第二十四話
私はまるで頭を物理的に振り回されたような心地だったけれど、幸いに今は疑問をぶつける相手がいた。
「……これを書いたのはオリアなの?」
私から頑なに目を背け沈黙で通そうとした様子のオリアは、しかしルイシャンに「質問に答えなさい」と穏やかに諭されて(脅されて?)頭を垂れた。
「は、はい。そうです……」
「これは、いったい……」
聞きたいことが言葉にならず、私は口ごもった。
「説明しなさいオリア」
「あ、あの、つまり、小説です。学園にいらっしゃる方々をモデルにした……」
それだけでないことは明白だった。それは、私の記憶の中の『例のゲーム』とのあまりにも明白な類似性の理由にはならない。
「オリア、あなた前世の記憶があるのではない?」
「……えっ?」
「違うの? じゃあ一体……」
「僕……いえ、私は、その、実は、少し変わった魔法適性を持っていまして……」
「魔法? では、もしかして、あなたは『運命』を知ることができるの?」
「??」
オリアはきょとんとした顔で、おそらくはひどくこわばっているだろう私の顔を見返した。
「運命、ですか? いえ、そういう魔法では……」
「でも、ここに書かれているのはあなたが魔法で知り得たことなのね?」
「は、はい。そうです」
「それはつまり『運命』ではないの? 呼び方は色々あるかもしれないけれど、本当はこうあるべきだった筋書きというか……」
「い、いえ、そんな大げさなものでは……」
「でも……」
私は自分の思いつきにとらわれて冷静さを欠いていたのだろう。詰め寄るような私の迫力にオリアは完全に押されていた。「リコリス先輩、少しいいでしょうか」とルイシャンに横槍を入れられて、私はようやくそのことに気がついた。
「ああ。……ごめんなさい」
「先輩がなぜこの内容を『運命』と称したのかは分かりませんが。少なくともこの内容が今、実現していないのは確かです。それでは『運命』とは呼べないと思いますが」
ルイシャンの整然とした言葉と穏やかな声に、私も少し落ち着くことが出来た。
「ええと、それは多分、わた――いえ、その、運命に抗った人間がいた、から」
「しかし、運命とは抗うことの出来るものでしょうか?」
「…………ごめんなさい。混乱してきたわ」
実際、手帳を読み進めたあたりから私の頭はひどく混乱している。
「オリアの魔法は、その人の人生における『可能性』を見るものなんです」
「可能性……?」
「はい。主には過去を、時には未来も見ることができますが、過去視や未来視とは厳密には違う。いくつもの異なった可能性を見るのです。リコリス先輩が読んだのは手帳に書かれた一つ目の話ですね。次の話も読んでみてください」
ルイシャンに促されて、私は再度手帳を開いた。リリィとヴォルフの話の次に書かれていたのは、なんとアルトと私の恋愛ストーリー。ざっと目を通しただけだが、そうとしか読み取ることのできない話だった。
「え? なに、これ」
こんな話はゲームにはもちろんない。その後のページを読み進めてみると今度はリリィと私の友情物語、とおもいきやなんだか雲行きが怪しい。リリィが私にキスをするというシーンで私は手帳を閉じ、頭を抑えた。
「??????」
私が読んだのは、おそらくは全体の十分の一にも満たないページだったが、その破壊力たるや。
今私の手に収まっているこの手帳。
これは明らかに、私が今まで生きてきた中で一番『得体の知れないモノ』だ。手帳の表紙はどこにでもありそうななめし革で、その言語に絶するほど混沌とした中身を匂わせる部分はどこにもない。
「あの……」と、このカオスの創造主が声を上げた。
「すみません……。その、悪気はないんです! この選び取られなかった可能性たちが、何も形を残さず消えてしまうのはどうしても不憫に思えて……!」
言い募るオリアの背をルイシャンがその細腕でドンと突いた。
「すみません趣味です。僕の趣味なんですやめられないんです。ヴォルフガング寮長とリリアムさんとのお話はその悲劇性が実に僕好みでして……。あと、アルタードさんとリコリス寮長のお話は年上のお姉さまと子供っぽい子というのがすごくいいなぁって……。リコリス寮長とリリアムさんの話はなんというか、男の夢と申しますか……」
夢見るような眼差しで自分の幅の広すぎる嗜好について語った後、オリアはどこか遠い目をして言った。
「昔から周囲の人の『可能性』を見ては気に入った話を書き留めるのが好きだったんです。それが見つかる度に、どれだけ真面目に仕事をしていても追い出されて、職場を転々として……」
「懲りなさいよ」
私の的確なツッコミにオリアは目元に涙をためたが、そうしますもうやめますとは言わなかった。これは駄目だ。
「そもそも、これは魔法の濫用ではないの」
「一応、オリアの魔法使用については協会から指導が入っています」
ルイシャンが苦笑しながら説明してくれたことには、オリアはルイシャンの護衛に関わる部分でのみ魔法の使用を許されているとのこと。
ただしオリアの出身国――ルイシャンとはまた違う、小国の出身らしい――では、協会のような組織、この学園のような施設がないらしい。そのためオリアは魔法の制御が危うく、自分の意志と無関係に魔法を発動させてしまうことがままあるそうだ。
すみませんと申し訳なさそうに俯くオリアの態度は一見殊勝だが、『カオスの体現』とも言うべき手帳の存在を思えばあまり寛容な心は湧かない。
「……とにかく、オリアの見るものはそれぞれが同時には起こり得ないものばかりですから、『可能性』ではあってもただ一つの『運命』ではあり得ないんですよ。むしろ確実な過去や未来を見る魔法能力者だったら、これほど自由に生きることは出来なかったでしょうね」
