魔法使い
「よし」
シャイロックに連れられて、薬屋へと移動したドロシーは身体中を隅々まで検診された。
昨日の鞭刑の傷はすっかり治っているようだった。触られても痛まず、膿むような熱もない。そればかりか、少しだけ凹凸があるだけで、すっかり傷口が塞がっている。
ドロシーは、すっかりシャイロックの凄さに感服していた。これまで二回、打たれたが傷がこんなに早く治ったのは初めてだった。
体のだるさすらない。
「あの男につけられた傷はないな」
「あ、ありがとう、ございます」
いそいそと服を着ながら、頭を下げるとシャイロックはフンと鼻を鳴らした。
「――あの男はお前の雇い主だったのか?」
「はい。雇い主の一人でした。……あの、おじさんはどうなるんでしょうか?」
腕を切り落とされるのだろうか。罪人は、罪をおこなった部位を失うのだ。
「腕を、切り落とされる?」
「それは身分のあるものだけだ。極刑に処される。投石刑。石打ちだ」
「で、ですが、普通は罪をおこなった部分だけ、喪うと」
「腕を切り落とされた男が死なずに生きれると思うか」
シャイロックの問いかけに、ドロシーは唇を噛んだ。
鞭を打たれただけで寝込んだドロシーには無理だ。
「結局のところ、皆、罪人に死を望んでいる。西の街は特に自治権が強い。死ぬのならば、殺した方が慈悲があるとも思っているのだろう。道徳的だとな。だが、女を寝取られた程度で間男を殺す分別のない男の末路に相応しい」
「……犯罪者の妻は、どうなるのですか?」
「モナークは罪人の妻をどう扱えと経典に記している?」
モナーク神をモナークと呼び捨てにしている人間をドロシーは初めて見た。
モナーク神は絶対にして唯一の神だ。皆がモナークを敬い、崇める。
シャイロックは神を恐れていないのだろうか?
モナーク神は罪を裁定する厳格な神でもある。かの方は天秤を通じ、人々の罪をはかる。
「……愛するもの達を引き裂いてはならないと」
「夫が石打ちにあうのならば、妻も石打ちにあう。あとは聖職者どもが刑の執行前に離婚を認めるか否かだ」
つまり、離婚が成立しなければおばさんもおじさんと一緒に死ぬということだ。現実感のない話に、ドロシーは慄いた。
「とはいえ、モナークが夫婦に愛があると認めなければ離婚が成立するからな。だいたいの夫婦は離婚になる」
「……? で、でも、モナーク神は愛を認めて夫婦とお認めになるのでは?」
「そんなの聖職者どもの指先次第だ。ほとんどの秤は細工がしてあり、認める方に傾くようになっている」
秤というのは、モナーク神が意志を示すとされる聖職者が持つ聖具だ。結婚するときや罪が裁かれるときに使われる。
全てのことを、モナーク神は審議される。神は間違えず、正しき神託で我々を導く。
下々のものまで、あまねく平等に見守って下さるのだ。
「離婚も同じだ。秤は常に離婚に傾くように作られている。秤の片方には信仰心が、もう片方には賄賂が乗せられ、いつも天秤は賄賂の方に傾くように出来ているからな」
「え……、ええっと……」
だから結婚する時、お金がたくさん必要なのか……。
ドロシーはそうぼんやりと思った。何もかも、金なのかもしれない。
信仰や愛さえも。
ドロシーだって金は大切だ。
「お前はあの女に死んで欲しくないのか? 好きなようには見えなかったが」
「おばさんは、私に服をくれましたから」
「服をくれたからなんだと? ボロボロのお古を貰ったぐらいでお前は靡くのか」
「誰も、孤児には服をくれません。くれたとしても、こう言われるんです。あの子が勝手に私の服を盗んだ! って」
だからと続きを話そうとした瞬間、目の前に衣装棚が現れた。シャイロックが指を鳴らすと、ひとりでに動き、扉が開く。
「え!? え!?」
こんなの街で一番のお金持ちの家にだってないはずだ。
ひとりでに動く衣装棚なんて!
「お前に新品の服をくれてやるものがいないのならば、俺がくれてやる」
「は、はい?!」
「俺こそ、お前に全てを与えてやろう。ちょうど、俺の身の回りの世話をする小間使いが欲しかったところだ」
「これって」
ずらりと並んだ服を取り出し、シャイロックはああでもない、こうでもないと思案している。その横顔はとても楽しそうだった。
魔法なのではないか。言いかけた言葉を飲み込む。
「貴婦人のように飾り立てるよりもこちらの方がいいか」
そう言ってシャイロックが押しつけてきたのは丈の長いスリットの入った服だ。東の街の伝統的な衣装で長衫というらしい。
太ももが見えてしまうと思ってシャイロックを見つめていると、彼はいそいそとシャツを脱ぎ始めた。
「な、シャイロック様!?」
「ああ、着替えさせろ」
「い、いえ、そうではなく!?」
「怪我の手当をしてやったのは誰だと?」
そう言われると、弱い。
ドロシーは目を伏せて彼の肌を見ないようにしながら、長衫を着るのを手伝った。首元まで襟は詰められていて、袖はゆったりとしている。
亜麻色の髪は軽く結んだまま垂らした。それだけで絵になるほど美しい。
彼は最後にチェーン付きの眼鏡をつけると満足そうに頷いた。
珍しい色彩の瞳で射抜くようにドロシーを見つめる。
「お前も着替えてこい」
「な、なぜ?」
「働いて返すと言ったのはお前だろう。俺は今日から東の街から来た薬師という設定に決めた。お前はその小間使いだ」
「決めたって……。シャイロック様は植物のお医者様だったのでは……」
「そんなもの、俺にとっては一つの肩書きに過ぎない。事実、俺はこの国の名のある製薬会社の名誉顧問だ。それにお前にも理解できただろう」
衣装棚から、イヤリングが飛び出してくる。見たこともない文字で何か書かれた長い布がついている。
シャイロックはそれを片耳だけはめながら、なんて事ないように、続けた。
「俺は魔法使いだ」




