piece 2
「ありがとうございました」
午後六時三十五分。いかにもマニュアルっぽい言葉を背中に受けながら、俺は階段を下りた。たまには駅周辺の店をブラブラと歩き回るのも悪くないと思って、少し早めにカラオケ店を出ることにしたのだ。
どこから行こうかと考えていると、突然、声をかけられた。
「あの、305の人、ですよね」
戸惑いながらも落ち着いている声に引き留められ、振り返ると、そこには見覚えのある姿があった。
「あ、ポテト持ってきてくれた子」
俺がそういうと、彼女は控えめに頷いた。
「もし、時間があったら、ちょっと話聞いてもらえませんか」
初めは騙されているのかと思った。もしかして、俺が着いてきたところで無理やり引っ張られただとか、体を触られただとか、そういうことでお金を獲ろうとしているのでは、と。けれど、彼女の顔があまりにも真剣だったから、その線は無いと思い、俺は二つ返事でそれを了承した。
「ここで話すのもあれだから、そこの喫茶店入ろうか」
「はい、ありがとうございます」
恥ずかしそうにうつむき気味ではあるが、少しだけ口角が上がっているのが見えた。
彼女と向かった喫茶店は俺の行きつけで、店内に入ると、店主は何かを察したようで、俺たちを周りの目につきにくい隅の方の席に案内してくれた。何か、勘違いをされているような気がしないでもない。
「それで、話って?」
「えっと、先にお名前を聞いてもいいですか」
おじさんと呼ぶのも気が引けるので、と彼女は苦笑いしながら言った。
「すまんな、俺は吉村直樹だ。好きなように呼んでくれ」
「では、吉村さんで。私は新井瀬奈(あらいせな)です」
「じゃあ新井ちゃんって呼ぶわ」
俺が微笑んでそういうと、緊張が緩んだのか、新井ちゃんはほころんだ笑顔を見せた。発言の後で、いきなりなれなれしかったかな、と心配になったが、いやそうな顔をされなくてほっとする。しかし、それもつかの間、新井ちゃんはまじめな面持ちに戻った。
「吉村さんは、『セカンドモード』って知ってますか」
VRアイドルゲーム『セカンドモード』。ゲーム世界のトップアイドルを目指す、という今注目のVRゲームだ。外見や衣装は自由に設定することができ、どういう仕組みになっているのか俺には全くわからないが、声や歌唱力は現実のまま反映されるらしい。現実世界のアイドルと同じように、ライブイベントやコンテストも数多く開催されている。また、ユーザーはアイドルの立場としてだけではなく、ファンの立場からのみでもゲームをプレイすることが可能であり、ユーザーはそれなりに多いという。
「詳しいんですね」
「まあ、ちょっと知り合いがはまっててな」
「じゃあ、吉村さんはやっていないんですか」
「ああ」
「それならよかった」
ほっとしたような口調で新井ちゃんはそう言った。いったい、何に対して安心したのだろうか。俺が不思議に思っていると、新井ちゃんは一度深呼吸をして、まっすぐに俺の目を見た。
「私と、ユニットを組んでくれませんか」
「……え?」
思わず気の抜けた声を出してしまった。だって、それはつまり、話の流れ的に――――
「俺がアイドルをやるってこと?」
「そうです」
真面目な顔で新井ちゃんがしっかり頷くから、とても申し訳ない気持ちになるが、断らないわけがない。
「いやいやいや、無理でしょうよ。ゲームをやること自体に抵抗はないけどさ。だって俺、もう36だよ? 新井ちゃん、自分の年わかってる?」
「17です」
「でしょ? ユニットってことは一緒に歌うんだろ? いくらなんでも年の差がありすぎるよ」
「アイドルに年齢は関係ありません」
「よく考えてみなよ。俺はすたれたサラリーマンだよ? ただのオジサンよ?」
「見た目が気になるんですか? どうにでもなりますよ」
「そうじゃなくて」
随分と強気な新井ちゃんに、俺は頭をガシガシとかいた。彼女を諦めさせるには手を焼きそうだ。悩んでいると、ふと俺の頭に疑問が浮かんだ。
「そもそも、なんで俺?」
「吉村さん、毎週のようにあそこのカラオケ来てますよね」
何故、知られている。驚いたままの俺を放置して、新井ちゃんは話を続ける。
「私、あそこでバイトしてて。たまたま近くの部屋に行った時、吉村さんの歌声が聞こえたんです。それで、一緒に歌えたらすごいだろうなって」
今日吉村さんのところに行けたのは幸運でした、と述べる彼女。どこか満足げで、ホクホクという擬態語が見えてきそうだ。
「だから、お願いします。私、吉村さんと歌いたいんです」
テーブルにぶつかりそうな勢いで、頭を下げられた。いくら人目につかないとはいえ、こうも必死にお願いされては断るのも気が引けて、俺はまた二つ返事でいいよと言ってしまった。
「ありがとうございます」
新井ちゃんは嬉しそうな顔になって、ゲームを始めるのにかかる費用なんかは負担しますから、と言った。本当に、どれだけ必死なのだろう。さすがに女子校生にお金をもらうわけにはいかないから、それは丁重に断らせてもらった。
「じゃあ、今からゲームセンターに行きましょう。そこで吉村さんの初期設定とユニットの設定と大会のエントリーと……」
「やること沢山だな」
「あっ、もし予定があったらそちらを優先してもらって全然かまわないので。私ばっかり勝手に舞い上がって、すみません」
はっとした後、申しわけなさそうに肩を少しシュンと下げた。最初は猫の様に無表情な女の子なのかと思っていたが、話してみると犬の様に感情が表に出てきて面白い子だ。
「いいよ、気にしないで。行こうか」
「はい!」
午後七時二十分。二人はドアのベルを軽快に鳴らし、喫茶店を後にした。
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