初心者女剣士の話
短編集その1投稿です。読んでいただく皆様に感謝いたします。
低い草をなびかせる程度の風が、北から南に向かって吹いている。ざぁっという音とともに、全ての草が同じ方向に向いた。
見渡す限りの草原には、動物の姿は見えない。ただ、栗毛の馬に乗ったひとりの少女が、静かなこの場所を悠々と闊歩していた。
ジャケットとジーパンという姿で、やや反りのある大振りの刀を腰に差した背の高い少女だ。彼女の大きな瞳は可愛らしさを振り撒き、整った顔立ちの中でも特に目立っている。年齢は十代後半から二十代前半に見える。肩甲骨の下まで伸びている黒髪はまとめておらず、顔の近くだけ、視界の邪魔にならないようピンで留められていた。
彼女の後ろには、飼葉、水を入れたボトル、多めに用意している食事などを積んでいる。自身の腰には三つのポーチを下げている。
旅人の名はセーラ。彼女を乗せている栗毛の馬は、カノという名をセーラから頂戴している。だく足で歩く優秀な牝馬だ。だく足とは、左右の前脚と後ろ脚を同時に動かすことで、揺れが少なく馬も長い距離を移動することができる。騎手も馬も訓練が必要なのだが、セーラはその手の知識は殆ど無い。
視界の先には、いくつかの建物が見える。周りには塀が建てられてあって、それなりに金持ちの家であるようだ。その近くには舗装された道もあり、先は道の体を成していた。セーラはその町で休むことに決め、それまでと同じペースでカノを歩かせた。
ふと、腰に下げているポーチを開けた。革製で、チャックで開け閉めできる種類だが、かなり使い込まれていて所々色が剥げている。その中には色とりどりのドライフルーツがぎっしり入っていた。
ポーチの中を見ず、中から一つ取り出して口に放り込んだ。無花果のほんのりとした甘さが口の中に広がり、満足そうに表情を緩める。
ポーチのチャックを閉めて、馬の背を撫でた。乗馬用の鞭は鞍に括り付けたままで、新品同様の状態だ。
明るいうちに街に着くことができた。セーラは相棒のカノと一緒に、そこそこ反映していて、のどかな街に到着した。
馬を預かってくれる宿は簡単に見つかった。街の人に聞いたら、徒歩で二十歩ほどの所にそれがあったからだ。主人から厩舎をひとつ借り受けてカノをそこに置き、セーラは食糧と飼葉を買いに行った。飼葉は簡単に入手できた。以前買い込んだ街より安く、ついたくさん買ってしまった。
しかし、菓子店でビン詰めのドライフルーツを一ビンの三分の一ほどを買い足し、代金を支払って店から出ようとしたとき、浮かない顔の店主から声をかけられた。水分が抜けて痩せ細り、顔色の悪い高齢の女性だ。
「旅人さんですよね、お時間よろしいですか?」
「はい。どうかされましたか?」
店主はわたしの刀に視線を向けながら、淡々と語りだした。
「ここから北に徒歩で一日くらいしたところに、大きな港のあるソラノマリアという街があります。そこで息子が漁師をしているのですが、先日街が海賊に襲われて占領されたという話を聞きました。助けに行きたくても、私は非力の身。お願いします、息子を助けていただけませんでしょうか。お礼は十分に致します」
店主は最後には涙を流しながら、セーラの着るジャケットにしがみついて言い切った。
セーラは、老婆の真剣なその目を直視してしまった。躊躇っても、首を横に振ることができない。
「軍隊は何をしているのですか? 海賊の討伐なんて……」
「軍は……南の国境で戦争をしていると聞き及んでいます。ここは王都からも遠く、何度頼み申し上げても、すげなく断られてしまいます。どうか、お願いします」
「しかし……わたしの力では」
待ちかねたように「お願いします」と三度目に言った時、やはり躊躇いつつ首を縦に振った。
「お引き受けいたします。何日かかるかは、残念ながらお約束できませんが」
老婆はその瞬間十歳ほど若返ったように表情を明るくし、何度も頭を下げた。
「結構でございます。何日でもお待ちいたします」
