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痛いの痛いの飛んでいけ  作者: 川崎 春
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まさかの再会

 小さな町で、一つの家族が不幸に見舞われた。

 親子三人は、ごく普通に暮らしていた。娘は利発で明るくて、母も娘にピアノやバレエを習わせて、ママ友と仲良く過ごしていた。

 父親も温厚で、休日には三人で出かけて楽しい思い出を写真に残していた。

 しかし、不幸はある日突然に起こった。

 雨上がりだった。友達と遊んだ後、娘は、友達と歩いていた。

 そこに、傘を振り回す上級生が現れた。

 乱暴者で有名な少年には近づくなと、母に言われていた娘は、それを実行した。友達も同じだ。

 それが気に食わなかったのだろう。

 少年は、傘で二人を殴り始めたのだ。友達は上手く逃げたけれど、娘は逃げきれなかった。

 雨に濡れた金属の排水溝の蓋で滑ったのだ。

 周囲が止めに入るまで、娘は傘で暴力を振るわれ続けた。

 ただ娘は、顔と頭を丸めてうずくまるしかない。背中に、痣が残った。

 加害者がその後どうなったのか知らない。まだ三年生だった娘には、理解できない事だったから。

 ただ、自分達家族が、生まれ育った町を離れる事になったのは、不条理だと思った。

 周囲は、加害者が酷いのを当たり前に受け入れながらも、被害者に優しくも無かったのだと、後で気づいた。

 着替えがあるバレエはすぐに辞めた。傷跡を見られるのは良くないと母は娘に言い聞かせた。

 結果、母のママ友は居なくなった。同情している様子で話を根掘り葉掘り聞いておいて、悪意混じりに吹聴するので、母は、友達と切れたのだ。

 父も、イライラする様になった。

 会社の方で、意地の悪い上司に、娘は何も悪くないのに、まるで天罰を与えられた様に言われたのが、堪えたそうだ。

 居たたまれなくなって、転居しなくてはならなかったのは、被害者家族の方だったのだ。

 転居しても、娘は学校に通っていたから、着替えは付きまとっていた。同じ事がまた起こった。また家族の心に傷が残った。

 痣は薄くなっていたのに。

 もう、彼らは立ち直れなかった。

 娘は、自分の痛かった、怖かった体験よりも、両親が楽しい事を何もしなくなった事に傷ついた。

 ちょっとぼんやりした所のある娘は、少年に殴られた事故は、仕方ない。と思っていたのだ。

 乱暴者の少年を露骨に見て避けたけれど、普通に無視して通り過ぎるべきだったのだ。友達と話をしながら。

 娘自身、事件の後、同じ様に避けられ、それを理解したのだ。

 それよりも、自分達の娘のせいで、人生が狂ってしまったと言う憤りが透けて見える両親を見て暮らす方が嫌だった。

 普通じゃない人に厳しいのが、人生なのかも知れない。

 普通じゃなくなった途端、娘は両親に嫌われた。ほんわかと優しく育っていた人生が変わって、鈍い娘もそれを悟った。

 毎日一緒に居る。顔を会わす。それが家族だ。逃げ場所が何処にも無い。娘は両親にこれ以上不快な感情を与えない為に、普通に暮らさなくてはならないと、強く思った。

 事件に巻き込まれず、普通に、普通に……。

 でも、普通って何だろう?

 今も、その答えは出ていない。

 無事に就職した。本当にやりたかった仕事じゃなかったけれど、将来、ずっと仕事を続ける事を考えれば、薬剤師と言う資格は手堅い。

 そう思って仕事を続けて、早くも八年が過ぎた。

 マツノ薬局は調剤薬局で、他にも三か所、市内に調剤薬局を持っているので、法人化されている。私はマツノ薬局の正社員だ。

「加賀美さん」

 呼ばれて振り向いた私、加賀美茜、三十三歳。枯れた独身女として、今日も元気に仕事をしている。

 呼んだのは、同僚の薬剤師、林原唯。同じ年齢だが、彼女は結婚しており、もうすぐ産休に入る。

「私の後に来る薬剤師がまだ決まらなくて、とりあえず私の居ない状態で何とかしてくれって話になってるけど、大丈夫?」

「何とかしてもらえるように、頼んでる。心配しないで」

 まるで妊娠で働けない事が悪い事の様になってしまうので、とりあえず笑って誤魔化す。

 小さな町の調剤薬局で私は働いている。町医者は小児科と皮膚科がすぐ隣のビルに入っている。そこからの患者がやって来るのだが、結構忙しいのだ。

 心細い思いをしている赤ちゃんのお母さん達は勉強熱心で、薬の質問を素直にぶつけてくる。

 笑顔を絶やさず、それに応えながら薬を処方するのは、とても大変で、本当は林原が居ても手が足りていない。

 皮膚科の処方は塗布する薬を作る事が多く、時間がかかる。

 後四人の薬剤師がいるが、今日はシフトの関係で休んでいる。二人はパート社員で、子育て中だ。週に三日出て来ている。二人共、幼稚園に通っているお子さんが居て、水曜は半日で帰って来ているので、必ず休んでいる。

 保育園に入れるのも、幼稚園での延長保育の月極利用も、姑に反対されたそうだ。……子供が可哀そうだとか、ご主人と一緒になって反対して来るので、もっと働きたいのに働けないと言っていた。

 後二人の内、一人は来年の三月で早期退職して、再度採用される予定だ。再雇用されると言っても、勤務時間はかなり減る事が決まっている。奥さんとも話し合って決めた事だそうで、これからも、元気な間は働きたいと言っていた。

 もう一人も年上の男性で、四十代の人だ。プライベートの話を一切しない人で、結婚しているとは聞いているけれど、家族の話を聞いた事が無い。

 更に二人の調剤事務員が居るけれど、この人達は受付と雑務を一手に引き受けてくれている。二人共、四十代のベテランママで、子供達は既に中学や高校に行っている。受験で塾に行くので、お金がかかって大変だと言いながらも、元気に働いている。

 今日は用事があるからと事務さんは帰ってしまったので、受付も私と林原でやっている。

 色々な人が居るけれど、とにかく、結婚すらしていない私が、家族や子育てについて考えても分かる事は少ない。

 私は職場で自分の仕事をこなして積み上げて来た。その事実があれば十分だった。覚えてくれている患者さんも結構いるのだ。だから、毎日頑張っていける。

 今年も、インフルエンザの季節が来る。そうなる前に林原には産休に入ってもらいたい。人手は足りないけれど、万一の場合、取り返しのつかない状態になっては困る。

 はっきり言えば、産休明けに復帰したいと思ってくれているだけで、十分に嬉しいのだ。長い間、一緒に働いて来て、人柄も良く知っている。

 旦那とは、この仕事の事で良く喧嘩をするみたいだけれど、やりがいがあると真剣に取り組んでいるのは知っている。

 本当は、林原は、苗字が小川になっている。途中で変わると面倒だと言う事で、旧性のまま、林原さんと呼んでいる。

 一緒に食事もしたし、休みに遊びに行ったりもした。毎年、海水浴やプールを渋る事についても、三年目で白状させられて理由も知ってくれている。優しい友人だ。

 良く仲良くなると、下の名前を呼び合うと言う話があるが、案外途中で呼び方を変えるのは難しいものだ。それが職場絡みとなると、尚更だ。他人行儀に苗字のままだけれど、別に仲が悪い訳では無い。

 自分の職場で言い方は悪いけれど、ここは病気の巣窟ともいえる。マスクや手洗い、消毒でも限界はある。しかも立ち仕事だ。

 彼女には、子供の為にも無理をしないで欲しい。

 そんな時、電話が鳴った。隣のビルの小児科の受付さんからだった。

 インフルエンザの予防注射を、七時過ぎに受けに来て欲しいと言うものだった。毎年、インフルエンザの予防接種は、必ず受けている。会社の方針で、受けなくてはならないのだ。

 それで、隣のビルの小児科の先生が、毎年注射してくれているのだ。予防接種の代金は、会社持ちで、後で請求する事になっている。

 予防接種と言う名前だけれど、実際には感染した場合の重症化を防ぐ予防であると言う認識は少ない。

 お母さん達は子供の場合、注射が二回で、お金も手間もかさむ上に、注射に来て風邪がうつったとか、インフルエンザに結局かかったとか、愚痴りながら薬をもらう人も少なくない。気持ちは分かるが、苦笑して、お大事に。としか言えない。

 私は財布も別に痛まないし、副反応も注射の跡が少し腫れる程度で酷い事も無い。大学生の頃に、一人暮らしでインフルエンザにかかり、病院に行くのも大変だった経験があるので、注射に反対はしない。

 ちなみに、隣のビルのコアラ小児科クリニックの安藤先生は、小さな子供は体力が無いので、リスクを考えると注射を受けて欲しいと思っているそうだが勧めないと、以前言っていた。

 注射を受けた副反応で、腕が少し腫れた赤ちゃんを抱っこして、泣きながらお母さんが駆け込んできた騒ぎがある。……平熱だったし、赤ちゃんは平気そうだったが、こんな風になるなら注射をしなかったと、切々と訴えられたと言うのは、聞いている。

 受けた方がいいですか?と聞かれれば、それはそうだと言う。それを、勧められたと言われてしまえば困る。副反応で少し腫れますと言う話も、その少しがどの程度なのか、受け取り方はまちまちだ。先生もさぞや困った事だろう。

