幸せになったその後で
ローナは離婚届を提出したその足で、民間のお見合い斡旋所に駆け込んだ。
「では、こちらの用紙にある、お名前と住所、ご職業やご趣味などの項目を全てご記入下さい」
受付係から用紙を受け取るとさっさと全ての項目を埋めて返す。
すると、ややあってから面接室へと呼ばれたのだった。
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「……ローナ、ローナ・シリヴァスさんですね。色々とお伺いして参りますが宜しいですか?」
「ええ、私に答えられることでしたら何でも」
彼女がハキハキと喋ったので、面接係の老婦人のマクスウェル夫人は薄らと彼女に好感を抱いた。
「……ええ。それで、早速ですが、離婚歴がお有りだとか……?」
「実は、今日の午前中に離婚届を出して参りましたのよ」
あっさりと言うものだから、夫人の方が驚いた。
「一体、どうして……!?」
女が恋愛において即断即決する時は、前の男に未練も何も――興味関心さえも完全に失った時である。
よくよくローナの顔を見れば、さっぱりとしたものだった。
――ローナはどのような結婚生活を送ったのだろうか?
「少し長くなりますが……」
ローナはやや恐縮した態度を見せるが、マクスウェル夫人は既に彼女の半生に興味津々だった。
「今日の面接時間は三十分ありますので、その内に収まる話でしたら構いませんよ」
それでは失礼して、とローナは語り出した……。
……ええ、元夫のアーサーとは職場での恋愛結婚でした。
彼も私も早く子供が欲しかったんです。
でも、三年経っても子供が出来なかったので、私だけ妊娠能力があるかどうかの魔法精密検査に行ったんです。
アーサーは……検査を本当に嫌がって、だから一年以上説得したのですが、とうとう受けてはくれませんでした。
幸い、私の方は検査結果も問題なしでしたわ。
その診断書も、ほら、ここにございます。
その魔法精密検査の診断書が届いた日――丁度、一週間前ですけれども。
若い女が家を訪ねてきたんですの。
……女は妊娠していて、膨らんだお腹を大事に抱えていましたわ。
彼女はアーサーと一年ほど不倫していること、子供が出来たこと、慰謝料は払うから私達に別れて欲しいことを泣きながら訴えました。
アーサーもその時家にいたのですけれど、まるで私が全部悪いような顔をして彼女の肩を抱いて。
――頭の芯が一瞬で凍り付くような感触がしましたの。
でも、彼女が妊娠していたから、かえって冷静になれたんでしょうね。
私はアーサーに訊きました。
「それで、貴方はどうしたいの?」
「僕は子供が欲しいんだ。後は……君なら分かるだろう?」
「慰謝料として貯金全部とこの家の名義を私にくれるのなら、裁判無しで離婚するわ」
アーサーは舌打ちして、私を怨敵のように睨みましたよ。
「結局……君は正しいことを良いことだと信じて行動するんだな。本当に冷たい女だ。分かったよ、そんなもの全部くれてやるさ」
それからは忙しかったですわよ。
彼の分と共有分の貯金、それと家の名義変更諸々を済ませて、この件については私の方から訴えないという誓約書まで書きましたから。
職場にも根回ししたら、私達のお仲人を務めて下さった上司が激怒して、アーサーは降格されました。
……昨夜、アーサーは彼女の家に引っ越しました。
実は、一人になった時にやけ酒でも飲もうと思ったんですのよ。
でも……酒瓶を取りだしたら、気付いたのです。
「私は何も悪くないのに、どうして?」
「私は結婚して子供が欲しいのに、どうして泣きながらお酒を飲まなきゃいけないの?」
不思議と、そう思ったら涙は引っ込みましたの。
アーサーの言った通りに冷たい女なんでしょうね、私は。
ただ、同時に綺麗さっぱりアーサーへの未練も消えましたわ。
女が子供を産める時間は短いでしょう?