セーラが刀の柄に指をそっと這わせた。訓練は欠かしていないが、暫く血を吸っていない。ましてや、彼女は人を斬った経験は無いに等しい。老婆に不安を与えないように、すぐに店を出た。
宿に戻り、部屋に備え付けてあるベッドに腰掛けた時、彼女の手は震えていた。荒い呼吸を水で無理やり整えようとする。しかし、効果は無く、無言で立ち上がった。
ロビーに出ると、彼女の表情が気になったのか、暇そうに新聞を読んでいた宿の主人が声をかけてきた。
「御嬢さん、悩み事かい?」
「い、いえ、大したことではありませんので。お気遣いありがとうございます」
自分が緊張していることを自覚してしまうほど、彼女の声は上擦っていた。情けない、と戒める事すらできない。主人も深入りしようとしてこなかったので、厩舎へ行ってカノを撫でた。水で洗って、野菜中心の食事をとらせた。
太陽を見ると、まだ西に傾いて間が無いようであった。徒歩で一日なら、馬で行けば半日もかからないだろう。セーラは宿に戻り主人に街を出ることを告げると、驚いた顔をされたが、了承してくれた。荷物を積み込み、カノに跨って駆けだす。
カノは足の速い馬だった。
セーラも、若い割には騎手としての能力が高かったが、名騎手には遠い。
風を切り肉食生物に追随されない速度を出すことができているのは、セーラとカノの信頼関係の賜物だ。
草原地帯を北に進んでいくと、草の背丈が低くなって、街道脇に植えられている木が増えてきた。ソラノマリアが良く統治された街である証拠なのだが、今の彼女にそれを見る余裕はなかった。
遠くに街が見えてくる。セーラは慌ててカノを止め、近くにある廃屋の中に入った。
「どうすれば良いかな、カノ?」
降りて、カノの首を撫でながら問いかけてみるが、馬は満足そうな声を出すだけ。刀をしきりに触っているのは不安の表れ。セーラはそれを意図してやめようとはしなかった。
ぶるるっと嘶いたカノの首を撫でて、慣れた動作で跨った。コンパスで方角を確認して、北に向かう。大体の街には東西南北に出口があるので、北の出口から直進するつもりだ。
どうしようかなぁ、と考えながら、カノを走らせる。
北の街道は、よく整備されていた。ソラノマリアの富は莫大な物なので、国としても投資を惜しまないところである。そのおかげで、セーラは道に迷うことなくソラノマリアに向かって駆けることができた。
途中、木の陰で休む一団を見つけた。
リーダーらしき、緑の手拭いを腕に巻いた中年の男性に声をかけてみた。
「こんにちは」
「ああ、こんにちは」
手拭いの男は、疲れた様子で返事をした。近くにいる三人の男も、一様に疲れた表情で座り込んでいる。
「ソラノマリアに行くのかい? 今はやめた方が良いよ」
「何かあったのですか? 美味しいご飯が食べられると聞いたんですけど」
咄嗟に、セーラは嘘をついた。本当のことを話して利益があるように感じなかったからだ。手拭いの男は少しだけ首を左右に振ってから、ゆっくりと立ち上がった。
「海賊が街を占領したんだよ。今は治安が悪いみたいだ」
「そうですか……貴方たちは何処から来たのですか?」
「ソラノマリアから逃げてきたんだよ。殺されちゃ敵わないからね」
手拭いの男は淡々と答えた。セーラは自然に、男たちの装いを見る。
手拭いの男は、身長二メートルしかくある巨躯。無精髭を生やしていて、ゆったりとした商人の服の下から筋肉が盛り上がっている。他の三人の男はそれぞれセーラと同じくらいかやや低め。彼女自身が身長一八〇センチ近くあるので、男たちが決して小柄なわけではない。そのうちの一人が好色そうな目でセーラを見ていることに気づき、不快そうに眉をひそめた。
「どのような物を売っているのですか?」
セーラが問うと、手拭いの男は一瞬答えに詰まった。瞬間、日光が金属に反射して手拭いの男の目を晦ませる。
「やはり……っ。その服も殺して奪ったのでしょうね」
