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待つ決めたのは良いが、どの様に待つのが相応しいのだろうか?
考えても仕方ないし、身体があると仮定して瞑想でもしてみようか?
まず、瞑想をやる際には何をやろうと考える事は無意味。
周囲の空気を感じとり、それと自分自身を同調させる事を目標にする。
同調というが、溶け込む事ではなく同じ流れに自分自身をおくそこが一番寛容な点だろう。
瞑想を始めてどの位の時が経ったのかは分からないし、知りたいとは思わない。
ただ、この空間に満ちている空気の流れは複雑でいてある法則に則ったものであることが静かに瞑想していて分かる事だ。
法則性がある事は把握できるが、法則の内容までは把握出来ない。
その法則は複数存在している事も分かる。
ただ、法則性があり複数存在する事が分かる程度では、理解したとは言えない。
更にその法則が複雑に絡み合って互いに影響を与え合っている事もまた、その法則の内容を把握し、あまつさえ理解する難しさを増しているのだ。
理解と分かるとは似て非なるモノである。