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第一話

ピグミーヘッジホッグの針は、複数の体毛が固まり変化したもの。

威嚇や身を守るために使われ、攻撃手段として使うことはない。

嗅覚に優れている反面、視力はあまり良くない。

ヨツユビハリネズミ、単純に『ハリネズミ』と呼ばれている。

可愛らしい見た目から、ペットとして飼育の人気が高い。


でも、実は人間に慣れることは少ない。


ネザーランドドワーフにチモシーを差し出すと、しゃくしゃくと細かく口を動かして吸い込まれていった。

ωがぷるぷると震えているようでかわいい。

グレーの仔がもむもむと齧っていると、ブラックの仔も出てきて「僕も僕も」と言うように鼻をひくひくさせる。


「はいはい、どうぞどうぞ」


僕はチモシーをケージの隙間から差し入れた。

伸びをして、「ふぅ」と息を吐いた。

給餌も掃除も終わり、あとは店内の掃き掃除だけだ。


『あにまるはず』は、僕『葉頭山 そだて』の実家、その一階のエキゾチックアニマル専門のちょっと珍しいペットショップだ。

動物好きの両親が始めた、小動物専門のペットショップ。

大学が終わってから8時閉店までの短い時間だけ、世話と掃除、閉店作業を任されている。

あとは趣味の一眼レフを使ったお店のSNSの更新くらい。

動物はかわいいし、安いけど時給もでる。

大学から帰って、エプロンをつけて階段を降りるだけ。

そんなある意味理想的なバイト先に、少し変わったお客さんが来るようになった。



3ヶ月ほど前の、閉店間際。

掃除も終えて、レジに肘をついて店のSNSを更新しようとノートパソコンを叩いているときに、店に一人のお客さんがきた。

黒いパーカーのフードを目深に被った、小さい女の子。

中学生くらいかな、こんな時間に珍しいな、

そう思ったけれど、「いらっしゃいませ」と声をかけた。


「……すいません、すぐ出るので少しだけ見させてください」

消えそうな声で、その子が子供ではないことが分かった。

それにしても身長が低い。

中学生3年生で150cmの妹、はづきより小さく見えた。


「寝ている仔も多いですけど、お時間お気になさらずにどうぞー」

どちらにしろ今日の記事の更新が終わるまではお店は閉めないつもりだった。


「あ、ありがとうございますお邪魔します」

早口でそう言って、フードをはずしてぺこりと頭を下げた。


かわいい。


僕の第一印象はそれだった。

丸顔に大きな目と黒眼鏡。

後ろで雑に丸めたお団子とポニーテールの間みたいな髪型。


入口横のデグーのケージをきらきらした目で見ている。

この時間のデグーは割と活発に動く。さっきあげた餌はもうないのだろう、「ん?メシか?」という顔で木箱の上に乗って女の子を見ている。

女の子はくりくりした目で、「……でぐー」と呟いている。


「……その仔、お腹すいてると噛むかもしれないので、指とか気をつけてください」

僕が声をかけると、女の子は近づけていた手をバッと後ろに引いた。

「……シマセッ」

ちょっとだけ頬を赤くした女の子は後ろに手を組んで横のシマリスのケージの前にスライドした。


(ああ、「すいません」って言ったのか)

