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第五話


 豪華な、けれど適度な量の夕食を食べ終えて、大人たちはお酒を飲むことにしたようだ。父がうかれた様子で報告に来た。

 父は家ではあまりお酒を飲まない人で、酒が好きでないと言っていた気がするが、まあ飲みたい気分の時もあるのだろう。


 私はもう少しならヴォルフと話をしていてもいいと言われたので、さっそく彼を誘ってこの館の図書室を案内してもらうことにした。

 話したいこともあったのでちょうどいい。



 夜の図書室を、魔法の灯が照らし出す。

 燃えやすい本が集まったこの場所には、魔法の灯が最適なのだ。火事の心配もなく、長時間使っても油が切れることもない。何より炎と違って灯りが不安定に揺れないから文字を目で追いやすい。

 高級品だが、恒常的に使える照明器具だ。ガラス製の器の中から手のひらサイズの球体を取り出して日中太陽光に当てておけば、夜の間はずっと灯として使える。充電式太陽光発電と言えば想像しやすいだろうか。

 一つ難を言うならば、電灯のようにスイッチで消すということは出来ない。そういう融通はきかないので、灯を消したければ暗幕のような厚い布で覆うしかない。


 その魔法灯の下で、私たちは互いにオススメの本について話し合っていた。

 と言っても、話題は興味が惹かれた部分へ好き放題に逸れていく。自由奔放な会話はとりとめなく、大人が聞いたら無意味だと言うだろうが、私には楽しかった。多分ヴォルフだって楽しんでいる。


 誰に咎められるわけでもないのだが、なんとなく双方小声である。これは子供に許された『夜の時間』が限られている弊害ではないだろうか。

 私たち子供は、大人に聞きとがめられないよう夜には出来るだけ気配を殺そうと努める。なぜなら大人たちは私たちが夜中に何かしている気配に気づくと、『子供はもう寝なさい』という一言で大事なこの時間を奪おうとするからである。



 そんな小声での会話が、ふと途切れた。

 その瞬間を狙って、私はヴォルフに大事な話を切り出した。


「ねえヴォルフ、私達の婚約のことなのだけど」


 私の唐突な言葉に、ヴォルフはちょっと面食らって「えっ!?」と声をあげた。


「父たちが言っている婚約のことよ。色々と問題のある話だし、父たちがどれだけ本気なのかはわからないけど、とにかくこちらの意志をはっきりさせておきたいと思って」


 ヴォルフとも少しは良好な関係が築けたと思うので、私は腹を割って話をしてみることにしたのだ。

『色々と問題のある』という部分については、ヴォルフもすぐになんのことを言っているか分かったようだ。


 私とヴォルフの婚約話は、実のところリーリア公爵家にとっては少しばかり危険な賭けなのだ。馬車の中で疑問をぶつけてみたところ、父の思惑を知ることが出来た。


 疑問というのはもちろん、リーリア公爵たる父の一人娘である私が他家に嫁いでいいのかということだ。

 私自身が爵位を継ぐことは出来ないにせよ、親族から選んで婿をとる、というのがおそらく一番無難な対応だろう。

 それをしない理由は父いわく、『眼鏡にかなう人材がいないから』だそうだ。

 そうして父は、自分がまだ若いのを利用して賭けに出ることにした。現宰相の息子にして家柄も才覚も父の眼鏡にかなったヴォルフに私を嫁がせ、その子供、つまり自分にとっての孫にリーリア公爵位を継がせたいと考えた。

 つまり、私がラナンクラとリーリア双方の跡を継ぐ二人以上の子供、それもできれば男児を産むことに父は賭けたのだ。

 私とヴォルフの婚約が発表される段になれば、父の思惑は知れ渡るだろう。五公のうちでも力の強い二家が婚姻を結ぶことには反発が起こるだろうし、我が家の親族の中には自分の息子こそ次期リーリア公爵にふさわしいと思っていた親もいるはずだ。


 私個人としても、もちろん釈然としない。そこには私の意思がないから。

 けれど、父がもろもろの事情を私に説明してくれたことには感謝している。それは父なりの私への誠意であって、私もまた父に誠意を示さなければならない。つまり、明確に反対するには少なくとも父を納得させられる理由が必要だ。

 初めはヴォルフの性格に難あり、という証拠を用意してその理由にしようと思ったのだが。


「私たちは、協力できると思わない?」

「協力?」

「そう。だってこの婚約話、率直に言ってあなたも反対よね?」

「……え?」

 さっきから、私の言葉の反復もしくは『え』しか発音していないことに彼は気づいているのだろうか。

「だって、家柄とか爵位とか色々な事情があるのはわかるけれど、私たちの気持ちを無視しているわ。私たちはまだ子供で、これからどんな出会いがあるか分からないじゃない」


 具体的には、ヴォルフは十二歳から通い始める学園で、金の髪に鮮やかなエメラルドグリーンの瞳の少女と運命的な出会いをするのである。ただし彼女が転入してくるのは彼が六年――最高学年になった年だから、けっこう先の話になる。


