神の審判はくだらない
「肖像画に出てくる人間がいきなり金の髪になったら、未来の人間は革命が起こったと思うんじゃないかな」
画家が美しい男を描いている。
まるで黄金を溶かしたような金の髪に、金髪の瞳。
凛々しく、若々しい彼はやがて剣聖の名をほしいままにする。
リチャード。それが彼の名前だった。
「前の肖像画は捨てられるのでしょう。俺はそうききましたが」
「勿体無い。父上なんてぶくぶく太ったあの顔を美男子に描いて貰っていたのに」
はあと、ジルは答えた。十歳の頃だ。
年と血が近いからと呼ばれた王宮で、ジルはこの王子の相手をさせられていた。
第六王子。王家にたった一人産まれた金髪の男の子だった。
「髪を金に染めて、王族の色にするなんて馬鹿げたこと、誰が言い出したのだろうね。金粉を髪中にふりたくるなんて、正気の沙汰とは思えない」
魔王が出現し、民は疲弊の一歩を辿っていた。だが、王都は違った。
飲めや歌えやの狂瀾が毎夜終わらず、貴族や王族は、庶民との違いを見せつけようとするように分かりやすい絢爛さを求めていた。身を着飾り、使えもしない煌びやかな宝石の嵌め込まれた剣をさした。
金の髪はその象徴とも言えた。
だが、そもそも金髪は王族には産まれぬ。
茶髪や黒髪が多い。肖像画に描かれているのもその色だ。
だが、王族は画家に金髪に描き直させるという。
馬鹿馬鹿しい事態だった。
そもそも、金というのは不吉な一族の証である。
グレイス家。
才能と野蛮が手に手を取り合っていきているような、物騒な高位の貴族。
彼らが持つ禍々しい色だった。
ジルも、リチャードもそうだった。彼らは輝かしいまでの金髪だった。
「母上がグレイス家に戻った途端にこれだ。呆れるよねえ。全く」
彼の母親は王国の宝石と呼ばれるほどの美貌を持った女性だった。
嫌々、国王に嫁いだが、結婚生活が苦痛になり家臣を十五人毒殺した。
顔を伏せた死体が十五並ぶ食卓に座り、王妃はけろりとした顔をしていた。麗しい笑顔を浮かべて、邪悪に言い放つ。
「妾に従わぬということは、国に仇ということ」
王家の人間は、王妃となった彼女の残虐さを疎んだ。
牢に閉じ込め、一人で脱獄してくるのを捕らえ、離宮に押し込め、信者を集めてパーティをする姿に歯噛みした。
悪の華である。
邪悪であればあるほど、王妃は血で彩られ綺麗になった。
それが羨望を煽る。
金の髪。陶器のような白い肌。すらりとした鹿のような脚。真っ赤なドレスを着て、宝石を纏う姿はどんな淑女より美しい。
人間には習性がある。模倣だ。
王妃の美貌に魅入られた彼らは金髪になればかの美貌に近付けると思った。
だから、髪に金粉をのせた。
滑稽だと笑われなかったのは彼らが王族だったからだ。
ジル自身も、金髪を持つ。グレイス家の遠縁だ。
だがリチャードは本家の人間。
行動も言動もグレイス家そのものだった。
グレイス家の人間は天才である。
これは月と太陽がのぼるように決まりきったことだった。
「王都は退屈だ。兄上達は僕が毒を飲ませたらのたうち回って命乞いしてきたし、姉上達は三人ぐらい心が壊れてしまった。母上、僕もグレイスに連れて帰ってくれれば良かったのに」
リチャードにとって、家族は家族ではなかった。
グレイス家の人間はいつもそうだった。彼らは王国全土を見ても類を見ないほどの極悪人どもだ。驕り高ぶり、自分の上の人間など一人もいないと思っていた。
頭のなかの王様。
古く強大な魔法使いがそうであるように、現実世界を簡単に捻じ曲げることができるのだ。
力を持ち、知恵を持ち、悪辣で良心の呵責がない。
怪物。倫理観のない獣。蔑称も笑い飛ばす。
人を人として見ていないから、笑って傷付けられる。
ジルにとっては信じられない化物だった。同じ血が通っているとは思えぬ。
モナーク神の慈愛でも救えない。
「母上がグレイスに帰っても、父上は離婚できないから僕は王子のままだし。王子って大変なんだよ、ジル。信じられる? メイドや使用人を十何人実験に使ってやっただけで、鞭打ちの折檻だ」
「……よくそれだけですみましたね」
「何を言うんだ。過剰でしょ? 僕は別に好きでメイド達の頭を繋げて怪物にしたり、足をくっつけて歩けなくしたわけじゃないんだよ。悪意がないことなのに」
グレイス家は魔王に近付けさせてはならない。
なぜならば、彼らこそもっとも魔王に近いからだ。
ジルを導いた宣教師はよくそう言っていた。
そんな彼が魔王を倒した六英雄の一人になったのは魔獣の実験をいくらでもしていいと許可が出たからだった。
様々な交流、諍い、殺し合いを経て、リチャードは「ドロシー。君にはリチャードと呼ぶことを許すよ。恩にきてね」と気を許すようなことを言っていた。
グレイス家の人間が名前を呼び捨てにしていいといったのはあとにも先にもこの一回しかきいたことがなかった。