 だから、問い合わせの電話が無い限り、受け付けないし、張り紙も止めてしまったそうだ。

 安藤先生は、六十代後半の先生で、温厚なお爺ちゃん先生だ。お母さん達の中には、自分が子供の頃にもかかっていたと言うお母さんも居る。

 仕事の後、私は安藤先生の所に行った。林原は妊婦なので、産婦人科で検診の際に受ける。今回は一人だ。

「こんばんは。薬局の加賀美です」

 小児科には、もう子供達が居なくなっていて、拭き掃除をしていた受付の立花が笑顔で応じてくれた。

 立花は、受付をしているお姉さんだ。二十四歳で、三年前からここで受付をしている。可愛い女の子で、街コンに行くのが大好きなのだとか。

 そんな彼女だが、受付に向いているのか、お母さん達の評判もいい。子供に優しいからだろう。

 丁寧に椅子に塩素消毒をしている所を見ると、誰か吐いたのかも知れない。

「こんばんは。寒くなってきましたね」

「本当に。胃腸風邪の子が多いですね」

「流行りだしたみたいですね。気を付けましょうね」

「本当に」

「先生、奥ですよ」

 胃腸風邪の場合、徹底的に除菌では無く、殺菌するしかない。人に優しい洗剤は、それだけ菌やウィルスにも優しい。

 ゴム手袋でゴシゴシやっている立花の横を通り過ぎながら、ドアを開けて診察室に入る。

 安藤先生は、パソコンの画面を見ながら、何かを打ち込んでいた。

「こんばんは」

 声をかけると、先生は人の良さそうな笑顔でこちらを向いた。

「加賀美さん、こんばんは」

 のんびりと落ち着いた先生の声が、私は好きだ。

 聞いているだけで、大丈夫だと思える声と言うのが世の中にあるのだと、安藤先生の声を聞いて思った。

「林原さんは妊娠中なので、産婦人科で注射しますから、今日は私だけです。金曜日なら、受付の小川さん以外は揃っています」

 お医者さんと言うのは、患者の数が多い。忘れてしまう事も沢山あるから、ちゃんと言っておく。

「金曜日ね。分かった。小川さんには、好きな時に来てって言っておいて」

 安藤先生は、そう言って、すぐに予定をパソコンに打ち込んだ。

「林原さんは、産休に入るんだっけ?」

「来月からです」

「そう。薬局の人は足りているの?」

「ちょっと、焦っています。会社にはせっついていますが、なかなか人が居ないみたいで」

「そう」

 実は、先月まで新人で林原の後釜になる人が居たのだ。

 林原が復帰して、時短勤務になっても、安心だと思っていたのだ。……けれど、辞めてしまった。

 こちらの事情は知っていた筈だ。これからだと思っていた矢先の出来事だった。

 正社員は残業が多い。重たい物を持たせられない妊婦の林原を気遣って、色々運ぶのを頼んだ事も多かった。年下の男の子なのだから、その位はして欲しかった。

 そう言う事は自分の仕事では無いと思って不満を募らせていたと知ったのは、後になってからだった。

 神経質そうな男の子だった。小児科の側にある薬局ならではの、女性の多さも嫌だったらしい。周囲は、若くない女だらけだ。男性の同僚も年が離れている。辛かったのだろう。

 三か月前に辞めると言い出して、先月、本当に辞めてしまった。理由は、自分には合わないとしか言わなかった。会社としても困っていた。私達も困っていた。しかし、どうにもならなかった。

「はい、腕出して」

 先生の声で、我に返る。腕をまくり上げて、注射をしてもらう。

「忙しくなる所、悪いんだけど、僕もちょっと具合が悪くてね」

 先生がゆっくりと切り出した。

「来月から、新しい先生を頼む事にしたんだ」

「先生、何処が悪いんですか?」

「腰痛だよ。最近、痛くて足も痺れるから調べたら、ちょっと複雑な手術をしないとダメでねぇ。この際だから、引退して養生しようと思って」

 こんなに急に引き継いでしまうのだから、余程悪いのだろう。復帰も無いだなんて……。本当に腰痛だろうか?

「引退ですか?」

「うん。明日にはお知らせの張り紙を出して、来月から、新しい先生には午後に入ってもらう予定」

「新しい先生は、大月圭太先生。市立の総合病院に居た先生だから、良い先生だよ」

 嫌な予感がして、私は恐る恐る年齢を聞いた。

「お年は幾つですか?」

「三十五だったかなぁ。独身。僕の大学時代の友人から紹介してもらったんだけど、勉強熱心で温厚だそうだ。小児科に向いていると思う」

 それは絶対に無い。……もし、私の思い浮かべている人と同一人物であれば。

「興味ある?結婚する?しちゃう?」

 安藤先生独特の冗談も、今日は笑えなかった。

 私を傘で叩き、痣を残した、二歳年上の問題児が同姓同名だったからだ。


 会いたくないので、絶対に会いませんように。そう思いながら仕事をする内に、十二月になってしまった。

 林原の産休だけでも参っているのに、先生の交代、しかも因縁のある相手。もう最悪としか言いようが無い。

 林原の産休と入れ替わりに、派遣社員が二人来てくれる事になり安堵するも、やはり、新しくやって来た大月先生は、問題児と同一人物だった。

 顔なんて覚えていない。忘れてくれていて構わないと思っていた。本気で。それか、同姓同名の別人で。そう願いながら、私はパートの二人と派遣社員二人を連れて行く恰好で、挨拶に行く事になった。

 最年長で早期退職予定の橋本は、安藤先生と同年代と言う事で、顔合わせの飲み会に行った経緯があった。四十代の先輩である三村も、それに同行した。

 そんな飲み会には、死んでも参加したくなかったから、私は理由を付けて断ってしまった。

 そうなると、顔合わせをしていない正社員の私が、他のメンバーを連れて挨拶に行くのは当然の流れだった。

 大月は挨拶に行くと、名前に反応して、酷い顔色で私を見た。

「加賀美……茜さん?」

 苗字が悪い。この辺にはあまり居ない苗字なのだ。実家の周辺には居たのだが……。

 わざと遭遇しない様に、隣県に就職したのに、どうしてここに来るのか、訳が分からない。

 ここは他人で通すのが良いだろう。あちらも名前だけで、こちらの二十年以上前の顔など覚えてない筈だ。

「始めまして。マツノ薬局の加賀美と申します。よろしくお願いします」

 別の薬局の社員と入れ替われる時期では無いのだ。

 冬は病気や乾燥との戦いの時期だ。あえて、派遣を二人も送ってくれたのは、会社からの本気の激励だ。

 絶対に、健康を維持する事。何があっても、有給をこの時期に消化してはいけない。暗にそう言われているのだ。

 できるだけ出勤。そうなると、あの凶状持ちの医師の処方箋を扱わなくてはならない。

 しかも、処方に疑問があった場合、医師にお伺いを立てなくてはならない。薬剤師は薬を作る専門家ではあるが、処方は出来ない。

 小児科の受付である立花や南を仲介するだろうが、彼女達を仲介しても、大月と話をする事は変わらない。

 疑問点を解決せずに、マシーンになりきって処方をするのは……多分、無理だ。

 私だけが知っている、あの後の我が家の歴史を思い起こせば、怒りだって湧くと言うものだ。おかしな処方を無視するなんて事は感情的に無理だ。あいつのせいで、不幸になるのは、我が家だけで十分だ。

 安藤先生は何も悪くない。ただ紹介されただけなのだ。悪いのは、凶状持ちである事を隠して医師になった大月だ。

 『バーカ!この暴力医師!』と糾弾し、過去を暴いてここを去れば、大規模災害の様な状態になるだろう。

 幸せになる人が一人も見当たらない。辺り一面焼け野原だ。

 唯一残された可能性は、大月の羞恥心と罪悪感だ。もし、私に悪いと思っていれば、別の医師を手配してくれる筈だ。……あんな奴にそんな物を期待しなくてはならないなんて。

 私は寝不足気味で、出勤する日が続いていた。嫌だし疲れたし、馬鹿みたいだとも思う。

 直接に会う事は避けられていた。電話でのやり取りも、出来る限り、他の人に頼んだ。

 コアラ小児科クリニックの受付歴五年目の南が処方箋を届けに来た時に、

「加賀美さん、最近調子が悪いのかと思っていました」

 なんて言われたけれど、

「派遣さんにも慣れてもらおうと思って」

 なんて誤魔化した。

 それで納得してくれたみたいで、また飲みに行きましょうね、なんて言われた。

 南は二十七歳で、酒豪のせいで彼氏と喧嘩別れして以来、男性とは酒を飲まないと誓っているそうだ。……かれこれ二年になる。

 立花と街コンには行っているそうだが、下戸で通していると言う。……あれだけお酒が好きなのだから、折角の街コンもストレスになっている筈なのに。

 話題も豊富で楽しい人なのに、その事実を理解しない男が多いらしい。残念だ。

 ああ、そんな事はどうでもいい。処方の訂正。

 ふと見ると新しい処方箋に、封筒が添付されていた。

「これは?」

「大月先生から、加賀美さんに渡して欲しいって頼まれました」

 封筒は、コアラ小児科クリニックの名前と住所の印字された、薄い緑色の業務用封筒だった。

 けれど、『加賀美様へ』と真ん中に書かれていた。

「いらない」

 ぼそっと言うと、南に笑われた。

「お医者さんからの指示って薬剤師さんとしては嫌なんでしょうね。でも、大月先生も安藤先生みたいに優しいですよ?」

 うぁぁぁぁぁ!違うのぉぉぉ!そうじゃないの!