私は私の子供が欲しいんです。
結婚して、温かな家庭を持って、どうしても子供が欲しい。
だったら、くよくよと酒浸りになって泣いている暇なんてありませんでしょう?
「――それで、離婚届を出した足でこのお見合い斡旋所に駆け込んだ次第ですわ」
「宜しいのですわ!」
マクスウェル夫人は思わず大きな拍手をした。
「ローナさん、貴方は大変宜しいことをなさったのです。そうです、貴方の大事な無二の時間をそんな不良債権の処理に費やすことは貴方の人生への最大の冒涜ですわ!貴方は何よりご自分と、ご自分の決断に誇りをお持ちなさい!
――では早速、当お見合い斡旋所に登録された殿方を、私が責任を持ってご紹介いたしましょう」
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それから三日後にローナが見合いをした相手は、名門の血を引く男爵ウィリアム・ヴィノーであった。
「昨年、坊ちゃまの元妻が不倫相手と駆け落ちして、子供まで作ったのです。それから坊ちゃまはすっかり自棄になって、自堕落に過ごされていたのです……」
マクスウェル夫人がハンカチで涙を拭きながら説明する中、ウィリアムは気まずそうに空中やテーブルを睨んでいたが、
「止めろ、マクスウェル夫人。私を坊ちゃまなどと呼ぶな!」
「ええ、分かっておりますとも『坊ちゃま』!煩いお節介ばばあはこれにて退散いたしますよ」
テーブルに向かい合って座る二人は、気まずい沈黙の中、どうしよう、どうしようと必死に考えを巡らせている。
「……その」
先に話したのはウィリアムであった。
「マクスウェル夫人が、本当に済まなかったな。私の乳母だったので、今でも変な世話を焼くのだ……」
「いえ、ヴィノー男爵。こちらこそ離婚歴のある女で申し訳ございませんでした」
そうやって一礼したローナの所作が本当に美しかったので、ウィリアムは不思議に思った。
「どうして貴女のようなレディが、離婚を……?もし差し支えなければ、何があったのか教えて頂けないだろうか?」
「夫の浮気相手が妊娠したのです。貯金や家を全て貰う代わりに、二人を訴えない約束で三日前に離婚しました」
大きくウィリアムの目が見開かれた。
「三日前に離婚したのに、もう婚活を!」
ええ、とローナは少し恥ずかしそうに頷いてから、
「私はどうしても子供が欲しいのです。女が子供を産める時間はあまりにも短いのですから、悩んでいるのも惜しかった。
それに、浮気の結果としてあの妊婦姿を見てしまったら……どう足掻いても、結果は同じでしょう?」
……ウィリアムは急に己が恥ずかしくなった。
彼はこの二年の間、何もしていなかった。
ただ酒と放埒にふけっていて、元妻への制裁はおろか自分の人生や義務について何も考えようとしていなかった。
思えば、両親や妹達、仕えてくれる者や領民達にも酷い迷惑をかけていた……。
――反省しながらローナを見つめた時、彼女がとても美しいレディであることに今更ウィリアムは気付くのだった。
まずい!
見合いの場に、無精髭で出てきてしまった!
これはまずい。
とてもまずい。
もしも時間を巻き戻せるのなら、巻き戻して徹底的に身ぎれいになって出直したい!
