歌姫の憂鬱なのです
ライトノベル作法研究所のGW企画に投稿した作品です。そろそろ消えそうなので、こっちに残しました。転載なので、皆様にご指摘された部分もそのまま残っています。ご了承ください。
ご意見を参考に、いつか改良版を作ってみるつもりです。
私の名前は古西歌姫と申します。高校一年生です。名前の歌姫はそのまま「うたひめ」と読みます。
そのためクラスメイトの皆様によく言われます。
「古西さん、なんで選択授業、書道にしたの? 歌姫なんだから音楽じゃないの、ふつー」
一方、他の方はこうおっしゃいます。
「えー、でも古西さんの雰囲気はやっぱり、和! って感じだから、書道っぽいよー」
はい。書道は好きですよ。適当に書いても、それっぽく見えるところが。それに正座をしても三十分までなら足がしびれないところは、密かな自慢なのです。
けれど私が書道を選択したのは、そんな積極的な理由ではございません。音楽を避けたからです。
私、音痴なのです。
中学一年生のときです。第二次性徴を迎えていた私は身体の変化とともに声色も少しだけ変化しており、どうも慣れませんでした。そんなある日、英語の授業で英語の歌を歌うという課題が出されました。小学校の頃と違って授業は難しく、英語は苦手でした。それに変声期だったことも加えまして、私が歌ったものは、それは自分で聞いていても情けない出来でして、クラスの皆様から失笑……ではなく遠慮ない大爆笑をいただきました。私は悔しいやら情けないやらそんな気持ちでいっぱいとなりました。私は「逆さ歌姫」とあだ名されるようになり、一部の男子には、中学三年までからかわれました。
よくよく考えますと、小学生のころから歌を歌うと音が外れていたような気もいたしますが、その当時はまだお子様で気に留めておりませんでした。けれど思春期真っ只中で受けたこの心の傷は深く、それ以来、私は人前で歌うことをできる限り避けるようになりました。
中学を卒業した私は、今まで家の方針で通っていた市井の公立校から、私立のお嬢様高校へ入学いたしました。中学の同級生は一人もおりません。つまり私の負の歴史を存じている方はいらっしゃらないのです。これを機に、イメージチェンジを図ろうと考えた私は、すごい事実を発見いたしました。
なんと人前で歌わなければ音痴だとばれないのですっ。
最大の難関であった音楽の授業も高校では書道との選択制でしたので、助かりました。歌姫の名から、前述のように色々聞かれることはございますが、私のお嬢さまキャラクターのおかげで、皆様にさほど不審がられてはいないようです。本当はハンバーガー大好きなやんちゃな性格なのですけど。
こうして私は充実した高校生活を送ることができるはず……でした。
しかし、私はその生活を破壊する大事件に巻き込まれてしまうのでした。
♪ ♪ ♪
さて私は今、一人でカラオケ店に来ております。カラオケ店を利用するのは初めてのことなので、とても心配しております。私どうもカラオケといいますと、DQNのイメージがございましてよろしくありません。しかし、「逆さ歌姫」に戻らないためには避けて通れない道なのでございます。
「いらっしゃいませ。何名様でございますか」
受付の方がおっしゃいました。
「一名様です」
変な顔をされました。あらいけません。私ったら緊張のあまり自らに「様」を付けてしまいました。これでは呆れられても当然ですね。
「……かしこまりました。お時間はいかがいたしましょうか」
どうやら先に時間を決めないといけないようです。世知辛い世の中なのです。
提示された料金表に目を通します。とりあえず一番短いパックを選ぶことにいたします。
「では、二時間でお願いします」
「かしこまりました。機種はいかがいたしましょうか?」
「は、はぁ……」
キス? なぜカラオケでキスの話が出るのでしょう。
「当店では二種類の機種を用意しておりますが……」
に、二種類っ?
あぁっ、やはりカラオケはいかがわしいものだったのですね!
