまったものを動かしているからだ。


「死んでしまったものを、生き返らせるものはない」

「いいや、まだ此処にあるさ」


 自らの血で肺が溺れているというのに、男は貴重な空気を吐き出した。

 男が刃物を持つリーフの手を握った。籠手越しであるというのに、男の手の温もりがリーフに伝わってきた。

 リーフの手に力が入り、刃がさらに肺を切り裂いた。男が苦痛に喘ぐ。


 それでも、男は手を離さなかった。


「オレは断片(モウゼ)、家族に生きていて欲しいと願う、ただの断片だ」


 男は刃物に貫かれたまま、リーフを抱きしめた。


「ただ生きていて欲しかったんだ、君に」



  ◇ ◆ ◇



 リーフが目を覚ましたのは、懐かしさすら感じる寝台の中だった。

 柔らかな枕に支えられた頭上には、草木の刺繍が施された天蓋が見えた。


「だから、いつになったら俺に返してくれるんだよ」

「いつからあんたのものになったってのよ!」

「仕方ねぇだろリーフが死んだのは、そういう契約だったんだから」


 聞き覚えのある声が二人分、リーフの左耳に届いた。片方は、顔を知った今ではお似合いだと頷ける、気に障る若い男の声。もう一方は、どこか張りのない少女の声。


「――っの、言うに事欠いてぇっ!!」


 床を蹴る音に続いて、どたんばたんと暴れる振動が寝台まで震わせた。


「あだだだだだっ、腕取れる、また腕取れる!」

「命乞いしてんじゃないわよ魔剣の癖に」


 声を追ってリーフが頭を左に向けると、取っ組み合いをしている二人が目に入った。

 絨毯の敷かれた床の上で、黒髪の少女が男を蹴り倒し、左腕を捻りあげていた。飾り気のない若草色のワンピースから覗くヒールで、男の背中を逃すまいと踏み躙っている。


 男は拘束から逃れようと藻掻いていたが、少女は嗜虐的な笑みを浮かべながらさらに捻りあげる。

 男が喚く通り、常軌を逸した力で拗じられた左腕は既に脱臼して奇怪な角度を晒し、さらに筋繊維の断絶と軟骨の乖離を訴える音が聞こえた。


「クッソ、こんなボロい人形から出たら本気で泣かす」

「調子乗ってんなクソ骨董品」

「あ、ちょっ、その角度はマジで根本から逝く!」


 男が目で少女に訴えかけようと顔を上げた。

 男の朱色の目とリーフの目が合い、男は目を見開いた――瞬間、男の左腕が肩から引っこ抜かれた。


 急になくなった抵抗力に、少女の身体が後ろに倒れて尻餅をついた。肩から漆黒の液体が吹き上がる。


「あ」


 やばい、と少女の表情が凍りついた。


「ああああーっ!またやりやがったなテメェーーーーっ!!」


 男は痛みにのたうったが、咄嗟に右手で左腕の断面を掴んで黒い血の流出を抑えた。指の間から溢れた血が絨毯を汚した。


「そして何で生きてんだよお前ーーーっ!」


 男は左腕の断面を掴んだまま、寝台に這いずって突進した。絨毯の上に黒い線が一直線に伸びた。


「何で此処にいるの、ギル」


 ギルの問いに対し、リーフも問いで返した。乾いた喉から発せられた声は、ひび割れしゃがれていた。

 目の粘膜がくっつきそうな距離まで近づけ、ギルとリーフはお互いが幻覚ではないことを確認した。生気の戻らないリーフの目と、無駄に生き生きとしたギルの目が瞳孔の奥を舐めるように交錯した。


「というか、君の血は黒だったのか」


「あー、それはクソ狼共に無理やりこっちに押し込められたせいっつーか、身体を治す交換条件だったっつーか」

「リーフっ!!」


 要領の得ないギルの言葉を本人ごと後方にぶん投げ、半泣きのリンがリーフに抱きついた。

 壁に叩きつけられたギルが呻き声をあげた。


「……マジで絞めるぞ」

「本当に、本当にリーフだよね。生きてるんだよねっ」


 背後から聞こえる呪詛を完全無視し、リンが感極まって本当に泣き始めた。


「うん、まあ、どうして生きているのだろうね」


 リーフは布団に涙の染みを散らすリンを見て、絨毯の上に放置された左腕を見て、諦めたように腕を拾いに行くギルを見た。


「ところで、魔剣である筈のギルがこうやって歩いていたり、君に腕をもぎ取られたりしているのはどういう原理なのだい」

「俺だって好きで腕落としてんじゃねぇし。コレ、このままくっついたりできねぇのか」


 ギルはばつが悪そうに自分の腕を拾い上げ、服の残骸を剥がしてから引き裂かれてずたずたになった断面同士を擦り合わせた。その行為だけでも激痛が走りそうなものだが、ギルは少し顔を顰めた程度で作業を続けた。


