一回目 (死因:撲殺)
ばらばらになった手紙をドロシーはなんとか繋ぎ合わせようとした。けれど、どうやっても手紙は元には戻らなかった。
泥の中に生まれた子と、パン屋の面接に行った時、言われたことを思い出す。
客が寄って来なくなる。孤児は泥棒で、嫌な奴で変な臭いがする。雇いたくないと女将さんに怒鳴られた。どうせ最後には人を裏切っていくんだ。
親の愛を受けれなかった可哀想な子なんだからね。
酷いと思った。悲しいと思った。
好きで捨てられたわけじゃない。両親がいないわけじゃない。
でも、彼らは言うのだ。
孤児だから。親なし子だから。
だから、踏みつけてもいい。どれだけ酷いことを言っても困ることはない。だって何にもない孤児だから。
「わ、私……」
ジルのことが怖い。何を考えているかさっぱり分からない。
ドロシーは聖女じゃない。仕事を探すただの娘だ。
手紙だってろくにくっつけることが出来ない。
オズから貰った大切なものなのに!
――宝物、壊しちゃった。
「死にたい」
幸せだった。生きてきて一番。
けれど、今は死にたくてたまらない。オズが必死に考えて書いてくれた言葉がどこにもない。さっきまで確かにドロシーの手の中にあったのに。
びりびりに破れてどこにもなくなっちゃった。
硬い寝台の上で、ドロシーは泣いた。
悲しくて、悔しくてまらなかった。
夜中泣き暮れて、起きた時には朝になっていた。
朝日を浴びて、嫌々ながら目を開ける。朝食の手伝いをして、子供達の朝ごはんを作らなくちゃいけない。
だるい体に鞭を打って起き上がると、涙がポロポロとこぼれた。
ーー落ち込んでちゃ駄目だ!
いくら悲しくて泣き喚いても、ドロシーが孤児なのは変わらない。
誰もドロシーを助けてくれることはない。泣いたって、無駄!
大丈夫、こんなの慣れっこだ。ドロシーにとってはいつものこと。
誰かに唾を吐きかけられたり、罵られたりするのはいつものことだ。
大切なものをバラバラにされるのも。
だから、今日を始めないと。
頬を両手で叩く。
オズには正直に話そう。どんな反応をするか怖いけれど、悪いのはドロシーだ。誰であろうと宝物を盗られちゃいけなかったのだ。
オズが幻滅したらと思うと胸がしくしく痛んだが、それでもさっきよりはずっと胸が軽くなった。
もし許してくれたら、オズの買ったものと同じものを買おう。
そうして、同じ言葉を書いてもらうのだ。
「『雨の匂いが一番強い夜にこれを書いている。僕の好きな匂いだから』……大丈夫。覚えてる」
料理場に行くといつもの通り力仕事ばかりさせられた。
くたくたになりながら鍋を運んで、洗った。こびりついた汚れが取れなくて下手くそと言って殴られた。頬が腫れたけれど、料理長は満足そうに笑って朝食のあまりを食べ始めた。
ドロシーは野菜の切れ端をかき集めて持っていく。残り物を食べると卑しいと言われて殴られるから、野菜の切れ端ばかりを集めてスープにするのだ。
砂の入った水の中にスープを入れてかき混ぜる。そのうち、子供達がみんな起きてきてご飯を食べる。ドロシーは仕事を探すために、食事を食べてすぐに外に出た。
こうなったら片っ端から家をまわってみるしかない。
どんな仕事でも受けよう。どんな汚いことでもしよう。
ドロシーは大きな声ですれ違う人に挨拶しながら、家を回った。
何度も断られ、くたくたになりながらも小銭を集めていたときだった。
あるものを見つけた。
「え?」
町の広間の真ん中には、噴水があった。最初は街の市長の銅像を作る予定だったけれど、みんなが反対して噴水になったのだ。その噴水の前に何かある。……何だろう。
逆さになった十字架。下には薪があった。まるで、暖炉みたいだ。
……誰かが磔にされている。
ドロシーはやっとそれが、異端審問官が魔女や魔法使いに行う罰だと思い浮かんだ。
伝聞でしか聞いたことがないけれど、魔女や魔法使い達は逆さになった十字架に磔にされて死ぬのだ。
晒し者にされている。
ドロシーは震え上がった。この町に、魔女や魔法使いがいたんだ。異端審問官がいたんだ。
――あれ?
