別れがくれた始まり
「えっ!?」
高校からの友人、静からその知らせを受けたのは、流都さんと再婚してから2ヶ月が過ぎ、クリスマスが近づいた頃だった。
「あたしも嘘であって欲しいって思ったけどさ…本当なんだよ」
「まさか…涼子センセが…」
「あたしらが卒業した次の年に癌が見つかって、1度は手術して取ったんだって。
でもそれが再発して…
まだ若いから進行が早くて、わかった時にはもう転移してて…」
「そう…」
それは、私の恩師である涼子センセが、癌でこの世を去ったという悲しい知らせだった。
「明日がお葬式だけど、梓出れる?私はちょうど休みだから」
「涼子センセにはお世話になったから…必ず参列する」
「電車なら駅まで迎えに行くから、メール入れて。あ、ごめん!キャッチ入った!」
「教えてくれてありがとう!」
私が言い終えると同時に電話が切れた。
「そんな訳で…休み取って、お葬式に行ってくるね。
明日の晩御飯は、唯花と外で食べてきてくれる?
地元だから、ちょっと遅くなるかも」
「あぁ、わかった。
こっちは心配しなくていいから。
友達と会うの、久しぶりだろ?
ゆっくりしてきたらいいよ」
「ごめんね…ありがとう。
中曽根さんに連絡しなきゃ」
それから私は、中曽根さんに休みの電話を入れた後、準備に取りかかった。
―――翌日。
「静、ごめんねっ!待った?」
「ううん、今来た所…ってか梓!?激ヤセしてるしっ!!」
「あ〜高校出てからね…静とは会ってなかったっけ?」
「噂で聞いてたけど…マジ別人レベルだわ」
「それは置いといて…とりあえず行かない?」
「わかった…じゃあ乗って」
駅から車で10分程走り、信愛ホールという葬儀場に到着した。
「涼子センセが受け持った生徒って、あたしらが最後だったんだって。クラスの7割位は来てるんじゃないかな」
「そうだったんだ…」
その言葉を聞いて、私は嫌な予感がした。
そしてそれは、見事に的中した。
「おーい、垣内ーっ!」
先に受付を終えた静が呼んだその人は…翔真だった。
「なんだ、柊か。久しぶ…」
静の隣にいた私と目が合った瞬間、翔真は言い掛けていた言葉を失った。
私が電話を切ったあの日から、翔真からのLINEや電話は1度もなかった。
そして私も、あんな切り方をしてしまったし、彼女の事を聞かされるのが嫌で、ずっと避けていた。
それに…流都さんと再会して、自分の気持ちを誤魔化すように再婚したし…。
…気まずい。
でも今逃げる訳にはいかない。
「…久しぶりだな」
「う、うん…元気だった?」
「あぁ」
「…突然で驚いた」
「俺も柊から電話貰って、すぐ会社に言って、休み取った」
「私もだよ」
「あれから何もなかったか?」
「え…と…」
「だから…あのストーカー店長に何もされてないかって聞いてんだよ!」
一瞬、翔真が再婚の事聞いたのかと思ってドキッとした。
「…うん、大丈夫。転職して、引っ越したし」
「噂で聞いたけど…再婚したって本当?」
ほっとしたのも束の間。
やっぱり知ってたんだ。
「…うん。色んな誤解が解けて、もう一度やり直そうって事になって…翔真は彼女とうまくいってんの?」
私ははぐらかすように、話題を変えた。
それで私は衝撃の事実を知る事になる。
「彼女って…鈴子の事か?鈴子は…彼女じゃねぇよ」
「え!?」
あんなに親しげで、堂々と家に入ってきたのに?
「…鈴子は俺の、血の繋がらない妹だよ」
「うそ…」
「親父が再婚して、出来た妹。相手の連れ子だから、血は繋がってない」
「私ずっと彼女だって…なんで…」
「何回も言おうとしたけど、お前話聞こうとしないし、電話は切るし…」
「だってそれは…」
私はその言葉を言い掛けて、はっとして口を手で押さえた。
『あなたが好きで、彼女がいるって知りたくなかったから』
心の奥で眠っていた気持ちが目を覚ます。
でも…もう遅いよ。
私は流都さんと再婚してしまった。
この思いは言えない。
「なんだよ、最後まで言えって!」
「…なんでもない、私の早とちりだった」
「…お前さ、嘘が下手なんだよ。バレバレだから」
「嘘なんか言ってないよ」
「気付いてねぇだろうけど、その表情態度全て、嘘付いてる時だから。…高校の卒業式の時も同じだったし」
心臓が大きく鼓動を打つ。
「え…なっ…」
翔真は、私の空白の時間を知ってるの?