 心の中で、壁を叩いて頭を抱える。

 何?この辛い感じ。

 暴れだしかねない心理を抑え込み、顔に引きつった笑顔を張り付ける。

「そう……」

 私はそれ以上言えず、それを受け取って、白衣のポケットにしまった。

「確かに渡しましたからね」

 彼女は忙しいのか、そそくさと去って行った。


 私にとって、地獄だったのは、傘で叩かれた瞬間に受けた痛みや恐怖では無く、その後の生活だった。

 友達の居ない隣町に引っ越し、暗い表情の両親と共に暮らした日々が最悪だったのだ。

 プールに入れば、着替えの際に、ちらりと見える痣に気付く者も居る。

 親に虐待されていたかも知れないなんて推測もされてしまうのだ。

 しかも、それがまことしやかに流れる。そして事実になってしまうのだ。

 両親は、学校にかいつまんで事情を話していたけれど、周りには言えなかった。

 言わないと大月家と約束してしまったのだ。もの凄い大金と引き換えに。

 このお金で手を打ってください。表沙汰にしないで下さい。

 そう言う内容の事を言って、土下座した大月の親を、うちの両親は許してしまったのだ。

 九歳だった私も、痛かったのを謝ってくれたのだから、許してあげればいいって思ったのだ。お金なんていらない。お菓子で十分だとさえ思っていた。

 両親がどういう意図で許したのかは、知らない。でも許した。……親子揃って、馬鹿だったのだ。

 私の痣は薄くなっても、普通じゃない事くらいは判断できた。しかし、酷い痣が消えなくても、薄くなった事を喜んで満足していた。

 プールに入らない。と言う知恵は、遅れて付いた。実行するには遅すぎて、結局、別の町に転居した。

 卒業間際の季節外れの転校生で、学校にはなじめなかった。そのまま中学に上がっても、プールに入らない。と言う事もあって、結局上手く行かなかった。

 思春期の水泳は、人によっては拷問に近い。体毛が生える、体形が変わる。そんな時期なのに、隠したい場所が隠れないのが水泳だ。それを理由不明のまま逃れた私は、ずるい奴扱いだったのだ。

 家に帰っても辛かった。転居に次ぐ転居で、両親は疲れて病み始めていた。思春期の多感な時期に、両親は病んで私を無言のまま責めた。

 ……他に吐き出せる相手なんて居なかった。祖父母や親戚にも、私の事件の事で文句を言われたらしいから、味方なんて居なかったのだ。

 被害者なのに、どうして?一番辛いのは誰?

 最後まで金を突き返して、とっちめておけば良かったのかも知れない。あるいは、簡単に次に進もうとせずに、普通じゃない事件について良く考えれば良かったのかも知れない。

 自分達は悪くない。もう終わった事。終わってしまった事を直視するのが嫌で、そう思っていたのがいけなかったのだ。

 能天気な家族にとって、あまりに辛い現実だった。そして病んだ親は、私が悪いと感じる様になっていったのだ。

 周囲の悪意に染め上げられて、弱者を悪者にする理屈。普通から外れた事を、許さない理屈。

 さすがに口に出さなくても、感じる事は出来た。鈍くても分かるくらい、態度は露骨だった。そんな態度に出たくないのに出てしまう。口に出さないだけで精一杯。両親はそんな状態だった。

 だから、高校は県外の私立に行って、そのまま大学に行き、実家には帰っていない。

 高校に合格して家を出る時、このまま一緒に居ても、良い事は何も無いから、これで良かったのだ。そんな事を母が言ったのを良く覚えている。

 お金は困っていなかった筈だ。あいつの家が、沢山お金をくれていたから。

 多分、私の学費は大月の家の金が充てられていた筈だ。

 私がなりたかったのは、医者だった。

 大月の父親が、市でも有名な総合病院の院長をしていて、人を不幸にしても平気で院長を続けていたからだ。あんな風になれば自分の気持ちは晴れると思ったのだ。

 しかし、大学に見学に行って気付いた。

 どんな医師になるのか?と聞かれて、目を輝かせて目指す専門医を答えている他の見学者を見て、『不幸にならない金持ち』としか思っていなかった自分には、人の命を扱う資格は無いと感じたのだ。

 こんな医者に自分の命を預けたいと思う患者は居ない。早々にそれを悟ってしまったのだ。ここが私の分岐点だった。

 だから薬学部を選んで、六年大学に通った。薬剤師は医者の手足で、決定権は無い。けれど、人を救う事が出来る。医者は大月の父親の様な人ばかりでは無い。善良な医師の元でなら高い志が無くても、困っている人を助ける事が出来る。そう思ったのだ。

 汚い金は、惜しみなく使わせてもらう事にした。

 どうせ、頭がお花畑になる様な恋愛や幸福とは無縁だと思った時点で、潔癖な部分は捨ててしまったのだ。いらない。と、美しく拒絶したところで、背中の傷も親の心も、元に戻らない。

 結婚出来なくても平気な仕事だと言うのも、魅力的だった。

 誰も、お前が退社してくれないから困るなんてお局扱いもしない。逆に仕事をしている事で頼りにされて、温厚な人間関係も保てている。ごく平和に暮らしていられる。……だったのだが。ポケットの中に入っている封筒がその平穏を破ってしまった。

 眉間に皺を寄せて、薬を小分けにしていると、派遣の山本君が、ちょっと不安そうに私を見ていた。

 何でもないのよ。なんて、言ってあげる気分では無いので、

「ああー、機械の調子悪いかも」

 と適当に呟いてみる。調子良く、小分けの粉薬が出て来ているのに。

 とりあえず、おばさんの事は放置して、仕事してください。

 そんな情緒不安定な状態のまま、薬局の一日は終わって行った。


 例の封筒は、家に持ち帰らなかった。別に今日見なくていい。

 そう言い訳している内に、三日が経過した。

 誰も居なくなった薬局で、在庫の点検をしていると電話が鳴った。

『もしもし、隣のコアラ小児科クリニックの大月です』

「本日の営業は終了しました。お問い合わせは明日にお願いします」

『待って!』

 待たない。私は電話を切った。

 例の封筒の中身を見ていないせいである事は分かっているが、まさか、直接薬局に電話してくるとは。

 さすがに、南や立花にプライベートな連絡先を聞くゲスでは無かったらしいが、勘弁して欲しい。

 人に危害を加えない様に、大人しく子供の病気だけ診ているがいい!

 ヤツの処方で救われている子供が居る以上、ここに居る事を拒絶する事は出来ない。お母さん方の評判も今の所、良くも悪くも無い。

 忌々しい気分で在庫を点検していると、シャッターの閉った自動ドアの方から、ガシャガシャと音がした。

 誰かが、シャッターを叩いているらしい。

 あり得ない!裏口使え!

 このままでは、不審者として通報されかねない。

 仕方ないので、裏口から表に回る。

「うるさいです。お帰り下さい」

 大月は、嬉しそうな様子で私を見た。

「こんな暗い場所で、何をしているんですか?通報しますよ?」

「……封筒の中身、見てくれていないんですね?」

 誰が見るか!バーカ!

「見る必要があるんですか?」

 大月が項垂れる。

「あなたが、俺の知っている加賀美茜さんと同姓同名の別人なら、封を開けて中を見ていた筈です。あなたはやはり、同一人物だったんですね」

 あ……引っかかった。

 そうか、素知らぬ顔をして内容を確認して、その後でどうするか考えれば良かったのだ。

 まんまと、本人確認をされてしまった。

「それが分かっただけで十分です。こんな場所で謝罪をしても無意味ですので、改めて、場所を設けさせてもらいます」

「どういう意味ですか?」

「封筒の中身を見て下さい。明日、指定のホテルに来てください。ラウンジでお待ちしています」

 何が本人確認だ。最初から知っていたんじゃないか。嘘つき。

「行きません」

「来てもらいます。あなたには、どうしても謝りたいんです。そして、今後に関しても……」

「もう、昔の事です。私は自分一人の足でちゃんと立っています。別に困っていません。絶対に言いませんから、どうか放って置いて下さい。何もいりません」

 本音をぶちまけると、裏口に引き返して、鍵をかける。追いかけて来た大月が、裏口のインターホンを押していたが、無視した。

 在庫の点検はまだ済んでいないし、あいつと一緒に帰るとか考えたくない。

 結局、タイムカードを押した後、終電ぎりぎりまで薬局の中にこもって、タクシーを呼んで帰宅した。

 翌日は、隣のビルの小児科も皮膚科も定休日だった。薬局も道路を挟んで少し離れた場所にある内科の患者さんが来る可能性があるから一応開けてはいるが、私は基本的に毎週休みになっている。

 封筒の中身は見ていない。白衣に入れっぱなしで誰かに見られても困るので、一応出して持ってきたが、開けていない。

 万一、一人暮らしの部屋に来られても困るので、最寄り駅から二駅先の映画館とショッピングモールで時間を潰した。

 居場所が特定できなければ、捕まえられない。何なら、家に帰らなくてもいいと思う。

 極度の緊張状態のせいか、喉が渇くのに、全く食べたいと思わないまま、数時間を過ごした。

 映画館の後が苦痛だった。見つかったら困る。そう思うと、落ち着いてお茶も出来ない。

 気分が悪くて吐きそうだった。

 一番落ち着くのが、不動産の賃貸情報とか、かなり参っている自分を自覚する。何処かに逃げ出したい感覚が拭えない。

 ショッピングモールのベンチに座って、温かいミルクティを飲んだ。気持ち悪いのは治まっていない。

 さんざん逃げた。やっと居場所が出来たのに、どうしてここまで来たの?