実はカラオケ店を利用するにあたり、事前にインターネットでググらせていただきました。すると「カラオケ」と入力しましたところ、「カラオケ 初体験」とヒットいたしたのです。きっとカラオケでは歌そっちのけで、個室にて男女のいかがわしい行為をしているに違いありません。
し、しかし、システムでしたら仕方ありません。DQNの巣窟に足を踏み入れた時点で覚悟は決めております。それに私のファーストキスはすでに三歳のとき、お父様のひげ面で捨てているのです。証拠写真もあります。
とはいえ……心の準備が。
「そっ、そ、それでは、フレンチの方でお願いします……」
「は、はぁ。フランス製の機種はないのですが……」
まぁ、なんということでしょう。フランスといったら、ディープな方ではありませんか。
「あれ? もしかして古西さん?」
そのときです。突然カウンターとは別方向、店の入り口から声をかけられました。
「……朝比奈さん?」
クラスメイトの朝比奈さんです。活発な性格でクラスでも人気者なのです。ちなみに、ボケかツッコミかと問われたら、ボケボケな方です。休日にお会いするとは、実はご近所さんだったのでしょうか。
「あー、やっぱり。後ろ姿の長い三つ編みを見て、もしかして? って思ったんだー。古西さん、一人?」
「は、はい」
「へぇ。古西さん、ヒトカラするんだー。ちょっとイメージなかったけど、さすが『歌姫』の面目躍如ってやつ?」
「ヒトカラ」? 何でしょう?
ああ、「ヒトの殻を被った獣」というやつですね。はい。そうです。私こう見えても、口にするのも忌まわしき黒い物体に対しては化学兵器と原始武器を駆使して非情にSATSUGAIできるほどの獣なのです。
「私もたまにはするんだよねー。ヒトカラ」
「まさか、朝比奈さんもヒトの殻を被った獣……?」
「えーと良く分からないけれど、それをいうならヒトの皮を被った……だよね」
ボケの方にツッコミされてしまいました。
「おっ、朝比奈の知り合いか?」
またまた声が乱入しました。今度は男性の方です。見知らぬ方でしたので私は戸惑いましたが、朝比奈さんは普通にその方と受け答えしております。その雰囲気からして、朝比奈さんとご一緒に入店された方のようです。
私、考えます。アベックさんです。
店の奥を見ます。薄暗いです。
キスは二種類です。
――ああ、ちょめちょめされるのですねっ。
私の視線に気づいた朝比奈さんが説明してくれます。
「あ、これは外井。中学一緒だった腐れ縁の幼馴染よ。言っとくけど、彼氏じゃないから」
まぁ、彼氏じゃないのに、ちょめちょめとはっ。
「ねえ、せっかくだから、古西さん、一緒にしない?」
こ、これはっ、噂の3Pというもののお誘いですかっ。
「おいこら。勝手に決めるなよ。彼女戸惑ってるじゃないか」
「あ、そっか。古西さんヒトカラしに来たんだもんね。迷惑だった?」
はっ。思い出しました。私、カラオケに来たのでした。
私、考えます。このままではシステムがよく分からず、カラオケ店を利用できません。ここはひとつご一緒させていただきましょう。初体験は経験豊富な方にリードしてもらうのが良いと耳にしておりますので。
「いえ迷惑などと……よろしければ、ご一緒させてください」
「やった。じゃあ、受付しちゃうね」
はっ。思い出しました。私、音痴なのがばれないよう一人でカラオケに来たのでした。
「お待たせー。それじゃ行こっか」
でも手遅れでした。
……さて、どうしましょう? 私は頬に手を当てて考えました。
ぽくぽくぽく……名案が浮かびました。
そうですっ。歌わなければ、音痴だとばれないのですっ。
