番外編〈リコリスと奉仕活動〉
家族編ラストから少しあとの、シェイド視点小話です
俺の、一生の不覚である。
何が。
あの女にしがみついて、ガタガタ震えていた時のことが、だ。
母に実父について聞かされてからの俺の人生は、芝居にすれば人を呼べそうなほど波乱に満ちていた。
しかしどんな三文芝居でも、物語の最後に主人公を公爵家に引きとらせてめでたしめでたしなんて筋は書けないだろう。少なくとも『公爵』という言葉は使わないはずだ。
なにせ五公家。
この国に五つしかないそのどの家も、庶民からしてみれば眩しいほどの威光に輝いている。
リーリア公爵カフィル・ラジアータは、実際、尊敬に値する人物である。
そのまともさは、俺の実父ナーシサス・ランクラーツと比ぶべくもない。
初めこそ食えない大人という印象で警戒したものだが、彼には理不尽な部分は一つもなく、愛娘のリコリスと俺を同等に扱おうとする。
これはけして言葉に出して言うつもりはないが、彼の言動は俺が母に『お前の父親は貴族なんだよ』と言われた時に、思い描いた父親像そのままだった。
いや、想像よりもずいぶん子煩悩が過ぎるきらいはあるが。
そして同じく威光に輝いているはずの、公爵家令嬢リコリス・ラジアータ。
こちらも立ち居振る舞いや所作は流石に公爵令嬢という感じだが、口を開くとずいぶんあけすけに物を言う。実姉クリナムを見てなるほど貴族の箱入り令嬢とはこういうものかと思い込んでいた俺は、それと真逆の彼女の性質に未だに驚かされる。
俺が義弟となることを渋々了承したリコリスは、しかしいざ新しい生活が始まってみれば、それはもう巣作りをする親鳥のように甲斐甲斐しく俺の世話を焼いた。
「ここは貴方の部屋ね」
「これは貴方のもの。私や父も含めて、誰かが許可無く持ちだしたりしたら怒っていいのよ」
この作業をまず片っ端からやられた。
つまりこの家における俺の権利というものを明確にしてやろうと思ったのだろう。別に彼女の努力が実を結んでとは言わないが、俺はさほど時間も経たないうちにこの公爵家の自室を『自分の居場所』として感じられるようにはなった。少なくともランクラーツ邸で与えられた部屋よりもずっと。
しかし、だ。
これで俺が彼女に、いや、あの女に懐柔されたかといえばそんなはずがない。
あの女の許しがたい所業その一は、絶対に早朝に俺を起こしに来ることだ。
物心つくころには夜街の生活に慣れきっていた俺には、日が登ってきてから寝るという生活が当たり前だった。その時と比べれば夜眠る生活に慣れてはきたものの、俺は朝に弱い。
それをあの女。一切の容赦なく耳元でがなる、布団を剥ぐ、一度は布団と一緒に寝台から落ちるはめになった。直後に謝罪はしてきたが、声が笑っていたので俺は許していない。
その上絶対に朝食を食べることを強要してくる。
俺が食べられないと断ると、したり顔で言うのである。
『そんなだから何時までたってもか細いのよ。貴方の腕って私よりずっと華奢だけど、なんなのそれは、自慢しているの?』
そんなはずがあるか。
あの女の許しがたい所その二は、ことあるごとにその達者な口でこちらを言いくるめようとするところだ。
あの女は、一度ランクラーツ邸でとち狂った父親から俺を助けたその時の事を蒸し返しては、『あの時は可愛かったのに』『夜、眠れなかったら本を読んであげるわよ』などと言ってはからかってくる。既に俺は奴に口で勝てる気が全くしないのだ。本当に、あの時不覚を取ってこの女に助けを求めたことが悔やまれる。
今も、そうだった。
「奉仕活動、ですか」
自分に全くそぐわない単語を聞かされて、俺は一応の抵抗を試みた。
「興味がありませんね。元庶民の俺に言わせてもらえば、そんなのは貴族の欺瞞ですよ」
「はいはい。でも今日招くのは小さな子どもたちで、『欺瞞』なんて言葉は知らないと思うわ。お菓子や料理をそれは喜んでくれるわよ。無垢なのね。貴方と違って」
「俺は子供は嫌いです」
「貴方自身が子供だから?」
これだ。
結局俺はなんだかんだと言いくるめられて、躾のなっていないガキを相手に給仕役をすることになった。
あの女はというと、子どもたち相手に少しでも行儀を身につけさせようという絶っっっ対に無駄な努力をしている。ナプキンの使い方だけでも教え込もうとしているようだが、子どもたちにとっては自分の服よりも綺麗なナプキンを使うなど思いもよらない事なのだろう。汚していいものだと言われても困惑するばかりだ。
もとより、生まれも育ちも天と地ほどの差がある人間が、一つの食卓を囲もうとすること自体が間違いだ。
皮肉っぽい思いで俺がそれを眺めていると、リコリスは何を思ったのかそのシミひとつない真っ白いナプキンでえいっとばかり一番ひどく口周りを汚している子供の顔を拭いた。
白いナプキンが無残に汚れるが、彼女はいいのいいのと笑って、こうやって使うのよと締めくくった。
以降は子どもたちもそれを真似て、自分の洋服の代わりにナプキンで手や口を拭うことにしたようだ。
俺はなんとなく釈然としない思いを抱えてそれを見守った。
――実のところ。
俺の身には朝日で目が覚める生活が、すでに染み付きつつあった。
朝、鳥の声をやかましく感じて少し覚醒し、まだ目を開く気にはならないものの焼きたてのパンの匂いのせいで腹が空腹を訴えてくる。もう少しすると彼女が来るだろうと頭の隅で考える。
俺の身体の、なんと現金なことか。これほど早く公爵家の安穏とした生活に陥落するのかと不甲斐なく感じるほどだ。
眉根を寄せた視界にふと、小さな身体に余るほどの食事量を平らげた子供が、リコリスに走り寄る姿が映った。先ほど彼女に顔を拭かれた子供である。
見た目ではまだ男か女か分かりにくいほど小さな子供は、生意気にも頬を染めてリコリスを見上げている。子供に合わせて背を屈めたリコリスに向かって、何やら必死に話をしている。
「ーーーーリコリスお姉ちゃんが、~~~~」
身分差というものをしっかりと理解していないのだろうガキは、屈託なくリコリスを姉と呼ぶ。
「まあ、お前の姉じゃないけどな」
つぶやいただけの言葉は意外なほど大きく食堂に響き渡り、驚いたようにこちらを見たリコリスが、それは楽しそうに、もしくは悪辣にニヤリと笑った。
俺の、一生の不覚である。
これで本当に家族編終了です。
閲覧・感想・評価・お気に入り登録本当にありがとうございます。
特に最近感想でお褒めの言葉をいただくことが多く、感激しています。
日々の活力です。栄養ドリンクより効きます。
学園編にも引き続きお付き合いいただければ幸いです。