 傷ついたのは心なのだ。それも、大月本人の行為を親子共々、許した後の事だ。

 痣だって、そんなに濃い訳では無い。色素沈着を起こして、ところどころ、薄く茶色に残ってしまったと言うだけの事だ。普段は服に隠れて全く見えない。

 結婚はする気が無いから、こんなものは、もうどうでもいいのだ。実際、大学時代に、友達に見られた事があったけれど、特に何かを言って来る訳でもなかったし、林原だって、大した傷じゃないよ。と笑ってくれた。

 幼少時の転居先に、たまたま悪意のある人が居ただけの話だと、今なら分かる。もし、そう言う人の居ない場所だったなら、こんな目に遭わず、忘れていたかも知れないのだ。

 そんな事の責任まで取れとは言っていない。

 どちらかと言えば、自分の行動範囲に入って来た事が許せない。……どうやったって、相容れないのだから、離れて暮らせれば、それで十分だったのだ。

 ため息を吐いていると、目の前に誰かが居るのに気付いた。

 顔を上げると、困った様な顔をした、派遣社員の山本君が立っていた。

「こんばんは」

 何を言えばいいのか分からないのだろう。山本君はそう言って立ち尽くしている。

「こんばんは?」

 そんな時間だっただろうか?

 今日、山本君は出勤の筈だったが、既に私服でリュックを背負って目の前に立っている。夜の七時を過ぎていると言う事だ。

 山本君は、言い辛そうに私を見て告げた。

「大月先生が、何度も薬局に来ました」

 私を探していたのは、言わなくても分かる。

 偶然、帰り道に見つけてしまったのだろう。

「迷惑をかけてごめんなさい」

「あ、いや、僕は……困っていません」

 凄く困った顔でそう言う山本君は正直なのだろうと思う。

「私を見なかった事にして、家に帰ってもらってもいい?」

 私の言葉に、山本君は更に困った様子になった。

「加賀美さん、顔色悪いです」

「それも、見なかった事にして」

 山本君は二十七歳だと聞いている。六歳も下の後輩に迷惑はかけられない。

 暫く、山本君は迷ったように視線を彷徨わせて、その場に立っていた。

 やがて勇気を振り絞った様に聞いて来た。

「ずっとここに居る気ですか?」

「ううん。帰るよ。心配しないで」

 反射的に答える。強がりもここまで行けば素晴らしいを通り越して、馬鹿だと思う。

「もうすぐ閉店ですけど……」

 山本君は小声で告げた。

 八時には閉まるショッピングモールに、具合の悪そうな上司を置いていけないと判断したらしい。折角得た職場で、気まずくなりたくないのだろう。

「もう少ししたら帰るよ。明日も出勤だし」

 引きつっていると自覚出来る笑顔で告げるが、立ち上がれない。立ったら吐きそうだから。

「お疲れ様」

 仕方ないので、座ったまま手を振って、山本君に退場を促す。

 山本君はまた考えている。立ち去らない。大人しそうなのに、しぶとい。

 さっきは視線を彷徨わせていたのに、今度は私の顔をじっと見ている。

 そして、目の前にしゃがむと、静かに言った。

「ここで加賀美さんが倒れたら、救急車が来ます。放置して去った事が後で知れたら、僕はクビになると思います。凄く、困ります」

 正論です……。自分の事で精一杯で、そこまで考えられませんでした。

「とりあえず、場所を移しませんか?」

「何処に?」

「まだ少し時間があるので、吐いて落ち着いてからでいいです。その間に、考えてみます」

 完全に、症状を見抜かれていた。

 ……すぐ吐ける様に、トイレに近いベンチに座っていたのだから、当たり前かも知れない。

 仕方ないので、トイレで吐けるだけ吐いて、動いても大丈夫になるまで待ってもらった。

 その間に、山本君は何処かに連絡を取ったらしく、車で来た若い男性と山本君に支えられて、車に乗った。

 後部座席で横になっていて良いと言われて、大人しくそれに従う事にした。

 さっきの山本君の言葉で、意地は砕かれてしまったし、お腹が空っぽで吐くと、想像以上に辛いのだ。

「点滴でいいって事か?」

「うん。吐き気があるだけみたいだね」

 二人が、状況確認の話をしているのが分かる。私本人に紹介もしてこないし、話しも聞かない男性が、車を運転しながら鼻で笑った。

「まさか噂の加賀美さんが、こんなにか弱い女性とはね。俺、もっとおばちゃんなイメージ持ってたんだけど、全然若いし、優しそうじゃないか」

「陽介、やめろって!」

 山本君が小声で叫んでおろおろしているが、陽介と呼ばれた男性は続ける。

「俺、いけるわ」

 下世話な話も、気分が悪いので、あえて聞かなかった事にする。

「あのさ、大智はストライクゾーン狭すぎると思う。十二、三歳位の……」

「わーーーーーー。やめて、お願い」

 山本君が必死に叫んでいる。

 山本君の名前は、大智だったと思う。何だか、聞いてはならない事を聞いてしまった気がする。

 ロリコン……って言うのかも知れない。初めて見た。

 山本君が泣きそうな顔をしている。

「お前がそう言う事言うと、正社員になれないんだけど。僕をどうしたいんだよ!」

「性犯罪者になる前に更生して欲しい。妹に、悪戯したのは、忘れない」

「何年前の話だよ!里美が結婚してるのに、まだ言うの?」

「お前のその反省の無さが許せない。お前が魂の底から反省するまで俺は言う」

「俺をいじって楽しんでるだけじゃないか!」

「あ、分かった?」

 運転中の男性が笑い出す。仲が良いのだろう。

 私にも、こんな風に笑い合える人が居たらよかったのになぁ……。でも、何もかも知られているのは、ちょっと無理かな。

 私が、ちょっと自嘲気味に笑うと、運転席の人がこちらを見た。

「何で笑うんですか?」

「あ……漫才みたいだなって」

「余裕ですね。気分悪いのは、落ち着きましたか?」

「はい。精神的なものだと思うので、胃腸炎とかでは無いと思います」

「分かりました」

 会話が途絶え、車は何処かの駐車場に入って行く。そこは小さな病院で、既にシャッターが閉まっていた。この辺りの病院の定休日は大体一緒だ。だからここも休みだったらしい。

 椿木医院。

 無言のまま山本君に肩を貸されて中に入ると、勝手知っているのか、二人が私を奥の診察室に連れて行き、簡易寝台に横たわらせる。

「これは親父の病院です。俺も医師だから心配しないで。椿木陽介と言います。ここの医師ですけど、専門医の資格は無いです。他の病院も修行で掛け持ちしていて、普段は在宅医療と緩和ケアでこの辺を車で回っています。大智の三歳上で三十歳です。以後、お見知りおきを。……点滴で水分補給をして、同時に吐き気を止めます。時間がかかりますが、トイレは大丈夫ですか?」

「はい」

 手際よく自己紹介をしながら点滴の準備をしていく。

「陽介は、一人で色々しないといけないので、点滴も上手いです」

 山本君はそう言って、近くの椅子に座っている。薬剤師は、こういう医療行為を行えないので、仕方ないのだ。

 心配だったのか、様子を暫く見ていたが、私の落ち着いた様子を見てから、

「コーヒー買って来る」

 と言い残して、出て行った。

 すると、椿木が話し始めた。

「あいつ、俺の妹の事がずっと好きだったんです。……結局、上手く行かなくて、妹は別の奴と結婚して、あいつは大学病院の近くの薬局に務めていたんですけど、辞めてしまいました。ロリコンじゃないし、怪しい奴じゃないので、誤解しないで下さい」

 若い派遣なのに、手際が良いのも頷ける。

「大丈夫です。山本君は、今日も、意地を張ってた私を助けてくれました。人手が無いから、本当に山本君にも助けられているんです。……お礼が遅れました。椿木先生、ありがとうございます」

 椿木は、片眉を上げて笑う。

「俺は先生で、大智は山本君なんですか?」

「初対面では妥当かと」

 私がそう言うと、椿木は笑った。

「いやぁ、ご老体ばかりを相手にしているので、どうしても若い女性が新鮮で。アピールしたくなっちゃったんです。俺、どうでしょう?」

 山本君の友達は明け透けな人らしい。でも、そう言うのは、いらない。

「ごめんなさい。私、結婚の意思はありませんから」

「釣れないですね。だったら、うちの近くの薬局に転職しませんか?」

「陽介!病人をナンパするな!」

 山本君が、両手に缶を持って入り口で仁王立ちしている。

「ただでさえ、質の悪い男に追い回されて、今日も逃げて、休みを潰してたんだぞ!」

「は?何なの?その面白そうな事情」

 山本君、いらない情報を漏らさないで。ただの具合の悪い上司で終わらせて。

 視線に怒りを込めて見つめると、山本君は、はっとした様子で、黙り込んだ。

「大智、話せよ。面白そうだし」

「言わないで」

「あ……その……」

 私と椿木の視線の先で、山本君はオロオロし始めた。……この決断力に欠ける所が、椿木の妹と上手く行かなかった原因では無いかなどと勘繰る。

 椿木は慣れているのか、答えを待っている。私もどうせ待つしかない。

 暫くして、山本君は口を開いた。

「加賀美さんにも話を聞いてみないと。僕も、部分的にしか事情が分かっていないんだ」

 振り返ってこちらを見た椿木の笑顔が、妙に怖い。

「こちらは自己紹介しました。加賀美さん、大智の上司の薬剤師さんだって話は聞いています。……もっと詳しい自己紹介してもらいましょうか。時間はたっぷりありますし。俺としても、気になるので」

