第十二話
リリィの昏睡の原因は、魔力の枯渇による疲労だと診断された。誰もが首を傾げる内容だったが、目覚めたリリィ自身もまた困惑していたそうだ。
『昨日は魔法を使っていません。授業の中でも魔法の使用はしませんでしたし……』
リリィが、女子寮付きの医師を勤める女性に語ったところによればこうである。
アルトに呼び出されたこと、その後のいざこざ、森に小鳥を探しに行ったことまでははっきりと覚えているのに対して、その後の記憶が妙にあいまいなのだという。
リリィはいつもの場所で例の小鳥を見つけた。しかし、小鳥はいつものようにリリィのもとに降りてきてはくれなかった。
小鳥が怪我をしているかもしれないと思ったリリィは、飛び去るその子を追いかけた。
上ばかり見て追いかけたために、あまり土地勘のないリリィは気がついたら知らない場所にいたそうだ。そこからリリィの記憶は更にあいまいになる。
人に会ったのは確かだと、リリィは言ったそうだ。けれどなぜか、相手のことを思い出せない。
その人と、ずいぶん長く話し込んでしまった。気がついたら夜になっていて、慌てて寮に戻った。
まるで雲をつかむような話である。
医師の女性も困惑した様子で、押しかけた私にこの話をしてくれた。
リリィは終始どこかぼんやりとした様子で、懸命に記憶の糸を辿ろうとしている様子だったという。しかし結局、誰と一緒にいたのか思い出せないまま再び寝入ってしまった。それが昨晩のことである。
リリィは今日は大事をとって授業を休んでいる。
「いくらなんでも記憶が曖昧すぎるでしょう。昏睡したせいで寝ぼけていたにしても」
行儀悪く口の中に物を含みながらシェイドが言ったので、私はいろいろな意味を込めて弟を睨みつけた。
「『寝ぼけて』なんて、失礼なことを言わないで。リリィは被害者なのよ」
シェイドが時々皮肉げな物言いをするのは癖のようなもので、悪意はないと分かっている。けれど今は聞き流す気になれない。あわや姉弟喧嘩勃発かというところで、ヴォルフが重々しく口を挟んだ。
「記憶がそれほど曖昧なら、そこに魔法が介在した可能性があるな」
「ええ。私もそう思うわ」
我が意を得たりと私は頷き、さすがヴォルフと彼をこれみよがしに持ち上げた。シェイドは少しいじけたようにそっぽをむく。
今日の私たちは、来客用の小食堂に料理を運び込んで昼食をとっていた。寮長と監督生に与えられた特権、などと言ってしまうと大げさだがそんなものだ。汚さない、騒ぎすぎない等の暗黙の了解を破ったことはないので、『少し話し合いたいことがある』程度の理由でもこの部屋の使用許可をとるのは難しくない。
「リリィに今現在記憶を混濁させるような魔法がかかっていないのは確かなの。でも、例えばリリィと話をしていたという人が、姿が他者の記憶にとどまりにくくする魔法を自身にかけておいたとか、手段はあるはずだわ」
「だとすると問題は、彼女と話をしていた相手が誰か。なぜ自分の存在を隠蔽したのか。そしてもう一つ、彼女の魔力の枯渇について、か」
ヴォルフの言葉に興味を惹かれたらしく、ふてくされていた筈のシェイドがひょいと会話に戻ってきた。
「でもリリアム嬢の魔力は、計測器が壊れるほど強大なんですよね? それが枯渇って、一体何にそれほどの魔力を使ったんでしょうね」
「リリィが使える魔法は、治癒魔法だけのはずよ」
「それこそ不可解ですね。死者の蘇生でもしたんでしょうか」
それは治癒魔法の範囲ではない、と言いかけて私は思い出した。リリィの魔法は規格外なのだ。
「……学園内にどうして死者がいるのよ」
「例えば学園内で何らかの事故が起こって誰かが死ぬ。そこに居合わせたリリアム嬢が魔法で蘇生を行った。でもそのことは思い出せないよう魔法をかけられた」
あまりに荒唐無稽な話だが、可能性がゼロというわけでもない。私が惑わされかけた所でヴォルフがシェイドの説を否定した。
「死者を目にする、魔法で蘇生する、どちらもかなり衝撃的な出来事だ。それを本人の記憶に残らないように隠蔽するのは不可能だろう」
「では、そもそもリリアム嬢が嘘をついている可能性ですね」
ヴォルフはそれには否定の言葉を返さなかった。
そこで私は、二人が必ずしもリリィの言葉を信じていないということに気がついた。
「……他の可能性だってあるわ。例えば、そのリリィと会っていた『誰か』の目的はリリィの魔力にあった。リリィの強い魔力を使って何かしようと企んだのよ」
