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関所の話

 弱い風が吹いて、木の葉が触れ合う音がする。暖かく、それでいて鬱陶しくない気候だ。春とは実に素晴らしい。

 固められた道と草むらの境目が一目でわかるほど整備された街道を、一組の若い男女がそれぞれ馬に乗って歩いていた。男の方はさらに荷物持ちの馬を引いている。彼ら以外には誰も通っていない。

 男の方は十代後半のようだ。背が高く、風を通しやすい薄手の服に身を包み、細身ながら筋肉がしっかりと付いている。精悍な顔立ちをしていて、狼のように鋭く赤い目は油断なく周りを見ていた。くすんだ赤色の髪を風になびかせ、耳には貴金属のピアスを付けているのがチラチラと見える。

 武装は両腰の、やや短くて反りのある剣のみ。しかし彼が引いている荷物を背負った馬には、リュックが二つのほかに甲冑が置いてある。


「ガルム……そんなに気張らなくていいのに。リラックスして行きましょうよ」


 ガルムと呼ばれた、赤髪の男が振り返る。彼の三歩ほど後ろで、やや小柄の白馬に乗った少女が苦笑いを浮かべていた。

「これだけ視界が開けていたら危険はないと思うんですが」

 少女は十代半ば。背が低く、ハーフアップにした銀髪と大きな碧眼が目立つ。服装はノースリーブの白いブラウスとデニムパンツで、腰には革製のポーチが下がっている。武装はしておらず、白い肌には所々に赤い傷が残っていた。白馬の背には麻袋が二つ下がっている。

 少女の問いかけに、ガルムは当然とばかりに答えた。


「しかし、レナ様……俺の癖なんです。気にしないで問題ありません」

「そうですか……でも、あと少しで関所ですよ」


 レナと呼ばれた、銀髪碧眼の少女は不満そうに答えた。馬を寄せ、早く行こうと催促する。ガルムは草むらの動きを睨んでいたが、特に不自然な動きはないので従う。

 街道沿いに歩いていると、レナの言うとおり関所らしきものが見えた。鉄製の巨大な扉が街道を塞いでいる。そのすぐそばに烽火台があり、両脇は高い崖になっていて通れそうにない。

 ガルムは烽火台の手前で、哨兵を探した。大抵は烽火台にいるので、ふたつある台をしっかりと見る。

 すると、

「今ここは封鎖中だ、引き返せ!」

 と、台から哨兵が顔を出して怒鳴りつけてきた。

 哨兵の高圧的な物言いにガルムが言い返そうとするのを、レナが止める。ガルムを手で制したまま、彼女が前に出て穏やかな口調で問いかけた。


「何故ですか?」

「旅人の知るところではない! 怪我したくなかったら引き返せ」


 尚も哨兵は態度を変えない。今度こそガルムが何か言いかけたその時、哨兵がもうひとり顔を出して、問いかけてきた。


「……旅人なら、怪我は自ら治療しているのか?」


 二人目の哨兵の声は、明らかに女性の声色だった。兜をかぶっていて、顔の様子は見えない。レナは小さく頷いて肯定する。


「はい。私は薬師です。同時に医術師でもあります」


 刹那、女性の顔色がいきなり変わった。止めようとしている男の哨兵を無視して、「入ってくれ、今すぐ」と言い、姿を消した。階段を駆け下りたのだろう。

 それからすぐに扉が開いた。女性が出迎えてくれる。兜を左脇に抱えて、右手は甲を見せ、右眉を隠すように斜めに当てている。とある国の敬礼の仕草だ。

「無礼な歓迎をしたことに謝罪する。貴殿に頼みたいことがあるのだ」

 女性はロセーリアと名乗った。金色の長い髪が風でふわりと舞う。ガルムとレナもそれぞれ名乗り、ロセーリアに招かれて、二人は中に入った。


「こんな場所で息が詰まると思う」

「いえ、大丈夫です」


 すまなそうにロセーリアが言うと、すぐにレナが首を振った。ガルムは何も言わない。

 室内には血の臭いが充満して、異様な雰囲気を作っていた。ベッドには負傷した兵士が寝込んでいて呻き声が漏れている。包帯に赤黒い血が滲み出ていて、治療が成されていない兵もいる。

