礼儀を大事にする話
赤土の見える荒地を、一人の少女と栗毛の馬がのんびりと歩いていた。風は一切なく、時折サソリが歩いている姿を見かける。少女は長い黒髪をアップにしていて、白を基調としたシャツの上に黒のジャケットを着て、ホットパンツに身を包んでいる。足は動きやすいように靴を履いているが、ふくらはぎから太ももまでかなり素肌を晒していて、肌はやや白い。腰には長い刀を差していて、馬の揺れと同調するように少しだけ上下していた。
彼女の名はセーラ。愛馬はカノという。馬の背に積んでいる食料は少なくなっていて、数日以内に街に着くことができなければ命に関わる。特に水が少なくなっていた。何度か水筒に手を伸ばしては、首を小さく振って欲望を追い払う。
先日通りかかった旅人から、街は近づいていると聞いたので期待はしているのだが、地図を持っていないので道を間違えているのかもしれない。太陽はすでに西にかなり傾いていて、日没まで間がない。
「……今日はここで野宿かな。カノ、サソリに刺されないでね」
セーラは残り少ない水をカノに飲ませて、首を撫でた。気持ちよさそうに体を震わせて、離れすぎない程度で自由に歩きだした。その間に、セーラは邪魔な石を払って平らな場所を作りテントを張った。夕食の準備を手早く済ませ、カノに野菜を与えた。一連の作業が終わった時には星空がよく見えていて、非常に寒い。セーラは荷物から寝袋と毛布を取り出し、テントの奥にまとめて置いた。
夕食は、刻んだ野菜と干し肉を少し入れたスープだ。かなり煮込んだので一部の野菜が溶けかけている。セーラはスープの入ったカップを持ってテントから出た。雲が出ておらず、満天の星空を眺めることができた。ここ数日は天気が悪かった分、綺麗な星空に感じる。
素足を出してしまっているせいでサソリがどうしても気になり、地面に直接座るようなことはせず椅子に座った。スープで体を温めながら空を見て、時折足元を確認した。何もいない。
スープを飲み切った後、ドライフルーツを食べながら夜空を眺めた。ハンモックに寝転びたかったが、近くにいい距離感の木がない。
涼しい夜だった。テントに戻った後も、寝袋に入ってすぐ寝入ることができた。時折外で強い風が吹いていたが、テントが動くことはなかった。そして、その間セーラは一度も起きなかった。
朝日がテントの中まで入り込んでから、セーラは目を覚ました。大きく伸びをしてから、ゆっくりと寝袋を丸めた。袋に収納したあとで濡れタオルで体を拭き、素早く着替えた。デニムジーンズを穿き、白いTシャツの上に淡い暖色に小さな模様を配した薄手のジャケットを着た。
外に出ると、昨日より涼しい。カノに野菜を与えて水を飲ませた。手早くテントをたたんで仕舞い、起きた時から太陽がほとんど動かない間に出発する。普段はカノに乗ってのんびり歩いているのだが、今日は駆け抜けた。テントをたたんでいる途中、足元にサソリがいるのを見て離れたくなったのだ。もう、あと少し走れば街が見えるはずだ。
有難いことに視界は広い。
「見えた……」
思わずセーラは呟いた。遠くに、小さく建造物のようなものが視界に入ったのだ。そこまでの道もある。水筒から水を一口だけ飲み、再びカノを駆けた。時刻はちょうどお昼ごろだが、セーラは昼食をとっていない。
その後すれ違った旅人から、街のことを聞いた。青髪の若い男性で、セーラの国にもある旧式のライフルを背負っていた。彼はその街の出身で今朝出てきたと言い、セーラと一緒に昼食をとりながら話を聞いた。
「あの街はね、高いタワーを中心にできているんだよ。仕事はほとんど土木関係と住居関係だ。住むのはお勧めしないね。身分制で、身分の高い人は下の人に礼儀を強要している」
旅人はそう言って、ため息をついた。彼が振舞ってくれた食事はすでに食べ終わっていて、今はセーラのポーチを二人の間に置いてドライフルーツを摘まんでいる。
「身分制度ですか……私の住んでいた町ではなかったものです」
セーラが言うと、旅人は素晴らしい、いつか訪れてみたいと言った。セーラは、彼女なりの旅の知識を彼に教えた。『死ぬな』と『水と食料を大切に』。これだけである。
二人とも充分に食べて、セーラがポーチを腰に巻きなおした。砂を払って立ち上がり、カノを引き寄せる。
「それでは、私は街へ向かいます。また、どこかで会えたら」
「ええ、それでは。楽しんで、頑張るよ」
その後、セーラは夕方になってから街に到着した。タワーは、見上げると首が痛くなるほど高く所々にガラスが使われていた。街に入るのは自由で、門番をしている人からは馬から降りて歩くようにだけ言われた。
「お嬢さん、旅人かい?」
セーラがカノを引いて歩いていると、通りがかった人に声を掛けられた。涼しそうなシャツを着ている中年の男性だ。
「はい、ここに来るのは初めてです」
「ここのタワーは大きいだろう? みんなそれを自慢したがる」
セーラは苦笑いを浮かべて頷いた。彼女が声をかけた人は皆、タワーについて語っていて、少しだけ辟易していたのだ。しかし、その男は少し違った。
「あのタワーは確かにこの街の象徴だけど、旅人にはただのデカい建造物だろう。それより、来たばかりならあっちの茶屋に行くといい。宿もあって休むことができる」
そう言って、男は右の道を指さした。広い道で、人通りが多い。セーラは礼を言って、右の大通りに向かった。