「そうだ、ジル。君に教えておいてあげるよ。グレイス家の見分け方」
「はあ」
「簡単なんだ。ああ、斬り伏せるなんて野蛮な方法じゃないよ? 僕だって、流石にところ構わず人を殺していくわけじゃない」
この手の冗句を、リチャードはよく口にした。
「髭を見ればいいんだよ。頭は金に染められても、口元はすぐに色がとれる」
男限定の見極め方ではないかと正直に伝えると、リチャードはまたケラケラ笑った。
「ご婦人は服を脱がせないと確認できないもの」
この男がドロシーを裏切り、彼女を処刑台にあげた。
ジルはこの天才を斬り伏せた。
リチャードは最期まで裏切った理由を話さなかった。高笑いとともに消えていった。
手を汚し、聖職者にも、貴族にも手をかけた。
マントを血で汚し、剣で斬り伏せてきた。
けれど、ドロシーは蘇らなかった。
■■■
ジルが、ドロシーを見下ろしていた。
恐怖に息が詰まる。彼は、ドロシーを探るように見つめて、ふいっと顔を背けた。
ロズウェルの背中が見える。
背中の痛みがじくじくと疼く。ロズウェルに鞭を打たれたあと、というわけか。
立ち上がる。
……やるしかないんだ。
薬師の家に向かった。シャイロックに会うために。
「え?」
確かに、ドロシーは薬師の家に向かった。順路だってドロシーの体感では一日も経っていないことだ。間違いなど、ないはずだ。
どこにも、家がない。
家があったはずの場所は更地になっている。
ここに、確かに家があったはずなのに。
辺りを走り回る。どこかに移動した?
でも、どこに。
通行人を呼び止めて、薬師はどこかと尋ねる。紳士はぼろきれのようなドロシーを嫌悪感に満ちた顔で見やったが答えてくれた。
「薬師は錬金術師の先生が煎じてくれているだろう。金がないと売ってはくれないぞ」
呆然とするドロシーをしり目に紳士は去っていく。
――先生? でも、薬師は?
私も孤児だったと、打ち明けてくれた彼はどこにいったのだ。
ドロシーは立ち止まりそうになった足に鞭をうつ。
薬師の先生がいなくてもシャイロックの足取りならわかっている。
馬車乗り場に向かった。
「黄金の鞄を持った薬師先生?」
「そうです。乗せませんでしたか」
「ううん。覚えがねえな」
モンターと呼ばれていた御者は何度も首を振った。
「そんな奴いたら誰にだって自慢してらァ。でも、本当に記憶はねえな」
「ほかの御者の方が乗せたということは聞きませんでしたか」
「さてね。おれは聞いたことねェなあ」
「そんな」
薬師の家がなくなった、だけだと思っていた。
だが、もしかしてシャイロックはこの街自体にいないのだろうか。
西の街を出て追いかけても、いるのだろうか。
「あの、モルテナントに連れて行ってもらうにはいくらかかりますか」
「モルテナント? なんだってあんなところに。そもそも、一週間は無理だよ。街道に魔獣が出たって話でな。あっちに向かう道は封鎖されてんのさァ」
「魔獣……」
なんで。さっきの世界では封鎖はされなかったはずだ。
……ああ。そうか。また、変わったのか。
ドロシーを残して、世界ががらりと変わる。まるで誰かの意思が介在しているように、ドロシーにとって悪い方、悪い方に動いていく。
だらりと脱力したドロシーを見て、モンターは慌てた。
「封鎖がとかれたら、おれが乗せていってやらァ」
「いえ」
それじゃあ、間に合わない。オズは……。とぼとぼと馬車乗り場をあとにする。
だめだ。諦めるな。シャイロックはまだこの街にいるかもしれない。
探し回れば、見つかるかも。
かすかな希望を握りしめて、街中を走り回る。シャイロックを見つければすべて解決する。
だから、捨てるわけにはいかなかった。
「どこにいるの」
夜が深まっていく。星屑の煌めきが憎らしい。
一日中探し回っても、シャイロックは見つからない。
酒場や宿屋を手当たり次第に聞いて回ったが、黄金の鞄を持った男を誰も知らなかった。
あんなに目立つ鞄を持っているのに誰も見た人間がいない。
シャイロックは西の街にいないのかもしれない。
そもそも、この街に立ち寄ってすらいないのかも。
だが、ドロシーには今行き来を封鎖されているモルテナントにシャイロックが行くということしか分からない。
オズが死ぬまで、日がない。オズは王都への道が封鎖されているから、今年の受験をあきらめるはず。ならば、西の街を出て殺されることはないはず。
落ち着け。シャイロックはいなくても、オズが死なないように立ち回ればいいのだ。
シャイロックを探していたのは、オズを助けるためだ。
――でも、オズは。
黙れ。お願いだから、黙って。
こんなことに意味があるのかと冷徹に指摘する自分自身を消したい。
必要なのは、ドロシーの気持ちじゃない。オズの命だ。