 ガルムが部屋を見渡した。


 負傷していない、もしくは戦闘に支障のない者が五名。ベッドで寝ている負傷兵が三名。後、見張りをしている兵士が最低一名。計、約九名。


 質素な四角のテーブルの上に地図が置いてあり、ガルムとレナはロセーリアの正面に座った。椅子に背もたれは無い。ロセーリアの後ろには二人の兵士が直立不動の姿勢で表情を硬くしている。

「関所を越えた先、北西から騎馬民族が襲来していて、この関所で戦闘になっている。……状況は芳しくない。善戦しているが、そろそろ負傷兵が半数になりそうだ」

「軍隊は何をしているのですか」

 ガルムが問うと、ロセーリアは僅かに首を振って答えた。

「南の国境で戦争をしている。こちらには当分来られない」

 ロセーリアはさらに言葉を続ける。

「そのうえ……ここを担当していた医者は最初の襲撃の際に矢にやられた。私含めて他の者に医術の心得は無かった」

 見ると、彼女の体は小刻みに震えている。頬が紅潮していて、言葉には力が入っていた。

 レナは上半身だけをガルムに寄せて、小さな声で問いかけた。


「良いですか?」

「勿論です」


 レナはロセーリアに向き直って言った。その堂々とした態度は、高貴な身分を連想させる。ソプラノの透き通った声が僅かに空気を浄化したような気がする。


「微力ですが……お力添え致します」

「俺も……この状態なら、手伝えることがあるかと」


 ガルムは腰に差している剣の柄を右手で抑え、静かに言った。


「戦力は一人でもありがたい。ありがたく思う」

「では、戦闘になったら白兵戦に参加します」

「早速作業をします」


 レナは外にいる馬に積んでいる荷物を取りに行った。ガルムも甲冑を取りに行くべきかと考えたが、僅か九名で守り切れているならそれほどの大軍でもないだろう、と判断して動かなかった。

 話を聞くと、ロセーリアはここの指揮官らしい。兵も、見張りとはいえ歴戦の戦士ばかりと聞いた。一部はそのようには見えなかったが、ガルム自身が若いので何も言わない。


 レナはポーチと大小二つの袋を脇に置いて、ベッドで寝込んでいる中年の男性兵士の手を取った。この兵士は右のわき腹に矢による傷を負い、包帯を巻いただけでまともな治療も受けられずに放置されていたため、傷口が化膿していた。

 レナはポーチを開けた。内部は板で細かく仕切られていて、それぞれに植物の葉や根が入っている。その中から紫色をしたアロエのような葉を取り出した。さらに深皿、上に穴の開いた両手サイズのテーブル、ガーゼ、手の平に乗るくらいの小さな壺も続けて取り出す。