金属が激しく打ち鳴らされる音が響いた。好色そうな男が隠し持っていた片手用の剣を、セーラが抜き身の一撃で弾き飛ばした音だ。唖然としている好色を無視して、カノを飛ばしてその場から逃走する。男たちは騙すために馬を連れずに待ち伏せていたため、遁走するセーラを呆然と見つめるしかできなかった。
セーラの心臓は激しく脈打っていた。不意打ちを弾き飛ばせたのは偶然に近い。襲い来る剣を見てすらいなかったのだ。逃げ出したのも、とっさの判断であって、冷静に考えればあの場で全員斬り殺しておくべきだった。冷たい汗が背中に流れ落ち、意識を集中させて呼吸を整える。
西から来る強い光を浴びながら街道を駆け抜ける。空はオレンジ色に染まっていて、やや暗くなってきていた。ソラノマリアは遠くに見える。
それから走り続けてすっかり夜になった頃、街の裏手にある巨大な木の下でカノを止めた。水と食事を与え、自分も水を飲んでドライフルーツを食べる。
腰のポーチを外してカノの背に置き、刀だけを腰に差して歩き出す。ソラノマリアはもう目の前で、どこに海賊がいるかわからない。そもそも海から離れたところにまで海賊がいるのは不自然なので、陸上の盗賊と繋がっている、とセーラは結論付けた。
ソラノマリアの街は異様に暗かった。街の灯りは一切付いておらず、月も出ていないのでほぼ何も見えない。慎重に一歩一歩を確認しながら進む。
助け出す漁師の住居は既に老婆から聞いている。地図は駆けながら見て、不完全ながら頭に叩き込み最短ルートだけは記憶している。
碁盤の目のように作られた街の、三つ目の角を右に曲がり――直進。
駆けだそうとした、その時、セーラは足を止めた。
葡萄酒の強い匂いがした。匂いの先に、人の笑い声がする。声の違いから、二人と推測した。セーラは角を戻り、少し遠回りをした。
その後も遠回りを繰り返しながら、目的の家を見つけた。入口が分からないほど暗かったが、手を壁に這わせて感触の違いを確かめた。
暗さに慣れてきた目で周りを確認してから、ドアをノックする。
少ししてから、セーラより一回り身長が高く、十ほど年上に見える色黒の男が出てきた。怯えた目で辺りを見渡してから、小さな声で「何か御用ですか」と聞いてきた。
セーラは漁師を見上げて、「あなたの母上から、あなたを街から助け出すように依頼されました」と言った。
漁師は小さく手招きして家に入るよう伝える。セーラはそれに従った。
彼の家は、質素な木製テーブルと椅子、粗末なベッドが部屋の端を占領していて、壁には漁に使う銛や網が掛けられていた。
「ええと……よく来れましたね」
「あまりたくさんいないようですから。馬はいますか?」
漁師は首を振って否定を示した。宿で馬を借りておくんだったと後悔しながら、街の外に出る手はずを説明する。
漁師は頷いた。セーラは刀の鍔に手を触れ、人を斬らずに済むかな、と考えながら外の様子を窺った。部屋が暗いおかげで目は慣れたままだ。
「……行けます」
小さな声で言って、扉をそっと開く。キィと軋む音がして、思わず体を固くした。幸い、緒とはだれにも聞こえなかったようだ。滑るように外へ出て、様子を窺う。安全を確認してから、漁師を呼び寄せた。怯えた表情で、手には銛を持っている。
出口の方向は把握しているが、敢えて逆方向に進んだ。出口の方向に行けばさっきの酔っ払いと鉢合わせになる可能性もあるし、そもそもセーラが来た方向とも違う。
セーラが角を曲がった直後、白人が煌いた。倒れ込みながらその必殺の一撃を避ける。
先程セーラが見かけた酔っ払いは、酔ってなどいなかった。角を曲がったセーラを待ち伏せして奇襲を仕掛けたのだ。
「へへ、よく見たら女じゃねェか。他の奴に教えなくて正解だな」
「そうだな、兄貴はやっぱり頭が良いなあ」
聞き取りにくい声で会話した後、曲刀を持つ弟分がセーラの左側に回り込んだ。彼女が壁を背にして立ち上がり、後ろと右の安全を確保したからである。
セーラは刀を抜いた。両手で持ち、上段に構える。睨みつけて牽制し、先手を打たせないようにしている。
「やあああッ!」