頭が混乱する。
「…及川との会話聞いたんだろ?で、勝手に誤解してる」
「なっ、何を…」
「俺の好きな人は平坂じゃない」
もう一度聞いても胸に突き刺さる。
これ以上聞きたくない。
「わかってるよ!そんな事!!」
「だからわかってないって言ってるんだ!!」
今まで冷静だった翔真が声を荒げた。
その声で、葬式の参列者達がこっちを見た。
「ここでこの話は止めよう」
私はそう言って、翔真の元を離れ、先にホールに入った静の元へと向かった。
まだドキドキが治まらない。
翔真は何を言うつもりだったのか…。
それだけで頭がいっぱいだった。
「静、ごめんっ!私先に帰る」
「え!?ちょっと梓っ!」
葬儀が終わったのと同時に、私は静にそう告げて、ホールを出た。
翔真に会わないように…。
だけど、そんな私の行動を翔真はお見通しで。
ホールを出た所で、私を待っていた。
「翔ちゃんにはわかっちゃうんだね…」
「…場所変えよう」
それだけ言って翔真は車に乗り込んだ。
私は無言で、車の助手席に乗った。
私がシートベルトをすると、車は静かに走り出した。
翔真は無言のまま、20分程走った所で、車を止めた。
「ここ…」
着いたそこは、私達の母校。
「…もう何を言っても遅いけど、俺は……お前が…梓が好きだった」
「え……」
その一言はあまりにも衝撃的だった。
「嘘…」
「あの日、及川にああ言ったのは、他の誰かから俺の気持ちが伝わるのが嫌で、嘘をついたんだ。
どうせ及川とはこれっきりだし、どうとも思ってなかったしな。
それをお前に聞かれたのは誤算だった。
及川と話し終えて教室に戻ったら、お前はもういなくて。
急いで追いかけて、やっと追いついて。
話しかけた時、さっきみたいになんでもないって言ったんだ。
梓は、必ず嘘をつく時になんでもないって言う。
だからすぐに嘘ついてるってわかった。
でも、ちゃんと本当の事を言おうとした時に栗山と向井が来て…お前は用があるから帰るねってさっきみたいな表情で言ったんだ。
そして俺はそのまま2人に連れていかれて…メールしたけど返事は来ないし、俺は嫌われたと思った。
そしてそのまま会えずに俺は東京へ引っ越した」
「……」
「大学入って、彼女も出来たけど、梓の事が忘れきれなくて、すぐに別れて…。
そんな時に、お前が結婚したって聞いて。
ちゃんと話さなかった事後悔した。
大学卒業して、こっちに戻ったけど、この街に戻るのは辛くて。
でもまさか梓がT市に住んでるとは思ってもみなかった。
そして再会して…。
忘れたと思っていたけど、何も忘れてなかった」
それは私も一緒だよ。
「…ごめん、ずっと喋って」
「ううん。
…私もね、翔ちゃんが好きだった。
振られて、一緒に居られなくなるのが嫌で…ずっと言えなかった。
翔ちゃんの好きな人が私じゃないって聞いて…完全に振られたって思って…まともにご飯食べられなくなっちゃって。
ずっと泣いてた。
携帯電話は、帰り道で川に投げ捨てたの…あれが鳴ったから…」
「あれって…」
「翔ちゃんとお互いのメールの受信音、お揃いにしてたでしょ?