 ロセーリアがその様子を見つめている。

 小刀を取り出して消毒し、葉脈に沿って葉を切る。すると、葉肉から粘り気のある紫色の汁が出てきた。それを深皿に入れ、テーブルの穴にはめた。

 次に、小さい袋から二センチほどの植物の種を取り出した。乳白色に黄色の線が入っている。それを皿の真下に置いた。

 その種を人差し指の腹で抑え、小声で呟いた。

「《火の神ヘス》よ、その御力は天地を揺るがし非力なる我が人にその御力の一片を貸し給う事を願い申し上げる」

「魔法か。久しぶりに見るな」

 ロセーリアがひとりごちる。直後、種から青色の炎が上がった。皿が熱せられ、紫色の汁が沸騰していく。そこに、壺から透明の液体を小さじ一杯ほど追加。

 スプーンを取り出して汁をかき混ぜる。数分間煮詰め、できあがった赤紫色の液体をスプーンですくってガーゼにしみ込ませた。

「少し我慢してくださいね、痛いと思います」

 レナが申し訳なさそうに言って、包帯を丁寧に外す。傷口は酷い状態だった。酷い臭いが鼻をツンと刺激したが、彼女の表情は小揺るぎもしない。

 化膿している傷に、ガーゼを押し当てた。

「う、ぐっ……!!」

 傷から煙が上がり、兵士は呻き声を上げた。しかし、さすがは百戦錬磨というだけあって、体は動かさない。歯ぎしりする音が妙に大きく聞こえた。

 レナは目を閉じ、小声で呟く。魔法の詠唱だ。

「奇跡の御力を持つ《慈愛の神リメス》よ、この非才なるわが身にお力の一片をお借りしたい。供物のない非礼であるが、我が誠意を見ていただけると信じる」

 レナの手から白い光粒が出てきて、兵士の傷口に吸い込まれていく。すると、苦悶の表情をしていた兵士の顔色がみるみる良くなっていった。

「レナ殿は薬で治療し、更に魔法でも治療するのか?」

 ロセーリアが首を傾げた。

 彼女の疑問は尤もなことであった。普通は、伝統的な医療を専門とする薬師は魔法の類を使わない。漢方薬などが、魔法と反発して効果を消し合ってしまうせいだ。

 そのことはガルムも知っているので、素直に答えた。

「レナ様が使われた薬草……あれは《アメロメ》と言いますが、普通は三枚か四枚分煮詰めて抽出します。しかし、一枚しか使われませんでした。その代わり、透明な液体を混ぜたのを見たかと思います。あれは《神の滴》と言って、魔法が浸透しやすくなる薬です。

 あの方の魔法では傷の治療はできません。痛みを抑えるだけです」

 ガルムがそこまで言って、言葉を切った。ロセーリアは顎に指を当てて暫し考えていたが、何かに思い当たったように膝を叩いた。

「そうか! 治療を薬で、痛み止めを魔法で……よくそんな器用なことができるな」

「レナ様の魔法が痛み止め程度の効果しかない事が、吉になっているようですね」

 ガルムが笑みを見せた。ずっと警戒していた厳しい目が、人懐っこい目になる。

 レナは既に二人目の治療に入っていた。何かの注射をしている。


 刹那、派手な爆音が鳴り響いた。室内の空気が一変し、緊張が張り詰める。ロセーリアが椅子を蹴倒して立ち上がり、壁に立てかけてある盾と槍を掴んだ。女性用に作られたやや柄の短い三つ又の槍と小型のラウンドシールドだ。

「敵襲! 騎兵二十! 魔法兵が数名!」

 レナがその場で座り込んだ。慌ててガルムが駆け寄り、動かないように言う。炎の魔法が使われているのか、爆音が声をかき消してしまう。

 レナが頷くのを確認してから、ガルムは上に駆け上がった。


 敵の騎兵は既に攻撃を始めていた。数的には不利で、炎の魔法を剣や槍で打ち払うことしかできていない。

「チッ」

 ガルムの右手が腰に伸び、剣を抜いた。迫りくる人の頭くらいの火球を斬り払う。その間に左手にも同じ形の剣を持つ。

 翡翠色の刀身の中心に薄い紫色の線が走った石でできた剣だ。刃は普通の片手用直剣より一回り短く、刀身と柄の素材が同じである。透き通っていて、太陽の光を通して煌いていた。


