父と娘
それから後は当然仕事が捗らず、上がりの時間になった。
迷いながら流都さんの名刺に載っていたアドレスに住所を送って、私は帰宅した。
唯花にどう説明しよう。
考えても、答えは見つからず、私は大きくため息をついて、家に入った。
「ただいま…」
「ママお帰りなさい。どうかしたの?」
こんな時娘は鋭い。
私が調子が悪い時もすぐに聞いてくる。
…ちゃんと話せば、唯花も分かってくれるはず。
私は、深呼吸して話し始めた。
「あのね、唯花。
大事な話をするね。
…実は唯花のパパがもうすぐ家に来るの。」
「えっ!?」
「パパの事覚えてる?」
「…写真で見ただけ」
「写真?」
「ごめんなさい」
「いいの、ママもあれだけは捨てられなかったから」
流都さんが一緒の写真は離婚した時にほとんど捨てた。
けど、3枚だけどうしても捨てられなかった写真がある。
1枚は唯花がお腹にいる時に撮ったマタニティフォト。
横には流都さんが寄り添う。
2枚目は、唯花が生まれた日に親子3人で撮った初めての写真。
そして、生まれたばかりの唯花を抱く流都さんの写真。
この3枚は封筒に入れて、母子手帳を入れているケースの底に隠していた。
「…ママね、今パパと同じ会社で働いてるの。
色んなお話する内に、誤解があったってわかったの。
それでパパとママは仲直りしたの」
「………」
「今日は、その仲直りのお祝い。でも無理にパパって呼ばなくてもいいんだよ」
「……」
唯花はずっと無言だった。
パパの記憶は残ってないはず。
だから写真で見ただけのパパに会うって言われても、悩むよね。
「嫌だったら、やめてもいいよ」
それはそれで仕方ない。
唯花の気持ちを無視はできない。
「…パパに会いたい」
その一言にどれだけの思いが込められているかと思うと、辛かった。
この子から父を奪ったのは、私だ。
今になって後悔が押し寄せる。
「…ごめんね」
私は唯花を抱きしめた。
その時、玄関のチャイムが鳴った。
モニターには流都さんが写っている。
「パパ来たよ」
私は唯花にそう言って、2人で玄関へ向かった。
「こんばんは〜!クマタロウだよ♪」
扉を開けると、大きなテディベアが手を振っていた。
「わぁ〜かわいいっ」
唯花はテディベアに抱きついた。
その後ろで流都さんが笑っていた。
「パパさん、こんばんは」
ぬいぐるみに抱きついたまま、唯花が言った。
私は驚き、流都さんはまた笑って、「お友達になってね」と
言ってぬいぐるみから手を離した。
それを見て、私は涙が溢れそうになった。
…もうこんな光景は見れないと思っていた。
でも、どこか望んでいたのかもしれない。
「美味しいハンバーグ食べに行こうか」
「うん!クマタロウ座らせてくる」
唯花はそう言ってリビングへ走っていった。
5年の月日が経っていても、2人が親子である事に何も変わりはなかった。
お互いに気を遣っているだろうけど、それでも家族に戻ろうとする意思も感じた。
「会わせてくれてありがとう」
流都さんが呟いた。
…苦し紛れで咄嗟に出た事で、言ったのを後悔した。
でも今は、2人を会わせて良かったと思う。
…唯花のあの笑顔が、何よりの証拠。
「あのテディベアどうしたの?」
「…来る途中で見つけて…話すキッカケになるなと」
流都さんは顔が真っ赤になった。
きっとその時の事を思い出している。
そして私も想像して笑ってしまった。
こんな大の大人の男がファンシー雑貨の店で、子供の身長ほどあるテディベアを買ったと思うと…。
「内緒にしてくれよ…」
流都さんは呟いた。
それがとてもかわいかった。
この間といい、この人にこんな一面があったとはと驚かされる。
……ううん、違う。
私が知らなかっただけで、この人は元々こんな人なのかもしれない。
私は彼に特別な感情を持ち始めていると気が付いた。