 点滴が終わるまで動けない。聞こえて来た会話で、つい笑ったりしてしまった事が悔やまれる。話せない程ぐったりしていないのは、見抜かれてしまっている。

 分かっている。体調不良の原因は、大月が来るかも知れないと言うストレスだった事くらい。ここに来て、点滴よりも、大月に見つからないと言う事実が私を楽にしている。

 ここまで迷惑をかけておいて、事情を黙ったままにしておく事も出来ない。

 特に山本君は、今日一日、私のせいで仕事場でも、帰宅途中でも、迷惑をかけてしまった。

 椿木も、いきなり巻き込んでしまった。

 あまりと言うか、林原に教えた時以来話した事の無かった過去を話さなくてはならなくなり、思わず緊張する。

「別に、嫌なら話さなくていいですから。……医者の癖に患者を虐めるなよ」

 山本君は椿木にコーヒーを渡しながら気遣ってそう言ってくれた。

「虐めてない。口説いてる」

「もっとダメだよ」

 二人の声を聞きながら、何となく話して良い気分になってくる。しかし、深入りさせない様に、慎重に話そう。山本君は同じ職場の人間だ。気まずい思いをさせてはいけない。

「私は加賀美茜と言います。三十三歳です」

「見た目が若いから大丈夫ですよ。黙っていれば、二十代でいけます。それに、四捨五入で三十歳です。俺と同じです。タメ口でお願いします」

 椿木が真顔ですらっと言う。……同じな訳あるか!

「陽介の言葉は、無視してください」

 山本君が慌てて言う。

「無視は無いだろう。そこは聞き流す程度にしてくれ」

 とりあえず、暗い話でも場が和みそうな雰囲気な事がありがたい。

「最寄り小児科の大月先生とは、二十年以上前に因縁があって、偶然ここで出会ってしまいました。私は、できれば忘れていたかったのですが……その当時の謝罪をしたいと言う事で、今日ホテルに呼び出されていました」

 山本君が、補足として大月の事を話し始める。

 安藤先生の後釜として小児科に少し前に来た事、今日、何度も薬局に私を探しに来て、最後には、個人の電話番号を聞き出そうとした事、山本君やパートさん達も、知らない、で通した事。実際、知らなかったから、嘘では無い。

 尋常ではない様子だった事から、パートさん達が、私を心配していた事、山本君も不安になった事を話した。

「一時間おきくらいに来ていました。パートの岡さんが、加賀美さんのストーカーなのではなんて言い出して……受付の葉山さんも怖くなったみたいでした。実際、加賀美さんを見かけたら、途方に暮れている感じだったし、具合が悪そうだし」

 一時間おき……。背筋がぞっとする。

「迷惑かけちゃったね……」

「僕は別に気にしていません。……大月先生の事は、良く分かりませんが、今日の様子を見て、あまり良い感じがしなかったのは確かです。岡さんと葉山さんも、加賀美さんを心配していましたよ。警察に言った方がいいかもなんて、話していました」

「それは止めて欲しいかな……。コアラ小児科が潰れちゃう。薬局も困るでしょ?桐岡皮膚科も困る」

 椿木が眉間に皺を寄せて言った。

「二十年以上前って……子供の頃だろうに。何があったんだよ」

「それ聞くの?」

 山本君が悲鳴の様な声を上げる。

「聞かないと、訳わからん。同じ事の繰り返しになりそうじゃないか」

「聞いて、どうにも出来ない事だったらどうするのさ?それって話した方が嫌な気持ちになるだけじゃないか」

「その小児科が休みになる都度、その男から逃げ回って過ごしていたら、この人弱るぞ?事情だって話さない訳にいかなくなる」

 椿木の話は、正論だ。

「それでも、覚悟っているだろう。いきなり初対面のお前や、まだ一か月位しか一緒に仕事していない僕に話す事じゃないと思う」

 心情的に、これも筋が通っている。

 二人共良い人だと言うのは、この会話の内容だけで分かった気がした。

 だからって、洗いざらい話してしまえる内容では無かったので、ぼかして話す事にした。

「小学生の頃に、私が大月先生に暴力を振るわれたって事があったんです。彼のご両親が謝罪に来てくれて、私達は許しました。偶然、こちらに大月先生が来られて、職場が連携関係にあるから、気にされているんだと思います」

 二人共、目を丸くする。椿木が、恐る恐る聞いて来る。

「もしかして、黙っている様にって、お金貰って、被害者の加賀美さんの家族が転居したの?」

 当たりだ。黙って頷くと、山本君が眉をハの字にした。

「加賀美さん、大月先生の親って、医者ですか?」

「お父さんは、隣の県ですが、総合病院の院長さんをしていました。今は知りません」

 二人共半眼になって、黙って何かを考えている。やはり、言わない方が良かっただろうか……。

「暗い話をしてすいません。黙っておくと言う約束でお金をもらっていました。だから、もう済んだ話なんです」

「あ、いや、加賀美さんは悪くないです。全然悪くないです。お金だけでどうこうしようとする方が悪いでしょう?これは絶対に」

 山本君が、慌ててこちらに笑顔を向けてくれる。

 椿木は、眉間に皺を寄せたまま黙っている。

 さっきまでの軽口が嘘の様だ。

「陽介、怒りたい気持ちは分かるけど、加賀美さんが怖がってるよ」

「俺……その話、知ってるかも」

 私も山本君も、驚いて椿木の方を見た。

「俺の母方の爺さんも医者なんだけど、そこの病院に居た事ある。丁度事件の頃じゃないかな。……あの病院、潰れたよ。潰れた話は有名な話だ。ローカルニュース程度には」

 潰れた。……もう無いんだ。

「そうなんですか?」

「もし同一人物なら、大月って、母方の苗字の筈だ。その大月先生ってのは、院長の愛人の子供だ」

「愛人の……子供」

「奥さんに子供が居なくて、子供はその人だけだった筈だ。自分の置かれている状況が分かってから荒れていたらしい。事件を起こして以来、別人みたいに更生したって聞いてる」

 更生……。医者になっているのだから、真面目に学校に行って、医師免許も取得したのだ。大月も辛い目に遭っていた背景があると分かると、ただ変な人間に絡まれたと思うよりも、恨まなくて済む気がした。

「じゃあ、本当に謝りたいだけなんですね……。逃げ回って、本当に馬鹿でした。ちゃんと謝罪を受け入れれば済む話みたいですね」

「ちょっと待ってください!」

 山本君が、慌てて口を挟む。

「鬼気迫る感じでしたよ?大月先生。そんな謝罪だけで済む感じじゃなかったです。明らかに不審者でした」

 そうだ。一時間置きに来ていたって……。明日には会えるのに、何故今日に拘っていたのだろう。

「あ、そうか。ホテルに部屋でも取っていたのかな」

「「それだ!」」

 二人が同時に私の方を見て叫ぶ。

「わざわざホテルで謝罪……それ、行かなくて正解です」

 山本君が焦った様子で言った。

「それには俺も同意」

 椿木は髭が濃いらしい。夜になり、少し髭の目立つようになってきた顎をさすりながら言った。

「どうしてですか?」

「分からないの?」

 椿木が呆れた様に言う。

「分からないです」

「大月が、こっちに来て医者をしているのは、地元に戻れないからだ。加賀美さんにした事は、法的に裁かれなくても、地元での社会的地位を奪うには十分だったんだよ」

「それで制裁を受けているのに、何故、私に謝りに来るんですか?おかしいです」

 椿木がにやりと笑った。

「おかしくないよ。起死回生、唯一の大チャンスだ。もし和解して結婚しましたって話になれば、責任を取ったと言う話になって、大月の株は上がる。美談だ。その小児科の代診医師なんてやめて、昔の病院を利用していた患者を頼って、地元で開業できる可能性だって出て来る」

 椿木の言う事は、空想だ。そんなご都合主義な話などある訳が無い。あってたまるか!

「私の気持ちはどうなるんでしょう?」

「考えている訳ないじゃないか。頭下げて金を積めば何とかなるって思考回路の親元で育てば、どれだけ真人間になったとしても、同じだよ。勉強が出来るとか、真面目に暮らしているとか、そう言う次元の問題じゃない」

 辛辣な物言いだが、山本君も同意らしく、何も言わない。

 詰んでしまった。

 謝罪を受け入れてしまえば、そのまま大月との結婚が待っていて、良い思い出の無い地元に連れて帰られてしまう可能性があるのだ。

 でも、逃げ切る方法を思いつかない。

「凄く遠くに逃げるしかないですね……」

「逃げるべきは、大月先生の方です」

 山本君が、きっぱりと言い切った。

「そもそも、加賀美さんは大月先生を避けて、ここに来たのでしょう?どうしてまたあなたが逃げなくちゃならないんですか?」

「大智の割に良い事言うな」

 山本君はじろりと椿木を睨んでから、ため息交じりに言った。

「でも、加賀美さんの過去を人に知られるのも得策じゃないですね。仕事、やり辛いですよね」

「うん」

 素直に答えると、今度は椿木が忌々しそうに言った。

「弁護士の知り合いでも居れば、相談できるんだが。うちの親父が相談してる弁護士、凄く忙しい人だし年寄りだからなぁ……二十年以上前の示談が済んだトラブルの続きとか、良い顔されなさそうだけど、相談してみるか……」

