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【年増】のエルフ

【年増】の女エルフ。



 ――馬鹿げた慣習だよ。【年増】のエルフが考えた恐ろしく的を外れた儀式だ。ドロシーがいないから、ドロシーの代わりを見繕おうなんて。


 ジルがそう言っていた。つまり、彼らの指す【年増】のエルフは、王都にいるという英雄の一人である弓兵のエルフのことなのか。


 シャイロックは否定していたがやはり彼は竜なのだろうか。聖女に改心させられた竜。英雄の一人。


「王都はあの【年増】が自分の孫達、ひ孫達を使って監視しているからな。王族が聖騎士と懇ろになることさえ、許すことはないだろう」


「ね、懇ろ……」


「違うのか? お前はてっきりそう言いたいのだと思ったが。王女と聖騎士が恋人関係であるというような」


「そ、そうは思っていませんでした」


 ドロシーはただ、聖騎士とは高貴な人を守る人間だと思っていただけだ。それが聖女と呼ばれる王女ならば、申し分ないと。


「……二人は王都から、そのエルフの監視を掻い潜るため、逃げるように西の街に来たんじゃ……」


 いうならば駆け落ちだ。シャイロックはうむと顎に手をあてた。


「人を殺してか?」


「……何かトラブルがあったとか?」


「侍女も連れず」


「……シャイロック様」


 ドロシーはおずおずと、恥ずかしくなりながら尋ねた。


「その、高貴な方が侍女や護衛を連れずにいると駄目なのですか?」


「男ならばまだしも、女だろう。貞操を疑われる」


「え!?」


「聖騎士と二人だけならばなおのことだ。もし【年増】が許したとしても王が許さないだろう。いずれ、国と国を繋げる道具だ」


「道具」


「政略結婚というのは貴族ではよくある話だからな。慈愛の神モナークといえども、高貴なる者どもの利益という天秤を傾けることは出来ない」


「す、すごい世界なのですね……」


 ドロシーには想像できない世界だ。ごみ扱いはよくされるが、国同士を結びつける道具になる……。人の身で……。


「領主様は本当に王女様を尋問するおつもりだと思いますか?」


「しなければボリビアとて危うい。王女が逃亡したとでもしたいところだろうが、逃げた王女の代わりに自分が磔にされるかもしれん状況だ。我が身が可愛いのならば、王女を軟禁し、詰問し、状況を確認したあと、なんとか民の怒りがおさまるのを待つだろうな」


 だが、とシャイロックは声を落とす。


「もし本当に聖騎士と王女が恋人ならば、王女の危機と知りボリビアの城に聖騎士が乗り込んでくるかもしれんな」


「魔獣を倒して、駆けつけるのですね」


 まるで本当に聖女と旅をした聖騎士のようにと続けようとしたときだった。

 ドロシーはシャイロックから注がれる狂気的な視線に気がついた。


「聖騎士に憧れが?」


「え!? せ、聖騎士というか、救国の英雄には誰しも憧れがあるのではないでしょうか」


 六英雄のような価値のあるものに憧れた。だってきっと聖女様は親に捨てられたりしない。ステンドグラスを見て、何度夢想したことだろう。

 愛されるに値する、優しい何かになりたかった。役に立つ、素晴らしいものに。


「六色貴族というものを聞いた時、夢物語が現実になったと思ったんです。私にはパン屋の方が身近だけれど、聖女様は聖騎士様が身近な方もいるのだなって」


「そういいものでもない。……ドロシー、お前は聖騎士の最期を知っているか?」


「い、いえ」


 最期。幸せに誰もに看取られて死んだのではないのか。


「王族、聖職者、友人も仲間も、民達さえも斬り殺した」


「ど、どうして?」


「さてな。俺には分からん。ただひとつ、確かなことがある。聖騎士は王都を血の海にした。だが、その血族は英雄だと讃えられて、今もなお魔獣を討伐までしている。殺戮者こそが、英雄ということなのかもしれんな」


