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焼死自殺

 

「まずいな」


 呆然としていたドロシーに、シャイロックが声をかけた。


「火の手が上がっている」


「――え?」


「この神父殿、最初から俺に敵うまいと思っていたのか? この家が燃えている。俺の魔法が強すぎたせいか。気付くのに時間がかかった」


 燃えている?

 でも、臭いもしないのに。


「ドロシー、逃げるぞ」


「子供達も、連れて行かないと!」


「面倒だ。……自分で歩かせる」


 指を鳴らすと、並んでいた子供達が勢いよく走り始めた。

 シャイロックに促され、子供達のあとを追う。

 ジュダにはもう視線を向けることさえできなかった。彼の体はありえない方向に曲がっていたし、欠損していた。

 モナークを讃えていた声も、やがて殺してくれの絶叫に変わった。

 それでも、シャイロックは許さず、彼は生きたまま皮を剥がされそうになっていた。


 生きているから連れて行こうとは言えなかった。望む通り、殺してあげたほうがいい。ドロシーでは助けられない。


 外に出ると、孤児院ごと大火事になっていた。轟々と燃える真っ赤な炎に呆気に取られる。

 前の世界の時、この家は燃えていた。だが、孤児院自体が燃えていたのだろうか。


 子供達はやっと解放されたからか泣きじゃくっていた。ドロシーが近付くとびくりと体を跳ねさせ、丸くなる。

 拒絶された。目を伏せて、子供達の側から離れた。

 結局、みんなを助けなかった。ジュダのことも、助けなかった。

拒否するのも当然のことだろう。


 心が痛い。ドロシーは子供達に依存していたのだ。

 両親のかわりに愛情を与えて欲しくて尽くしていた。

 自分の身を削れば、報いてくれると、信じていた。

 そんなこと、決してなかったのに。


 シャイロックは火の手をじっくりと鑑賞していた。

 頬に血がついていた。指の腹で拭うと、視線がドロシーに向けられる。


「案外、怖がってはいないな」


「怖がらせるために、目の前でジュダ様を嬲ったのですか」


「お前の心は善良すぎる。あの神父は大量殺人鬼だ。モナークとて慈悲をくれてはやらないだろう」


「ジュダ様は、シャイロック様の魔力を感知して、お針子の皆を殺したのですか」


 ふむと、相槌を打ち、シャイロックは頷いた。


「だが、あの男自体に何か能力があるわけじゃなかった。あれはただの人間だ。何の力も持たない。精々、面が良く、金を集めやすいぐらいだろう」


「魔力を感知する……聖具のようなものを使ったということですね」


 これは前の世界で、シャイロックが教えてくれたことだ。

 教えてもらったことを、自分が発見したように話すのはむず痒かったが、我慢しながら続ける。


「どうして、私達の住処を襲ったのでしょうか」


「ここにも聖具を飾っていたからだろう。孤児は信用ならんと思ったのかもしれない」


「シャイロック様の魔力を感知して、ジュダ様がやってきたということですか」


「おそらくな」


 違和感を覚えながら何度も頷いた。

 ジュダはおそらく、広間の騒ぎを聞きつけ、自分が殺した女性達が何の罪もない一般人であることを知ったはずだ。

 では、彼女達がどうして魔力を放っていた?

 はめられたのか。彼女達が? ……それとも自分が?