「他人の魔力を使うなんてことが可能なんですか?」
「少し昔の話だけれど、そういう実験を国と協会が行なったという記録を見たことがあるわ」
「それで? 実験は成功したんですか?」
「一定の効果を出せたようよ。とても大規模で複雑な魔導装置を必要とするわりに、魔力対効果の効率はものすごく悪いみたいだけど」
「つまり、せっかくリリアム嬢の強大な魔力を頂いても、大したことができないということですか。しかも、その『大規模で複雑な魔導装置』とやらがこの学園に?」
「……自説になんの証拠もないという点では、さっきのシェイドの説と一緒でしょう?」
「あ~はいはい。つまり姉上の詭弁ですね」
言い返そうとした所で、シェイドが「真面目な話をしましょうか」と低い声を出したのに止められた。
「姉上は今回リリアム嬢に起こったことを、外的要因のせいと決めつけすぎですよ」
「だってアルトが起こしたことよ。リリィは被害者に決まっているじゃない」
「確かにアルトがしたことについては彼女は完全に被害者ですが、その後何が起こったのかはまだ分からない。アルトは姉上とやりあった後は取り巻きともども監視をつけられていたんですから、『その後起こった何か』は別の事件と考えるべきじゃありませんか? 一昼夜昏睡状態にあった友人が心配なのは当然ですが、少し冷静になってください」
シェイドにたしなめられると同時にヴォルフによしよしと頭を撫でられて、私は眉をひそめた。
「私、冷静なつもりだけれど」
言い返すもシェイドに鼻で笑われる。
「『つもり』というだけですね。リリアム嬢が語ったことが全て嘘とは言いませんが、記憶が曖昧なら、魔法を使っていないと断言するのはおかしい。伝聞による食い違いかもしれませんが、少しは疑ってください」
言われて、私はハッとした。確かに、言われてみればその通りなのだ。
「とりあえず、直接彼女に話を聞く必要があるだろうな。それから、一つ君に心しておいて欲しいんだが……」
ヴォルフまでお説教をしてきそうな気配だったので、私は少し身をすくめた。でも、続くヴォルフの声は優しかった。
「相手の言葉を鵜呑みにするのが友情の証ではないし、その言葉に疑いを持つことは必ずしも友情にもとる行為ではない。少なくとも、私はそう思う」
ヴォルフがその青紫の瞳で私をまっすぐに見つめて言った言葉を、私は咀嚼する。
リリィの言葉を鵜呑みにするのが友情の証じゃない。疑いを持ってもいい?
「大切なのは、友に頼られたその時に力を尽くせることだ。その為にも、自分の目で真実を見極める必要がある」
観念的な言葉だったけれど、大事なことだということは分かった。ヴォルフは――シェイドもだけれど、友人を得ているという意味では私の先達なのだ。
「……分かったわ。肝に銘じます」
「そうしてくれ。今の君を見ていると少し不安になる。友人ができて嬉しいのはわかるが」
私、リリィと友だちになったことで傍目にもかなりはしゃいでいるのかもしれない。ちょっと恥ずかしい。
「こんな事を言ってどうなるものでもないだろうが。……傷つかないで欲しい」
でも、こんな事を大まじめな顔で言い出すヴォルフだって相当恥ずかしいと思うのだ。
私は顔を赤くし、シェイドは苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
二人の忠告に従って、私はリリィに詳しい話を聞くつもりだった。リリィが私に真実を話さない、話せないのかもしれないという可能性についても心したつもりだ。
けれどその後数日を経ても、私は彼女と個人的に話をする機会を得られなかった。リリィは三日ほど休んだ後に授業に出るようになったが、寮の図書室に顔を出すことはなかった。
これまでリリィが図書室に現れていた頻度を思えば、これは避けられていると見るべきだ。
一度勇気を出して夜に彼女の部屋に行ってみたのだが、部屋は明かりもなく静まり返っていた。まだ万全でない体調のために眠っているのかもと思えば無理に押しかけることはできなかった。
それでリリィが元気に過ごしているというならともかく、学園で見かけたリリィの顔色はとても悪いのだ。遠目にも疲れた様子で、目元にはクマ。ただごとではないとわかる。
ならば正攻法で――寮長として彼女を呼び出すなどして、話を聞こうと決めた矢先のことだ。
アルトが大怪我をしたという報が私のもとに舞い込んだのは。
そしてそれは、恐ろしい連鎖の始まりに過ぎなかった。