 目を丸くする。シャイロックの言っていることが分かるようで、分からない。

 魔王を倒した。その功績が、偉業が讃えられて英雄と呼ばれているのではないか。


 というか、どこかで聞いたような話だ。


「――あ、シャイロック様が恐れる聖職者って、その聖騎士様のことなんですか?」


 自害をした狂った聖職者とは、聖騎士のことか。

 シャイロックは嫌そうにこくりと頷いた。


「とはいえ、今代の聖騎士に王女を救う器量があるかは不明だがな」


「あの、シャイロック様」


 西の領主が街の皆を扇動して、一人一人、磔にされているお針子達をおろしていく。

 お母さんと抱きついた子供は、大粒の涙をこぼした。


「お針子達は誰が殺したのでしょうか」


「知りたいのか?」


「はい」


 前の世界で、シャイロックはドロシーが知りたいと言えば夜に迎えを寄越すと言っていた。捕物になるから、食べて、仮眠をしろと。

 食べたあと眠りについたら、ハルが殺されていた。孤児のみんなも。きっと、ドロシーも死んでいたはずだった。


「――ならば」


「領主様。いかがなされた。……何事か、これは」


 先生の声がする。真っ白な外套が目を惹く。ドロシーの視線が移ったのを見て、シャイロックは口を閉じる。


「おお、オリバーよく来てくれた」


 領主は先生を迎え入れるとぼそぼそと声を落として話した。事情を聞く彼の瞳がゆらゆらと動き、シャイロックで止まる。


「どうしたものかと悩んでいたのだ。どうか、その知恵を貸してほしい」


「かしこまりました、領主様。しかし、今は犠牲者を弔うことが先決かと。民達に寄り添うことこそ、慈愛でございます」


「あぁ、そうだな。オリバー、そうだとも。彼女達を優しく弔ってやらねば……」


 領主はぶつぶつと呟きながら街の人々の方へと歩いていく。先生はその姿を見送ったあと、ゆっくりとした速度でドロシー達の前に歩いてきた。

 オズは、少し離れたところで動向を観察するように、視線を投げている。


「はじめまして。ボリビア様からお話を伺いました。デコスタ製薬の方だと」


「いかにも。――何用だ」


「いえ、お話をお伺いしたい。王女が殺人を行ったとどうして分かったのでしょうか」


「まさか! 分かるわけもない。そのような恐ろしいことをしでかしていたとは思わなかった。ただ、動揺しているようだったのでな。怪しんだだけだ。そもそも俺は王女サマの顔すら拝見したことがなかったのでな。偽物の可能性があるとすら思っていた」


