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関係のない話

 一組の若い男女が、平原で馬を並べて佇んでいた。男の方は背が高く、動きやすい薄手の服に身を包んでいるくすんだ赤い髪が特徴的な青年だ。目立つものは腰に差している二本の剣のみ。耳にはピアスをつけていて、髪のせいで見え隠れしている。

 少女は銀色の長い髪を降ろしていて、ノースリーブのブラウスとデニムパンツに身を包んでいる。腰には大きなポーチを提げていた。

 少女は、隣にいる若い男に声をかけた。風が吹いていて、少女は右手で髪を軽く押さえていた。その目は遠くの地平線を見ている。


「涼しい……ですね。ここがガルムの故郷ですか」

「ええ、ここが俺の仕えていた――ヴァナス国です。レナ様は初めてですか?」


 ガルムは、国名を言い終えた直後に小さく息を吐いた。街道は整備されておらず、雑草が伸び放題になっている。季節は秋から冬になろうとしていて、裸木がちらほら見える。太陽は西に随分傾いていて、空が燃えるようなオレンジ色に染まっている。

 レナは短く「はい」とだけ答えた。それから、ほんの少しだけ体を震わせた。


「寒いですね。どうぞ」


 ガルムが馬を寄せて、毛皮のコートを羽織らせた。レナの体には大きすぎるコートで、少し汚れてもいる。しかし、レナは嬉しそうに袖を通した。幸せそうな表情でフードも被り、余った袖を口元に当てている。

「ガルムの服……あったかいですね。ガルムは寒くないですか?」

「俺は慣れていますから。基本的にヴァナスは寒冷ですから」

 少し寒いくらいが心地よいのです、ガルムはそう言って風上を向いた。すぐ近くに煉瓦造りの塀が見える。少し薄汚れてはいるが、近くの煙突からは煙が出ていて生活感は感じられる。


「もう夜になります。街に入りましょう」


 ガルムが言うと、レナは何も言わずに従った。レナが街に向けて歩き出してから、ガルムもそのすぐ後ろを歩く。

 街は活気に満ち溢れていた。国境近くなので陸上交易が活発で、商人の滞在も多い。大きい街ではないが、人口は多く宿も至る所にある。行商人が自由に商売することができる通りもあり、国内でも栄えているといわれている街だ。

 レナが珍しそうに辺りを見渡しながら歩いている。二人が歩く先々で、人々が集まっていた。歓声を上げている人も少なくない。レナは何事かと思っていたが、淡々とした表情で時に手を軽く上げているガルムを見て、何かに関係しているとだけ考えた。それ以上は、何も考えない。

 しばらくすると、街を治めている高齢の役人が馬を飛ばしてやってきた。ガルムの目の前で素早く下馬し、片膝をつく。顔に皺が寄っているが、動きにキレがあって筋肉も衰えていない。


「ガルム将軍! お久しゅうございます」


 老人は恭しく頭を下げた。その後ろに控えている数名の兵士も一斉に片膝をついて頭を下げる。ガルムも下馬し、老人に頭を上げるように言った。レナだけが馬上で呆然としていた。


「何か変わったことはなかったですか?」


 ガルムが問いかけると、老人は苦々しさと安堵のない交ぜになった表情をした。顔に深い皺が刻まれ、厳格な表情となる。威厳に満ち溢れたその顔はガルムでさえも圧倒するほどのものがあった。


「帝国軍は王都に残っております。ここにはまだ来ておらず、皆平穏な生活を保っております」

「それは何よりです。尤も、兵が来たところでローム殿の用兵をもってすればあっという間に追い返してしまいますな」


 ガルムは笑いながら言った。その後、ガルムとレナはロームの屋敷に招待された。決して広くはないが、二人の客を泊めるのには全く困らない。屋敷に入った時には、レナはコートを返していた。

 普段ではありえない豪華な夕食を振舞われ、ロームの妻も含めた四人で談笑する。彼らの前には、白身魚とホタテのソテー、子羊のステーキ、オムレツなどが並び、高級ワインがグラスに注がれていた。


「ガルムは将軍だったのですね。以前から甲冑が気になっていましたが、理由がわかりました」


 白身魚とホタテのソテーを食べて、口元をナプキンで軽く拭き取ったレナが突如そんなことを言い出した。頬が少し赤いのは、赤ワインの影響だ。ガルムが思い出したように詫びた。


「今まで黙っていて申し訳ありませんでした」

「いえ……詮索は失礼ですから」


 レナは上機嫌で言った。そして、上品にワインを一口飲む。


「ヴァナス六大将。最早全滅したものかと思うときもございました」


 ロームが渋い声でしみじみと語りだした。彼の前にはオムレツが三段になっていて、山を築いていた。


「ベルトラー将軍……クラーク将軍……ザース……ラヴァロンテ将軍……ジショウ将軍……そして、ガルム将軍。そのうちの五名までが死亡を確認され、貴方は行方不明になってしまわれた。そのあと、失意の末に国を去ったという話を商人から耳にしました」

「己の無力を感じ、敬愛する陛下さえもお守りできなかった自分に、この国に残ることが許されるとは考えられませんでした。背任行為であり、当時は死に処を探して放浪していました」


 ガルムがワインを飲んだ。彼は酒に強いのか、いつも通りの表情を保っていた。食事を七割方食べていて、皿の上には子羊のステーキが一切れだけ乗っている。


「ここが国境に近くて幸いですな。帝国軍が近寄りにくい」

「全くでございます。しかし、西側一帯は完全に支配され、我々の軍は確認できるだけで僅か一万五千でございます」


 ロームが沈痛な表情で呻いた。ガルムは驚きで何も言えず、右手のナイフを置いた。椅子の背もたれに体を預け、腕を組んだ。考え込んでしまったのを、レナが心配して視線を送る。