僕はようやく理解して、パソコンの画面を見るふりをしながら、くるくる変わる女の子の表情を見ていた。


女の子はケージの前にある説明書きを食い入るように見ている。

僕が作った手書きの簡単な説明と絵を描いたものだ。自信がないわけじゃないけど、そこまでまじまじと見られると少し恥ずかしい。


今の時間は寝ている仔も多い。

説明書きを見て、目を細めながら木箱や寝藁の奥を覗こうとしている。

デグーからシマリス、フクロモモンガ、ネザーランドドワーフ、ロップイヤー……。

違うケージを見る度に、口元がもにょもにょと動いている。

説明書きと、中の動物を見比べて、にっと笑う。

僕はそれを見ていることがバレないようにするのに苦労していた。


心から楽しんで動物を眺めていた女の子は、レジ横のハリネズミのケージを見つけた瞬間、「う」と言って眉をひそめた。

そしてその一瞬で、目を逸らした。


まずいものを見た気がする。

聴こえていない、見えていないフリをしながら、キーボードを適当に打つ。


ちら、と女の子を見ると、かがみ込んで反対側の棚の前にいた。

文鳥の説明書きを読みながら、またもにょもにょと口を動かしている。その様子はさっきまでと変わらない。


ハリネズミだけ、好きじゃないのかな。

レジ横のケージにいる二匹のハリネズミは、木箱に頭だけ突っ込んで丸くなっている。

まぁ、誰にでも苦手な動物はいるよね。

そう思って、またSNSの文章をゆっくり打ち込み始めた。


「……の」

「ん……、はい?」

パソコンから顔をあげた。

レジの目の前に女の子が立っていた。

「遅くに、すいませんでした、ありがとうございました、し、失礼しました」


また早口で言って頭を下げて、じわじわと後ずさりする。

ハリネズミのケージから目を逸らしながら、入口のガラス戸に手をかけて、後ろ手に開けた。

外の少し冷える風が、僕まで届いた。

「……アリガトマシタ」

また女の子が頭を下げて、出ていった。


「……かわいいけど、なんか変」

思わず口に出していた。

キーボードに置いた指が、無限に改行し続けている事に気づいたのはそれからすぐだった。



それから決まって平日の19時以降、多いときで週4回は店に来るようになった。

何も買わないで動物を見に来るだけのお客さんはかなり多い。

ただ、そんな頻繁に来るお客さんはその女の子だけだった。


夕方の寒さもかなり冷え込んできた今日も、女の子がガラス戸を開けた。


「……すいません、お邪魔します」

毎回の挨拶。

僕ももう慣れたもので、

「はーい、ごゆっくりー」とパソコンを操作しながら言う。

僕と女の子の間に、会話はほとんどない。

女の子はいつもデグーから店内をぐるっと回って、レジ横のハリネズミだけ避けて帰る。

時々「おー」や「う」と言ったり、文鳥の鳴き声に合わせて

「ちっちっちっ♪」と唇を尖らせて歌ったりする。

そして、「……アリガトマシタ」と必ず頭を下げて出ていく。

今日もそうして出ていった後、更新作業も終えて僕はいつも通りシャッターを閉めようと外に出た。


暖房が効いた店内から出ると温度差で凍えそうになる。

吐く息も真っ白だ。

氷みたいな冷たさのカギ棒を手に取った。

明日来るチンチラの説明と写真を撮らなきゃなぁとぼんやり考えていると、向かいの道路から走ってくる人影が見えた。

「……?」


その人影は僕の方に向かってきているように見えた。

ちょっと怖い。

手に持ったカギ棒を強く握りしめていると、顔を真っ赤にした女の子が真っ白な息を吐きながら、僕の前に立った。

カウンターを挟まずに向かい合ったのは初めてだった。

本当に小さい。僕の胸当たりの高さに、女の子の頭がある。


「……どうしました、忘れ物でした?」

息を荒くする女の子に声をかける。

「あ……はい、あの、そうです、いやちがって、忘れ物ではなくて、そうなんですけどちがうんです」

赤いマフラー越しに早口で言う。

最後の方は「チャウンデス……」としか聴こえなかった。


「えーと、落ち着いてもらって大丈夫です」

さすがにかがみ込んで目線を合わせるのは失礼になると思った。

「1回息吸って、吐いて、落ち着いてください」

僕がそう言うと、女の子は言われた通りに大きく吸って、

「ふぅぅ……」と深呼吸した。

口元を隠したマフラーから白く息が漏れる。


「……スンマセッ……ン゛ッッ!」と咳払いをして、顔を上げた。

でも目は合わなかった。女の子の視線は僕の後ろ側に向いている。


「いつも、ゆっくりみせてもらって……ありがとうごザイマス……コレ、ドゾ……」

パーカーのポケットからペットボトルのミルクティーを差し出してきた。

「……僕に?」

こくりと頷いて、そのまま顔はあげなかった。

「いただきます、ありがとうございます」

受け取ると、女の子の手がデグーの時より速く、パーカーのポケットにバッと仕舞われた。

「サミノデ……」

「すいません、もう一度お願いします」


「……さむいので」

寒いから暖かいものを、という事だろうか。

「ありがとうございます。また……お待ちしてますね」