「……偽物とは」


「付き人もおらず、自らを聖女と名乗る不審な女だぞ。疑うなという方が無理があるのでは。……ああいや、ボリビア卿の慌てようからもう王女であることに疑問はないが」


「左様でございますか」


 ドロシーはオズと視線を合わせた。片眉をあげて、オズが首を傾げる。

 心配してくれているらしい。隣に見知らぬ人間がいるからだろう。


「……デコスタのお方、お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか」


「シャイロック」


「シャイロック様でございますね。私は、オリバーと呼ばれております」


「そうか。それで、他にも何か?」


「シャイロック様は何故、西の街に?」


「何故? ただ、見聞して回っているに過ぎん」


「……その鞄は」


 先生は黄金の鞄へと視線を落とした。焦がれるような熱を含んだ視線に、ドロシーはどきりとした。


「黄金鞄。――魔王、オズマの所有物だったはずです」



 魔王、オズマ。ドロシーはぐらりと目眩がした。

 先生は声を潜めてぼそぼそと雨音のように喋る。


「鞄を手に持ち、見聞を? 本当は魔王を蘇らせるおつもりではないのですか」


「魔王を蘇らせる? 面白い冗談だ」


「冗談で済めば良いですが。……その鞄の中身を見せていただきたい。竜たるシャイロック様。貴方様が魔王側に回れば、誰であろうと勝てぬ。この世の終わりだ」


「鞄を隅から隅まで探し出して俺を貶める証拠を得たいと?」


「ま、待って下さい」


 ドロシーが割って入ると、先生は初めてドロシーを認識したと言わんばかりに驚いた。


「魔王の鞄をシャイロック様は持っているんですか? そ、そもそも、魔王オズマとは?」


 オズマ、その名前には聞き覚えがあった。シャイロックが言っていたのだ。

 オズに。


 ――オズマではなく? と。


「黄金の魔王、オズマ。この国の人間の半分を殺し、聖女によって倒された、魔なるもの達の王。魔法使い達を扇動し、セフィロトの千年樹を枯らした、悪きもの」


「どうして、シャイロック様は魔王の鞄を持っているんですか?」


 黄金に輝く鞄は、確かに黄金の魔王と呼ばれているオズマには似合いだろう。


「これは元々、俺の鞄だ」


「……黄金の鞄をシャイロック様が選んで……」


 趣味が悪い……という言葉が言外で伝わったのか、シャイロックは眉間に皺を寄せた。


「……オズマが装飾したのは認めるがな。あの男、最期の方は力が制御出来ず手に触れるもの全て黄金に変えていた」


「しゃ、シャイロック様」


 思わず名前を呼ぶ。上擦った声に、シャイロックはん? と小さく首を傾げた。


「シャイロック様は魔王に会ったことがあるのですか」


「――そうだ」


「魔王が倒されたのは数百年も前の話ですよね?」


「気が遠くなるほど昔でもない。五百年ほどだろう」


「シャイロック様は五百年前に、最期に近い魔王に会って殺されずにいたのですよね?」


 シャイロックはこれまでずっと誤魔化してきていた。薬師だ、植物の医者だと、煙にまいてきた。


「竜たる、と呼ばれていらっしゃった。シャイロック様は六英雄のお一人なのですか」


 けれど今はその煙のような膜がない。きちんと尋ねたら答えてくれそうな気がした。


「――そうだ」


「竜たるお方が、どうして薬師だと名乗られたのですか」


「どうしても何も俺は薬師だ。製薬会社の名誉顧問であり、植物学者であり、そして世界を救ったことがある英雄の一人。あらゆる肩書きが俺を構成する一つの要素に過ぎん」


「過ぎないって……」


 とんでもない話だ。シャイロックは本当に英雄の一人なのか。この国の人間ならば誰もがしも知っている偉人の一人。


 シャイロックの確固たる揺るがない自信はここから来るのか。誰も敵わない。ひれ伏す必要がないのは、彼の輝かしい偉業ゆえか……。


「俺が魔王を蘇らせてなんとする? そもそも、オズマを殺したのは俺達だ。――ケンタウロスもどき。これ以上、お前の馬鹿らしい推測に反論が必要か?」


「……ですが、ならばその鞄の中身は」


「なぜ、そうも鞄の中身が気になる? ……あぁ、お前達に向けて、何か残しているものがあったとでも思っているのか。残念だが、何一つとしてない」


「――う、うそ、だ」


「嘘なものか。もういいか? 俺はドロシーと戯れることが無数にある。お前の感傷につきあっておれん」


 先生は明らかに動揺していた。シャイロックの鞄の中に何があると思ったのだろう?


 シャイロックがドロシーの手をひいた。広間から連れ出される。

 オズに声をかけられた。けれど、シャイロックが止まることはなかった。




「ど、どういうことなんですか!? シャイロック様は先生とお知り合いなんですか?」


「お前こそケンタウロスもどきと知り合いか」


 ケンタウロスもどき。前もそう言っていた。先生は確かにケンタウロスと人間の混血児だと聞いている。だが、侮蔑を含んだ眼差しに、唇が動かなくなる。


「し、知り合いというか。オズの先生なんです」


「お前の思い人か。声をかけてきた錬金術師の男」


「わ、分かったんですか?」


 オズを紹介したことはなかった。けれど、シャイロックはオズのことが分かったのか。好きな人であることさえも……?


「目で追っていた」


「……え? わ、私がですか」


「他に誰がいる」


 カーッと耳まで熱くなる。オズのことをずっと目で追ってしまっていたのか。

 でもだって、先生の隣にいなかったから。離れた場所にいたものだから、視線がオズに向いてしまったのだ。


「――お、オズは、孤児院の仲間なんです。幼馴染で、優秀な錬金術師見習いで」


「お前の片思いなのか」


 視線を彷徨わせる。この世界ではオズに告白されたわけじゃない。でも、オズの気持ちは変わっていないはずだ。

 けれど、シャイロックにそう打ち明けるのは恐ろしかった。前の世界でシャイロックはオズに嫉妬しているように見えた。


 オズにどんな不幸が降り注ぐか分からない。

 この人は六英雄の一人。竜たる強者なのだから。


「は、い」


「そうか。だが、あのケンタウロスもどきを師にしている時点で、錬金術師にはなれまい。――医師になれと、そう勧誘を受けているのでは?」


「医師、ですか?」


 シャイロックがオズが錬金術師になれないと言っているのは孤児だからなのだろう。魔に堕ちないように、血筋を明らかにしている錬金術師に孤児はなれないから。

 だが、医師に? そう勧誘していたのはシャイロックの方だったはずだ。


「ああ。オズマも医者だった」


「魔王が、医者を?」


 人を殺し回ったのではないのか。だからこそ、魔王なのでは。


「魔王と呼ぶが元々は魔法使いーーいや、錬金術師だ。物を黄金に変える力を持ち、懸命に学ぶ者だったときく。純然たる人だ。人々を生かし、医神とまで讃えられた」


「ま、待って下さい。魔王が、医神? 全く逆では。国の半分を滅ぼしたのでは」


「そうだ。救いもしたが、滅ぼそうともした。神たるものらしい振る舞いだ。――元々、業病というものが世界にはあった。モナークは業と慈愛を司る王神だったが、業病は治された。故に、屈辱にも、業を剥ぎ取られ、審判とされた。格が落ちたのだ。神たる偉業を汚され、今では冠すら金メッキ」


「な、何を言ってらっしゃるのか」


 本当に何を言っているのか分からない。モナークとはモナーク神のこと? 業病とは何だ。格が落ちた? 何の、格が。


「――シャイロック様は、オズが、オズマに、魔王に似ていると言っているんですか」


「そうだ」


「顔が似ている?」


「そうだな」


「そ、それだけでは似ているだけなのでは? まさか、オズこそ、魔王が蘇った姿だと?」


「――そうではないが」


 違うのか。良かった。いや、良かったのか?

