あの頃
―――高校生活も残り少しになった頃。
その日私は高校で、最も授業態度にうるさい谷先生の地理の授業で寝てしまった。
その為に、反省文を書かされる羽目になってしまい、
やっと終わって解放されたのは5時過ぎだった。
急いで玄関に向かうと、そこに翔真がいた。
「翔ちゃーんっ!終わったー!!」
「ったく、遅せーよ!」
「しょうがないじゃん、谷のやつ、解放してくんないんだもん。」
「梓が悪いんだろ?谷の授業で寝てるから」
「…誰のせいで寝不足だと思ってんの!?」
「それは…え?俺って言いたいの?」
「当ったり前じゃん!!あんな時間に電話してくるんだから」
そう。
居眠りの原因は、翔真が夜中に電話をかけてきたせいで、寝不足になったこと。
見ていた番組が面白いから見てみなという、迷惑な電話だったけど。
「でもさ、あれは笑えただろ?」
「ううっ…それを言われると」
「ま、仕方ないから、約束のチーズタルト奢ってやるよ。太れっ」
「嫌な奴ーっ!これでもちょっとは努力してるんだからっ」
「へぇ~、でも俺は今のままで十分だと思うけどね」
「それって嫌味?」
「んなわけねーだろ?早く行くぞ!あいつら待ってるから」
「ちょっ…待ってってば!」
高校の帰り道に出来たカフェのチーズタルトが最高に美味しくて。
その頃の私達はいつもそのカフェで集まってた。
今日もその予定でみんな先に行ってる。
私は翔真も先に行ってるとばかり思っていた。
だから玄関で翔真の姿を見つけたときはちょっと嬉しかった。
待っててくれたんだって。
でも別に付き合ってるわけじゃなく、本当に仲のいい友達だった。
私は翔真に片思いしていたけど、翔真に告白する勇気も無くて、
この関係が壊れてしまうのも嫌で、前に進めなかった。
―――私達の関係は変わらないまま、月日が流れて、卒業式を迎えて、
翔真は東京に進学することが決まってて、
私は地元に就職が決まっていた。
「翔ちゃん…寂しくなるね」
「別に永遠の別れじゃないんだから、寂しくないよ」
「そうだね。メールしてね?」
「お前もな」
名残惜しむように、教室でしゃべってた時。
「あのっ…垣内君、ちょっといい?」
話しかけてきたのは、隣のクラスの及川彩乃だった。
学年で1番可愛いと男子から定評のある子。
その様子からなんとなく、告白するんだと思った。
前に、彩乃が翔真を好きだという噂を聞いたから、驚かなかった。
「翔ちゃん、私、涼子センセのとこへ行って来るね。
呼ばれてたんだった」
気を利かせたのを翔真も薄々気付いたようだけど、
「お前うっかりしすぎ!早く行って来い」
そう言って私の背中をぽんっと押した。
私は職員室に行ったフリをして、歩いていった2人の後を追った。
本当はこんなことしたくないけど…。
どうしても気になった。
勇気の出せない臆病者の私には、そんな事しか出来なくて。
2人は誰もいない3階の階段を上ってすぐのところで話し始めた。
私は下の階で耳を澄ました。
「…垣内君、私…あなたの事が好き。
第2ボタン、私にくださいっ」
その一言を聞いて、あの噂は本当だったんだって思った。
そして、その勇気が羨ましかった。
「…ごめん、俺は……」
「…好きな人、いるんでしょう?」
「えっ…あぁ…うん。」
翔真は彩乃の突然の問いに戸惑いながら答えた。
翔真の好きな人…いるんだろうなって何度も思ったことがある。
でもその度に、それが私だったらいいなって期待してた。
「それって…やっぱり平坂さん?」
その言葉で、私の鼓動が更に速くなった。
―――でも、翔真の口から出たのは意外な返事だった。
「や、違うよ…梓は大事な友達だし。
及川は全く知らない人だと思うよ」
全身からサアッと血の気が引いていった。
その後の記憶は曖昧で。
どうやって家に帰ったのかもわからない。
ただ泣いて泣いて、嘘だと思いたかった。
私は自惚れていた。
翔真に片思いしながら、どこかで翔真も私を…と。
翔真は、私以外の女の子とはめったに話さなかったし、
話しててもあんまり楽しくなさそうで。
だから、ちょっと好かれてるのかもと期待した。
でもそれが、ただの自惚れに過ぎなかったとわかっただけ。
それだけなのに…。
それからの私はボロボロだった。
まともにご飯が食べられなくなって、泣いて、
泣き疲れて寝てを繰り返す毎日だった。
このままではと思った母の無茶苦茶な行動で、
一口二口ご飯が食べられるようになったのが、4月に入った頃のこと。
私は完全に死人だった。
そんな状態で迎えた入社式・オリエンテーションで、私は気分が悪くなり、倒れた。
その時介抱してくれたのが、同じ部署の先輩、立橋流人さん。
これが私と流人さんとの出会いだった。