 頭をガシガシとかきながら、椿木は唸っている。

「椿木先生も忙しいのだから、無理しないで下さい」

 弁護士。それは思いつかなかった。良い案だ。何とかなりそう。

「いきなり、どっかの弁護士に相談に行くとか、ダメだからね」

 椿木が思考を見透かした様に告げる。

「加賀美さんの問題は複雑な上に、一時間おきに謝罪しようと大月が探し回っていたって事しか事実が無い。弁護士も金で動く。……女一人で、変なのを信用したら、それこそ危ない」

 それはそうかも知れない。

「すぐに結論を出す話じゃない。加賀美さん、少し眠ってください。僕達、あっちに居ます。何かあったら、呼んでください」

 山本君が、椿木を促して立ち上がる。椿木も腰を上げた。

「僕は明日も一緒に居ますから、心配しないでください」

 山本君がそう言って笑ってくれたので、私はただ頷いて、目を閉じた。

 クタクタだった体は、考える事を拒絶した。許容量を超えたのだ。ぼんやりしている内に、私は眠っていた。


 例えば、忘れて暮らすのに慣れていた事に、いきなり対峙しなくてはならなくなったら、僕は耐えられない。

 椿木里美と付き合っていたのは、中学生の頃だ。

 里美は、すぐに答えを欲しがる。そこが可愛いけれど、僕とは合わなかった。僕が考え込んでいる内に、里美の心はどんどん進んで、見えなくなってしまった。

 高校に入学した時には、別れていた。付き合うと言っても、里美にとっては、幼馴染で試したかった程度の気分だったのだと思う。

 僕は里美以外の女の友達なんか居なかったから、大学に入るまで、交際をする様な相手は居なかった。大学に入ってからも、勉強が忙しかった。

 忙しいと言うのは、色々考えない。

 だから、大学に入ってから同窓会があって、再会した里美から、また付き合わないかと言われた時には、何も考えずに返事をして、彼女と付き合う様になった。

 その間、里美が自分を品定めしていた事には、全く気付かなかった。

 里美は四年制大学を出た後、普通に会社勤めをしていた。溺愛してくれる親や兄に、強い不信感を持っていたと知ったのは、僕が学生で、彼女が就職した後の事だった。

「私は何も期待されていない、ただのオマケでペットなの」

 自分は自由にさせられているのに、陽介だけが跡取りとしてしっかりと教育されているのを見ながら育って、複雑な気分になったのだ。

 自分は愛されているが、一番では無い。誰かにこの気持ちを分かって欲しい。

 そんな里美の考え方を、僕は変えたかったけれど、無理だった。彼女が望む事は、自分の実家や兄を見返せるような、素晴らしい恋人に、誰よりも愛される事だったからだ。

 たまに見え隠れする、僕の想像を超えた愛情表現を求められると、凄く辛い気分になった。……ありもしないピンチに、僕が駆けつけるとか、見えない男に誘惑されている里美を想像して嫉妬しろとか。

 その挙句、結婚したら子供が複数欲しい。将来は、好きな仕事で稼げるようにさせたいとか。

 僕はまだ学生で、結婚も考えていなければ、子供がそれも二人以上居る様な未来の事は考えられなかった。

 僕は、勉強と就職活動に逃げるしか無かった。里美は、べそべそと文句を垂れ流し、僕はそれを黙って聞く事しか出来なかった。

 大学病院の側の薬局と言うのは、薬局の規模も大きいし、薬剤師の人数も多い。薬の処方の幅も広く、新人で無くても大変な職場だった。

 処方された薬の数が多すぎて、質問を繰り返す人、薬代が高いので、ジェネリックに変更して欲しいと……新薬しか無いと何度言っても聞いてくれない人、とにかく、患者の量が半端無かった。

 同じ薬なのに、何年も聞き慣れて定着した薬の名前をいきなり変更する製薬会社に悪意を覚えたりもした。患者は、違う薬だと言って戸惑う。先生はいつものお薬を処方してくれた、と。

 だーかーらー、同じだってば!

 と、怒鳴りたくなるのを必死に抑え込んで対応する日々は、ある種の修行とも言えた。

 ジェネリックでも無いので、価格が下がらず、ただ名称だけが変わった事を言わなくてはならなくなるのだ。納得するまで、繰り返し、繰り返し。

 その間にも、処方を待つ患者が増えていく……そして、また同じ事を説明するのだ。

 僕は薬を調剤がしたくて薬剤師になったから、この呪文の様な説明は、慣れるまでかなり辛かった。

 そんな忙しさの中でも、里美とは時間を作って、月に一、二回程度、会っていた。里美は相変わらず、色々文句を言っていたけれど、元気そうだったので、大丈夫なのだと思っていた。

 しかしそうでは無かった。

「好きな人が出来たの。別れて」

 僕は仕事の事で頭が一杯で、彼女に何もしてやれなかった自覚があった。だから、別れても仕方ないと思って、それに同意した。

「何も出来なくて、ごめん」

 里美は一瞬、凄く鋭い目つきで僕を見て言った。

「出来る事ならあるわ。結婚式に出て」

 相手は知らないが、その相手と本気で結婚する気でいる彼女に、それで良いなら、と、頷いてしまった。

 その後で判明した。彼女の相手は、僕と同じ薬局に務めている二つ上の先輩、木崎だったのだ。

 僕は、友人枠で新婦側に座る事になり、職場の人間に色々聞かれる事になった。

 木崎は『嫁の幼馴染』と言ってくれたが、里美は、ずっと僕と口を利かなかった。

 馴れ初めは、偶然に薬局の近くに気に入っているカフェがあり、通い詰めていた里美を、木崎が見初めたと言うものだった。そういう紹介が結婚式で流れた。……嘘だ。すぐに分かった。里美は、なかなか会えない僕の浮気を疑って、僕の様子を見に来ていたのだ。

 想像以上に好きで居てくれた里美に、僕は本当に何もしてやれなかったのだと思い知って、結婚式は終わった。

 木崎なら仕方ない。僕はそう結論付けた。

 木崎は良い先輩だ。おおらかで、明るい。仕事の事も良く相談していた。彼なら里美を幸せにするだろう。

 だからこれで終わりだと思っていたのだ。

 しかし……。

「悪かった。お前、里美と何年も付き合っていた元カレだったんだな」

 挙式の数日後、木崎に呼び出されて、居酒屋の個室に行くと、木崎は真っ先に謝罪した。

「いいえ。僕が悪かったんです。忙しくて、会う時間が取れなかったから」

 苦笑すると、木崎は複雑な表情で僕を見た。

「前から里美がぽつぽつ零していたんだ。本当に好きなのは、元カレで、俺じゃないって。マリッジブルーだと思って聞き流していたんだけど、元カレがお前だって分かって、俺との結婚は、お前への当てつけだったんじゃないかって思い始めた」

「へ?」

 当てつけって、やり過ぎだろう。

「里美は、まだお前が好きなんだ」

「あり得ないです。ちゃんと別れました」

「でもな、お前は幼馴染で、里美の事を色々知っていて、不満を受け入れてもいたと言い出している」

「まぁ……聞いていただけです」

 途中で会話を遮ると、キレるので、黙って最後まで聞くと言うか……聞き流すのが常だった。キレると滅茶苦茶で、何を言っているのか分からないし、泣くから。

「我が儘だとか甘えているとか、里美の弱点を、一切指摘しなかったんじゃないか?」

「そんな部分も込みで、里美ですから」

 そう言うと、木崎がはぁ……と、ため息をこぼした。

「お前、凄いな」

 別に凄くない。と、思う。

「実は、入籍できていない。我が儘だと言ったら、里美が入籍は嫌だって。やっぱり山本がいいって言い出して聞かない」

 そっちの方が凄いと言うか、大変だ。

 結婚式をあれだけ大々的に挙げておいて、里美は馬鹿なのか?いや、間違いなく馬鹿だ。

 ここまでお金をかけて、大勢を巻き込んで、里美が自分を試したのだと、結婚相手の木崎に言わせる……。

 里美の考えに、僕はついていけなかった。

 どう落とし前を付けるつもりなのか。もしかして、僕がこれを処理するのか?冗談じゃない!

 何かが、プツンと切れた音が聞こえた。

「里美の家族や、木崎さんの家族はこの事を知っているんですか?」

「知ってる訳ないじゃないか」

 木崎が青い顔をして言う。

「可愛いけれど、あんな女だと思わなかった」

 里美の事だ。いつもの様に、僕が折れると思っていたのだろう。折れる……。最大限に折れて別れたのだから、僕はそれ以上の譲歩を考えていなかった。

 里美としては、僕が周囲の迷惑も全て引き受けて、頭を下げて結婚を辞める様に言いながら迎えに来る事を狙っていたから、予定が狂ってしまったのだろう。結婚式で不機嫌そうだったのもようやく理解出来た。予測通りに事が運ばなかったからだ。

 ずっと一緒に居たのに、里美の頭の中の僕は、明らかにおかしい。そんなのは僕じゃない。そもそも、木崎だって、純粋に里美を好きになっただけだ。こんな扱いをして良い人では無い。

 プツンと切れた後、すーっと冷めていく気がした。

 よくよく考えれば、如何にも里美の考えそうな事だ。木崎でも僕でもいい。自分を一番だと言わせたかっただけなのだ。くだらない。馬鹿だ。

 きっと僕を好きな訳じゃない。木崎が困るのを見て、それでも自分と結婚して欲しいと、お前だけだと言わせたいだけなのだ。

「……本当は、僕も木崎さんも、里美に怒る権利があります。里美が二股をしていたのは確かです。どうして、怒らないんですか?」

 里美は、自分の良い様に出来る相手を好む。僕もそうだし、木崎もそうだが、基本的に怒ると言う方向に出るまで時間がかかる傾向がある。里美には、そういう部分をすぐに見抜く才能がある。

