第十三話
アルトの怪我は左腕脱臼と右足骨折。階段から落ちたそうだ。
寮の階段だったために目撃者は多かった。珍しく取り巻きを連れずに一人ボーっとした様子で歩いていたアルトが階段で転び、慌てて左腕で手すりを掴むが体勢を保てず転げ落ちるところまで、全てを目撃していた生徒がいた。
ヴォルフやシェイドが駆けつけた頃には、痛み止めが全然効かないと文句を言っていたそうなのでひとまずは安心である。
それでも大きな怪我であることには変わりない。取り巻き達はそれは取り乱したそうで、男子寮に入ることのできない女子生徒は特に悲嘆に暮れていた。
しかしまあ、学園には治癒魔法を使える医師がいる。大事をとったとしても二・三日のうちにアルトは元気に学園へ復帰するはずである。
しかし、大方の予想を無視してそうはならなかった。
何故かというと、アルトが駄々をこねたからである。
あのはた迷惑なお子様曰く。
『リコリスがお見舞いに来るまで学校に行かない』
だ、そうだ。
これを聞いた瞬間の私の苛立ちたるや。
私は不良も真っ青、というやさぐれっぷりで『アアン?』と返した。心のなかで。
アルトのこの言葉を伝えに来たのは、アルトの取り巻きの一人で、アルトと同年の女の子だったのだ。彼女が悪いわけではない。
これについて私は怒りにまかせて無視を決め込んだのだが、それが別の騒動に繋がってしまった。
リリィがアルトの取り巻きに『改めて謝罪したい』とかいう名目で呼び出されたと聞いて、私は慌てて教室を飛び出した。つい最近もこんなことがあったなぁという既視感が切ない。
実は私も今日こそリリィを呼び出してでも話をしようと思っていたので、先を越された形である。
ともあれ、取り巻き達がリリィへの謝罪のためだけに呼び出しをしたなんて、そんな幻想は抱いていられない。
彼らの思考は、悲しいことにすぐに想像がついてしまった。つまり、あわよくばリリィを使って私がアルトのお見舞いに行くようにしてもらおうという思惑である。
取り巻き達がリリィに土下座をして困らせている場面が思い浮かぶ。
そうして駆けつけた私が見たのはしかし、もっとずっと恐ろしい光景だったのだ。
ガシャーンと大きな、破壊的な音がした。
太陽光を照り返しながら、ガラスの雨がリリィ達の上に降り注ぐ。
情けないことだが、私は驚愕してそれを見つめるばかりだった。
驚愕から我に返ると、そこにはガラスの破片が飛びちり、顔や手など肌がむき出しの部分に小さなキズを負ったアルトの取り巻き達が見えた。
運悪く大きな破片にあたってしまったのだろう、傍目にもはっきりとわかるほど腕から血を流している男子生徒がいる他に、幾人かは腰を抜かしてへたり込んでいる。
傷の大小はともかく、凶器となりうるものが大量に上から降ってきたのだ。その恐怖はどれほどのものだろう。私は、とにかく自分だけでも冷静にならなければと自身に言い聞かせた。
私の姿を見てこちらに駆け寄ろうとした子がいたので、私は「走らないで!」と大きな声でそれをとどめる。
「ガラスで体を傷つけてしまわないよう慌てずに、ゆっくりと動いて。服についた破片は手でこすり落としては駄目よ」
現代日本で自動車の窓ガラスなどの割れても人体を傷つけにくい性質は有名だが、このガラスの破片は荒く鋭利で、いかにも危険そうだ。上を見上げると、二階の大きな窓ガラスが枠だけ残してポッカリと消えている。
私は取り急ぎ傷の深そうな男子生徒の怪我の様子を見て、止血のために血管を抑える。
大きな音のおかげといっては皮肉だが、すぐに先生方が駆けつけてくれたのはありがたかった。
「リリィ! あなたは怪我は!?」
一人だけ、少し離れた場所で立ちすくむリリィに声をかけた。その顔はひどく青ざめていて、今にも倒れてしまいそうだ。
「リコリス……」
リリィはらしくない消え入るような声でつぶやくと、何かを恐れるように目を伏せた。
彼女の体には目につくところに怪我はなく、とりあえず私はホッとした。
「とにかく、歩けるようなら医務室に」
私はリリィの服を摘むようにしてそこからガラスを払い落とそうとした。が、リリィの服からはただの一つも光る欠片は落ちてこなかった。
私はそこで初めて、リリィの周囲にはガラス片が落ちていないということに気がついた。ポッカリと、まるでリリィを避けるように。
リリィは、何かを恐れるように俯いたままだ。
この顛末は、瞬く間に学園中に広まった。
あれだけの被害が出たものを隠匿はできないにせよ、私はひとつ大きな危惧を抱いていた。
(あの時……)
ガシャンと音が聞こえて、ガラス片は落ちた。普通に考えるなら、窓枠にはまった状態のガラスに何かがぶつかって、破片が下に注いだのだろう。外に破片が落ちたのなら、建物の中から割った可能性が高い。
けれど、何かが窓にぶつかっただけなら、窓枠にガラスが全く残らないのはおかしい。
大きな窓ガラスの全面を一度で割った力について、この学園では当たり前のように『魔法だ』と推理されるだろう。
つまり、ガラス片は魔法によって砕かれ人の集団の上に降り注いだ。ただ一人だけを避けて。
私の危惧は、まもなく現実のものとなった。
学園内には、一つの噂がまことしやかに広まった。
今日おこった事故はリリアム・バレーの魔法によるものである。いや、そもそもアルタード・ブルグマンシアの怪我は、リリアムによる報復だったのだ、と。