これで万事解決でございます。あとは手慣れているお二人に任せて、私は後からのほほんと付いていきます。やっぱりこちらの方が性に合っているようです。
お部屋に入ります。思ったより狭いですね。それに薄暗くて目が悪くなりそうです。どことなくアダルティです。確かにちょめちょめするには良さげな雰囲気なのです。
「古西さん、ここよく利用するの? うちらこの店利用するの初めてだけど、古西さんはヒトカラに来るくらいだから、経験豊富だったりして」
ビッチ呼ばわりされました。
「いえ、まっさら未体験の処女なのです」
処女と書いて「おとめ」と読むのです。
「おとめ? 良く分かんないけど……あれ、古西さん、カラオケ来るの初めて?」
はっ。間違えました。戸惑う私に、朝比奈さんがさらに追い討ちをかけます。
「もしかして、音痴だから練習に来ていたりして?」
「なっ……なんでそのことを……っ」
「えーと……適当に冗談言ってみたんだけど、当たりだった?」
「……」
ううっ。誘導尋問とは卑怯なのです。
「わっ。ごめん。そんな泣きそうな顔にならなくても。ほらほら。ドリンクただであげるからねー」
まぁ本当ですか。私、無料と書いて「ただ」と読む言葉には弱いのです。我が家の家訓は「ただより安いものはない」なのです。
「……フリードリンクだしな」
冷たく甘いココアを頂いて落ち着いた私は、ソファに座って事情をお二人に話しました。
お豆腐より口が堅くなさそうな朝比奈さんですが仕方ありません。それに喋ってみると意外にも気持ちが少し楽になりました。
「へぇ。そっか。文化祭に向けて特訓ねー」
「文化祭って、合唱でもするのか?」
クラスメイトの朝比奈さんは当然ご存知ですが、違う高校に通う外井さんはご存じないので当然なのです。朝比奈さんが説明を加えます。
「そーじゃなくって、うちらのクラスは演劇するの。主役のヒロインが一人で歌うシーンがあってね、でもって古西さんがその主役」
「……主役って……この子が? 大丈夫なのか」
駄目だから練習しているわけです。
「でも見直しちゃった。一人で特訓なんて。私なら、なんとかして回避する方向で考えるのに」
はい。私も回避する方向でぼんやりと考えておりましたら、いつの間にか文化祭が間近に迫ってきておりまして、本日に至るわけでございます。
「例えば、古西さんちってお金持ちっぽいから、金の圧力で買収とか……」
なるほど。その考え方もありましたね。非常に効率的なのです。
「ちょ、ちょっとこの子ったら、なんか変なこと考えちゃってるよ」
「いえいえ。そのお父様にお願いして、ちょっと石油王に……」
「石油王ってなにっ?」
それは内緒なのです。
「……まぁ冗談はさておき、まずは一度歌ってみたら? 古西さんの歌がどんな感じか知りたいし」
そう言って朝比奈さんが、カラオケのやり方を教えてくれした。
「えーと、その、何を歌えばよろしいのでしょうか」
文化祭で歌う曲は、クラスメイトの片桐さんが作詞作曲したもので、カラオケには登録されていないようです。
「あ、そっか。うーん、じゃあ古西さんはどんな歌が好きなの?」
「私、演歌が好きなのですが」
「あ。それは分かる。古西さんって、それっぽい。うーん、けどどうかなぁ、オタクな男の子が無理して、ヒロイン声優が歌うアニソンを熱唱するのと同じじゃないかな。無口な野郎がいきなりあんな甲高いアニメ声を出せるわけないでしょ」
ぽくぽくぽく……
私、考えました。こう見えて頭はよいのです。
「わかりました。目指すべき道は歌って踊れる声優なのですねっ」
「そうよっ。目指せアニソンの道!」
「違うだろっ」
外井さんがツッコミを入れてくれます。ボケの方とお話しするときは、ツッコミの方がいないといつも大変なのです。なぜでしょう?
