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やり直し

 

 君を殺した男の喉を掻き切ると、ぜいぜいと喘鳴が聞こえた。

 よく分からない女が縋り付いて来る。殺さないでと泣き喚いている。

 いつかの再現のようだった。

 自分の罪を考える。どうしようもなく脳が焼ける。

 また、ドロシーが死んだ。

 殺された!

 どいつもこいつも、愚かで、ドロシーをなぶり殺しにした。

 可愛い彼女の喉に穴があいていた。

 可愛らしい声はもう二度と聞けない。

 今度こそ言えたのに。


 ――好きだと、言えたのに。愛してると言いたかったのに。


 どうしてだろう、誰を殺しても何も感じない。

 いつかの再現のようだ。人を殺してもどうも思わない。

 君が蘇れとだけ、思う。

 地獄はここだ。救いはどこにある?

 ドロシー。

 君がいない世界なんて、意味がない。

 血の臭いがする。どくどくと石畳を染める。

 鼻が馬鹿になる。だんだんと、匂いを感じなくなる。

 何人殺せば、君は蘇る?


 ■■■




「なんと、小汚い女だ! 伯爵の帽子を落とすなんて!」


 憎悪がこもった声が、鞭と一緒に振り下ろされる。枯れ木のような手が鞭を振るう。


 ――ドロシーは汚い地面を見つめながら、頭が変になりそうだった。


 確かに、ドロシーは死んだはずだった。

 なのに、喉の痛みがない。

 指に刺さっていた棘もない。

 口の端に泡が溜まる。ドロシーは夢でも見ていたのだろうか?


 さっき、確かにドロシーはオズの死体を見た。そして、肉屋の旦那さんに殺された。

 けれど……ドロシーは今鞭を打たれている。

 声は明らかにロズウェルと呼ばれた老僧のものだ。


 背中に受ける痛みはこの間、熱を出した時と同じものだった。


 ドロシーは何が起こっているのか、全く分からなかった。

 鞭で打たれている間じゅう、必死で考えた。

 けれどさっぱり状況が飲み込めなかった。

 喉を手で触ってみる。汗をかいて濡れた首元はどうもない。傷ひとつない。


 今までのことが、全部夢だったのだろうか……。

 それとも、今この時こそが幻なのだろうか。


「ドロシー、これをお使い」


 痛みが去ってもうずくまっていた。


 だって、何もわからない!


 ドロシーはちらりと顔をあげて声の方を見た。

 ジルだった。

 花のような、蜜のような香りがする。

 差し出されたのは白いハンカチだった。

 何もかも、数日前に経験したことと同じに見えた。


 ドロシーは立ち上がって、ジルを突き飛ばした。

 彼は驚いた顔をして、尻餅をつく。

 心のざらついた部分が歓声をあげたのがわかった。

 オズからの手紙を破いたからだ。

 ざまあみろ!


 口の中にある砂を噛み潰して走った。

 行き先は一つ。

 オズに会いたかった。



「オズ!」


 荒屋のような部屋に戻り名前を大きな声で呼ぶとびっくりしたようにオズが顔を出した。

 櫛の通らないうねった黒髪の間から覗く真っ赤な瞳は驚きで見開かれている。


「オズ! オズだ、本当に、オズだ!」


 顔を掬い上げて覗き込む。

 オズだ。オズが生きている。胸に耳をあてると心臓の音がした。

 ドクンドクンって、優しい鼓動が聞こえて来る。


「な、なに、何なんだよ……」


「生きてる。生きてくれてる……」


「殺すなよ、勝手に。……どうしたんだ、背中に傷が出来てる。誰にやられた?」


「いいんだよ。オズが生きてくれてたら、それで」


「良くないだろ!」


 ドロシーの体を離しながら、オズは背中に出来た擦過傷に目を向けた。

 記憶が正しければ、この後熱を持ち、膿んで夜中痛みが襲う。


 ……夢を見ていた? それとも、時間が戻ったの?

 どちらでもいい。今ここにオズがいてくれるなら!


「いいよ、それだけで、いいよ」


「誰かに俺が死んだってホラを吹かれたのか? ……手当てしなきゃ、膿むだろ。ほら、水で冷やさなきゃ」


「オズ」


 名前を呼ぶと、心配そうに真っ赤な瞳がドロシーを見下ろしてきた。

 オズの何でもないこの仕草にも、ドロシーは喜びを感じた。

 だって、オズが生きているから!