「山本とは、縁をちゃんと切って区切ってくれたし、俺を選んでくれたと思っていたから、そんな風に考えなかった……と言うか、俺、里美以外と付き合った事が無かったから、分からなかったんだよ」

 僕も同じだ。ただ性的に目覚める前に、人間として、付き合った時間が長かったから、女としての猫を被る前に、人間性は見て知っていた。だから、木崎の様に優しくはなれない。

 こういうやり方はダメだよ。里美。

 ようやく、怒りの導火線に火が付いた気がする。

「木崎さん側から、入籍をしないと言うのは筋が通っていますが、里美が言うのはおかしいですよ」

「……でも、あんな風に職場に知れ渡った以上、里美と別れたら……俺、まだ奨学金を返し終わってないし、親が……辛い思いをする」

 木崎の境遇は痛い程分かる。

 果たして、環境に押されて里美と一緒に居続ける事が出来るのか……。

 里美のせいで、木崎はやつれている。居酒屋に居るのに、何一つ手を付けない。そんな心境では無いのだ。

「ちょっと考えていますので、待ってください」

 出来るだけ周囲への被害を最小限に抑え、里美に大きなダメージを与える方法。

 それは、自分の選んだ選択肢を嫌になっても放棄出来ない様に追い込む事だ。

 上手く行けば、二人の男が自分を取り合うと本気で思ったのだろう。……本当に清々しい程の馬鹿だ。本人は大真面目なのだろうが、本当にどう仕様も無いとしか言えない。

 僕は里美の奴隷じゃない。木崎だってそうだ。僕らにも、社会的立場や体裁があるって事を里美は考えない。

 それすら壊して自分を求めろなんて、何考えてんだよ!と、本気で腹が立つ。だからと言って、里美のやった事を、椿木家の人に悟らせる訳にはいかない。

 僕の親も椿木家の人には世話になっていた。爺さんも婆さんも、椿木医院の先代に看取られた。里美の兄である陽介には、弟の様に可愛がってもらい、高校時代、家庭教師もしてもらった。

 これからも、この土地で親は生きて行く。僕は一人息子だから、遠くに離れると言う事は、親を一緒に連れて行くか、椿木家に……つまり陽介に丸投げする事になるだろう。

 それは……あまりにも無責任過ぎる。

 別に親と不仲な訳でも、何でもない。

 薬学部に行く時も反対せずに、高い学費を払ってくれた。ごく普通の家庭なのに、六年、私立大学に行ったから、家計の負担は大きかった。でも背中を押してくれた。

 今も里美と付き合っていた筈なのに、何故僕が結婚相手で無かったのか、疑問に思いながらも、聞かないで居てくれる。

 僕が考えている間、木崎は不安そうに俯いていた。里美が主導権を握って、好き勝手すれば、後々禍根が残る。

 僕の中で、ようやく一番綺麗な方法が思い浮かぶ。これなら里美を黙らせて、丸く収められる。

「僕は、里美に振られた事が原因で、仕事を辞める事にしましょう」

「え!」

「僕と里美は、幼馴染な上に、つき合っていた期間が長かったんです。僕を振って、木崎さんを里美が選んだと言う話で押し通して、薬局でも言って下さい。里美も、今更違うとは言えません。周囲は納得するでしょう」

 木崎は顔色を更に悪くして言った。

「それじゃあ……山本が全部被ってしまうじゃないか」

「いいんです。ここで一番大事なのは、里美に対して、木崎さんが恩を売る事です」

「……恩を売る?」

「里美にだけ、僕が愛想を尽かしているし、木崎さんも気持ちが醒めている、と言ってください。僕の元にも戻れないし、木崎さんにも捨てられれば、里美は家族にも責められて、居場所が無くなります。それを認識させて下さい」

 里美は、甘えられる男は嗅ぎ分けられても、その限界を知らない。

 限界を超えたらどうなるか、知るべきだ。

「木崎さんがその後、里美をどうするかは自由です」

 木崎は、はっとして僕を見た。

「里美は、甘ったれているけれど、家族にダメ人間扱いされるのは、我慢できません。僕が振られた立場を守る限り、里美の立場は保てます。だから、後は木崎さんにお任せします。里美は、あなたの配偶者なんですから」

「つまり、今後の態度次第で、俺が里美を捨てる。……主導権を握れるって事か?」

「そうです」

「俺に出来るかな……」

 苦笑するしかない。木崎は僕よりも優しい。僕は優しいのではない。長い付き合いで、慣れているだけだ。

 里美の劇場型恋愛は、疲れる。もう終わりにして、木崎と良い家庭を築くべきだ。

「里美には家族も甘いんです。僕も甘かったんです。そして、木崎さんも甘い。だから、里美は可愛いけれど、あんな女なんです」

 人を見抜き、可愛くて、甘え上手だが、自分の為に相手がどれだけの事を出来るか、試す女になってしまった。

「結婚すると言い出して、僕を試し、今度は入籍を引き延ばして木崎さんを試している。自分を好きで居てくれると言う前提でしか、考えていないから、こんな事をするんです」

 木崎は目をぱちぱちさせる。木崎は、大事な部分が分かっていない。

「あいつは、自分に恋して狂う男を見たいんです。別に僕じゃなくてもいいんです」

「え?じゃあ、山本が本命って訳じゃないのか?」

「里美は大事に育てられたから、人の愛情なんて水みたいなものです。そのせいで麻痺してて、自分が大事にされているって分からなくなって、人を試すんです。そうでなければ、あの見た目で、僕みたいなチビと何年も付き合う訳ないでしょう?」

 僕の身長は、百六十五センチだ。低い身長だから、モテないのは知っている。

 木崎は、背が高い。細くて優しそうで、如何にも優しい薬局の人と言う雰囲気が出ている。ただ覇気の様な物もない。だから、女性に慣れていないし、里美の策略にコロっと引っかかったのだ。

「結婚式する前に……お前と話したかった」

 木崎は頭を抱えた。

「木崎さん、焦っていたんじゃないですか?元カレが居るって煽られて、早く結婚しないとダメだって」

「……その通りだよ。畜生」

 苦り切った表情で顔を上げて、木崎は言った。

 観察はしている。知っているけれど、いつも感情など煩わしい事は、知識の奥へと押しやっている。だから、奥から取り出してじっくり眺めないと、分からないのだ。

 僕自身、何をどう感じているのかは、後で波の様に押し寄せてくる事もあった。

 里美と別れて、寂しく無かった訳では無い。少し辛かった。何も無い休日に、無気力だったのは、里美が居なかったからだ。里美は可愛いけれど、僕では持て余すから、離れた。それだけで、愛情が無かった訳じゃないのだ。

「俺の人生、どうなるんだ?」

 木崎に余計な事を吹き込み過ぎたかも知れない。完全に愛想を尽かされても困るので、里美をフォローしておく。

「僕も少なからず腹が立っているので、悪意が入っているのは許してください。里美には、飼い主が必要です。まだ好きなら、飼ってやってください」

「飼うって……夫婦なのに、主従関係をはっきりさせろって事か?」

「木崎さんは優しいから大変かも知れません。でもそうでないと、里美は可愛いけれど、馬鹿だから、きっと何かやらかします」

 家族の中で一番下と言う立ち位置に慣れているから、里美は主導権を握っても上手く使いこなせない。それは今回の事でも明らかだ。

「夫婦の事なんて分かりませんが、俺の知る限り、里美には飼い主が必要です」

 木崎が、困った様に視線を彷徨わせ、おしぼりで顔を拭いた。

「俺に、そんな甲斐性があるだろうか?」

「僕は、里美の視界の端にちらつく程度には近くに居ますよ。だから、里美も、今回みたいな無茶はしないと思います」

「……本気か?」

 退職して遠くに再就職すると思ったのだろう。しかし、僕にはそれが出来ない。したいとも思わない。

「大した理由じゃありません。僕は一人っ子で、親を置いて遠くに転居は出来ません。……無理言って、薬剤師になったので、親には苦労させたんです」

 陽介みたいな医者になりたかったけれど、僕には向いていないと悟ってしまった。……体育の時間に脱臼した友達の、ぶらんとぶら下がった腕を見ただけで、心が折れた。この程度でもダメでは、人の治療なんて無理だ。僕は早々に諦めた。