「というわけで、これなんていいんじゃないかな。曲は勝手に入れておいたから」
「えっ……えーと……」
戸惑いましたが流れてきた音楽を耳にして、何の歌かはすぐに分かりました。はい。これなら歌詞も知っておりますので、歌えます。朝比奈さんのお勧め通りアニソンなのです。皆さんもよくご存じの国民的アニメのオープニングテーマ曲です。ちょっと前のですけれど。
所々歌詞の分からない場所もありますが、画面に表示されるので何とか歌えそうです。
「あんっ、あんっ、あんっ」
この歌。幼女にえっちな声を上げさせようと作られたのでしょうか。とってもいやらしいです。餡が好きなのか皮が好きなのか論争は、この陰謀を隠すために意図的に流されたものに違いありませんと私は思うのです。
それはさておき……
どうしてでしょう? 思ったように声が出ません。自分でも音がずれていることや、テンポが遅れていることも分かるのですが、上手く治せません。テレビで聞いていた歌とはまるで別物のようです。
朝比奈さんも外井さんも戸惑った様子を見せています。お二人の視線が痛いです。そして私も、自分の声・歌を聴くのがとても苦痛です。早く終わって欲しくても曲は速くなりません。
「――ドラ○ ーもん……」
ようやく歌い終わりました。得点が出ます。40点でした。思ったより高得点なのです。お世辞機能でもついているのでしょうか。
「ま、まぁなんていうか、あれだね」
「うん。まぁ、あれだよね」
お二人とも微妙な反応です。
分かっています。自分で歌っていても聞いていても微妙なのですから。
重苦しい雰囲気の中、朝比奈さんが私がおいたマイクを手に取って立ち上がります。
「それじゃあ、次は私が歌わせてもらうね」
「……おい、アドバイスはなしかよ」
外井さんは呆れ気味です。
「まぁ。まずは聞いてもらおうかなって」
朝比奈さんがにっこり笑って歌い始めました。全く知らない歌です。テンポは速く英語の部分も多いので、歌詞はちんぷんかんぷんなのです。
けれど……
けれど、なんでしょう。
とっても心に響いてきます。
私が聞き入っていると、お隣に座る外井さんが話しかけてきました。
「はじめまして。まだまともに挨拶してなかったね。外井好雄です」
「あ、申し遅れました。はじめまして。古西歌姫と申します」
「ああ、良かった。君みたいな子がいて。朝比奈を見ていると、どうもお嬢様学校というイメージが崩れかかっていたから」
それは納得なのです。
私がくすりと笑うと、それに釣られて外井さんも微笑みました。
いい雰囲気なのです。なにやらお見合いみたいです。
ふと思います。朝比奈さんと外井さんは単なる幼馴染で彼氏彼女の関係ではないとのことです。となりますとつまり、私と外井さんがちょめちょめする関係になってもおかしくない、ということなのですっ。
「え? どうかした」
「い、いえっ。その、朝比奈さんはとてもお歌がお上手なのですね。初めて聞く歌なのですが」
「まぁ上手いかどうかはさておき、楽しそうに歌うよな」
「……はい」
そう。楽しそうなのです。聞いているこちらまで笑顔になれるような……
私の表情が曇ったのを見て、外井さんがおっしゃいます。
「もしかして、歌姫ちゃんは歌嫌いなのかな」
「あ、あの、名前で呼ばれるのはちょっと……」
男の方に下の名前を呼ばれると、どうしても「逆さ歌姫」を思い出してしまうのです。
「あ、ごめんね」
外井さんが悪びれた様子もなく笑います。
その様子と朝比奈さんの明るい歌につられ、私はぽつりぽつりと外井さんに中学一年のときのお話をします。
「そっか……」
外井さんが何か言いかけたとき、間奏中の朝比奈さんから「そこっ! 人が歌っているときに無駄話はしないっ」と一喝されました。マイクを持つと性格変わると聞きますが、朝比奈さんもその類の人なのでしょうか。そういえば、中学のとき私はマイクを持っておりませんでした。もし今マイクを持って歌えば、私も朝比奈さんのように輝けるのでしょうか。
ぽくぽくぽく……
無理のような気がいたします。といいますか、さっきマイク持って歌っていました。
怒られてしまったので、真剣に聞き入りました。どうすれば朝比奈さんのように歌えるのでしょう? 答えが出ぬまま、歌は終わってしまいました。
「どーも。ありがとーございましたーっ」
私と外井さんが拍手で迎えます。得点が表示されました。なんと88点なのです。あの赤点連発の朝比奈さんがなのです。いえ、実は詳しい成績は存じておりませんがそのようなイメージがある朝比奈さんがなのです!