今でもあの歌を聞くと苦しくなる」
「……」
「私達、バカだね。両思いだったのに…」
「…なぁ、あの日アパートで俺が言おうとしてた事わかるか?」
「わかんないよ」
「…お前離婚したって本当か。
今付き合っている人はいるのか。
そう聞こうとしてたんだ」
「う…そ」
「…鈴子の邪魔が入って、聞けなくて…でも1つ幸運が落ちてた」
「それって」
「そう、梓の名札。
それを見て、離婚した事は本当だって確信した。
それから俺はこれを使って、お前との繋がりを手に入れた。
でも卑怯な事をした罰が当たったんだよな…
また話せないまま、梓は…」
いつの間にか涙が溢れていた。
こんなにもずっと私を思ってくれてたなんて…。
「…翔ちゃ……」
「…泣くなよ」
「ふぇ…翔ちゃ…」
「お前が幸せなら、それでいい…」
こんなにも簡単に、私の封じ込めた気持ちを、呼び覚ます。
そして私は、その気持ちを、もう隠せない。
「翔ちゃん…抱いて」
翔真は無言で車を走らせた。
そして無言のまま、ホテルに入っていった。
お互い一言も話さず、手を繋いで部屋に入った。
一瞬、流都さんの顔が浮かんだけど、すぐに消し飛んだ。
―――「…俺、離婚しろなんて言わないから」
「…うん」
「でもお前とこれっきりも嫌だ」
「…うん」
「最低だけど、今とても幸せだ」
「…私も。翔ちゃんの腕の中にいる今がとても幸せ。
お願い、もう少しこのままで…いさせて」
私は最低の道を選んだ。
流都さんも大事で、翔真が好きで。
これが誰も傷付かない、一番の方法だと思った。
それが人の道を外れる事でも。
やっと手に入れた本当の幸せを、私は手放したくなかったから―――。
「…涼子センセが私達を引き合わせてくれたのかな」
「…案外そうかもな」
「え?」
「俺さ、今年の始めに病院で涼子センセと会ったんだ。
親父が骨折って入院しててさ。
その時は涼子センセ元気で、色々話したんだよ。
梓の事とか。
センセ、俺がずっと梓に片思いしてたの、知っててさ。
今思うとあれが最後になるけど、生きてたらなんとでもなるって背中押してくれたんだ。
だから、何の根拠もなかったけど、梓にもう一度会えたら今度は絶対離さないって決めてたけど…
やっぱりそう簡単にはいかなかった」
「でも私はここにいるよ。
私も…もう翔ちゃんを離したくない。
私は欲張りなの」
「ぷっ…それダメなやつだろ」
「いいの!だから翔ちゃん…また抱いてくれる?」
「今までの分、取り返す位抱いてやるよ」
「大好きっ」
私は服を着てる翔真に飛び付いてキスをした。
そしてせっかく着た服をもう一度脱いで、名残惜しむように求め合った。
1つに溶けてしまえば、もう二度と離れないのに…。
―――「じゃあ、また…」
「うん、またね」
私を駅で降ろして、翔真は走り去った。
名残惜しむように、車が見えなくなるまで見送って、私は電車に乗った。
私達は不倫だから。
絶対秘密の交際だから。
こうして別々に帰らなければいけない。
それでも、大好きな人に抱かれていた時間は幸福以外の何でもない。
私は電車に揺られながら、翔真の彼女から、流都さんの妻へと戻っていった。
「ただいま〜」
家に帰ると、流都さんがソファに座って、本を読んでいた。
「お帰り、梓」
「ごめんね、唯花はもう寝た?」
「あぁ、ちゃんとお別れ出来た?」
その問いかけにドキッとした。
こういう事なんだ、人の道を外れるって。
「…うん」
私はバッグを置いて、流都さんに後ろから抱きついた。
「なんだよ」
「…ねぇ、久しぶりにさ…しない?」
それは自分でも驚く程、自然に出た。
他の男に抱かれた罪滅ぼし?
それとも…。
流都さんは黙って本を置き、首に回した私の腕を引っ張り、私にキスをした。
唇を離すと、立ち上がり、私をお姫様抱っこして寝室へ行った。
それから私は久しぶりに流都さんに抱かれた。
流都さんの腕の中で、私は快感と罪悪感に包まれていた。
―――「今日の梓、ちょっと激しいな」
「流都さんが激しいからだよぉ」
「…もう一回していい?」
そう聞きながらすでに、流都さんは私の中だ。
「いいって…アっ…!」
その夜が、今までで一番、流都さんを感じた。
抱かれる度に罪の意識は、薄れていく。