「あのー、あんまり煩いとまた怒られちゃいますよー」


 部屋の扉を開けて、金髪の男が顔を覗かせた。部屋の状況を確認して、男の顔が固まった。


「あ、くっついた。あたたたた、感覚戻ると痛ぇな畜生」

「本当にっ、本当にっ、良がっだーーーっ!」


 黒い液体を調度品に撒き散らし、その中心で上半身を真っ黒にしながら自分の身体を工作しているギル。加えて、寝台でおいおいと喧しく泣くリン。

 既に、部屋の中の状況は取り返しのつかない段階に至っていた。


 男の漆黒の目が大声で泣き続けるリンからリーフへと移動し、途端に丸くなった。


「え、リーフさん!目を覚ましたんですか!」

「その言い方……ひょっとして、君はイルハールスか」

「ええ、そう、そうです」


 男はリーフの問いに、ゆるゆると首肯した。

 押しの弱そうな印象のその男は、使用人の服を着用していた。人目を避けるような黒いフード付きの上着をしっかりと着込んでいなければ、使用人に混ざっていても違和感がなかっただろう。


 リーフはもう一度、部屋の中を見渡した。部屋の広さと内装からして貴族か豪商の家だと推測できた。理屈は不明だがギルとイーハンが自由に動いていることから、そちら側の関係者であることも想像に難くない。リーフが死んだ後、何があったのかさっぱり分からなかった。

 考えすぎて、リーフの頭を鈍痛が襲った。額を手で押さえてため息をついた。


「とりあえず、ギルは着替えろ。リンは涙を拭け。イーハンはちょっとこっちに来い」


 呆れながらリーフは三者に指示を飛ばした。




 汚れた服を着替えて戻ってきたギルは、屋敷の使用人と思しき格好の人間を数名引き連れていた。

 昏睡状態に陥ってから自ら栄養摂取をできていないリーフに対して、何か食べさせてやりたいという気遣いだった。

 ギルの珍しい心配りに、リンとリーフは顔を見合わせた。


 使用人達は汚れた家具を運び出し、代わりのテーブルと椅子を寝台の横に支度した。テーブルの上には四つのティーセットと共にサンドイッチや焼菓子といった軽食、弱った胃腸に優しい牛乳粥やパン粥といった病人食が並べられた。

 食事を運んできたワゴンを残し、リンの指示で使用人達は退室した。


「それにしても、素手で肉の解体を始めるとは。どこで食肉処理を学んだのだい、リン」


 リーフはパン粥を一口含んだ。暫く寝たきりだったせいか、関節が固まって腕の動きがぎこちなかった。

 先程の醜態を指摘され、リンは涙で腫れた顔をさらに赤くして縮こまった。


「そうですよ、手早くやらないと傷んで美味しくなくなっちゃいます!」


 的外れな指摘をするイーハンの手には、ソーセージを刺したフォークがあった。


「俺を食おうとすんな、ガリ鳥」


 ギルが焼菓子を齧りながらイーハンを睨んだ。繋げたばかりの左腕は大事をとって三角巾で吊るし、右手一本で不自由そうに食べていた。

 ギルは黒い血で染まった服を取り替え、首筋まで隠す黒のシャツに黄褐色のジャケットを羽織っていた。淡い青のスカーフで飾った腰からスカートのようなゆったりとしたズボンを履くという、上品な部屋の内装には見合っていない、農民のような格好だった。


「とんでもない。今の状態でも、逆に僕が首飛ばされて吊るされるだけですって」


 イーハンが否定しながら、チキンサンドを平らげた。一口は女子供のように小さいが、何故か食事のペースは一番早かった。


「鳥が鳥を食ってる、だと……」


 イーハンの食べている物を見て、ギルは衝撃を受けていた。イーハンが次に口に運んだ物も、チキンサンドだった。


「ニンゲンが育てた鳥は美味しいですねー。近所の伯父さんなんかよりずっと食い出があります」


 美味しそうに、とてつもない速さでイーハンは鳥肉を咀嚼していった。鶏が穀物を啄む動きにも似ていた。


「共食いすんのかよ、頭おかしいだろテメェら」

「ええー、竜だって子供をサクサク間引きするって聞きましたよ」

「好きでガキ殺してるわけじゃねぇし肉は食わねぇよ。つか、食っちゃ駄目だろ」


 イーハンのさらりとした返しに、ギルも反撃した。

 人外同士の洒落にならない雑談を交えながら、当たり前のように二人の男は皿を半分以上空にしていた。細いイーハンの指が肉類を摘み、無骨な指でギルが砂糖菓子を掴み取っていく。