「へへっ。まーこんなものかなー。……ところで今変な目で見られた気がするんだけど」
気のせいなのです。
朝比奈さんから目をそらしまして、私、気づきました。88点ということは、100点満点のようです。つまり私の40点は、な、なんと赤点なのです。自慢ではありませんが、今まで赤点を取ったことはございません。鬼門の音楽も期末の筆記テストに力を入れ、運動が苦手な保健体育も同様に保健のある部分を重点的に勉強しまして(どの部分なのかは内緒なのです)で挽回しておりましたのに!
「それじゃ次は俺――って、この曲は」
「はーい。じゃあもう一回私ねー」
「おいてめぇ。いつの間に曲をいじりやがったっ」
朝比奈さんが外井さんからマイクを死守して、再び歌い始めます。
とっても楽しそうです。私なんて、さっきは全然楽しめませんでしたのに。
私はお手洗いにいく旨を外井さんに伝え、こっそり部屋を出ました。特に用を足したいわけではなかったのですが、なんとなく居たたまれなくなってしまったのです。廊下を歩きますと、途中のお部屋が覗けます。皆様とても楽しんでおります。用を済ませた私は、お部屋に戻ることができず、受付の方に断わりましてお店を出てしまいました。
外の光がまぶしいです。空気も澄んでいます。
すぅっと深呼吸いたしますと、後悔の念がふつふつ湧き上がってきました。
お金を無駄遣いしてしまいました。二時間パックでしたのに。
かといってこのままお店に戻ることもできません。私は駅にも向かわず、反対方向の道をあてもなくとぼとぼと歩きます。すると背後から粗い息が聞こえました。それが私に向けてどんどん近付いてくるのです。――もしかして、変質者さんでしょうか。
逃げなくては、と足を進めようとしたら、腕を掴まれてしまいました。
「あぁ良かった。古西さん。追いついたっ」
「……朝比奈さん?」
はぁはぁと息をつく朝比奈さん。カラオケ店から走ってきたようでした。変質者さんは朝比奈さん? もしかして百合なお方なのでしょうか?
「まったく、外井の馬鹿が、古西さんが『お花畑』に行ったなんていうから、何かと思っちゃったわ。見当たらないから受付に聞いたら、途中退出したって言われて、慌てて追ってきたのよ」
「あ、あの……その……」
朝比奈さんまで途中退室させてしまいました。あんなに楽しそうに歌われていたのに。こんなに心配させてしまって、私ったら、なぜこんなことを……
思わず涙があふれます。
「えっ……ちょっ、ちょっと」
朝比奈さんが慌てたご様子の声をあげますが、視界がぼやけて良く見えません。
「……ねぇ。ちょっと休んでいこっか」
朝比奈さんはそう言って、近くの児童公園を指さしました。
♪ ♪ ♪
「ごめんね。いろいろ傷つけちゃったみたいで」
「――いえ、そんな。私の方こそ無断で退出してしまいまして失礼しました」
夕暮れの公園には私たちの他には誰もおりません。私たちはブランコに腰掛けながらお話しました。涙も収まりようやく落ち着きました。
「外井に聞いたよ。昔の話。ごめん。そんなトラウマ全然知らないのに勝手なこと言って」
「いえ……」
朝比奈さんの声がしますが、私は上の空です。
どうしましょう。ブランコが小さすぎてお尻にはまってしまったのです。深く座りすぎたのが失敗でした。このまま一生抜けなくなったら、「逆さ歌姫」より悲惨な「ブランコ歌姫」なのです。
あ、抜けました。
「けどそれを克服しようとするのはすごいと思う。尊敬するよ」
「ありがとうございます。私も……朝比奈さんみたいに楽しく歌いたいです」
「そ、そう。なんか照れるなー。まぁカラオケはある意味ノリが大事だから、無理して上手く歌おうとしなくてもいいからね。楽しんで歌えばいいんじゃないかな。私だって難しい歌はわざと音を一つずらして歌ったりするし」
