盆栽の魅力に取り付かれた青年
時折推敲、改稿……
チョキッチョキッチョキッと心地よい音が響く。
白亜の城を背景に、奏でられると実にリズムが良い。
見事と言っていい程に、庭園は花と緑が咲き乱れている。
競い合う花たちがより綺麗に咲き誇るよう、絶妙に枝が取り払われ、一本の草を植える場所さえも計算された事によって生み出された、正に一つの芸術と言える。
この美しい庭園がたった一人の青年によって作られたと誰が信じるだろうか。
庭園の更に奥、そこに佇む青年の手には、一挺の植木鋏が握られている。
彼は非常に細かく、そして集中力が必要な作業に没頭していた。
周囲の景色などまるで目に入っていないようにさえ見える。
所謂『盆栽』の手入れに過ぎないのだが、全身全霊で取り組む姿は人を惹き付けて止まない何かを感じさせる。
華やかな王宮の庭園、数多の草花が咲き乱れる場所から少しはなれた場所は、隠されていたかの様に雰囲気を変える。その一画は何故か枯山水に茶室、東屋そして盆栽に、鯉と亀がいる池に鹿威し、という和風テイスト推し。
『侘び寂びの世界でも目指すのですか?』と問いたくなる風情を醸し出していた。
先ほどから植木鋏の音色が聞こえるのはこの場所からだ。
この庭で、この盆栽の手入れだけは非常に……いや異常な程の心血を注がれている。
他の場所も一切の手を抜いていないのは一目瞭然。
塵芥と言える物は見当たらず、庭園にある茶会用のテーブルも常に清潔で準備がなされている。
庭へと憩いに来る主と客人への持成しの為の準備、全て人目に付かない様に見事に為されていて、そこに一切の妥協も無かった。
これだけの仕事を普段一人でやっている等と誰もが最初は信まい。
だが、先ほども述べたように、現在進行形で盆栽に心血を注いでいる青年こそがその人物。
彼の名はウィンフォルス・ランス・チェスタット。
宮庭管理人を国王陛下から任されている青年である。
◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆
「ウィン、ちょっと用事だ」
この宮庭において彼の事をウィンと気安く呼ぶ人物は限られる。
声の主は間違いようがない、この宮庭の持ち主、このバスティス王国の君主、つまりは国王陛下。
通常貴族間では家名で呼び合うのが常識で、ファーストネーム、それも愛称で呼ぶともなれば親しい間柄でしか有り得ない。
一部の特殊な例を除いて、城に勤めている者からは『チェスタット』と呼び捨てにされるか、『チェスタット様』などと呼ばれている。
前者が宮庭管理人を馬鹿にするお偉い貴族様達、後者が使用人達、そしてどちらでも無いのは国王陛下とその側近達。
忙しい側近が、日もまだ傾いていない時刻に来るなど滅多に無い、それに、ウィンが声を聞き間違える事など絶対に無い。
よって無視を決め込んだ。
これを知らない者が見れば不敬罪とでも騒ぐのだろうが、ウィンが盆栽に手をつけているのを見て諦めた事からみると、両者の仲が窺い知れる。
「すまんな、ウィンちょっと急ぎになる」
もう一声、申し訳ないと滲ませた国王の呼びかけに応じて、長年の付き合い故か、呼吸を合わせたかのように国王とウィンは茶室へと入った。
この茶室は国王とウィンの為だけに用意してあり、茶室は二人以外の誰一人として入らない。
茶室に鍵とは無粋だが、鍵はウィンしかもっていない。
そして国王からの褒美の一つでウィンの所有物。
殆どの者は知らないが、日本庭園化している部分全てがウィンの所有物である。
最初は褒美を受け取らないウィンに苦肉の策で授けた褒美だった。
勿論普通であれば問題になりそうなものだが、『枯山水に興味をもった国王』と知られる事で誤魔化せている。
バスティス王国中、いや世界広しと言えど、一部とは言えど王宮の土地を下賜されているのはウィンだけだが、ウィンは趣味を生かせるから、仕方なく貰った程度の認識でしかなかった。