「大好きだよ、オズ」


 鼻の奥がツンとする。オズは口の端を下げて、横向きながらふうんと頷いた。


「オズ……」


 伝えたいことがいっぱいあった。

 けれど、言葉にならなかった。

 どうやって言葉にすればいいのかも、分からなくなった。

 喉に声が張り付いている。ドロシーは涙が溢れ落ちてきた。ぐちゃぐちゃになりながらオズの胸に抱きついて、泣いた。ずっと、ずっと。

 オズは、困りながらもごわごわのドロシーの髪を何度も何度も撫でてくれた。




「それで? 俺が死んだって」


「そう」


「異端審問官に殺されて?」


「うん」


 荒唐無稽なことだ。それでもオズは笑わずに話をじっくり聞いてくれた。

 涙がやっと収まって、嗚咽がマシになった頃、オズはポツリポツリと話すドロシーのことをしっかりと聞いてくれていた。


「どうやって、殺されたの」


「い、言いたく、な」


「本当に異端審問官がやったのか分からないから教えて」


 目に膜が張る。ドロシーは泣きそうになるのを堪えながら、オズの身に起こった惨劇を語って聞かせた。しゃっくりをあげながら、言い終わると、やっとオズは眉を顰めてドロシーを見遣った。


「異端審問官の殺し方だね」


「オズは、魔法使いじゃない!」


 力の限り叫ぶ。体はぶるぶると震え、強く握りすぎた手のひらに爪が刺さっていたかった。

 異端審問官は魔法使いや魔女を殺す。嬲り殺しにして晒す。

 けれど、オズは魔法使いではない。頭がよくて、ぶっきらぼうなだけの人だ。


「オズは魔法使いじゃない。いつかこの町で一番有名で、一番誇り高い錬金術師になる。誰も無視できなくて、挨拶するんだよ。こんにちは、オズさん。いいお天気ですねって。今日はどんな研究をするんですか? お手伝いしましょうか」


 ドロシーは町の人達から挨拶されるオズの姿をありありと思い浮かべることが出来る。

 偉大な錬金術師になったオズは孤児だからと嫌がらせや差別を受けることがないのだ。


 自分こそ母親だという人達で溢れ返り、養子に引き取りたいと言い出す大人達が列を成す。

 本当にオズを捨てた母親が来るかもしれない。父親が泣いて謝って来るかもしれない。



「オズの銅像や記念碑が作られるかもしれない。皆がオズって聞いたらああ、あの偉大な人かと言うかも。……それなのに」


 目頭が熱くて、重い。もうずっと泣いていたのに、どこから涙が出るんだろう。


「落ち着けって、ドロシー。俺は魔法なんか使えない。その通りだ。でも、異端審問官が俺を殺したことは状況を聞く限り明らかだ」


「う、うん」


「つまり、異端審問官が俺を魔法使いとして殺さざるを得なかったってことだろ? 俺が優秀すぎたせいかな」


 軽口のように、あっけらかんとオズは言った。



「オズは、私のいうことを信じてくれるの?」


「ドロシーはこんなどうしようもない嘘つかないだろ。それに、……ま、信じられなくても、信じたいと思うよ。ドロシーの言っていることだから」


 オズは真摯的で、ドロシーは息をつめた。

 ドロシーは嘘をつかない。

 そう信じてくれるオズがいる。


「夢だって言ってくれたら胸を撫で下ろせるけどな。でも、疑ったりしない」


「……ありがとう、オズ」


「いいよ。……ってかさ」


 拗ねるように顔を覗き込まれる。


「もう、いい? 早く、治療しないと! 俺がいくら急かしても話がしたいって言ってさせてくれなかっただろ。……とりあえず膿んだところを冷やさないと」


「別に痛くないよ」


「痛くないわけないだろ! ほら、薬塗るぞ。ドロシーを鞭打ちした貴族野郎、いつか俺が懲らしめてやる」


 ぎゅっと掴まれた腕から、オズの指の熱が伝わる。

 ぽろぽろ涙がこぼれた。それをみて、オズがおろおろとしたあと、指の腹で涙を拭ってくれた。

 優しくて、嬉しかった。暖かくて、抱きしめたくてたまらなかった。

 大好きだ。

 オズのことが、大好きだ。

 熱を孕んだ背中が痛い。じんと、痺れるように傷口がざわつく。

 オズは生きている。

 でも、異端審問官がまたオズを殺しにくるかもしれない。


 ドロシーが守るんだ。

 オズを。



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