ルイシャンの言葉になるほどと思うのと同時に、私は掴みかけた糸がするりと手から滑り落ちていくような思いがした。
可能性を知る。それは例えば、平行世界における出来事を知るということだろう。例えばヴォルフが毒殺事件でお父上を亡くしていたら、シェイドがナーシサス叔父の元で育っていたら、今となってはとても恐ろしく感じるそんな可能性の世界についても、オリアは知りうるのかもしれない。
彼の変わった魔法についてはなんとなく分かった。しかし私の『この世界とゲームの関係について』という疑問を解く鍵になりうると思ったその期待には届かなかった。
「……オリア、『ヤンデレ』とか『パソコンゲーム』とかいう言葉に覚えはない?」
「? いいえ」
屈託なく首を振ったオリアが興味を示したので、私は少し説明をしてみることにした。パソコンについては説明自体が難しかったので適当に、ヤンデレとはどういうものか、ゲームとはどういうものかに重点を置く。『フラグ』や『分岐』『マルチエンド』といった説明は難しかったが、いわゆる選択式の分岐小説を例にした。
オリアはたくましい想像力でもってなんとか理解に及んだようで、私の説明を聞くオリアの瞳はだんだんと輝きを増した。
「すごい! すごく楽しそうです! その『分岐』という発想が良いです! それなら普通の小説と違ってたくさんの可能性を一つに織り込むことができます! 『ヤンデレ』というのも素敵です!」
嬉しそうなのは結構だが、この様子では『例のゲーム』のことをオリアが知っているとは思えない。
拍子抜けする私を前に、オリアは興奮気味に続けたのだ。
「僕、来世はきっとその『ゲーム』がある世界に生まれ変わりたいです!! そしてこの書きためた可能性たちを盛り込んだ『ヤンデレ』の『ゲーム』を――」
大切そうに手帳を掲げながら言う、懲りないオリアの言葉にルイシャンは従者の鳩尾にとても見事な肘打ちを打ち込んだ。
そして私は、呆然と呟いた。
「生まれ、変わり……?」
「ああ、この国ではあまり馴染みのある思想ではありませんか。我々の国には転生思想というものがあって……」
ルイシャンが丁寧に説明をしてくれるが、私はそれを聞くまでもなく知っている。むしろ、その生き証人が私である。
そうだ。
生まれ変わりは、ある。
オリアが地球に、日本に生まれ変わる可能性だって、私の例を考えればないとはいえない。
その際、私が死ぬよりも前の日本にオリアが生まれ変わることだって、絶対にないとはいえないのでは? だって、生まれ変わりが必ずしも時間軸にそっているなんて保証はない。そしてオリアが前世の記憶を頼りにゲームを作る? それを私がプレイする?
ゲームとこの世界の出来事の類似性は、オリアが自身の魔法――過去視もどき――によって知り得た事を下敷きにしているから?
それが正しいよと誰かがささやいたかのようなタイミングで。まさにこの瞬間に私は、『例のゲーム』のタイトルを思い出した。
ゲームタイトルは、『Deja Vu』だ。
幼いころ何度も思い浮かべた言葉だったのに、今この瞬間までゲームタイトルとは結びつかなかった。
デジャヴ。既視感。
それは誰にとっての既視感か。
ファンの間での定説は、幾度か繰り返しプレイしなければハッピーエンドに辿りつけないというゲームシステムにちなんだ名前、ということだった。
ゲームの中で、例えば一周目は回避できなかった悲劇を、二周目では新たに現れた選択肢によって回避することが出来る。それはまるでささやかな既視感がヒロインの未来を助けてくれるような、そんなシステムだった。
ハッピーエンドだけ見られればいいというユーザーには不評だった仕様が、私はわりと好きだった。悲しい、つらいエピソードを知ることで、幸せなエンディングをより深く楽しむことが出来ると思っていた。
でも本当は。
『Deja Vu』は、ゲーム製作者にとっての既視感。つまり前世の記憶なのだろうか。
今この世界に生きる私達こそがオリジナルで、ゲームのキャラクターはそれをモデルに作られたもの?
荒唐無稽だ。
それを実証する術はない。
けれど、否定する術もないのだ。
「……生まれ変わったら、前世のことは忘れてしまうのではないかしら」
「そこは、根性で! 思い出します!」
無茶苦茶だ。
でも、前世の記憶を思い出すのは、私の経験からすると前世と現世の知識が繋がった時。私の場合はそれが『ヴォルフ』だった。オリアの場合はもしかして、私が今彼に語って聞かせた『パソコンゲーム』やら『フラグ』やら『ヤンデレ』だとしたら?
黙り込んでしまった私に、オリアはなにか誤解したようだった。
「あの、すみません。はしゃぎすぎました。……その、誤解しないでいただきたいのですが、僕は現実がこうだったら良かったな、なんて思っているわけではないんです。僕は様々な表情を持つ『可能性の世界』が好きですが、それは現実の人生で手にしているものの価値をより鮮明に知ることができるから、なんです。……上手く言えませんが」
オリアは少しもどかしそうにはにかんだ。
私には、彼の言うことが少し分かる気がした。なぜなら私は今幸せだからだ。ヴォルフがいて、シェイドがいて、リリィがいて、お父様がいて、お母様の笑顔を知って。
ラナンクラ公にだって会おうと思えばいつだって会える。クリナムや叔母様も、元気でやっていると手紙をくれる。
今私が手にしているものの価値は、それが手に入らなかった可能性を考えた時により重く、鮮明に感じられる。例えばゲームのハッピーエンドは、バッドエンドを見た後のほうが素敵に見えるように。
私はやっと、オリアに向けて微笑んでみせることができた。
答えは、分からないのだ。私は答えと思える可能性に思い至っただけだ。真実を知るすべはない。
でも、できることは一つだ。懸命に、生きていくこと。