第4話
ザザーッと、波の音が心地いい。潮風はまだ冷たい。本当はすぐにでも飛び込んで泳ぎたいけど、うんと背伸びをして砂浜に座り、はあ、とため息をついた。
なんであんなことしちゃったんだろう。
初めてあの人を見て、声を聞いて、なんだか心がざわついた。放っておけない雰囲気で、すぐに駆け寄ったところと、放課後氷嚢を持っていったところまではよかったのに。
キス、なんて。初めてした。友達とハグしたり、手を繋いだり、そんなふれあいだってほとんど自分からはしたことがないのに。キス、なんて。びっくりしてた。嫌われたかな。それでもしょうがない。今日から新学期だったのに、初日からなんてことをしてしまったんだろう。穴があったら入りたい。
「悠木、小町先生……」
そういえば息子さんがいるって。でも旦那さんはいない。じゃあ、私にもチャンスはあるのかな。……ううん。何考えてるの。
こうやってモヤモヤする時は、いつもよりもっと、無性に、泳ぎたくなる。部活に行けば良かったのかもしれないけど、どうも今日はそういう気にもなれなかった。
少しでも海に触れたくて、ローファーと靴下を脱ぎ、穏やかな波に近づく。ひやりと足に伝わる冷たさ。私の心を落ち着かせてくれるようだった。視界いっぱいに広がる海を見れば、それまで思い悩んでいた事もちっぽけに思えてくる。
「はず、なんだけどな」
今日はここに来てもモヤモヤが無くならない。
明日会ったら、謝らなくちゃ。
「……戻ろう」
やっぱり泳がなくっちゃ、スッキリしない。
今日は奮発してお寿司でも食べに行こう。ちょうど今日は食べ放題の日じゃなかったかしら。ああ、じゃあ急いで行かなくちゃ。きっとあそこは行列だわ。こういう時は食べるのが一番だもの。何かしてないと、色々考えちゃう。どうせ寮に戻っても一人だし。誰か誘おうかしら。この時間で暇そうな……。
カバンからタオルを出し足を拭いて、靴を履き直す。
時間はまだ15時。中途半端な時間だけど、逆に少しは人が空いてていいんじゃないかしら。あと二時間くらいすればきっと家族連れで小さい子がたくさんになるわ。今から行って一時間だったらきっとそうなる前に店を出られるはずだから、今のうちね。
◇ ◇ ◇
「おーねーえーちゃーん!! しずくもいくーう!」
店の入り口付近で待っていると大きな声がして、反射的にそちらをみると、友人の後ろにぴょこぴょこ跳ねる三つ編みが見えた。
「って、わけで、ごめんね。雪華がこういう子苦手なのは分かってるんだけど行くって聞かなくて」
右手を引っ張られながら登場した笑里はまだ妹さんを振りほどこうとしていた。
「……妹いたのね。別に、お金を払うのは笑里だもの。わたしは構わないわ」
そういえば今年中等部に入学したんだっけ。そんなこと言っていた気がする。
「はぁ……私もお金持ちじゃあないんだけどねー」
「やだやだしずくもお寿司食べたあいい!!」
ここまで着いて来てる時点で追い払うことなんてできないと思うけど、笑里はここでようやく折れたらしい。
「あーはいはい今日だけだからね。あんたなんて特に、ママからのお小遣いでやりくりしなくちゃなんだから。これからは友達とお金があまりかからない遊びをするか、先輩におねだりでもして節約しなさいよ」
「はぁーい」
おねだりって、それはどうなのよ……。
「雫は可愛いんだからちょっと上目遣いしてお寿司食べたい♡って一言いえば誰でも聞いてくれるわ」
この子が言うなら確かに……でも、普段サバサバしてる笑里が言うとゾッとするわね。ていうか、シスコン……
「何教えてんのよ」
「せっかく持ってる武器を使わないなんてもったいないじゃない。早く入ろー。実はお昼食べ損ねてたからすっごいお腹空いてんだよね」
たしかにここで立ち話をするのは邪魔になるかもしれないし、お腹も空いた。早くお魚たくさん食べたいわ。
「そうね」
あっさりと恐ろしいこと言うわ。なんだか妹さんが心配になってくる。俳優を両親に持ってると、そういうものなのかしらね。