 敵兵が槍を投じた。唸りをあげて飛来する槍が、若い哨兵の胸に突き刺さって背中から飛び出し、体を後方へ吹っ飛ばす。そのまま、地上に落下した。

 恐るべき威力であった。落下した哨兵は既に息絶えている。地面が血を吸って赤黒く変色していた。


「クソッ……!」


 それまで冷静さを保っていたロセーリアが歯ぎしりした。

「迎え撃つ! 蹴散らしてしまえ!」

 激高して、声を裏返してロセーリアが叫んだ。慌てて周りの兵士が止めにかかる。壮年の哨兵が声を荒げた。

「数的に圧倒的不利でございます! どうかご再考を!」

「黙れ! もう限界だ!」

「どうされたのですか、いきなり……」

 ガルムが双剣を持ったまま、近くの兵に問うた。若く、事態に対応しきれていない様子だ。

「先程殺された方は、ロセーリア様の弟にあたる方です。随分可愛がっておられましたので……」


 なるほど、とガルムは呟いた。親族が殺されて激高し冷静を失うのは、彼自身にも思い当たりのあることなので、ロセーリアの心情が僅かながらに理解できたのだ。

 ただ、彼女の言う通り防戦一方ではいずれ全滅する。


「ぎゃっ!」


 ロセーリアを止めていた若い哨兵のひとりが、炎の魔法を頭に受けて火だるまになった。悲鳴をあげながらのた打ち回り、動かなくなる。

 場が戦慄した。若い兵は顔を青くして立ち尽くし、壮年の哨兵も動きを止めた。明らかに戦慣れしていない兵が多数である。直後、もうひとりが氷の礫を浴び、顔を血塗れにして倒れた。

 ガルムの双剣が煌いた。ロセーリアの前に仁王立ちして、彼女を狙った五つの火球を全て斬り払う。

「このままだとここは陥落します。行かないのであれば、俺が出ます」

 ガルムは哨兵たちの返答を待たず、見張り台から飛び出した。両方の剣を逆手に持ち、真下にいる若い騎兵に肉迫する。

 驚いて硬直している敵兵の首を斬り裂き、蹴り落とした。代わりにガルムが馬上の人となる。刀身は赤黒い血に濡れ、太陽の光を遮った。剣を持ち直し、馬を駆る。

「野郎!」

「殺せ!」

 騎兵の怒号が聞こえてきて、槍を持った兵士が二名迫ってきた。同じ装備をしていて、馬にも装備が成されており、軍馬であることが一目で理解できる。

 右の兵が槍を突き出してきた。恐ろしい威力ではあったが、直線的で狙いも甘い。右腕を素早く振って槍の柄を半ばから断ち切り、左腕を右から左へ一閃。

 赤い線が宙に走った。

 頸動脈を絶たれた兵士の首から下手な笛のような音がして、血を振り撒きながら落馬した。同時に右腕を振るい、左にいる敵兵の腕を半ばから切り落とす。絶叫が迸った。

 目視できるだけで、敵は騎兵が十と五、六。魔法兵が三。赤いローブを纏い、一様に先端に宝石の埋め込んである木製の杖を正面に立てていた。

 戦場が、馬が三騎も並べば詰まってしまいそうな狭い道路であることが幸いして、敵兵は二騎ずつ横並びに迫ってくる。同時に突き出された槍の柄を断ち、肉迫して両方の剣を振り上げる。

 左の兵は振り下ろされる剣を避けようと、体を動かした。その結果、ガルムの剣は右腕を肩口から両断し、長さが半分になった槍を握った腕が地面に落ちる。

 右の兵は動くことなく、脳天を叩き割られて落馬した。自らの血で地面を濡らす。

 腕を落とされた兵はも、バランスを崩して落馬した。次に迫る騎兵のうち、右にいる兵が片手用の戦斧を振りかぶっていた。

「うるぁ!」

 ガルムは、右下から振り上げられた戦斧を受け止めずに避け、右腕を引き絞った。ブオンと風を切る音がして、大きな隙ができる。そして、右腕を前に突き出した。狙いを定めた突きは寸分狂わず、喉の中心を突き通した。後ろに落下する敵兵を見送らず、左から突き出された槍の一撃を避ける。