 シャイロックはまるで先生がオズを魔王のように医者にさせたいのだと言わんばかりだ。……だが、魔王ではなく、医者だ。ならば良いことなのでは。


「オズが魔王になる可能性はありますか?」


「ない」


 即答に安堵する。シャイロックがないと言うのならば、ないのだろう。

 ――また、だ。どうしてこうも、シャイロックの言葉ならばと受け止めてしまうのか。


 伶俐な鐘のように、シャイロックの声は耳にするりと入る。綺麗な声だ。こもったりせず、はっきりとしていて聞いていて落ち着く。


「……あの、先生はシャイロック様の鞄に何があると思っていたのでしょうか」


「あの様子ならば。治療薬か何かだろう。ケンタウロスもどきと言ったが、普通ならば、ケンタウロスにもどきは産まれん。ケンタウロスは世界樹からのみ産まれる。もどきは、森の賢者たるケンタウロスは性欲に負け、人を凌辱した証だ」


 ひえと言葉が漏れた。強烈な言い方だったからだ。


「セフィロトは価値と生命の神。そのセフィロトの樹たる世界樹から産まれ落ちるものは、セフィロトの眷属だ。生命を司る神が苦痛を上げる女の願いを聞き入れるのはおかしなことではあるまい。半分人間の血が混じっているものは等しく呪われる。異類婚姻譚など、幸せには終わらんものだ。あのもどきも呪われたはず」


「……どういうことでしょうか」


「生まれながらにして病を得たはずだ。身が腐ったか、骨が溶けたか、あるいは加速的に老いていったか。それをオズマが治したのだろう。故に、セフィロトの千年樹が枯れた。生命、その神秘を解かれ、力を失ったのだろう」


「……? 申し訳ありません。意味が、よく」


「あのまがいもの、オズマに救われた患者の一人だろう」


「先生が!?」


 驚天動地なことになってきた。オズマに治された患者?

 ならば、先生はオズマの崇拝者なのか?


「ええっと、先生は昔病を得て、それをオズマが治したということですよね?」


「先天性の病だ。業病と、広義では言われていたものだな」


「治ったのに、治療薬を欲しているんですか?」


「……老いて再発でもしたのでは。仔細は分からんが、あいつが手紙か何かを探しているようには見えなかった。俺の鞄をひっくり返してあらためそうな顔だっただろう」


 先生が、魔王と知り合いだったと言われて、困惑する気持ちはある。だが、魔王はすでに死んでいる。

 オズは魔王にはならないとシャイロックは断言したし、何が問題なのかよく分からなくなってきた。


 先生がオズを殺した犯人だというのならば別だが、犯人は神父なのだろうし、先生ではない。


 昔、魔王に助けられた存在……。

 けれど、そもそもドロシーの隣にはシャイロックがいる。

 彼はずっと悪いと教えられて来た魔法使いで、救国の英雄である竜だ。


 悪や善というものがこの頃、ドロシーにはよく分からなくなっていた。

 オズを殺す人間は悪で、その他は取るに足らないものなのでは。そうとすら思ってしまう。

 シャイロックのせいだ。シャイロックがドロシーの現実をくるりとひっくり返した。


 魔法使いと錬金術師は変わらないと言ったのだってそうだし、彼自身が魔法使いなのに、英雄でもあるせいだ。

 悪に形はなく、善に定義はなく。

 魔法使いだから悪い。神父だから正しい、というのも腑に落ちなくなってしまった。


「シャイロック様の鞄の中には本当に何も?」


「そもそも俺の鞄だからな。魔王のーーオズマのものなど一つもない。覗いてみるか?」


「い、いえ」


 気になるが、見たらどこにも戻れなくなる気がする。

 危うい魔力があるのだ。この鞄。


「そうか。お前にならば、いつでも見せてやるが」


「あ、あはは。では、いつか」


「ああ、興味が出たら言え。俺が教えてやる」


 何を? とはきけなかった。何だか、怖くて。




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