何も知らされていない貴族は国王の一風変わった趣味程度に思っているからか、誰一人として日本庭園を変だと思っていない。
秘匿されているのも已む無し、さぞや宰相など胃が絞まる思いに違いない。
こちらに足を運ぶ事を許されるのはウィンが認めないといけないのだから。
「急ぎとは、ゼノン……王都にお忍びしたいとかじゃないですよね?」
「ハハハ、盆栽を弄る手をとめさせて其れは無い! 流石に今回は違う」
大国の君主の癖に腰が軽く王都の街中を気楽に視察……ならぬ食い歩きしたいとかでも呼び出されるのがウィンの役目。
本音と建前の隠し方が違うようだが、それ程に二人の仲は気安い。
陛下の散歩(視察)となれば一族の人間を使っての警護体制を敷く必要がある。
歓迎すべき事では無いのだが、寧ろウィンにとっては日常茶飯事、他の内容よりは楽だと思っている。
だがウィンの盆栽の手入れ中に語りかける程のことだ、警護が遠距離からの警戒、死角になる場所の排除、不審者の捕縛まで様々あり、実に面倒な依頼になるとはいえど……そんな内容で盆栽の手入れを止めるとは思っていないからこその冗談だった。
「ウラヌス侯爵家とフローレラント王国を調べて欲しい」
ゼノンの顔が引き締まって仕事の顔になる。
普段見せない真剣な顔だけに気構えたウィン。
事態は思いの外……悪いのだろうかと気構えたのに、出てきたのは実家から一度報告した案件だった。
「何? チェスタットからのだよな」
「……調査部からの報告だ」
「……」
「判ってるさ、情報元はチェスタットだった例の件だよ。俺だって嫌だったが、仕方が無いだろ? 使えないって判ってても使うしかないんだよ……って、お前判ってて言ってるよな」
「知ってる。当然だろ? それにしてもさ、調査部の連中をチェスタットの訓練所で預からせようぜ」
「それ、全員辞めるって言ってるよな」
当然の発言だろうが、使えない奴など……しかし実家でも流石に国の方が手に負えないかと思案する内容を切り替えた。
互いに茶化すのは挨拶にすぎない。
「確かに急ぎだな、そりゃ」
「すまんな」
「じゃあ、何時も通りに庭園の方の手入れは『嬢ちゃん達』に任せるぞ」
「誰にも盆栽と庭は弄らせないから安心しろ」
「当然だ、それじゃ資料とかは実家で揃えて行くわ」
国王であるゼノンの即応可能な、そして唯一最高の戦力であり友人。
だからこそ了承の意をウィンは告げる。
「『王の懐刀』と言われるナイブスの仕事を始めよう……」
ウィンはその場から掻き消えた。
◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆
ウィンの実家、チェスタット家がランスの名乗りを許されているのは『王の第一の槍』であると歴代の王達から認められていると共に、その誇りを胸に行動する一族だからだ。
国内に多くの貴族が存在しても槍爵はチェスタット家のみ。剣爵、盾爵、杖爵、弓爵と合わせて守護五爵家と呼ばれている。
家格は公爵家よりも上の扱いになり、国家の重責を担い続けてきた。
その歴史あるチェスタット家には、槍を掲げる表のチェスタットと、短剣を掲げ裏を守るチェスタットが存在する。
先ほど述べた『王の第一の槍』を担うというのは誇張ではなく、歴代の近衛騎士団長はチェスタットが勤めている。
チェスタット家の長男は騎士としての王家への忠誠と、戦闘と集団指揮に関する才を育てられる。
そして次男は普段は『ランス』を名乗っているのだが、裏本家筆頭の『ナイブス』が本当の爵位。
本家分家の『裏』を全て纏め上げ『諜報』『護衛』、必要があれば『暗殺』という任務をこなす集団の長になる為に鍛えられる。
一対一の戦闘で最強と言われる強さと統率力を鍛えられ。その強さが故に裏に潜む『王の懐刀』となる。
様々な事情が絡み合い、歴代から考れば若輩となる『ナイブス』の名を持つ者。