わざと音を一つずらす。その時点で高等な技術のような気がいたします。
それと先ほど歌ってみて気づいたのですが、自分の歌声がどうしても気になってしまい、楽しめるほど余裕はでません。
そのことをお話しすると、朝比奈さんはおっしゃいます。
「自分の歌声が気になるなら、ヘッドフォンをしながら歌ったらどう?」
あぁそれは分かります。踏切の電車が通過する際、大声で叫びたくなることがあります。人前で大きな声を出すこと自体は嫌いではありません。むしろけっこう快感なのです。
――うふふ。こう見えて、意外とストレス溜まっているのですよ。
「あれ、今笑った? もしかして少しは参考になった?」
「はい」
朝比奈さんが笑顔になります。私も少し嬉しくなりました。
「けれどそれだけでは上手く歌えないような気がするのですが」
「まぁそうね。練習すればある程度はなんとかなるだろうけど、時間あんまりないし、そもそも古西さんにテンポとかリズムを求めても無理な気がするし」
何気にひどいこと言われたような気がします。
朝比奈さんは立ち上がると、ブランコに立ち乗りして立ち漕ぎを始めます。ズボン姿なのでお構いなしです。横で眺めていると目が回りそうです。
「よしっ」
ひょいっとブランコから飛び降りて、朝比奈さんが私を見ます。
「これしかないわね。今から古西さんに、究極のアドバイスをしてあげる」
前置きして、朝比奈さんは自信たっぷりに語りました。
――それは確かに、目から鱗。究極のアドバイスなのでした。
♪ ♪ ♪
いよいよ文化祭当日です。舞台である体育館には観客の方がいっぱい詰め掛けております。大道具係の朝比奈さんも観客席にいるはずです。
演劇の題目は「母を探して3000メートル」。主人公の少女が、楽しみにとっておいたプッチンプリンを父親に食べられて家出をし、生き別れとなった母親を探す旅に出るお話です。少女は母親の顔を覚えておりません。母親の記憶はただ一つ。小さいころ歌ってくれた子守唄のみ。少女は風の噂を頼りに、母親が住んでいるという町に訪れます。しかし母親の手掛かりは見つかりません。途方に暮れるヒロインは一人夕暮れの公園に足を運びました。そのとき記憶の歌が聞こえてきたのです。顔をあげるヒロイン。視線の先には自分の母親と思われるくらいの年齢の女性がいました。――幼い赤子を胸に抱えて。
少女は声をかけられないまま、赤ん坊を抱えた女性は去っていきます。残されたヒロインは、夕暮れの公園で一人、思い出の歌を歌います。
これだけ申しますと暗いお話なのですが、旅の途中では色々コメディがありまして、ラストも実は母親は子守のアルバイトをしていただけで、実は密かにヒロインの父親とちょくちょく会っていて復縁してめでたしめでたしという展開なのです。
それはともかく、問題はヒロインの少女が一人公園で歌うシーンなのです。
劇は順調に進み、いよいよそのシーンです。観客の視線が赤子を抱く女性に集まっている間に、私はこっそりと準備を施します。
朝比奈さんのアドバイスに従って、ヘッドホン代わりの耳栓をします。髪の毛は下ろしてありますので、目立たなくて済みます。
母親が舞台を去ってスポットライトが私に当てられます。いよいよです。朝比奈さんが上手くクラスメイトの皆様を言いくるめて、リハーサルでも一度も歌っておりません。はじめて歌います。
クラスメイトの視線が集まります。舞台の下にはたくさんの観客がいらっしゃいます。いよいよ高校デビューです。
もう吹っ切れております。後はただ思いっきり歌うだけ。
舞台は薄暗く、朱色の照明で照らされております。夕暮れの公園。朝比奈さんとお話したときも同じ舞台でした。私はお腹に力を入れて声を出しました。演劇の台詞と一緒です。喉が心地よく震えます。
最初は戸惑いましたがそのうち気持ち良くなってゆきます。