ウィリアムは顔を少し赤らめながらローナに言い訳する。
「その……非常に見苦しい有様で済まない。さぞご不快に思われただろう。まさか貴女のような素晴らしいレディが迎えて下さるとは思っていなかったのだ」
「まあ、ヴィノー男爵、お世辞でも嬉しいですわ。ありがとうございます」
ローナは社交辞令の微笑みのつもりだったが、それこそがウィリアムの心のど真ん中を射貫いた。
「……見苦しいものを見せたお詫びをしたい。もう一度だけお目にかかれないだろうか?」
「いえ、どうかお気になさらずに――」
「そこをどうか。レディにこんなものを見せておいて、何もお詫びしないだなんて失礼にも程がある」
実は、ローナの方もヴィノー男爵に対して、それほど悪い印象は抱いてはいない。
確かに見苦しい格好だったが、本来は礼儀正しくて誠実な人なのだと直感した。
それに、同じ配偶者に浮気された者同士、何処か共感してしまうところもあったのだ。
もっとも、自分とは身分も違っているし、貴族らしくお世辞が上手な御方なのね――と心の中で一線を引いて考えている。
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そうやって一線を引いて考えていたつもりだったが、一年後にはローナはヴィノー家の一員となっていた。
自堕落な生活を送っていたウィリアムを瞬く間に更生させた彼女を、ヴィノー家と周りの一同は逃さなかった。
あれよあれよとローナは囲い込まれて、大事にされて――やがてウィリアム達との間に信頼と愛情が芽生えて、もう一度誰かを信じてみようかしら、という希望を抱かせて行ったのだ。
「私はどうしても貴女と結婚して、貴女の子供を授かりたい」
ウィリアムが自らに妊娠させる能力があるかどうかの魔法精密検査まで受けたことが、ローナに彼との結婚を決意させたのだった。
「私のこれからの人生を貴女の側で過ごさせてはくれまいか」
気付けばローナ・ヴィノーは酷い悪阻に苦しんでいた。
クルミしか食べられない彼女のために、ウィリアムは黙々とクルミ割り器を動かし、指に豆を作った。
その豆が治るか治らないかの頃に、元気な男の三つ子が生まれ、男爵家は俄然、賑やかになったのだった。
三つ子の育児はあまりにも忙しくて、浮気されたことを思い出して苦しんでいる暇は一分たりとも存在しなかった。
そんな暇があれば玩具を片づけたり、喧嘩する三つ子を叱ったり、泣く三つ子をなだめたりしなければならないのだ。
気付けば夫妻も綺麗さっぱり、忌まわしい過去の記憶について忘れてしまっていた。
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ヴィノー男爵夫婦が、『そう言えばお互いに浮気されて結婚した者同士だった!』と思い出したのは、三つ子が魔法学園に優秀な成績で入学した後のことである。
魔法学園の上級生に桁違いの問題児が二人いると、保護者の間の噂話で知ったのだ。
片方は女の子なのだが、『私はヒロインなの!』と訳の分からないことを口にして、高位貴族の子弟である男子生徒達相手に『重大な迷惑行為』をして、ついに退学処分が下ったのだと。
彼女は高位貴族だけでなく在学中の第二王子にも迫ったので、内々に『処置』されることは決まっている。
もう片方は男子生徒なのだが、女子生徒や女教諭に『女の癖に!』と言って嫌がらせばかりするので、二度目の停学処分が下った。
被害に遭った女子生徒の中に王太子の婚約者でもある公爵令嬢がいた事から、こちらも『処置』されることは確定しているのだ、と。
――その問題児達の姓が、かつて夫妻が浮気されて離婚した相手のものだった。
「ねえ、貴方……怖いわ」
思わずローナが夫の手を握りしめると、ウィリアムは優しく握り返した。
妻の気持ちは、彼にも痛いくらいに分かる。
今更になって、彼もあの時の裏切られた苦しみをありありと思い出した。
けれども、幸い彼も妻と出会えて信頼し合う家族になれたし、愛しい我が子も持つことが出来た。
これからも、こうやって怖い時、苦しい時、辛い時にはお互いを支え合っていく。
死が二人を別つまで。
「ローナ、君が怖がることは無いよ。彼らはあの時、浮気してでも幸せになりたかったのだ。
――幸せになったその後で、どのような運命が待っていても構わなかったのだろう……」
ちなみにローナの元夫アーサーには、妊娠させる能力がありません。
それでも幸せになれましたから、良かったですね。