 先程、ロセーリアの弟を投槍の一撃で殺した兵だ。ガルムよりも身長が高く、顔は岩のようだ。長く黒い顎鬚を蓄えている。

 持っている得物は、太く長い方天戟だ。槍の両側に左右対称の三日月上の刃がついている武器である。


「我が名はグラジオ! 一騎打ちを挑む!」

「我が名はガルム。貴殿を凄腕の将と見た。一騎打ち、受けて立とう」


 グラジオの戟が振り上げられた。まともに食らえば脳天を叩き割られるだけでは済まないだろう。

 唸りをあげて振り下ろされた一撃を、剣を交差させて受け止める。

 凄まじい衝撃が全身に響いた。押し負けてしまいそうなほどの勢いだ。ふんっ、と気合を入れ、戟を無理矢理押し返す。

 馬の腹を脚で押して、駆けさせた。戟の刃が届かない距離まで肉薄し、右の剣を右から左に振るう。

「チッ」

 思わず舌打ちが漏れた。グラジオはガルムの剣を石突きで受けたのだ。硬い金属音が響いて、剣が弾き返される。

 突き込まれてきた石突きを避け、左の剣で手首を狙う。甘い一撃になってしまい、柄で弾かれた。

 十合では勝負がつかない。ここまでの兵は全て三合もせずに倒したが、彼だけは別格のようだ。

(もしこれが一騎打ちでなければ、俺はとうに死んでいたな)

 ガルムはそんなことを考えながら、僅かに笑んで見せた。直後に打ち合い、お互いの位置が入れ替わる。

 額に滲む汗を拭い、深呼吸をする。高鳴る心臓は鎮まる様子を見せない。


「強いな」

「お互い様だ。まだ勝負はついていない、行くぞ!」


 ガルムが馬を駆った。突き出された戟を右の剣で受け流し、左の剣を振るう。今度は籠手で受け止められた。籠手を叩き割ることができず、咄嗟に剣を引いて身を伏せた。

 体の真上を、戟が唸りをあげて真横に通り抜けた。後一瞬対応が遅ければ、上半身を斬り飛ばされていただろう。

 グラジオが舌打ちをする番だった。片手で薙ぎ払ったせいか、戟を引き戻す動きが僅かに遅れた。

 ガルムは体を起こすのと同時に、がら空きとなった胴に斜め下から右手の剣をグラジオの分厚い胸元に突き込んだ。

 やっと、確かな手ごたえがあった。骨を砕く衝撃が伝わってきて、致命傷を与えたと確信する。

「うぐぉぉぉぉっ……!!」

 グラジオが呻き声をあげて仰け反った。同時に剣を引き抜く。傷口から血が噴き出た。刃は血で赤く彩られており、一振りすると、血の滴が飛んでいく。

「むん!」

 グラジオが戟を凄まじい勢いで突き出してきた。

 仰天したのはガルムである。先程の一撃は肺に達した程の深手であるはずなのに、今の一撃は威力が衰えるどころかさらに増していた。対応が遅れて避け切れず、左肩口に刃の一本が突き刺さる。

 ガルムは歯を食いしばってそれを堪え、左の剣の柄を口にくわえ、戟の柄を掴んで刃を引き抜いた。幸い骨には当たらなかったようだ。血が服にしみ込んで変色するが、腕は動かせる。