決して表に出ないが、守護五爵家を凌ぐ『唯一の刀爵』、その当代こそが『ウィン・ナイブス・チェスタット』という青年の本来の顔である。
例の日本庭園を楽しむ趣味にしては、ナイブス家は完全な洋式の館であり、そこには歴史を感じさせる物があった。
家格で考えれば相当の屋敷が用意されて然るべきなのだが、ウィンの訪れたのその館はランス・チャスタット本家の離れであった。
裏本家が表に出ない為の偽装でもあり、諜報を使う『ナイブス』の部隊を指揮する重要な建物がそれであった。
「帰った、資料を頼む」と、唯それだけを伝えれば、国の現在の状態から導いて必要な情報は瞬時に用意される。
資料を読みながら、自然と眉間に皺がよるのをウィンは堪えた。
『やっぱり訓練所にいれようぜ、ゼノン』と心の声で国王に愚痴吐く。
そう言いたい程に酷い調査部の仕事結果を見たからだ。
即座に王国の危機とはならないだろうが、調査部の失態は酷かった。
結果として、ウラヌス侯爵家が警戒した為に証拠の確保が出来ない状態という有様。
国王が若くして即位している関係もあって、配下に気を配らなくてはいけないのは理解できるが、無能なのはどうなんだと、調査部に乗り込んで説教をしたい気分になってしまった。だがそこから読み取れる可能性をウィンは見逃さない。
「兄貴に伝えて欲しい『調査部の内部調査が必要だった』ってな、調査はこっちで受け持て、後の扱いは兄貴に一任しよう」
「畏まりました」
家令であるアルに頼めば、何が言いたいか位は察してくれる。
調査部の癌を叩きだせと伝えた事も理解し、直ぐにでも情報は集まるだろう。
ウィンが国外に証拠集めに行く間に揃うのは判っている。
「ウラヌス侯爵の家は?」
「はい、問題は御座いません。ご指示通りに既に終えております」
ゼノンが聞けば、あまりの手際に『俺の立場は? 信頼は?』と騒ぐ程の手回しである。
元より調査部を信用していなかったのもあるが、尻尾を掴む為の餌でもあった。
後はどれだけ釣上げるかになる。
大きなネズミは狡賢いので流石に無理かもしれないが……
「一週間程になるだろう……アル、留守の間を頼む」
「お任せくださいませ」
打てば響く、そんな主従のやり取りで事態は進められていく。
◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆
フローレラント王国までの往復と調査を含めて一週間程と述べたウィンだが、そこには旅は無かった。
通常にフローレラント王国まで馬車などでいけば片道で2週間は必要だ。
なのにも関わらず、調査も全て含めて一週間になるには理由がある。
『ナイブス』の当主となるチェスタットの次男は、修行を一通り終えた後に、即座に大陸全土を巡る独り旅に出る。
長距離転移の魔法陣を利用するにはその場所に赴く必要がある事と、各国の土地を覚え己を鍛える為であった。
ウィンもその例に漏れず修行を終えたのだが、一つの伝説を作っている。
通常3年と言われる修行を1年と少しで終わらせた最速記録を持っていた。
修行には東方の古里に赴いての挨拶と、当地での厳しいとされる修行も含まれている筈なのだが、ウィンはそこで盆栽と出逢った事の方が衝撃だった。一つの鉢の中に切り取られた自然と造詣、完結している世界と成長。
宮庭に置かれているのは古里より持ち帰ったお気に入りの一品である。
詳しい専門用語など全く知らないが、古里の長老が見せてくれた盆栽に惹かれてから、足繁く何度も訪れている内に譲ってもらった大切な物で、長老も先代から譲りうけ続けた物の一つだと言っていた。
樹齢200年以上というのだから何代前から育てられた一品なのだろうか判らない。
価値を見出すか否かは人によって違いはあるが、ウィンはその盆栽を心安らかに見つめる時間を何よりも大事にしている。
話が少々ずれてしまったが、そうして大陸を回ったウィンは問題無くフローレラント王国の拠点へと飛んだ。
