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第四話

 私のぽろっと口をついた言葉にヴォルフガング・アイゼンフートがどうしたかというと。

 ただ、驚きに目を見開いて呆然としている。


(あ、あれ? なんか思ってた反応と違う)


 禍々しい炎を吹きだすドラゴンに変身、とかは流石にただのイメージ映像にしても。憎しみを込めてこちらを睨みつけてくるのが当然と思ったのだ。

 手を出してくるかもしれないと身構えたのが完全に無駄になった。


 今の彼の様子を例えるなら、未知なる敵に遭遇したネコ。警戒心よりも驚きが勝ってしまっているあたりお育ちがいい。


 察するに彼は、少なくとも同年代の人間から悪口を言い返されたことがないのだろう。身分を考えれば、相手が大人であってもそうそう彼に面と向かって反論はできないはずだ。

 彼の父親である公爵は、自分の息子に背が低いとか言いそうにない。


 私の背中を冷や汗が伝った。


 平和な現代日本に生きる方々からはけっこう同意を得られると思うのだが。私は被害者になりたくないのはもちろんのこと、加害者にもなりたくない。

 たとえ相手が将来ヤンデレになるにしても。今は、自分が言ったのと同じようなことを言い返されただけで機能ストップしてしまうメンタル弱めのお子様なのだとしたら。私の先ほどのもの言いは相当大人気ない。


「ええと、失礼なことを申し上げました。謝罪いたします。申し訳ありませんでした」


 私の言葉を契機に金縛りは溶けたようで、ヴォルフガング少年の顔にカッと血が上る。


「ゆ、許すものか!」

「はあ。まあ、許していただかなくても結構ですけど」

「……っ!」


 白皙の顔が、完熟トマトのように赤くなる。でもなにせ若いから、血管に負担がかかるとかいうことはないだろう。

 それにしてもこの少年、普段どれだけ甘やかされているのだろう。言い返されるたびに驚いている。

 ラナンクラ公は素敵な紳士だと思ったけれど、息子を叱ることの出来ない父親なのだろうか。確かに歳をとってからできた子供は可愛がってしまうものと言うが。


(……ん? そういえば)


 私はとある可能性に思い至った。

「あの、ラナンクラ公爵様は、ふだんは王都にお住まいですよね?」

「父に言いつけるつもりか」

 父親に言いつけられるのが怖いなんて可愛いところがあるじゃないと思いながら、私は努めて愛想よく微笑んだ。

「いいえ。そんなことはいたしませんから、変わりに少し私とおしゃべりに付き合っていただけませんか?」

 私の提案に、ヴォルフガング少年は今度は警戒心に全身の毛を逆立てた猫のような顔で睨みつけてきた。笑顔が相手の心を和ます効果があるだなんて嘘っぱちだ。


 私は言葉を重ねてなんとか彼の警戒心を解こうとした。

「というのも、他所のお家の親子事情に興味があるのです。……私の父は外交のお仕事をしていますから、領地どころかこの国におられないことが多くて、なかなか会えません。離れて暮らしていると、なんだか久しぶりに会っても何を話して良いのかも分からなくて。ラナンクラ公もお忙しい方ですから、普段は中央にいらっしゃるのではありませんか?」

 こちらの手の内をあかしてみせると、少し彼の興味を引けたようだった。

「確かに父は普段中央にいる。こちらに帰って来られるのは月に数回というところだ。しかし、リーリア公との会話に困るというのは意外だな。多弁な方だ」

「ええ。ですからわたくし達の会話は父が一方的に口を開くばかりです。父は話術の巧みな人ですが、私は楽しい話など出来ませんからつい相槌を打つだけになってしまいます。でもそれでは、家族の会話として寂しいでしょう?」

