第一話
既視感、デジャヴという言葉がある。
実際は一度も体験していないことを、かつて体験したと感じること。
私の人生は既視感にあふれていた。ただ普通と少し違うのは、私の既視感は『前はこうじゃなかったな』と感じるものだということ。
私の名前は、リコリス・ラジアータ。六歳になったばかり。
語り口が子供らしくないとはよく言われます。
外見も、大人っぽいとは言われても可愛らしいとはあまり言われたことがない。『可愛い』って、子供に対する万能の褒め言葉だと思うのに。
身分はなんと、公爵令嬢。
母親は物心つく前に亡くなったが、絵姿はたくさん残っている。とても美しいが、少し冷たい感じのする女性だった。
父の公爵は外国を飛び回る仕事をしていて、家に帰ることが少ない。けれどたくさんの使用人や家庭教師に囲まれているので、寂しいと思ったことはあまりない。
記憶力の良さを重点的に褒められるので、それを特技と思っている。
こうやって自分のことをつらつら考えているだけで、違和感がふくれ上がっていく。
違う違う、絶対違う、もう何か決定的に違う、と心の何処かが叫ぶ。だが、『何と』違うのかが分からない。
我ながら支離滅裂なこの悩みについて、私は誰か分別のある大人に相談するという一大決心をした。
相手に選んだのは、身近な大人の中でも特に信頼しているばあや。
私が拙い言葉で悩みを打ち明けると、ばあやは目尻の皺が伸びきるほど大きく目を開いて、「まぁ……」と一言。
しばらく呆然とした後困惑しきった顔で、「お嬢様のおっしゃることはわたくしには難しすぎます。その、『でじゃぶ』とやらもわたくしには聞き慣れない言葉で……」と返してきた。
――そういえば。
デジャヴとはいったいどこの言葉で、私は何故それを知っているのだろう。多分『Deja Vu』と表記するのだと思うのだが、これもまたいったいどこの国の文字だか分からない。
一大決心の結果は、疑問が増えて更に混乱するだけで終わった。
それから私は、熱心に本を読むようになった。先人の知恵の中に疑問の答えを求めたからだ。
食事、睡眠、勉強以外のほとんどすべての時間を読書に費やした。
子供らしい遊びにも興味を示さず様々な本を読み耽る私について、公爵邸内は『お嬢様は天才だ!』派と『お嬢様はちょっと頭がおかしいのでは……』派に別れたらしいが、当時の私はそんなことを知りもしなかった。
ちなみにこの頃、私には眉間に皺を寄せる癖が形成されていた。尽きぬ悩みと目の酷使のせいだろう。
こんな六歳児は嫌だ。
乱読生活を初めてから数年が経ったある日のことだ。この既視感と呼ぶべきかも分からない違和感に、一つの答えがもたらされた。
忘れもしないその日は、私の十歳の誕生日前日。
私はこの日、自分の婚約者について初めて父から聞かされたのだ。
「やあ、久し振りだね、私の小さなお姫様」
そんな歯の浮くような挨拶をしてきたのは私の父親。リーリア公爵その人だ。
「お元気そうでなによりです、お父様」
親子らしくない挨拶を交わしながら、私はじっと父の顔を見つめた。
金と茶の中間のような色合いの髪を後ろにきっちりと撫で付けて、それでも童顔の印象が拭えない顔。
まだ三十路に足を突っ込んだばかりで、公爵の貫禄よりも溌剌とした貴公子ぶりが表に出ているこの人が自分の父親であるという感覚は薄い。
別に、血縁関係の有無を疑っているとかいうことではない。単純に、親子として会話した時間が少なすぎるのだ。
一年の大半を国外で過ごし、ごくたまに、しかし必ずお土産を買って帰る父。この人が実際娘のことをどう思っているのかは分かりにくい。
朗らかで娘に甘い言葉をくれる父親は、同時にどこか他人行儀で隙がない。
お土産について説明してくれるその様子は、久々の娘との時間を楽しんでいるように見える。
しかしなにぶん相手は、外交に手腕を発揮する公爵様なのだ。小娘に感情の機微を悟らせたりはしないだろうから、その笑顔ははたして心からのものか、その社交性のなせる技か。……ただの私の考え過ぎかもしれない。
一言でいうと私は父について、『嫌いではないがよく分からない』
そんな父がニコニコと笑って差し出してきた手にそっと片手を預け、私は導かれるままソファーに腰を落ち着けた。
「今日は君に素晴らしい話を持ってきたんだ」
前置きもそこそこに父は、私の平穏な日常を瓦解させるような一言を放ったのだ。
「君の婚約者が正式に決まったんだよ。相手はヴォルフガング・アイゼンフート子爵。ラナンクラ公の長子で、世継ぎだ。ごく最近描かれた彼の絵を拝借してきたよ」
父が言うなり、壁際に控えていた執事がさっと油絵を掲げ、見えやすいように数歩こちらに近づいてくる。
「どうだい? 美男子だろう? 明日は初顔合わせだ。君もきっと彼が気に入るよ」
父の声をどこか遠くに聞きながら、私の視線は絵に釘付けだった。
私の、それまで日常と信じていた日常は、この日この時、いったん崩壊したのだ。これはけして大げさな言い回しではない。
ヴォルフガング・アイゼンフート
その名と姿を耳に、目にした瞬間。目がさめるような思いがした。手探りで進む暗闇の中で、ぱっと突然に灯りがついたような感じ。
既視感も、おかしな知識も全て繋がった。
それは、私の『かつての生』と比較した既視感であり、『かつての生』で得た知識だったのだ。
ヴォルフガング・アイゼンフートという名前もその記憶の中にあった。やわらかな金の髪の少女と、先ほど目にした絵姿がそのまま大きくなったような青年が抱き合う絵が頭に浮かぶ。
正確には絵というか、乙女ゲームのスチルだが。
状況を端的な言葉にするなら。
私は微妙に前世の記憶を持ったままに転生したらしい。
ヤンデレ系乙女ゲームの世界に。
しかも私の立ち位置は金の髪の少女=ゲームヒロインの、ライバルキャラだ。死亡ルート有り。
これはひどい。
色々ひどい。
転生云々は別にいい。
でもなぜ、よりにもよってヤンデレゲーの世界なのか。
ゲームのプレイヤーとして攻略キャラクターに接するなら、それが例えツンデレだろうがヤンデレだろうが恐れるに足りない。しかし、現実でヤンデレに出会いたいはずがない。
ツンデレが振りかざす言葉の刃には耐えられるかもしれないが、ヤンデレが振りかざす出刃包丁に耐えられるか? 否。
いや、出刃包丁はただの私の中のイメージであって、ゲーム中にそういうシーンがあったわけではない。
とにかくヤンデレと相対するには、液晶画面という最強の盾が必要だ。切実に。
ましてヒロイン補正という素晴らしいスキルなしに、むしろ邪魔な脇役としてヤンデレに遭遇するなど、仲間を増やさんとするゾンビに遭遇するのといったいどう違うのだ。ショットガンをよこせ!
いや、撃てないけど。
もう一度言おう。
これはひどい。