「ハッ……」

 深く息を吐いて、距離を詰める。右の剣を振り上げ、呟いた。

「いい勝負だった」

「フン……早く斬れ。痛くて仕方がないわ」

 グラジオは僅かに笑みを浮かべ、兜を脱いだ。弾のような汗が流れ落ちているが、死への恐怖ではなく傷の所為だろう。

 ガルムは頷いた。

 グラジオが目を閉じる。

 剣を振り下ろす。斜めに、一瞬で息の根を止める一撃。

 ガルムはグラジオの死体に暫し黙とうを捧げ、首を麻袋に入れた。


 馬蹄が地を蹴る音がした。残っている騎兵が攻撃に来たのかと思ったが、見えたのは騎兵がガルムから逃げ散っていく姿だった。魔法兵が、顔面蒼白で立ち尽くしていた。

 ガルムは魔法兵の一人に詰め寄り、剣を突きつけた。

「グラジオ殿の首を持って帰れ。二度とここへ来るな、と伝言しろ」

 足で杖の一つを叩き折り、魔法兵を見据えた。元々、直接戦闘能力はなく、白兵戦でも能力を発揮できない魔法兵をここに連れてきていることが間違いであったのだ。

「う、わぁぁぁ……」

 四十代後半だろうか、三人の中で一番若い魔法兵がへなへなと座り込んだ。血の気が無く、異様に痩せている。

 ほかの二人――どちらも六十を超えているだろう――は、まだ自分を保っていた。

 最年長らしき、白い髭を生やした魔法兵が麻袋を受け取った。異様に白い肌で、骨と皮だけのように見える。

「行け」

 ガルムが命令すると、魔法兵は逃げ散った。


 彼が戻ってきたとき、ロセーリアは冷静を取り戻していた。しかし、そんなことはガルムの眼中にない。


「レナ様!?」


 レナが兵士に取り押さえられていた。薬草が床にぶちまけられていて、兵士が一人息絶えていた。


「何があったのですか」


 ガルムが、薬草と医療器具の入ったポーチを拾い上げて問うと、ロセーリアが椅子から立ち上がった。複雑な感情が混ざり合い、無表情になっている。


「……彼女は、同胞を殺しました」

「我々の同胞はまだ生きていた! なのに……この悪魔が!」


 レナを取り押さえている兵士は、今にも彼女を斬ってしまいそうな雰囲気があった。ガルムが睨みつけると少し怯んだが、それでも目を離すことはできない。そもそも、レナを悪魔と罵った瞬間に剣を抜いてしまいそうになったのだ。


「安楽死……ですか、レナ様」


 激高しそうになった気分を押さえて、レナに問うと、彼女は小さく頷いた。


「彼は、深い矢傷と火傷でもう助かる見込みはありませんでした。苦しんで死ぬよりは……痛みなく死にたい、と本人から直に言われたんです!」

「だからと言って俺達に何も言わず殺すことはないだろう!」

 兵士がレナを睨みつける。その兵士をガルムが睨みつける。一触即発の空気が流れ出した。


「……死者に物事を尋ねることはできない。ならば、貴方に罰を与えるしかない……」


 ロセーリアが言った。兵士が剣を抜いて、レナに突き付ける。


 これまでか、ガルムが誰にも聞こえないくらいの声で呟いた。直後、レナに突き付けられていた剣が宙を舞って床に落ちた。

 手首に手刀を受けた兵士は、数歩仰け反ってガルムを睨みつける。その時には、レナを押さえつけていた兵士が吹っ飛んで、背中を壁に打ち付けていた。


「無断で処置をしたことをお詫びします。しかし、薬師としての彼女の判断を尊重してあげてください。我々は出ていきます」

「……申し訳ございません」

 レナが頭を下げた。今にも兵士が襲いかかって来そうな空気は変わらないが、一瞬の怯みが生まれる。


「レナ様、行きましょう」


 ガルムがレナの手を引き、扉を開けた。先に彼女を外に出し、兵士たちを睨みつけてから自身も外に出た。

 素早く馬に乗り、同じく馬上にいるレナを見た。荷物持ちの馬を引いて、レナを先導するように走り出した。

 暫く走ってから、俯いているレナに声をかける。


「レナ様のご判断が彼らに理解されなかっただけでございます。医術師としての判断でしょう」

「……はい、そうです」


 兵士が追ってくる気配はない。ロセーリアが引きとめているのかもしれない。彼女にとっては、複雑な一件に違いない。


「今回の判断が正しいのか間違いなのかは自分にはわかりません。しかし、無断なのはよろしくなかったのかもしれません」

「……私もそう思います。今さらではありますが」

「ならば、余り引きずられることはありません。ああ、そうだ、忘れておりました」

 ガルムは思い出したように、薬草と医療器具の入ったポーチをレナに手渡した。おずおずと受け取り、手綱から手を離して腰につけ直す。


 レナがポーチを提げ、手綱を掴んだのを見て、ガルムは雲一つない青空を見上げて言った。

「西へ向かいましょう。……自分の祖国があります。いえ、ありました」

読んでいただいた方々に感謝いたします。もしよろしければ、ご感想、ご指摘などをいただければ作者も参考にできます。

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