 悩み、再び街をくまなく探したのだろう。天秤は傾いていないか、民家を回り、魔法使いの痕跡を探した。


「最初からこの家にジュダ様を招き寄せるつもりだったのですか」


「お前が犯人を知りたいのだと俺にせがんできたのではなかったか」


「子供達を巻き込んだのはどうしてですか」


 視線を子供達に向ける。彼らは子犬のように集まって小さく丸まっていた。

 一つの生き物のようにも見える。


「お前を孤立させるため」


 なんでもないことのようにシャイロックは言い切る。


「俺の助手になれ、ドロシー」


「……シャイロック様」


「俺はお前が必要だ」


 ――これで終わりなのか。

 異端審問官を模していたジュダ様は死んだ。

 オズは殺されないはずだ。

 ならば、ドロシーは前の世界で思ったように、シャイロックの助手になってもいいのではないか。


 ……でも。

 この人のことが、怖い。

 シャイロックは本当に魔法使いなのだろう。人の心がなく、残忍で慈悲がない。

 ドロシーの大切なものにも興味がない。

 そんなものは無価値だと踏みつけてバラバラにする。

 大切なものはシャイロックの思考だけで、そこにドロシーを尊重しようという考えはないのだ。


 根こそぎ、全てを奪う人なのだ。シャイロックという人は。


「お前にも、俺が必要だろう?」


 胸に手を当てて、シャイロックの碧い瞳がドロシーを見下ろした。

 真っ赤に染まる雲と、青々と光る星。

 黄色い月。ちりちりと肌を焼く熱。

 煙の臭いが鼻を犯しているのに、シャイロックはどうでもよさそうだった。

 頭がクラクラする。現実のことだと思えない。


「シャイロック様は、どうして私が必要なんですか」


「俺には世話をする人間が必要でな」


「そんなの、私じゃなくてもできます」


「ではなぜ俺の世話をやいた」


「シャイロック様が促したんじゃないですか」


「だが、やったのはお前だろう。ドロシー、認めろ。お前は俺を世話するために生まれてきた」


 んと、頬を差し出される。さっき拭ったはずの血が、まだ残っていた。

 指の腹で咄嗟に拭う。はっとしたときには、目の前の男は笑っていた。

 雲が月を隠す。だというのに、シャイロックの怜悧な瞳が光っている。


「ドロシー!」


 鋭い声に振り替える。オズが錬金術師の服のまま走り寄ってくる。


「オズ!」


 心配して駆け寄ってくれたのだと思い、近づくと、肩をつかまれた。


「私は無事だよ。子供達も」


「僕の聖書は?」


「聖書?」


 いつものオズならば、ドロシーや子供達の安否に安堵していただろうに、オズは険しい顔のまま荒屋を睨みつけた。

 聖書。いつもオズが読んでいた古びた聖書のことだろうか。礼拝堂にあった聖書。

 それを戻しにいったことが今はひどく懐かしい。

 けれど、どうして今そんなことを聞くのだろう。


「僕が書いた手紙は?」


「ど、どうしたの、オズ」


「僕の手紙は!?」


 ぐっと力をこめられ、痛みに眉を顰める。


「燃えているのか!? 今、どうしても必要なのに」


 オズが書いた手紙? ドロシーにくれたもののことだろうか。

 そういえば、あの聖書のなかに、栞のように挟んでいたのだったか。


「もう燃えてしまったと思う……。でも、大丈夫だよ」


「なにが、大丈夫だっていうんだよ!」


「私、オズの書いたこと、知っているから。……大丈夫だよ」


 こんなこと、オズにいうのは恥ずかしい。オズの気持ちを知っているといっているようなものだ。

 気恥ずかしさから視線を外すと、肩をつかんできた指が離れた。


「ドロシーが知ってても意味ないだろ」


「……え?」


 ――オズは、何を、言って。

 見捨てるように、オズは体を翻し、燃え盛る炎のなかに飛び込んでいく。


「――お、オズ!」


「やめろ。お前まで燃えるぞ」


 オズにつかまれていた肩をもっと強い力でシャイロックが掴んだ。


「でも、オズが!」


「あの男は自殺した。お前まで死ぬつもりか?」


 シャイロックを振り払い、オズを追いかけようとしたとき、脆い柱が落ち、完全に入り口が塞がった。ガラガラと崩れていく家の前で、ドロシーはぼんやりと煙を見上げることしかできなかった。

 



 ――三日三晩、教会は燃え続けた。

 幸運なことに、教会では誰も死ななかった。火傷を負ったものはいたが、死んだものはいなかったのだ。

 けれど、荒屋は違った。


 燃え尽きた家だったもののなかから人骨が二つ見つかった。喉仏があったことから、どちらも男だろうとされた。

 行方不明になっている神父、ジュダがそのうちのひとつだろうと推測され、彼の遺骨として二つの骨が同じ棺桶に入れられて、土に埋められた。

 オズのことは誰も口にしなかった。ジュダではなかったほうとしか、大人達は呼ばなかった。

 ジュダは燃え盛る荒屋に残る孤児達を助け出すために、炎をものともせず救出に向かった慈悲深い聖職者だと讃えられた。


 誰も彼が火を放ったのだと思いもしないのだろう。


 子供達は誰もが他の街の孤児院に移され、成人を迎えているドロシーだけほっぽり出された。


 ドロシーは、孤児院から追い出される際、ジュダの墓を掘り起こし、でたらめに詰められた棺桶の中から、喉仏を二つ盗み出した。

 どちらかがオズのもので、どちらかがジュダのものだ。

 ぐっと握りつぶして、そのまま口に放り込んだ。舌にまとわりつくざらざらとした感触を飲み下し、土の詰まった爪を舐める。


 オズが、死んだ。

 自殺した。

 手紙をとりに行くためだけに死んだ。今までのように襲われたわけじゃないのに、死んだ。

殺されたわけじゃないのに、ここにいない。ドロシーを置いて死んだ。


 ――犯人は死んだのに、オズは死んだ!


 



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