僕がそう言うと、女の子はまたこくりと頷いて後ずさりしていく。

「さ、寒いので!では!」

今日1番大きい声でそう言って、彼女は背中を向けて足早に歩道を歩いていった。


「……かわいいけど、やっぱ変だ……」

僕はまだ買ったばかりだろう、熱いミルクティーを自分の頬に当てた。あまり温度は分からなかった。



大学の講義も終わり、帰って仕事まで少し寝れるかもなと思っていると、スマホにメッセージが届いた。

さっきまで隣で講義を受けていた矢野からだ。


『はずやま、まだ学内におる?』

『いるよ。まだ講堂』

『まじ?俺の座ってたとこに紙の束ないか見てくれ』


隣の机の中に手を入れると、クリアファイルにA4サイズの紙が何枚か入ったものがあった。


『あったよ。大学祭の資料みたいなやつ』

『がちごめん、今大学祭会議中で動けなくて。それD2会議室まで持ってきてくんない。ほんとたのむ』


矢野は2年の先輩を追って大学祭実行委員に入ったような男だ。

仕事ができないと思われたらいろいろまずいのかもしれない。


『先輩にバレたくない、ですか。しゃーなし今から行くよ』

矢野から「ありがとう!!」と犬がお辞儀をしているスタンプが五連続で届いた。

僕は笑いながら、ファイルと自分の荷物を持って、隣の旧棟にある会議室に向かった。



大体の講義も終わった夕方。

外はもうだいぶ暗くなっている。あまり立ち寄ることのない旧棟は電気が付いていても薄暗く感じる。

10月に行う大学祭の準備に、終わったばかりの12月からもう会議を進めていると矢野は言っていた。


まだ先のD2会議室から、元気な声が聞こえてくる。

「……なので……にして……ます!!」

会議が盛り上がっているところに入るのは正直気が引ける。

矢野に「着いたぞ」とメッセージを入れても既読にすらならない。


中の声が漏れる、隙間だらけの木製の引き戸を控えめにノックする。多分誰にも聴こえていないのか、返事はなかった 。

覚悟を決めて、「……失礼しまーす」と引き戸を開けた。


ロの字に配置された長机、そこに座る人たちはみんな僕に背中を向ける形でホワイトボードを見ている。

ホワイトボードに記入している女の人が、明るい口調で歯切れよく文字を読み上げていく。

「……んっと、この前の大学祭の出店割合はー、飲食販売32%、接客サービスは24%、体験講座が17%……」

長机には席札が置かれているようだったが、人の背中でよく見えなかった。


矢野が見つからない。

というより身を屈めて隠れながら探すのは無理な気がした。


「それで、来客アンケートの出店についての資料を……矢野くん?だっけ?配布お願いできるかな」


よく通る声に、僕から左奥に見える肩が震えた。キョドキョドと周りを見て、引き戸の隙間にしゃがみ込んだ僕に気づいた。

慌てていた顔がパァっと明るくなる。

手を伸ばして矢野にファイルを渡す。

矢野が振り向きながら手ですまんすまんとジェスチャーして受け取った。


「矢野くん??」

優しいけど、少しだけ詰問にも感じる口調で、女性が矢野を呼びかける。

「はいっ!!!」

矢野が弾かれたように飛び上がったのを見て、僕は四つん這いのままゆっくり後ろに下がっていこうとした。


「……ちょっと待って、誰??」

明らかに僕に向けられた言葉。

もうこうなったら、素直に謝った方がいいだろう。

僕は引き戸の前に立ち上がって、頭を下げた。


「矢野の友人の葉頭山といいます。借りていた参考書を返しに来ました。会議中に申し訳ありませんでした」


実行委員の矢野より、自分が割を食ったほうがいいだろうと思った。こうして会議を止めてしまっているのは事実だった。


「……そう、説明は分かったよ。でも、個人的な用事はせめて会議のあとにしてね。あ、ドアはちゃんと閉めていっ……ミ"ッッッ!!?」

出ていこうとした僕を見て、ホワイトボードの女性が変な声を上げた。


あ、と思った。

肩までの長さの、青のインナーカラーと黒い髪はアップにしていない。眼鏡も付けていない。

ただ、その雰囲気と、店前でミルクティーをくれた時に見た、揺れるような目が、確実に同じ人物だと告げていた。

その女の子はホワイトボードにもたれかかるように、真っ赤な顔を伏せ、足元を見たまま動かない。

席札には『副委員長 2年 針崎 水音』と書いてあった。


「失礼しました!」

急いで廊下に飛び出した。

なぜ急いでいるのか自分でもよく分からない。

鼓動が激しいのは走っているからだろうか。

階段を駆け下りて、一息ついて、気づいた。

ホワイトボードの下には踏み台があったことを。


旧棟を出て、会議室を見上げる。

旧棟で明かりが点いているのはそこだけだった。


「また、店には来るのかな……」

そんな事ばかり考えていたら、矢野からメッセージが届いた。


『はずやま、針崎先輩になんかした?』


僕はスマホの画面を消して、そのまま家に向かって歩きだした。

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