「さっきから気になっていたのだけれども、ギルもイーハンもどうして実体をもって此処にいるのだい」


 リーフがもっともな疑問を述べた。

 いかなる力が働いているのか、金属の塊に閉じ込められていた筈の二体が普通に言葉を交わし、食事すら摂っていることがリーフには当然不思議だった。しかも、少なくともギルは姿を偽ったままなのだ。


「人形触媒、というものを使っているらしいです」


 イーハンがリーフの問いかけに答えた。


「人形触媒に魂を合わせることで、ある程度生前の姿が再現できるんです。そのかわり、魔剣の力は使えなくなっちゃうんですけど」

「あと、クッソ脆くてすぐ壊れる」


 ギルは悪態をつきながら果物がのったタルトを手に取った。一口で大半を齧り取り、むしゃむしゃと咀嚼した。


「ギルさんは素の力が強すぎるから、暴れられないよう性能悪いのしか貰えてないんですよ」

「既に四回爆発四散してるよね」


 少し元気を取り戻したリンが意地悪く言った。


「何でちょっと力込めただけで俺の頭の方が弾けんだよ」

「あれはホント傑作」


 不貞腐れるギルに、リンが笑いを漏らした。


「頭ぱーん、て。殴りかかった体勢で頭ぱーん、て」


 ぱーん、のところで手を開いて、リンはいい笑顔になった。


「此処にいる間、二人が悪さをしないようにってことで、叔母様が使わせているの。誰も触らないよう徹底させて、無理やり」

「……叔母様? リンの親類がかい?」


 喉に柔らかい粥を通し、リーフの声は元の調子に戻っていた。

 リンもリーフと同様に魔戦士(タクシディード)――つまるところ神獣の血を受け継ぐ家系の人間である。リンの他にも能力に自覚のある血族がいても何ら不思議ではなかったが、リーフの予想を超えて魔剣に詳しいようだった。