 相手の警戒心を解く手段のはずが、思いの外しっかりと悩み相談をしてしまったと口に出してから思った。

 しかしそれが功を奏したのか、ヴォルフガング少年は少し真剣な顔をして口を開いた。

「……私と父の例はあまり参考にならないだろう。どちらもあまり弁が立つ方ではない。私が勉学の成果を報告して、父は褒めてくださるが会話といえばその程度だ。もっと昔、母が生きていた頃は違ったのだが」


(この人、一人称が『俺』から『私』になっているのに気づいてない? 『私』の方が素に近い感じがする)


「お母様はどのような方でしたか? わたくしの場合、母は物心つく前に亡くなっていますから、ほとんど覚えていないのです」

「そうか。それは、その」と、もごもごと口ごもったのは、多分哀悼の心を示そうとしたのだろう。いくら大人びた子供でも、人に弔意を示すときの言葉などとっさに出るものではない。経験が少ないのだから。

 私はスカートを持ち上げて丁寧に礼をして、彼の心が伝わっていることを示した。彼も理解したようで表情を緩める。

「……私の母は、四年前に亡くなった。あまり口数の多い人ではなくて、褒めることも叱ることも少なかった。だがどんな時でも、私を見守っていてくれたように思う。美しくて、優しい人だったな」

 過去を懐かしんだ後にふと、「ありきたりな表現だが」と照れたように言った。その子供らしからぬ表情に、私はなんだか切なくなった。

 はっきりと思い出したのは昨日とはいえ、私には前世がある。けれど彼は無垢な赤ん坊として生まれ、たった六年しか母親と共に過ごせなかったのだ。

 思わず「寂しくありませんか」と聞いてしまうと、使用人や家庭教師がいるから寂しくないと返ってきた。

「友達は?」

「館に出入りする子供はいない」

「わたしの所もです」

 二人で顔を見あわせてため息を付いた。『お互い身分が高いせいで不便だな』という共感があった。


 男女の違いはあるが、彼と私の境遇には似たところがあるようだ。

 双方、幼くして母親をなくしている。父親は仕事に忙しくてなかなか会えない。使用人や家庭教師など、大人に囲まれて暮らしていて、同年代の遊び相手はいない。

 

 私は話題を家族のことから他に移すことにした。

 政治学や歴史学の進行具合から始まって、最近読んだ興味深い本のことや、乗馬の腕前について。

 興味のある分野にズレがあるものの彼も読書家だということが分かって、なかなか話していて面白い相手だった。

 話が興に乗って、私は父親にさえ秘密にしていたことを彼に話してしまった。

 1人で探検がてら街に出た時のことだ。

 正確には使用人の1人が街に行くのにわがままをいって同伴した。そして彼が交渉事に熱中しているのを良い事に、少しだけ側を離れて街を歩いた。それだけのことだ。

 それでも私にとっては大冒険だった。大人に言えば私の身の安全を理由に怒られるだろうこの大事な秘密を、私は同年代の子供に教えてしまいたくて仕方なかったのだ。

 ヴォルフガングは私の期待に答えてくれた。驚いて、そして少しだけだが称賛の言葉をくれたのだ。


 この時は自覚していなかったが、私はどうも少しはしゃいでいたようだ。

 思い返してみれば、私の人称は普段話す時に気をつけている『わたくし』から『わたし』になっていたと思う。人のことを言えない。


 言い訳のようだが、気のおけない話し相手に会うのは少なくともこの生において初めてのことだ。

 ばあやは比較的どんなことでも相談できる相手で、彼女は使用人としての職務以上に私のことを気にかけてくれていると思う。限りなく家族に近い存在ではあるが、やはり友だちとは違う。

 この時間は思いの外楽しく、時間は駆け足で過ぎ去った。



 私達がハッと我に返ったのは、双方の父親がなにやら笑みをこらえきれないような妙な顔で夕食の支度ができたと呼びに来た時だった。

 その頃には私たちは、ヴォルフ、リコリスと呼び合う仲になっていた。



 仲良くなってどうする、私。


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