「……ほぼ、全滅ですか。ここには現在どれくらい残っているので?」

「八千。歩兵六千、騎兵二千。防衛のためですので、攻めるには少なすぎる数でございます」


 ガルムが小さく頷いた。そしてため息をついてからフォークとナイフを持ち直す。


「仕方のないことです。それに……ここから王都は、遠すぎます」


 そう言って、レナに食事を続けるよう伝えた。彼女の皿の上の料理は先ほどから減っておらず、いつの間にかフォークとナイフも置いてしまっていた。ガルムが言うと、レナは会釈してから安心した表情で肉を切りはじめた。柔らかな肉は簡単に切ることができる。


「時に、こちらの方とはどこで知り合ったので?」


 ロームが、ナイフを置いて問いかけてきた。彼の目の前にあったオムレツの山はすでに消え去っている。ワイングラスも空だ。既に食事を終える意思があるのか、フォークとナイフをそろえて置いている。

 ガルムはちらとレナを見た。彼女が笑顔で頷いてから、フォークを置いて一息ついた。言葉を選びながら説明する。


「このお方は、隣国の貴族に当たります。尤も、出会ったときは放浪しておりましたが……」

「国内の競争に負け、内乱で家がなくなりました。私一人命からがら逃げだしましたが、旅の知識はなく、ガルムと出会ったときには死を覚悟していました」


 唐突に、レナが口を挟んだ。言葉を選んでいたガルムと違い、実際にあったことや状態を淡々と伝える。彼女の皿は空で、グラスには赤紫の液体が僅かに残っている。


「レナ様……そのお話は」

「いいのです。隠していて、利益になることでもありませんから」


 心配するガルムを遮り、レナが話を引き継いだ。口元を白い布でそっと拭い、銀色の絹のような髪を少しだけ後ろに押した。ほんの僅かな逡巡の後、レナが話を始めた。


「私は、父親の命で一人馬に乗って家から逃げ出しました。直後に攻め滅ぼされたと思います……。数日間、私は一心不乱に走って……そして動けなくなりました。食料の配分がわからず、すぐに食べつくしてしまったのです、――ガルムが通りかかったのはその翌日です。……これが、出会いで、今から半年以上前の話です」


 レナが頬を赤く染めた。この時にはガルムも食事を終えていて、背もたれに体を預けている。レナの話を聞いてはいたが、特に表情を動かしはしなかった。内心では、大変驚いたのだが。

 ロームがニヤついた。挙句にはどう思われますかな? などとと言い出してしまい、ガルムが慌てることになってしまう。


「い、いや俺は……その」

「はっはっは、ガルム様は相変わらず無骨でいらっしゃる。レナ殿、このお方は根っからの武人ですぞ」

「ガルムが武人でいらっしゃるのが、何か関係ありましょうか。私は……いえ、ガルムの意思に左右される人生を楽しんでますので」


 レナはそう言って、いきなりガルムの右腕を抱き寄せた。驚き呆けている彼の腕に頬を当て、目を閉じた。頬が真っ赤になっているが、表情はこの上なく幸せそうである。


「ほほほ、お熱いことで……ガルム様も、早々に意志を固めないといけませんね」


 ロームの妻が、上品に笑んで笑えないことを言った。ガルムにしても決して嫌ではないので振り払うなどといったことはしないしできないが、かなり恥ずかしい。頬が赤くなっているのはワインのせいだけではないだろう。


「まあ……その、レナ様が安住できるところを見つけないことにはどうしようもありませんが」

「ならば、安住の地が見つかれば!」

「おお、素晴らしい。その時には、街を上げて……いや、現存しているヴァナス全てを上げた宴を催しましょう」


 ガルムが失言だったと内心で頭を抱え、ロームは愉快そうに言った。レナは嬉しさここに極まれりといった表情でガルムの腕をさらに強く抱きしめていた。ロームの妻が、懐かしいですねぇと独り言をつぶやいている。

 翌日、ガルムは一度西へ進むことを決めた。ロームから忠告があったものの、同時に隣の街までは大丈夫でしょうとも聞かされていたからだ。本心では、レナにヴァナス国を見せたいと考えている。


「お世話になりました」

「いえいえ、お気をつけてくださいませ。何かあった場合には、儂の全力をもって補佐させていただきます」


 街の入口で、ガルムとレナが馬を並べて礼を言った。同じく馬に乗ったままのロームが、十名ほどの部下とともに見送りに来てくれている。街の様子も落ち着いていて、戦時中には見えなかった。それをロームに聞くと、「戦争で死ぬのは基本的に兵士なのです。民衆……それも国境沿いとなると、ピリピリするのは兵士だけでございますな。ある意味、関係がないのかもしれませぬ。――いつまでかは、わかりませんが」と答えた。関係がない、ですかと問い返すと、彼は無言で頷いた。

「おっと、長話となりましたな。どうも年を取ると話がくどくなっていけません。では、お気をつけて」

「また戻ってまいります。ローム殿は体調にお気をつけてください」

 レナが少し待ちくたびれているのを感じ取り、ガルムは馬を返した。レナが嬉しそうに馬を並べ、街から離れていった。


「レナ様、次はこのように進もうと思います。よろしいでしょうか」

「はい、問題ありませんよ」


 ガルムが地図を見せて問いかけると、レナは一瞬のためらいもなく答えた。その直後に、彼のコートを掴んで引き抜いた。


「寒いですっ」


 少し楽しそうにコートを羽織った。余った袖口を口元に当てて目を閉じる。隣でガルムが呆れの混じった声色で、前を見てくださいよ、落馬しますよと言っていた。

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