「ああ、こいつ、よりにもよってクソ狼の王の血筋だったんだよ」


 菓子の粉がついた指を舐め取り、唸り声を思わせる調子でギルが言った。


「そのクソ狼っていうの、やめてくんない」


 自分の家のことを悪し様に言われ、リンがむっとした。

 それをギルは鼻で笑った。


「内ゲバに他種族(よそもの)持ち込むのはクソだろ。あん時のことはまだ俺忘れてねぇからな」


 個人的に嫌な思い出があるのか、ギルに態度を改める様子はなかった。


「あの時って、何年前よ」

「何百年も前だ前、数えてねぇから分かんねぇ」


 ティーカップでお茶を啜りながら、数え切れない程の人間を蹂躙してきた魔剣が言った。


「そういうあんたは歳いくつよ」

「十九」


 ギルが間髪入れずに断言した。


 子供っぽい朱色の目が特徴的な、青年というより少年と言っていい顔立ちからの発言に、リーフとリンの目が一瞬にして据わった。片や推定十七歳、片や十六歳である。


「ニンゲンにはそう言うことにしてるってだけな」


 流石に気まずさを感じ取り、手痛い口撃がとんでくる前にギルは慌てて付け加えた。


「現代的な年齢設定を考え直しておいた方がよいと思うよ」


 予防線を無視したリーフの容赦のない一言がギルの胸を抉った。


「ちなみに僕は三十くらいで殺されました」


 二十代の笑顔でイーハンも自己申告した。


「どうでもいいな」

「ごめん、どうでもいい」


 ギルとリンに同時にばっさりと切り捨てられ、イーハンの顔がショックで沈んだ。


「話を戻すのだけれど――つまり、此処はリンの親戚の家で、実は神獣の家系だったということなのかい」


 リーフはテーブルに匙を置いた。粥は、まだ半分以上残っていた。


「そう、正解。ギリスアンへモンスターの群れに偽装して偵察していたところに、リーフが落っこちてきて救助されたってわけ」

「覚えていない」


 記憶を探るように、リーフは目を伏せた。


「あの時ほぼ死んでたからな、お前。根性だけでよくあそこまで飛べたよな……俺じゃ飛べねぇから助かったけど」


 ギルが自分のカップに茶を注ぎながら言った。


「それから僕らは、休養も兼ねてメーラン子爵家に匿ってもらってるんです」


 涙目になりながらも、イーハンが会話に参加した。


「そうそう、アリス叔母様に、あんたもしっかり感謝しときなさいよ」


 リンがギルにビシッと指を突きつけた。ギルは苦い顔をした。


「今更感謝すんのかよ……」


 ギルの手がリーフの食べかけの粥に伸びた。皿を掴む前に、リンがその手をはたき落とした。


「ちょっと、意地汚いんじゃないの」

「仕方ねぇだろ、もう全部食ったし」


 口を尖らせてギルが抗議した。

 リンはテーブルの上を見回した。軽食の皿どころか、茶に入れる砂糖まで空になっていた。

 リンの目が、人外の男性二人に冷たく向けられる。


「あんた達、ちょっと、食べ過ぎじゃない?」

「じゃあもっと普段から菓子を寄越せ」

「すみません、とっても美味しくてつい……」


 ギルは悪びれる様子がなくしつこく指先を舐め取っていたが、イーハンは恐縮して縦に長い身体を縮こませた。

 リンはギルを睨んだが、手を叩いて気持ちを切り替えた。


「リーフも起きたことだし、色々と支度しないとね」


 テーブル上の皿を片付けて給仕のワゴンに乗せ、汚れたテーブルクロスをその上に掛けた。


「着替えとか取ってくるから、リーフはちょっと休んでてね」


 リンがリーフを寝かせて布団を掛けた。イーハンはひいひい言いながらテーブルの位置を戻し、ギルは足と右腕でワゴンを部屋の外に押し出した。


「にしても、なんでお前生きてんだよ」

「まだ言うか」


 リンがギルの右腕に掴みかかったが、ひょいと躱して部屋の外に退散した。

 それを追いかける形で、リンとイーハンも部屋から出ていった。

 閉じたドアの向こう側で、ワゴンがゴロゴロと音を響かせた。


 部屋には一人、リーフだけが残された。




 独りきりになり、リーフは寝台から身体を起こして立ち上がった。寝たきりで凝り固まった関節が痛みを訴えるが、断絶していた筋肉は回復したようで動作自体に問題はなかった。

 重たい足取りで窓に近づき、外の様子を確認した。


 建物の外は鉄の柵で囲われていた。柵の内側は地面を煉瓦で舗装した貴族の邸宅だったが、外側は鬱蒼とした森だった。

 見覚えのない景色だったが、どこかリンの屋敷と似ていた。リーフの目が風景から記憶を辿っていった。




「ついてくるというのは君の勝手だけれども、理由を教えてくれないか」

「退屈しなさそうだから! あと、その……一緒にいたいからっ!」




 未だに、リーフにはリンが言った言葉の真意が理解できていなかった。出会い頭に殺し合いをしたというのに、そう言ったときのリンにリーフを傷つけるような意思は全くと言っていいほど失われていた。

 その未知の感覚を思い出し、背筋がぞわりとした。


 それとは別に、リーフは身体の表面を撫でるような害意を感じ、自分の腕を撫でた。

 静かな誰もいない部屋の中で、自分に対する敵意が屋敷の中で徐々に膨らみつつあることをリーフは感じ取っていた。


 外からきた厄介事であるので、容認されているとはいえ全てが好意的なわけではない。その空気は、リーフが長年浸ってきたものと濃さは違えど非常に似ていた。

 生まれは不詳で、感情の起伏がなく、人形のような顔に薄い笑みを貼り付けたままの籠の中の少女にずっとずっと向けられていたものだった。


 しかし、窓硝子にうっすらと映る人影は、かつての空虚な顔をした痩せた少女ではなく、行き場を失った殺し屋だった。


「ああ、そうか。本当に必要なかったのは、そっちだったのか」


 何かに気付き、リーフの曇った宝石の目に輝きが僅かに戻った。

 リーフはカーテンを掴み、身を隠すように閉じた。



  ◆ ◆ ◆



「ねぇリーフ、折角だし――」


 リンが部屋のドアを開けた。腕には服を抱え、笑顔で部屋に入った。顔の腫れは引き、普段の血色を取り戻している。

 レースで飾られた少女趣味の薄着を寝台に向けて広げた。


「こういうの着てみるのも――」


 しかし、寝台には誰もいなかった。布団が剥かれ、ずたずたになったシーツが残されていた。


「あれ?」


 不穏な空気を感じ取り、リンの顔から笑顔が消えた。

 部屋を見回し、窓に目を向けた瞬間、リンは目を見開いた。


「おいリン、包帯忘れてんぞ」


 ギルとイーハンも部屋に入ってきた。

 固まるリンの目線を追い、有様を目の当たりにする。ギルは少し顔をしかめ、イーハンは首をかしげた。


 リーフは、窓辺に佇んでいた。

 首にシーツの残骸をマフラーのように掛けて、虚ろな顔でリンを見ていた。

 マフラーはカーテンレールに吊り下がり、リーフの足の先は宙に浮いていた。

 団欒で使用した椅子が足元で横倒しにされ、力の抜けた足が僅かに揺れては触れていた。



 ばさり、とリンが服を床に落とした。




 女の悲鳴が屋敷に響き渡った。

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