目を逸らして通り過ぎようとしたとき、なんだかよく分からない胸騒ぎがした。
目線を上げて、それを真正面から見てしまう。
煤だらけの頬。腹に突き刺さった十字架の剣。手は荊のような鎖で木に磔られている。
「――――」
靴を履いていなかった。質素なズボンとシャツだけの姿をしていた。
ドロシーはうめくように声を上げる。
「どうして……?」
だって、夜に見た姿だった。
馬車が見えなくなるまで見送った、オズの服装だ。
「お、オズ?」
近付いて、顔を持ち上げる。
眼窩は空洞だった。目を落としてしまったように中には何も入っていない。
「オズ、起きて」
体をゆすっても反応がない。うんともすんとも言ってくれない。痛いとも、辛いとも怖いとも言ってくれない。
ドロシーはこれは夢なんじゃないかと思った。頬を叩いて首を振る。
けれど目の前の悪夢は覚めない。
自分の手についた血の臭いが気持ち悪くてたまらなくなった。
「オズ、酷いよ。からかっているの。試験がーー」
あるんだって。
そう言っていたじゃないか。
王都に受けに行くんだって。
ドロシーに待っていて欲しいと彼は言っていた。手紙をくれた。ドロシーにパンをつくるところをくれるんだって。立派な錬金術師になって、帰ってくる。
ドロシーは旅路の無事を祈った。
神様だって、その願いを叶えてくれる。
だって、そうじゃなきゃ、やってられない。
殴られて、蹴られて。
両親には捨てられて、孤児として育って。仕事をすぐに辞めさせられて。まるでごみのような扱いを受けてきた。
それでも、はじめて自分を好きになれたんだ。
ドロシーのこと、好きだってオズが言ってくれたから。
心を幸せでいっぱいにしてくれたから。
じゃあ、どうしてオズはこんなところにいるの。
ここにいて、ぐったりとまるで死んだみたいに黙っているの。
――違う。
死んでなんか、いない。
オズは天才だ。
死ぬはずなんかない。
でも。じゃあ、これは何?
体を触る。オズだなと思う。これはオズだ。見間違えるはずなんかない。
物心つく頃からずっと一緒にいたんだから。
「あ、あああぁああッ、あぁ……」
――違う!
否定しても、もう認めてしまった。
どこからどう見ても、オズだ。彼がこの世で最も残酷な方法で晒されている。
魔女、魔法使い。魔王に組みするものだと、断罪を受けた。
そんなはずないのに。ドロシーに希望をくれた人が、悪だと裁かれるはずなんかないのに。
「ちが、ちがう」
オズじゃ、ない。
違う。違う。違う。
夢中でオズの手に絡まる荊を剥ごうとする。
ちくりと棘が刺さって、血が噴き出す。
こんなに痛い目にあっているのに、オズは起きない。痛くてたまらないだろうに、叫び声すらあげない。
「何やってる! 穢らわしい魔法使いに触っちゃ祟られるぞ」
ドロシーを後ろから掴んだのは野太い声の男だった。パン屋の旦那さんだ。彼はじろじろとドロシーを見遣って小山型な眉を上げる。
「なんだ、お前。孤児の娘じゃないか。なんだって、魔法使いに慈悲を与えようとしてる。トチ狂ったのか」
「ご、誤解なんです。オズは、オズは錬金術師で魔法使いじゃない」
「何言ってやがる。異端審問官が魔法使いだってのでこうやって処刑したんだ」
「そんなはずない!」
金切り声を上げると、パン屋の旦那さんは気分を害したように眦を吊り上げる。
「この街の自慢になるはずの人なの。天才で、……王都に試験を受けに行くって」
「孤児が試験を受けるだって? 馬鹿らしい。文字一つも読めないだろうに。頭の緩いガキしかいないだろ」
「オズは違います! 本を沢山読んでた。それに、街の錬金術師の先生だって! そうだ先生が、オリバー様が一緒について行ってくれたんです。深夜に馬車が迎えに来たの」
「魔法使いに惑わされたんだろ」
どんなに言っても旦那さんは認めてくれない。
そればかりか、ドロシーを頭のおかしい奴扱いする。
構っていられない。荊を引きちぎる。手にべったり棘が突き刺さったけれど痛くなかった。
「オズ、痛いよね。すぐ解いてあげるからね」
「おい! 魔法使いを助ける奴は異端審問にかけられるぞ」
異端審問なんて怖くない。オズを間違えて殺した奴なんか、ドロシーが殺してやる。
そうだ、ドロシーが、やってやるんだ。オズは魔法使いなんかじゃない。
こんなことをした奴を、殺してやる。
ドロシーは今まで散々罵倒されてきた。いつか犯罪を犯すと笑われてきた。
なら、本当にそうなってやる。
望み通り、恐ろしいやつになってやる。
オズはドロシーの希望だった。幸せだった。夢だった。
愛だった。
……きっと、初恋だった。
突然、ガツンと後頭部に衝撃が走った。
タタラを踏んで、オズの体に倒れ込んだ。
首の付け根がじくじくと痛む。何をされたのか、全く分からなかった。
「お、おい!」
「コイツ、魔女だ。仲間を助けようとしたんだ」
振り返ると、肉屋の亭主が木の棒を持って何度もドロシーに振り下ろした。
口からカエルみたいな声が漏れた。
首を何度も折るように振り下ろされた木の棒は、最後にはドロシーの喉を貫通した。頸椎が砕けて、声も出せない。
口封じのためだとドロシーは思った。
喋っているのを見て、不倫を告げ口されると思ったから殺そうとしているんだ。
なんだか笑いたくなった。ぜいぜいと口の奥から音がする。
どいつもこいつも、汚い奴らばかり。
どいつもこいつも、見下してばかり。
ドロシーは、もううんざりだ!
汚い手でオズの服を掴む。
オズと名前を呼びたかった。
呼べなかった。
好きだよときちんと言葉を返したかった。
息が出来ずに目の前が真っ白になる。
ドロシーはそうして一回目の死を迎えた。