 陽介は自分の道を選べないのに、笑ってそれを受け入れていた。さも楽しそうに。当たり前に。あんな強さは僕には無かった。

 陽介の強さに憧れて、どうしたら良いのか考えて、僕は薬剤師になろうと思い立った。親も喜んで了承してくれたので、そこからは、それだけに集中していた。

 大学受験が終わって、大学に通い出してから、親が金策に苦心する姿を見る事になった。

 祖父の代からある家を、建て替えなくてはならなくなったのだ。元々古かったのだが、シロアリにやられたのが致命的だった。

 親は幾つもの業者とのやり取りにへとへとになりながら、建て替える事を決断した。

 学校の授業料もそうだが、家を建てると言うのも、学生の僕には考えられない程の金額だった。……無関心ではいられなくて、こっそり見積もりを見たのがいけなかった。

 親は見せるつもりの無かった見積もりを見られて、苦笑していた。

『心配するな。お前一人位、育ててやるから』

『綺麗な家になるから、お母さん嬉しいわ』

 笑ってくれた親に報いる為にも、陽介の様な強さを持つ為にも、描いた夢を追いかけて、ひたすら走り続ける。

 それが僕の選んだ道だ。後悔は無い。

 里美は、一部始終を見て知っていた。けれど、自分を最優先にして欲しいと訴え続け、僕はそれに応えられないから、黙って話を聞いて、抱きしめてやる事しか出来なかった。

 だから、求められている愛情を返せないから別れ話に応じた。

 木崎は、僕の自分語りを聞きながら、ようやく飲み物や食べ物に手を出し始めた。

「山本は、しっかりしているんだな。里美が頼りたくなるのも分かる」

「僕だって、今時の若者です。甘えられる相手には甘えたいです。そう言えば、里美には甘えようなんて、夢にも思いませんでした。……好きでしたけど」

 木崎が複雑な顔をした。

「俺も思った事無いな。守ってやりたい、他の奴に取られたくないって気持ちだけで、結婚まで突っ走った気がする」

 庇護欲を掻き立てる姿と物言いは、生れつきのものであると同時に、里美自身が磨いた武器だ。僕は鋭くなる武器を傍目に身ながら育ったけれど、木崎はそれを知らない。

「結婚式で、結婚するのは止めてくれって、僕が無意味に窓ガラスとか破って、式場に飛び込んで来て、式が修羅場になるとか、里美は期待していたんでしょうね」

 木崎は酒を盛大に噴き出した。

 おしぼりで机を拭くのを手伝いながら、僕は続けた。

「里美の思考はそのレベルです」

 木崎は、また頭を抱えた。

「俺、里美以外知らないんだけど、他の女もそんな感じなのかな?」

「知りません。僕だって、里美以上に親しい女なんて居ませんでしたから」

 木崎は、まじまじと僕を見た。

「……すまない」

 今度は僕が視線を外す番だった。そう。どうしようも無い女だったけれど、憎めなかった。可愛いのだ。仕草も笑顔も。表情がコロコロと変って、そんな風に一喜一憂している里美が好きだった。

「僕はもう納得しています」

「こんな関係はおかしいんだろうけれど……お前とは、本当に友達になれそうだって、今初めて思った」

「だったら転職しても、たまに飲みましょう。僕は番号もメアドも変えてしまうつもりですが、木崎さんには教えますから」

「分かったよ」

 木崎は、もう迷っていなかった。

 毒を食らわば皿まで。なんて、言って笑った。……里美の弱みをしっかりと握って、飼う気になった様だ。

 木崎がその意思を持っている限り、里美は、大人しく貞淑な妻になって、家庭を維持していける筈だ。

 翌日から、僕はすぐに動いた。退職届を出して、転職する事を、親と上司に話し、とりあえず派遣会社に登録をしようと言う風に方針を決めた。……できるだけ早く仕事を始めないと、居づらいからだ。

 派遣期間に真面目に働いていれば、期間終了と共に正社員になれる筈だから、心配しないで欲しいと、親には言った。

 上司には酷く残念がられたけれど、木崎と一緒に事情を話す事で、納得してもらう事にした。

 勿論、二股だった事は伏せて、振られた元カレとして、単に僕が参っているから……と言う立場を誇張する。

 職場の不満では無い以上、上もなかなか引き下がってくれなかった。

「駅前の薬局に移動するって言うのはどうだろう?」

 それは僕達も考えた。しかし、里美の事を考えると落ち着かない。特に木崎さんが。

 里美がまた馬鹿な真似をしない内に、きっぱりと里美に対して縁は斬って置く必要がある。

 だから僕が会社を辞めて、携帯を変えた。里美がこちらに連絡を取る手段を断ったのだ。

 連絡を取るには、陽介に聞かないといけない。そういう風に仕向けたのだ。木崎さんが僕との話し合い通りに、主導権を握っているなら、木崎さんに聞こうなんて考えない。何よりも、木崎さんが僕の連絡先を知っているとも、思わないだろう。

 幸い、木崎さんは上手くやったらしい。里美はかなり大人しくなった様だ。……陽介の話の断片でしか知らないが。

 陽介は、振られた僕を慰めようと、いい女が何処かに居るから、と励ましてくれる。

 陽介は、恋愛に善悪は無いと思っている。里美がやろうとした事など、同じ兄妹でも想像できていないのだろう。善良な兄まで欺いた里美は、生きた心地もしないだろう。

「あの人、どうする?」

 陽介に言われた言葉で、僕の思考が目の前の状況に戻って来た。

 そうだ。勤め始めたばかりの派遣先で、上司に当たる加賀美茜……加賀美さんは、思ったよりも面倒な事情を抱えていた。

 加賀美さんにとって、僕はただの派遣だろうが、僕は次の転職先にマツノ薬局を選んで派遣に同意した。

 僕としても、派遣明けに別の場所に進路転換したくない。このまま真面目に勤めて、派遣期間終了と共に、マツノ薬局に正社員として採用してもらえる事を期待している。

 加賀美さんが、このまま隣の小児科の医師、大月の策略にはまって居なくなれば、僕としては安泰だけれど、疲れ切って座り込んでいる姿を見てしまった今となっては、それを考えるのは無理だった。

 焦った様子で、頻繁に顔を出して、薬局を見回す大月も見ている。

 加賀美さんは、決して悪い上司では無かった。無意味にイライラしている人だとは思っていたが、大月絡みでイライラしていたのは、今日の事で理解した。

 あの事情では、イライラしても仕方ない。

 僕は、何だかイライラしているアラサーの女上司が居ると、陽介にポロリと言ってしまったのだ。……もっと考えて言うべきだった。

「椿木医院の弁護士さんを紹介するんだろう?」

「示談が成立している以上、相談してどうにかなるとは思えない。単なる時間稼ぎだ」

 陽介は、渋い顔をした。

「加賀美さん、どうすればいいんだよ?」

「まぁ、本当の所は、あの人が遠くに行くのが一番だろうな。……大月も逃げて来たクチだろうから、すぐに追い出すのは無理だと思う」

 逃げた場所に、逃げた原因が居たら、僕なら迷わずもう一度逃げるけれど、大月はそうはしなさそうだ。

 今日の様子を見ている限り、かなり強引な性格をしているのは分かったから。

 明日から、とりあえずどうしようか。

 考えようとしていると、陽介がにやりと笑った。

「加賀美さん、いい女だよな。胸でかいのに華奢だし、顔も好み」

「何、言ってるの?」

 体つきを見ていたのか?と、ちょっと驚く。

「俺と付き合っているって事にして、大月から守るって言うのはどうだろう?」

「……その非現実的な考えは何処から出たの?」

 里美の兄だけあって、想像力が半端ない。

「結構いい案だよ?俺は心置きなく口説けるし、加賀美さんは薬剤師を続けられる」

「無理があるだろう。陽介との接点とか、何処にあるのさ」

「それは……今回の出会いをうま~く盛って、話せば済むかなぁ」

 陽介の脳は、やはり里美と同じ遺伝子で出来ている。

「上手く行くと思えない」

「でも、他の方法なんてあるか?」

 僕は考えを巡らせる。大月と言う医者を、ここから退場させる方法は、もっと合理的で、加賀美さんの負担にならない物が良い筈だ。

 そんな茶番、喜ぶのは陽介だけだ。

 加賀美さんは、陽介に借りを作る恰好になる。陽介はその貸しを逆手に取って、付け入る気だ。明らかに捕食者になっている。

 薬剤師の配偶者。医者なら欲しい筈だ。

 近所の薬局に居てくれれば、意思疎通が楽だし、心強い。そうでなくても、家でも仕事の話が出来る。仕事にも理解がある。

 加賀美さんは、予想以上の好物件だったのだろう。見た目が好みな上に、医療関係者。まだ子供だって十分に産める年齢だ。

 陽介がそこまで加賀美さんを気に入るとは想像もしていなかった。こんな事なら、総合病院の夜間診療に行くんだった。

「とにかく、その案は保留。もう少し考えてからでいいと思う」

「じゃあ、また加賀美さんが困っていたら、俺に連絡してもらおう。携帯番号とメアド渡そうっと」

 立ち上がった陽介を引き留める。

「待てって!僕の上司。普段一緒に居るのは僕だから」

 陽介が、じとっとした目で僕を見ている。

「お前を挟んで会話だと、まどろっこしい」

 落ち着け!イケメンの癖にがっつくなよ!

 陽介は、背が高い上に結構なイケメンだ。ただ胸毛があると言う毛深さが理由で、振られた経験がある。どうしても我慢出来ないと言われたそうだ。

 腕を見れば、十分に毛深いのは分かっているのに、何でそうなるのか分からん、と、ぼやいていたけれど,それから人の体を見慣れている仕事や医療関係者に的を絞っているのは知っている。確かに陽介はモテるのだが、付き合いが長く続かない。

 原因は分かっている。陽介が結婚したがりだからだ。実家付きの家に長男の嫁として縛り付けようとするから、皆逃げるのだ。

 そんなに焦らなくてもいいのに、と、僕は思うけれど……。

 そこで気付く。よりにもよって、そこに加賀美さんを投入してしまったのは僕だ、と。

「とにかく、大月先生の件は、僕と陽介と加賀美さんの三人で話し合おう。力になるって事は、僕達を信用してもらわないと無理だ。いきなり僕や陽介と二人きりとか、信用無くすって」

 と言うか、下心丸出しのお前と二人きりに出来ない。僕が加賀美さんに恨まれて後悔するに違いないから。

 これは心の中で呟いて、黙って置く。

「仕方ないな。慣れるまでだからな」

 陽介の頭の花畑に種が蒔かれた。これはまずい。

 里美の件が片付いてほっとしたのに、僕はまた厄介ごとに巻き込まれた事を自覚して、大きくため息を吐いた。

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