あっけに取られたご様子の観客の皆様が、やがてとても良い笑い顔に包まれます。ええ、短期間で治るほど私の音痴は甘くないのです。皆様、私の歌を笑っているのでしょう。けれど良いのです。中学生のときのように悔しい思いをする必要はありません。上手く歌えない自分を惨めに思う必要もありません。
朝比奈さんはとても良いことを教えてくれました。
「――ウケるが勝ち」と。
♪ ♪ ♪
「なんていうか……ここまで外れているとある意味芸術だな」
舞台を見上げ、俺――外井好雄は思わず呟いてしまった。
「だねー。それに加え耳栓しているから伴奏とズレまくってるしねー」
俺の隣では、悪の張本人が瞳に涙を浮かべて笑っていた。
女子高の文化祭。招待されたときは嬉しさより戸惑いの方が大きかったが、意外と男性客も多いので、ほっとしていた。
舞台中央で歌い続ける美少女。それまでの演技がなかなかのものだっただけに、作品の見せ場となる歌唱シーンでのコレに、観客は度肝を抜かれ……爆笑中だった。
彼女の歌を聴きながら、俺は思った。結局、英語の歌云々は気づいたきっかけに過ぎなくって、元からコレだったのだろう、と。
「でも……さ」
「……うん」
「古西さん。とっても良い笑顔だよね」
「うん。楽しそう」
いつの間にか、笑っていた観客も笑い声を収め息をのんで見つめていた。まるで舞台中央で歌う古西さんに吸い込まれるように。
そして歌い終わると拍手の嵐が響いた。音痴な少女に対する激励の拍手、笑わせてくれたことへの感謝の拍手、はたまた感動から生まれた拍手、色々な思いが込められた拍手はいつまでも鳴りやまなかった。
壇上のヒロインは、次の演技に入れなくって困ったような笑みを浮かべていた。
♪ ♪ ♪
「お疲れー。良かったよ」
「ありがとうございます」
劇は大盛況で無事終わり、私たちはいったん解散となりました。今は朝比奈さんと外井さんと共に模擬店でお茶をしているところです。それにしても体育館の外で並んで待っているお二人の姿はとってもお似合いのアベックさんなのです。きっとこのあとちょめちょめされるご予定なのでしょう。
「でもまぁ、よく『ウケるが勝ち』なんてアドバイスが効いたよな」
外井さんが感心した様子でおっしゃいます。外井さんにもあの後戻ったカラオケ店で、歌を教えてくださいました。おどおど歌うから聴くほうも戸惑うので、思いっきり歌えば良いんじゃないかと、聴く側からのアドバイスもいただきました。
「まぁ、音痴を直すには時間がなかったから苦肉の策だったんだけどねー」
朝比奈さんは隣で頭に手をやって、あははと笑っていますが、私にとってはとても有意義な助言でした。
「私、人に笑われるということは、失敗であり恥ずかしいものだと思い込んでおりました。朝比奈さんの一言は、まさに発想の転換だったのです」
それに私、実は結構ウケ狙いの性格なのです。
これからは「歌姫の名を持つ清楚でしっかり者な乙女」路線からの変更を検討中です。
「でも驚いたよ。古西さん、歌はともかく、演技が意外と上手くて」
「あれ、言ってなかったっけ。古西さん、演劇部なのよ。クラスで唯一の。だから満場一致で推薦されたんだけど。それに『歌姫』の名前もあったしね」
はい。当時ぼんやりと窓の外を眺めていた私は、劇の内容を確認せずに受諾してしまいました。歌のことを知っていれば、その場で断れたのですが。
朝比奈さんが言いますと、外井さんが目を丸くいたしました。
「え? 俺てっきり女子高特有の陰湿ないじめで、主役をやらされていたんだと思ってた」
おっしゃる意味がよく分かりません。やはり男性の方は女子高に幻想を抱いているようなのです。
「……ってことは、もしかして、このおっとりした性格も実は演技だったりして」
「うふふふ」
それは内緒なのです。