再確認
「お疲れ様でした~」
「お疲れ様~」
何事も無く、終業時間が来て、他の社員に挨拶して更衣室へと入った。
そして事件は起こった。
…私のロッカーに『クソアマ!!』『死ね!!』と赤い油性ペンで書かれている。
後ろからくすくす笑う声がする。
なんだ、犯人はこいつらか。
この店で一番長く働いている、大橋さん。
年は46だったかな。
そしてその大橋さんに金魚のフンしている2人。
1人は40歳独身の中本さん。
もう1人は36歳、店長狙いの平野さん。
いい年して若作りして、ギャル風を気取ってる気持ち悪いおばさん達だ。
俗に言う、お局様とその子分って感じ。
「平坂さん大丈夫~?」
最初に言葉を発したのは、中本さん。
「ひっどいね~」
次は平野さん。
「でもさ、男になぐさめてもらえるでしょ?」
最後は大橋さん。
「だよねぇ。店長と二股とかさ~」
そしてまた、中本さん。
こいつら、見てたんだ。
そしてこんなくだらない事をする為に、平然としてた。
「皆さんお暇なんですね。覗き見の趣味がお有りのようで。
それとも、モテない僻みなんですか?」
「言ってくれるね、二股女が」
いつも人を見下すように言う大橋さん。
「二股?ふざけんなっ!!
覗きなんてやっててわからなかったの!?
私は店長なんかごめんだし、彼氏も要らない!!
翔ちゃ…朝の人も落し物届けてくれただけでっ…」
「あのさー、どういうつもりか知らないけど、偉そうに言わないでくれるかな?
そんな事聞いてないんだよ、こっちは!
さっさと辞めてくれない?目障りなんだよね~。
ちょっと若いからっていい気になってさ」
中本さんは、虎の威を借る狐。
1人でいるときは何も言えないくせに大橋さんがいると大きな口を叩く。
「私がいつ、いい気になったって言うのよ?
ちゃんと仕事はしてるし、別に優遇もされてない。
ただ単に店長が私に気があるってだけで、なんでそこまでされなきゃいけないの?
それこそただの僻みでしょう?」
3人は言い返す言葉を失ったようで、黙った。
「皆さんと違って暇じゃないので、お先に失礼しますね」
形式だけ頭を下げて、店の更衣室を後にした。
後ろから3人の暴れる音がしたけど、私は振り向かず、車へと向かった。
…暴れたいのはこっちよ。
何なのよ、二股って!
翔真には彼女がいるし、店長とは付き合ってるわけでもない。
無理矢理キスされただけで、何でそんな風に言われなきゃいけないの?
悔しい…っ!!
いつだって周りは敵なんだ。
もう1日だってあんな店に行きたくない。
とうとう退職決定です…。
本当は転職先を決めてからと思っていたけど。
早く決まればいいけど…。
いい大人が寄ってたかっていじめとかほんと、カッコ悪い。
そんなのから逃げる私もカッコ悪いけどさ…。
もう絶対無理。
「はぁ…」
もう何度目の溜め息か分からない。
悩みは尽きない。
「ママ、どうしたの?おっきな溜め息ついて」
唯花の前では、と思っていたのに、
運悪く、歯磨きを終えて唯花がリビングに戻ってきた。
「何でもないよ、大人にも色々あるの。
心配しなくても大丈夫!
ほらほら、唯花はもう寝る時間だよ!」
「はーい…おやすみなさい」
「おやすみ」
唯花は寝室へと入っていった。
そして私はもう1度大きく溜め息をついた。
その時だった。
スマホがめったに流れない着メロを奏でた。
ディスプレイを覗くと『翔真』の文字が表示されている。
一瞬ためらいながらも、受話ボタンを押した。
「梓か!?俺、俺っ!」
「ぷっ…変わってないね、翔ちゃん。」
翔真は昔から、電話での第一声が、オレオレ詐欺みたいに俺を連発する。
そんな些細なことが、私を和ませてくれた。
「なんだよ、それー。まぁいいけど。
結構強引に番号聞いたから、出てくれないかと思った。」
強引って自覚はあったんだ。
「出るよ、だってちゃんとお礼言えてなかったし。
ありがとう」
「あんなの別にたいしたことじゃないよ。
それより今朝のお前、元気なかっただろ?
だからちょっと気になってさ…。」
たった数分話しただけなのにどうして?
「そんな事ないよ…いつも通り」
「…じゃあ何でお前、泣いてんの?」
「泣いてなんか…」
張詰めていた糸が切れてしまったように、涙が溢れてきた。
それに気付かせないように言ってたつもりだったのに。
翔真には分かってしまうんだ。
「昨日も結局鈴子が来て、お前の話、ちゃんと聞けなかったからさ…。」
「…大丈夫だよ、なんでもない」
「何でもないことはないだろ?
昨日はあんな状態だったから言わなかったけど…お前が泣いてんの、男のせいか?」
「え…?それどういうこと?」
どうして男が関係してるなんて、わかるの?
そんなはず…「多分、お前の事追ってたんじゃないかと思う。
眼鏡かけたオヤジがきょろきょろしてたんだよ。
で、目が合ったら逃げてったからそうじゃないかと思った」
私、松永店長に追っかけられてたんだ。
知らなかった。
「…私……」
でもやっぱり言いづらい。
相手が翔真だから余計に。
「ストーカーか?だったら俺が…」
「違うの!!」
多分その続きはぶん殴ってやるだと思うから。
「え!?じゃあなんだ…」
「私が働いてる店の店長…」
「なん……」
言いかけて、翔真は言うのをやめた。
だいたいの事を悟ったんだと思う。
「…店長に……襲われそうになったの……。
逃げたんだけど…道を間違えちゃって。
そんな時に翔ちゃんが目の前に現れた。
まさか追ってきてるなんて知らなかったけど…おかげで助かった。
でもね…」
私は翔真に、その現場を見られてて、それが原因のいたずらをされた事を話した。
…もちろん、翔真がそのいたずらの一因になってることは言わず。
「…大変だったんだな。
でも梓は悪くない。そんなのに屈することはないよ。」
「もうなんとも思ってないの。
質の悪い蚊に刺された程度に思うことにしたから。
後は、次の仕事が早く決まるか。
それだけが悩み。」
翔真のおかげでずいぶん気が軽くなった。
「…どうしても辛くなったら、頼っていいぞ。
お前ぐらい養えるよ」
翔真はどういうつもりで言ってるのか、分からない。
でもその冗談は笑えない。
「…彼女がいるのに、調子のいい事言わないで」
「あいつは……」
「いいのっ!分かってるからっ!!
ありがとう、お休みっ!!」
翔真の口から、彼女だって言われるのはやっぱり耐えられない。
分かってても、それだけは嫌だ。
最後通牒を突きつけられる、そんな気がして。
私は一方的に電話を切った。
そんな優しい言葉かけないでよ…。
彼女がいるくせに。
これ以上、翔真と話したら、私は…。
…私は……。
やっぱり、翔真が好きだ……。
どうしようもなく好きだった、あの頃から。
ちっとも気持ちは変わってなかったんだ―――。