第3章 5話
ボーカルの最後のロングトーンが、赤い照明に溶けていく。
歓声が遅れて押し寄せる。
ドラムが締めの一打を叩き、ステージは暗転した。
やがてゆっくりと幕が閉じる。
「今日はありがとう! 次のNeon Constructも本気でやばいんで、最後まで楽しんでってください!」
明るい声がマイク越しに弾む。
自分たちの出番が終わった直後なのに、次のバンドを心から勧めている。その言い方に嫌味はなく、むしろ誇らしさのようなものすら滲んでいた。
照明が客席側まで戻る。
ざわざわとした空気の中、遠くから弾む声が飛んできた。
「あー! 千佳ー!」
「あ、呼ばれてる。お兄ちゃんちょっと行ってくるね」
美羽はぱっと顔を輝かせ、手を振りながら人混みの奥へ消えていく。
取り残された伸也は、ふと喉の奥の渇きに気づいた。
大声を出したわけでもない。
ジャンプしたわけでもない。
それなのに、身体の芯まで熱がこもっている。
ポケットから、受付でもらったドリンクチケットを取り出す。
少し汗で湿っている。
カウンターに差し出すと、スタッフが慣れた手つきでカップを取り出した。
「ジンジャーエール、ひとつお願いします」
氷が当たる乾いた音。
透明な液体の中で、細かい気泡が絶え間なく立ち上る。
それを受け取り、壁際へ戻る。
カップを傾ける。
炭酸が喉を刺し、胃の奥まで落ちていく。
一気に飲み干す。
冷たさが身体を縦に貫いた。
その瞬間だった。
照明が、すっと落ちる。
会場がざわめく。
だが、幕は閉じたまま。
ステージは闇の向こう。
次の瞬間。
ギターが鳴った。
鋭い。
さっきまでのバンドとは、音の質が違う。
歪んでいるのに輪郭が異様にくっきりしている。
空気を震わせるというより、切り裂く。
遅れてバスドラム。
重い。
腹ではない。
心臓のすぐ裏を、内側から叩かれる感覚。
思わず肩に力が入る。
ざわめきが消える。
誰もが、理解する。
“違う”と。
ベースが入る。
低音が床を這い、靴底から膝へ、膝から背骨へと這い上がる。
ドラムは正確すぎるほど正確だ。
一瞬の迷いもなく、一定の圧で刻み続ける。
ギターは容赦なくフレーズを重ねる。
派手ではない。
だが、圧倒的に強い。
幕の向こうで鳴っているだけなのに、空間が塗り替わっていくのが分かる。
さっきまでの熱とは違う。
もっと鋭く、もっと研ぎ澄まされた何か。
幕が、ゆっくりと上がりはじめる。
ほんのわずかな隙間。
スモークが流れ出る。
時間が引き延ばされたように感じる。
心拍がやけに大きい。
足元が見える。
黒いブーツ。
さらに上がる。
ドラムセット。
アンプの壁。
ベースのヘッド。
ギターのネック。
中央。
マイクスタンドを握る細い指。
もう少し。
幕が胸の高さまで上がる。
照明が当たる。
横顔。
その瞬間、伸也の呼吸が止まった。
見間違えるはずがない。
何度も見た横顔。
無表情に近い、あの静かな目。
光の中に立っているのは――
夏海だった。
思考が追いつかない。
喉がひゅっと鳴る。
手の力が抜ける。
空になったカップが、指から滑り落ちた。
床に当たり、軽い音を立てて転がる。
周囲の音が遠い。
視界が狭まる。
どうして。
なんで。
ここに。
幕が完全に上がる。
Neon Construct。
その中心に、夏海が立っている。
スポットライトの中で。
微動だにせず。
そして、マイクを握り直した。
その一瞬前。
伸也の時間だけが、止まっていた。