「だから、親に諾々と従って結婚する必要なんてまったくないと思うの。でも、私たちの家柄からして、この婚約話を断ったところで次の話を持ってこられるだけなんじゃないかしら」

「…………」

「つまりね。お互いに婚約に納得しているふりをしないかってこと。心に留めておいて欲しいのだけど、あなたに他に結婚したい子ができたら、言ってくれれば協力は惜しまないわ」

 だから私を刺し殺すのはやめてね、とは言わないでおく。


 私なりに最大限の誠意を持ってこの婚約話に対処しようと考えた結論だった。

 ヴォルフが想像よりも、いや、当初の想像からすると破格なくらい良い人間でしっかり会話も通じると知ったからこその妥協案だ。


「それで、君は……?」


 だからヴォルフが、こんな暗い声を出すのは完全に予想外だった。

「君にはもう、結婚したい相手がいるのか? だから私は眼中にない、と」

 ヴォルフが手を伸ばして、私の手首を掴んだ。

 痛みを感じるような力ではなかったけれど、突然の事だったのでまるで闇から手が伸びてきたように感じられて驚く。

「……何の話?」

 手を振り払おうとすると、逆に手首を握られた力が増して体が近づいてしまった。

 背は私のほうが高いのに、手の大きさは格段にヴォルフのほうが大きかった。剣を習っていると言っていたから当たり前かもしれないが、握力も強い。

 体を離すことができなくて、私はそのまま吸い込まれそうに深い青紫の瞳と接近遭遇した。

「『これからどんな出会いがあるかわからない(・・・・・)』と言いながら、君の口ぶりは俺が君の相手になる可能性を除外している。だから、君にとっての運命の出会いはもうあったのかと聞いている。好きな男がいるのか?」

 恋人の不義理を咎めるような声に、私は意表をつかれた。

 無闇に顔が赤くなって、とにかく否定しなくてはいけないと首を振る。ブンブン音がするくらい振る。


 と、今の今まで怒っているような雰囲気だったヴォルフの眼尻がやわらいだ。次いで少し呆れたようなため息が聞こえる。

「君は、どれだけ男が周囲にいない生活をしているんだ? いや、公爵令嬢として当たり前か……」

「え? ヴォルフは周りに女の人がいるの? あ、あの、もしかして綺麗な侍女のお姉さんと……とか……」

 友達はいないけどセフレはいますみたいな未知なる生活を送っていたりするのだろうか。と、想像力をたくましくさせたら嫌な顔をされた。

「そんなはずがないだろう。私自身は潔白だ。だが使用人の中にも恋人同士という者がいるし、王宮に出入りすれば男女関係の醜聞は嫌でも耳に入ってくる」


 だから色恋沙汰については自分のほうが箱入り娘より長けているのだとヴォルフは言いたげだ。友達兼弟みたいに感じていたヴォルフの意外な顔に、なにやら焦りを覚える。

 ヴォルフの手が相変わらず私の手首を捕らえたままなのが混乱に拍車をかけていた。

 痛いわけではないが、なんとなくその場所が熱を持っているような感じがする。そして顔が近い。

 前世の知識を生かして、何か彼の度肝を抜く様なことを言ってやりたい。しかしどんなことを言えばいいのか皆目見当がつかない。下ネタ? 保険体育の知識?

 だいたいゲームの中のヴォルフはヒロイン以外にはちょっと潔癖っぽくて、女嫌いではなかっただろうか。すごく今更だけど。こんなに近づいちゃっていいわけ?

 わたしは、こんらん、している。


 その混乱を見ぬいたように、ヴォルフがふっと大人びた笑みを浮かべた。大人びたというか、どこか意地の悪い笑い方だ。

「つまり君は、そういう意味で情緒が育っていないだけか」

 十歳児にそんなことを言われたくない! 絶対に!

「物語の中の王子様に憧れるだけじゃなく、目の前にいる男について考えてみたほうが建設的だぞ」

 そんなことも言われたくない! 王子様に憧れとか、ちょっとなんとなく思い当たる節があるから余計に!!


「……婚約解消はしない」

 きっぱりと言い切って、ヴォルフはやっと私の手首にまわしていた指をほどいた。

 けれど完全に開放はせず、圧迫したその場所を労るように指先で撫でてくる。

 さっきからヴォルフのなすがままで反抗すらしていないのは我ながら本当に不甲斐ないのだが、私の顔は茹で上がったタコのように赤いのだ。何を言っても格好がつかない気がする。

 

 ヴォルフが立ち上がって『部屋に帰ろう』と言った時も、私はとにかく何度も頷いた。とにかく一人になって落ち着きたい気分だ。



「おやすみ、婚約者どの。良い夢を」


 だから客間まで私を送ってくれたヴォルフが別れ際、最期のとどめとばかりに目尻(もしかすると泣きぼくろの上)にキスをしてきたのに、無断で何するんだと文句を言う事も出来なかった。



 親が決めた私の婚約者は、どうもヤンデレとは言いがたい。

 けれどなかなかに、侮りがたい人物ではあるようだった。



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