男が目を逸らした瞬間、気合と共に大きく踏み込んで刀を振り下ろした。兄貴分の男が直剣で慌てて受け止め、火花が散る。
「逃げてッ!」
セーラは呆然としている漁師に大声で言った。間髪入れずに弟分に刀を叩きつけ、火花が散る。その間に、漁師は逃げ出した。追わせないように、素早く軽い攻撃を繰り返す。
セーラには海賊を斬る覚悟はできていなかった。剣を弾き飛ばし、逃げることを考えていたのだ。それに対し、海賊はセーラを捕える気でいた。お互いに一撃必殺の攻撃を加えられず、刃鳴りだけが夜の街に響く。
「うっ!」
セーラの表情が固まり、体勢を崩した。突き込まれた曲刀を避け切れず、肩口から血を飛散させた。直後に振るわれる直剣を辛うじて弾いたが、同時に振るわれた攻撃を避けられず、右のわき腹と左腕に刃を受けた。赤黒い血液がジャケットを濡らし、白い肌に赤い線を作る。
死が近づいている実感がセーラの判断を狂わせる。
「ああああッ!」
手首を切り落とそうと迫る直剣を刀で弾き、その流れで横薙ぎにふるった。
ぎゃっ、ぐわっ、という声が重なり、セーラの額に血の滴が飛んできた。それから、石畳を敷き詰めた道路に倒れる二人の音。少し遅れて金属が当たる音もした。
「……え」
セーラはぽつりと呟いた。血に濡れた刀が手から滑り落ち、石畳で硬い音を立てた。目の前にできた血の水たまりの中に倒れる二人の海賊を見て、セーラの血の気が引いた。「ひっ」と短く悲鳴を上げて壁際に座り込む。
仰向けに倒れた兄貴分の男の腹は真横に深々と切り開かれ、死んだ後も血が流れ出していた。セーラはそれを直視できず、嫌がる子供のように目をそらす。無音の空間が、彼女の恐怖を煽っていた。
月が少し動く間、セーラは座って震えていたが、ようやく依頼の事を思い出してふらふらと立ち上がった。刀を拾い、血をハンカチで拭き取ってから鞘に収める。そして、逃げるようにしてその場から離れた。
街から出て、裏手に出る。
カノに近づいた瞬間、斜め下から槍のようなものが突き出されてきた。狙いは雑で、僅かに体を反らすだけで容易に躱すことができた。
「誰!?」
「あれ……あ、剣士さん」
銛を突き出してきたのは、例の漁師だった。すぐに誤解が解けて漁師は頭を下げた。彼の気持ちがセーラには共感できたので、彼女も特に責めることは無く馬に跨り、漁師を後ろに乗せた。飼葉などを厩舎に置いてきたので、荷物が邪魔をすることも無かった。
ソラノマリアが見えなくなり、最初に安どのため息をついたのはセーラだった。ずきずきと痛むわき腹と左腕が気にならなくなるほどの安心感だった。
ソラノマリアと、滞在する街の中間に来た頃、強い風が吹いた。直後、今度は本物の槍が突き出される。
セーラは慌てながらも、槍を半ばから斬り払った。悔しそうな呻き声が聞こえ、三方向から同時に剣が迫ってくる。
「しっかりつかまってください」
セーラは漁師にそう言い、彼がセーラの腰をしっかりと掴んでいるのを確認したと同時に、手綱を操ってカノにジャンプさせた。真下で唖然とする賊を見ずに着地し、行きと同じように遁走する。
夜明けの直前、セーラは街に戻ってきた。そのまま菓子店に直行すると、依頼主の老婆は目の下に隈を作った姿で起きていた。漁師を見ると、両目に涙をたたえて立ち上がる。
「ああ、良かった。旅の方、ありがとうございます、ありがとうございます!」
言いながら、息子を抱き締める。セーラはカノから降りて、その光景を見つめていた。
彼女が暇になる前に、報酬の支払いが行われ、夜明けと同時に街を出た。依頼を受けたときよりも大きくなったポーチを撫でて、満足そうに笑む。
菓子店では、老婆が不思議そうに言っていた。漁師も首を傾げている。
「あの人、ありったけのフルーツを持って行ったけど、本当に好きなのね」
店から、ドライフルーツの入っていたビンは無くなっていた。
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