それは多分家族愛。
結婚した時は、怖くて優しい先輩という憧れと尊敬の気持ちしかなかった。
もちろんその中に好きはあった。
そして幸福だったけど、私に彼への愛があったかと聞かれたら、イエスとはっきり答えられない。
だから、私は彼に好きな人が出来たなら仕方ないと思った。
裏切りに怒り悲しみながら、そんな後ろめたさがあった。
本当は私に、倉木を責める資格はない。
だから、もう全て水に流すしかない。
過去には戻れないんだから。
唯花の為にもきちんと考えて、後悔しない答えをださなければいけない。
それを考えさせられるいいキッカケになった。
30分程車で走って到着した店は、2年程前にオープンした、人気のレストラン。
店内は既に沢山の客で賑わっていた。
「いらっしゃいませ〜!すみません、只今満席でして…」
「予約した立橋ですが」
「失礼しました、立橋様ですね!伺っております!どうぞ」
店員に個室へ案内され、中に入ると、見知らぬ男性が座っていた。
「よっ立橋、久しぶりだな」
流都さんの顔を見るなり、その人は手を挙げて、笑っていた。
「…知り合い?」
「…こいつは須田。俺の友人で、この店のオーナー。」
「えぇっ!?」
なかなか予約の取れない人気店なのに、すんなり入れた理由がそこにあった。
まさか、オーナーが友人!?
「オーナー兼友人の須田です!」
立ち上がって、私達に一礼した。
「あ、初めまして」
私もぺこっと頭を下げた。
「本当は初めてじゃないですけどね」
「えっ」
「…俺の友達が集まって結婚祝いしてくれたの、覚えてないか?」
「えっと…あ!」
そういえば、結婚式をせずに入籍だけで済ませた私達を、流都さんの友人が集まって、お店を貸し切って祝ってくれた事があった。
その中にいたような…。
「もしかして…開始10分で酔って寝ちゃってた…」
「そう、あの須田。」
「俺下戸なんすよ。川本のバカが酒にすり替えて…」
「それでよく、レストランのオーナーやってられるよな」
「経営と下戸は別問題だ!それにシェフもソムリエも優秀だから」
「燎我とはたまに連絡取ってるけど…あいつ結婚すんだって?」
「あぁ、来年の6月に挙式。お前にも招待状出すっつってたぞ。お前も夫婦で出席出来んじゃん」
いきなり話を振られて、流都さんは赤くなった。
「そんなんじゃねぇよ」
言い返すと、
「は〜ん…大事な人連れてくから、席空けとけってすっげー剣幕で連絡寄越したくせに?」
須田さんはニヤニヤしながら言った。
私はそれを聞いてちょっと嬉しくなって、流都さんは慌てていた。
「おい須田!それは内緒だって…違うぞ、梓」
「唯花座ろうね」
私ははぐらかして、唯花と席についた。
「娘さん、アレルギーとかあります?」
「いえ、ないです」
「わかりました。では今日のオススメをご用意しますので、お待ち下さい」
「ありがとうございます」
須田さんがぺこっと頭を下げたので、私もつられて頭を下げた。
「ごゆっくりどうぞ」
「もう来るな!」
流都さんが出て行く須田さんに向かって言って、思い切り戸を閉めた。
「パパさんとお兄さん、仲良しなんだね」
気まずい雰囲気の中、唯花の一言で私は背筋が凍った。
流都さんは眉間に皺を寄せている。
子供は素直で怖い事をズバッと言ってくれるから、こっちは冷や汗もの。
「…そうだな、多分言いたい事言い合えるのは、仲良しなんだろうね」
流都さんは穏やかな表情に戻っていた。
「ここのシェフ…料理を作ってる人も、友人なんだよ。
腕の良さはわかってるから、期待してて」
「本当!?楽しみ」
さっき凍りついた雰囲気が、唯花の笑顔で溶けていく。
子は鎹というけど、その通りかもしれない。
私にはあんな事絶対言えないし、2人きりだったらきっと気まずい雰囲気のままだったと思うから。