第3章 8話
曲が終わる。
最後のコードが消えた瞬間、フロアが爆発した。
「うおおおおお!!」
腕が上がる。
口笛が飛ぶ。
床を踏み鳴らす振動が足元から伝わってくる。
その歓声の中で、夏海はマイクから少しだけ顔を離した。
呼吸を整える。
汗で前髪が額に張りついている。
照明がゆっくりと落ちていく。
ステージが、少し静かになる。
夏海がマイクを握る。
「ありがとう」
短い一言。
それだけで、また歓声が上がる。
夏海は少しだけ客席を見渡した。
そして、言った。
「次で、最後の曲です」
「えええー!」
すぐに声が飛ぶ。
「もう終わり!?」
「早い!」
フロアがざわつく。
そのときだった。
ベースが一歩前に出た。
マイクを掴む。
「ちょっといい?」
軽い声。
その言い方に、少しだけ空気が変わる。
観客のざわめきがゆっくり静まる。
ベースは客席を見渡して、肩をすくめた。
「突然だけどさ」
一拍。
「俺、今日でNeon Construct抜けるわ」
一瞬。
空気が止まった。
「……え?」
誰かが小さく声を漏らす。
ざわざわと、フロアが揺れ始める。
ベースは気にする様子もなく続けた。
「まぁ理由とかは別にないんだけど」
軽く笑う。
「なんつーかさ」
ベースを肩にかけ直す。
「俺にしか出来ない音楽っての、探しに行こうと思って」
どこか投げるような言い方だった。
説明もしない。
フォローもしない。
ただ、それだけ。
フロアの空気がざわめく。
「ちょっと待って!」
「嘘でしょ!?」
前の方のファンが叫ぶ。
動揺が一気に広がる。
でも。
ステージの上は静かだった。
ドラムはスティックをくるくる回している。
優弥はギターのチューニングを確認している。
夏海も、特に表情を変えない。
まるで。
最初から分かっていたことみたいに。
ベースはマイクをスタンドに戻した。
「ま、そんな感じ」
軽く手を振る。
「最後の曲、ちゃんと聴いて帰って」
ざわめきは消えない。
それでも、照明がゆっくり落ちる。
ステージが青い光に包まれる。
夜の色。
夏海がマイクを握る。
優弥がギターを構える。
ドラムが静かにカウントを取る。
ワン。
ツー。
スリー。
フォー。
ギターが鳴る。
その瞬間だった。
伸也の胸が、強く跳ねた。
この音。
この旋律。
優弥のギターが、ゆっくりとメロディを描く。
どこか優しい。
どこか、寂しい。
胸の奥がざわつく。
思い出しかけている。
あの夜。
部屋の電気を消して、床に座っていた。
何も出来なかった自分。
妹を守れなかったかもしれないという恐怖。
胸を締めつける罪悪感。
ドアの前にいた少女。
「いまは、自分を刺すのやめよ」
小さな声。
「痛いままだと、壊れちゃう」
あの夜。
隣に座っていた。
背中を撫でてくれた。
「一人にしない」
そう言ってくれた。
ステージの上で、夏海が歌い始める。
その声を聞いた瞬間。
伸也は、確信した。
この曲は――
あの夜だ。
自分が壊れかけていた夜。
夏海が、隣にいてくれた夜。
言葉じゃなくて、
音で、
歌で、
あの時間を形にしている。
胸の奥が、強く熱くなる。
スポットライトの中で。
夏海は、まっすぐ前を見て歌っている。
まるで。
あの夜の続きを、ここで歌っているみたいに。
伸也は、動けなかった。
ただ、ステージを見つめる。
自分の知らない場所で。
自分の知らない時間で。
夏海は、こんな歌を作っていた。
そして今。
それを、何百人もの前で歌っている。
胸の奥で、何かが静かに形になり始めていた。
まだ言葉にはならない。
でも、確かに。
ひとつの感情が、
ゆっくりと芽を出していた。