簡単に一言で述べているが、宮庭魔導師筆頭の長距離転移の倍以上の距離を一度で終わらせている。
次は夜になるまで暇になるだろうと、ウィンは待機しながら現地の情報を集めた。
現地で草として紛れ潜み続ける商人として生きている分家から、市場の動向や物資の流れを確認すれば、確かに軍が内々に食料などの調達を増やしている。
それも数箇所に分けて領地ごとに行っている事から、秘密裏に動いていると見て間違いないとした。
後は夜を待ち、調査上で関係が確定している貴族の屋敷に潜入し、証拠の確認と偽装工作を仕掛けるだけ。
見事に潜入を果たしたウィンは執務室の屋根裏へと忍んだ。そこで数日間に渡って屋敷の動きを探り、証拠のやり取りがあれば確認し、物的証拠となるような手紙などがあれば、隠し場所に収納するのを待ってから偽造物と取り替えて持ち帰るのである。
今回のように屋根裏さえあれば、時間をかけて間違いの無い仕事が可能となる。
王城など一部では屋根裏の無い場合もあり、そうなれば複数回に渡って進入を繰り返して資料を奪取したり、下男として潜入する必要が出てくるので、今回は楽な仕事であった。
屋根裏に潜んでから5日目、小太りな貴族の下へと旅の騎士風の男が訪れ、確証が取れた。
「こちらが主からの親書です」
「うむ」
「成る程な……そちらの上も意外に頑張るものだ」
「私共は其れを上回りましたから……残念ながら其処までの質も権力もないと主は言っておりました」
確実にバスティス王国調査部が上の頑張りで、上回ったのがウラヌス侯爵の手と言う事。
質が調査部とすれば権力とは王族、つまりは国王の事だろう。
ゼノンはウィンの数少ない友であり主である。
侮辱するとは良い度胸だなと心中は煮え繰り返った。
絶望とは何か教えなくてはと、方法まで考えながら部屋の主が立ち去るのを待った。
用事が済めば長居する必要も無い。
その場から一気にバスティス王国へと転移で戻り、全ての証拠をゼノンに渡すべく茶室でお茶を点てながら待っていた。
「無事で何よりだ、思ったよりも早かったな」
「相手が間抜けなお陰だ、それと調査部も時には役には立ったさ」
茶室で対面し、ゼノンが労いの言葉をかけても、大した事は無いとさらっと躱。
普通に裏のチェスタットが行っても大変な事に変わりは無い筈なので、ウィンの基準がおかしい。
そして調査部が哀れだった。
「そう言えばお前の兄貴が暴れて来るって出かけたな」
「今頃、調査部は粛清の嵐だよ」
「全く……で送り込むんだろ、使えない貴族に握られるなら未だしも、裏切る奴らが牛耳るよりはいいだろう」
ゼノンも状況は把握できている。
今後調査部は見事に生まれ変わる事が決定事項。
チェスタットの分家から人を派遣し、内部の人員は地獄を見るのも確定だった。
「確かにな、それでウラヌス侯爵はやはり黒だろうな」
「こっちが実家の部隊の資料、それでこれがオレが持ってきたフローレンラント王国の軍務担当貴族の屋敷から頂いた資料だ」
「それで、これは」
一枚の資料をペラペラと摘まんでいるゼノン。
若干だが目つきがジトっとしている。
「そこから敵を油断させた上で嵌め込んで、一網打尽にした上からの反撃と、ウラヌス侯爵自体を戦場で裁く為の行動計画案だな」
「だから他人の仕事を取るなと……」
溜息を吐きながらゼノンは呟いた。
読めば納得の内容なだけにたちが悪い、そして危険性なども全て指摘されていたり、何故、それが必要なのかまで献策されている。
「碌な作戦が通らなかったら国王陛下権限の発動だろ? その為の布石だよ布石」
「これだから性格が捻子れた奴って……」
「お、褒めてくれるとは嬉しいな」
「褒めてねえよ、ゲームしたら毎回追い詰められて苛め抜かれた記憶はなくさんぞ」
「そうして強くしてやろうという親友の愛じゃないか」
「そんな愛いらんわ」
笑いながらも自分の為に考えてくれたとゼノンは喜んでいた。