目的の茶屋はすぐに見つかった。周りの建物とは一風異なる赴きで、木造だった。店の前にベンチが置かれていて、その近くにお品書きと書かれている硬い紙が置いてある。
セーラはそれを手に取って見た。品数は意外なほど少なく、そして安価。見たことのない商品が多い。
迷った挙句、彼女が食べたことのないみたらし団子と値段の一番安い冷茶を頼んだ。
頼んだものは少し待っただけで届いた。動きにくそうな着物を着た妙齢の女性が、丁寧な動作で串に刺さった団子を乗せた皿と湯呑みに入った冷茶を置いた。去り際に、ごゆっくりどうぞ、と言い残す。
セーラは冷茶で渇いた喉を潤してから、団子をつないでいる串を手に取った。小さく口を開けて、団子を一つ口に含んだ。
甘いみたらしがたっぷりかけられた団子は弾力があって、簡単には串から離れなかった。もちもちとした触感は新鮮で、セーラは残った二つの団子を眺めながらゆっくりと咀嚼していく。団子は一つの串に三つ刺さっていて、それが皿の上に三本ある。
セーラは、食べ終わった後に宿の予約をした。部屋に荷物を置いて、近くの厩舎で馬を預かってくれるサービスがあるというのでカノを預けに行った。宿をとった人なら無料になるという有難いサービスだ。
厩舎は綺麗で、働いている人も慣れた手つきで信頼に値する。セーラは安心してカノを預けた。
そのあと、彼女が気になっていたタワーに向かった。中心に近づくほど人の服が綺麗になっていて、建造物も大きくなってきていた。
道路の真ん中は人が通らない。貴族が馬車で通る可能性があるので、暗黙のルールとして道の端を通らなければならないらしい、と通行人から聞いた。セーラもそれに従い、道の左端を歩いている。
途中、貴族の行列に出くわした。セーラがぼうっと突っ立っていると、傍の人から座るように注意された。慌ててその場に膝をつくと、直後に貴族の行列が延々と道路の真ん中を通った。
「……すごいんですね。ここの貴族様は」
セーラが関心と驚きを混ぜて言うと、注意をしてきた女性は小さな声で答えた。
「ええ、ここを支配している方は、三千人の部下を抱えているわ」
「三千人も。あのタワーはもしかして?」
セーラは、タワーがただの建造物ではなくて貴族の住まいではないのか、と考えた。女性は笑みを浮かべ、殆ど当たりと言い、付け加える。
「実際には、貴族の直属の部下も住んでいるわ。殆どが刀を修練した兵士よ。そういえば貴女も大きな刀を差しているわね」
「ええ、でも、自分の身を守るのが精一杯の弱卒なので……」
セーラの剣の腕を知る者ならば、彼女はそこらの男よりも遥かに上手く刀を扱う。臆病な内面さえなければ剣士としても名をあげられるだろう、と評するだろう。
タワーに行くと、綺麗な着物を着た女性が出迎えてくれた。どうやら一部だけ見学できるらしいので、セーラは案内人をお願いして入った。刀は差したままで良いらしい。
タワーの中は前近代的で、外見の印象とは大きく違っている。腰に刀を差して厳しい顔をしている人が想像以上に柔らかい物腰で、セーラは拍子抜けした。
「領主様は、私どもに丁寧な口調と動作を心がけるよう命じておられます。領主様もお優しい方です」
「礼儀、ですか。聞いた話ですが、東の果てには何よりも礼儀を重んずる国があるそうで、そことよく似ている気がします」
セーラの何気ない一言だったが、案内人は目を輝かせて距離を詰めてきた。
「ご存じなのですか! 領主様は昔、その国の作法に感動して街にその礼儀作法を取り入れたのです!」
なるほど、道理で似ているわけです。とセーラは冷静に答えた。彼女がいずれ行きたいと思っている場所で、手掛かりがないのだ。東の果てと言っても、ヴァナスの東に位置する国の東は海だ。
さすがに領主には会えないので、セーラは十分に見て回った後礼をして出た。ただ、領主のお供をしていたという背の高い兵士から大きな地図をもらうことができた。セーラは深々と頭を下げ、礼を言った。
「我らが閣下は旅人に礼を尽くすことを命じております。私は旅行に同行致しましたので、閣下の命令を心から理解することができております」
兵士は嬉しそうに言った。かなり強面のごつい兵士だが、彼もほかの人と同じように、否、より腰が低い。
「ありがとうございます。地図がなくて困っていたのです……」
「それはそれは、大変でしたね。どこかで地図を失くされてしまったのですか?」
「山でちょっと災難に遭って……私が持っている地図ではここは載っていないのです」
そう言って、ポーチから地図を取り出した。それを兵士に見せると、少しだけ不思議そうな表情を浮かべる。そして、左端の方を指さした。
「この地図は、西方のものですよね。見たことがない土地が書いてあります」
兵士が言ったのは、ヴァナス国から西に向かったところにある砂漠の国だった。セーラも訪れたことがない場所だ。その国について簡単な説明をすると、兵士は東にも砂漠があると教えてくれた。暑くて、水の確保が平常よりもさらに大事になるという。セーラは砂漠を見たことがなかったので、知らなかった知識だ。
タワーを出たセーラは宿に戻った。そして、次の目的を東と定める。ジハームという国を通り過ぎた先が砂漠らしいので、ここでは休んで食料と水の補給に留まった。
街を出るのは三日後の予定だ。
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