孤児院に急ぐ。途中で、孤児院の厨房に寄った。
もう、誰もいなかった。仕込みも終わって、明かりもついていない。
大丈夫。大丈夫だ。ドロシーならば、やり遂げられる。
真っ暗闇のなかでそれを握りしめる。
石で、ロズウェルを殴り倒したことを思い出す。孤児は何をするか、わからない。
そういわれて生きてきた。親がいないから、躾がなっていない。
でも、王女の名前を与えられた女だって、人を殺す。
誰だって人殺しになり得る。無慈悲になる。
愛されたことがないから、何だというのか。人が持っているのは、慈愛じゃない。攻撃性や嗜虐心といわれるものだろう。
慈愛と審判の神であるモナークがドロシーを裁けるなら、正しく、正当に裁いてみればいい。
ドロシーは走り出した。
神の審判は降らなかった。
「こんばんは、ジュダ様」
見回りに出ようとしていたジュダに声をかける。彼は外套を羽織り、深くフードをかぶっていた。
「……このような夜に出歩くなど淑女のすることではない」
「それをおっしゃるならば、ジュダ様こそ、紳士が夜遊びですか」
「愚弄するつもりか」
「いいえ。……見回りをされるのですよね。魔女や魔法使いがいないか探るために」
やっと、ジュダがドロシーをしっかりと見た。
「ドロシー。孤児の一人か」
「お名前を憶えていただいて嬉しいです」
「どうしてそのことを知っている」
「どうして? 大切なのは、私が見回りの意味を知っていることではないですか」
きちんとジュダと話したのは初めてだった。シャイロックが殺したときは、受け答えはシャイロックがしていた。
美しい神父が持つ威圧感に舌が縺れる。
臆病を感じさせないように強がるだけで精一杯だった。
「ジュダ様、見回りをおやめになったらいかがですか。どれだけ魔女や魔法使いを見つけたところで、ジュダ様は、異端審問官ではないはずですよね」
「異端審問官ではなくとも、異端を炙り出すのは神父の役目だ」
「聖具には欠陥があります。貴方だって分かっていらっしゃるのではないですか。あれは、魔力に反応するだけ。実際に魔法使いや魔女を指し示すわけじゃない」
だからこそ、ジュダは間違ってお針子達を殺したはずだ。
ジュダに魔法使いや魔女を見定める力はない。
……あれ。
「その欠陥をなぜ孤児であるお前が知っている」
「え? ……あ。それは」
前にもこの違和感を抱いた。
ジュダは、最初にオズを殺した異端審問官もどきだったはずだ。お針子達も殺して、オズやドロシー、子供達を切り伏せてを焼き殺した。
西の街を出るドロシー達を殺したのは聖騎士だったはず。
ならば、西の街で起こる殺人はジュダが犯人のはずだ。
だが、それならばなぜ最初のオズは殺された?
「だって、お針子達を間違って殺したのは、ジュダ様で」
だが、最初のオズは錬金術師の試験を受けるために馬車に乗り込んだはずだ。ジュダがどうやってオズを魔法使いだと誤認できる?
そもそも、馬車の中に魔法使いがいると分かったとして、殺せるか?
「シャイロック様といるとき、ジュダ様が乗り込んできた……」
荒屋に聖具が設置されていたから、オズを殺したのか。
だが、シャイロックと一緒にいるとき、ジュダは荒屋に乗り込んできたじゃないか。
ジュダには子供達の誰が魔力を持っているか、判断できなかった。
だから、焼き殺そうとされたはずだ。
ぶるぶると体が震える。ジュダが死ねば、すべて解決するのではないのか。
「シャイロック? 誰のことだ。私の知らぬ男を出して、私の罪を糾弾するのか。その指摘にどんな証拠があるという?」
「あ……」
最初のオズの殺害は、ジュダには不可能なのではないか。
ジュダに殺せるのは、シャイロックに会ったあとの殺人だ。最初のオズの殺人をする動機がない。彼は異端審問官の代わりをしているだけだ。魔力を持たない人間を襲う殺人鬼じゃない。
「ジュダ様じゃない……? でも、貴方が異端審問官のかわりをしたいと知っている人だ」
「こちらの質問に答えろ。なぜ、知っている。誰に教えられた」
「貴方に罪を被せようとした人がいる」
「何?」
持っていた包丁を取り落とす。ころんと転がった凶器を見て、ジュダは目を見開いた。
「私を殺そうとしたのか」
「ジュダ様を殺しても解決しないの……? じゃあ、どうしたら」
持ってきた刃物を拾おうとしゃがむが力が入らない。
ジュダを殺せば解決すると思ったから、殺す覚悟で刃物を持ってきたのだ。
ドロシーは石で殴り殺そうとしたことがある。考えたことがあるのならば、殺すこともできるはずだと思った。
これでオズが助かるなら、いいと思った。
人を殺したって構わないと。
「……少し落ち着きなさい。きちんと話をしよう。お前の話を聞かせてくれ」
「私の、はなし」
「そうだ。腰を据えて。ここでは、話もしにくいだろう。礼拝堂へ行こう」




