宵の入口
ドドン、ドン。
カラッカッカ。
ドンドンドン。
カラッカッカ……
『東京 東京 大東京 (サテ)
咲いて咲かせて いつまでも ソレ いつまでも~』
スピーカーから流れる盆踊りの歌と見事に調和している太鼓の音。
浴衣に身を包んだ私は盆踊りの輪の中心、太鼓櫓の上にいる。
胸の前にばちを抱え、目の前で楽しそうに太鼓を叩く、くーちゃんを見ていた。
くーちゃんこと海野久美ちゃんは、二つ年上の高校二年生。
私の幼馴染。
まるで体全体で叩いているようで。
踊っているようにも見える。
残像を残しながら、滑らかに動くばち。
同じ箇所を叩くしなやかな腕と手首の動き。
太鼓の面と縁を叩いて夏の音色を奏でている。
浴衣姿に襷がけをして。
裾がはだけそうなくらい足を踏ん張って。
額に汗を滲ませて。
少し微笑みながら、結わったポニーテールが揺れて。
太鼓を叩く姿。
くーちゃんかっこいいなって。
私は憧れて。
今ここにいる。
大概、盆踊りの太鼓は男性が叩くみたいだけど。
くーちゃんは、お父さんが太鼓の叩き手だったから、小さい頃から櫓の上で太鼓を叩いていた。
私は今年が初めて。
小さく深呼吸一つ。
ドドン、ドドン。
カラッカッカ……
誰そ彼の群青色の空に響く太鼓と歌声。
でも、これを耳にしないと夏が来た気がしない。
近くで聞いていると低音がお腹にずっしり染みてくる。
毎年恒例のお寺の境内で催される町内会の盆踊り。
記憶にないけど初めて来たのは三歳の時。
おばあちゃんに連れられて、踊りの輪に加わった私は音楽に合わせて飛び跳ねていたんだって。
おばあちゃんやお母さんに浴衣を着せてもらうと背筋が伸びて。
結い上げた髪がお姉さんぽくて。
少しだけかわいいかなってなんて思えて。
踊ってる時は楽しくて、踊るのが好きだったから。
そして、上手になりたいって、小学校一年生から町内会や子供会の練習に参加していた。
気がつけば、毎年ここにきて踊るのが恒例で、私にとって一年で大切な時間。
好きが高じて、友達と色んな所でやっている盆踊りに遊びに行ったりもしている。
盆踊りは私になくてはならないもの。
踊りの腕にも、そこそこ自信はついてきている。
だから――
ドン、カラッカッカ。
ドン、カラッカッカ。
ドンドンドン……
視線の下。
櫓を囲んだ三重の人の輪。
色とりどりの袖が揃って、揺れて、波のよう。
少し蒸した陽気と、提灯や照明の明かりの熱で体が火照ってくる。
下駄の鼻緒を指でくっと挟む。
ばちを握る手に汗がわいて、グッと力を込めた。
「宥羽ちゃん。大丈夫だよ。あれだけ練習したんだから」
傍で鉦を軽やかに叩いている、くーちゃんのお父さんが耳元で囁いた。
「はい」
次の『葛飾音頭』から3曲。
私が太鼓を叩く。
頑張れ私――
『タッタ、タラララタラララタララ、タッタ、タララララ~』
「よし。ゆーちゃん交代」
ばちを小脇に抱えたくーちゃんは、私の頬をあったかい両手で挟む。
「うーしゃん」
口がすぼんで上手く喋れない。
「アハハ。ゆーちゃんファイティン!」
「ひゅん」
思わず出た変な声にみんなで笑う。
「宥羽~、頑張れ~」
櫓の下から友達の望と里菜がこっちを見上げて手を振っていた。
「頑張るよ~」
ばちを抱え、片手を振り返す。
よし。
私は太鼓に向かい目を閉じた。
☆
『タ―タラッタラッタ、ラッタラッタラッタラッタ……』
ドドン、ドドン。
カラッカッカ。
ドドン、ドン、ドン、ドン……
太鼓を叩く宥羽の背中に挿されているうちわ。
『110』と数字が書いてある。
盆踊りコンクールに参加する人が挿すもの。
「おい暁斗、あの子知ってる?」
隣の将が何か言っている。
聞こえる訳がない。
俺の視線も思考も釘付けだから。
やべ、あいつまじかわいいっていうか。
かっこいいんだけど。
なんで太鼓叩いてんだ?
浴衣の裾からはだけて見える足にドキッとする。
ドンドン。
カラッカッカ……。
メイクしているのか少し白い顔が提灯の明かりにほのかに照らされていて。
こっちまで赤くなる。
年に一度やってくる魔法のような3日間。
宥羽の浴衣と盆踊りを踊る姿が見られるから。
飯坂宥羽とは中学で一緒になって、ずっと同じクラス。
普通に喋るくらいで特段仲が良いって訳じゃない。
けど、一昨年ここで見た浴衣姿に――
全てを持ってかれた。
白地に色とりどりの縞模様と鮮やかな花をあしらった浴衣。
赤紫の帯に、背中に挿したうちわ。
初めて見る結い上げた髪に髪飾りをして。
そんな宥羽の一挙手一投足が、目にも心にも焼き付いている。
ずっと。
盆踊りなんて小さい頃に親と一緒に踊ったくらいだったけど。
宥羽が上手いってことは素人目に見てもすぐに分かった。
ぴんと揃えられた指先。
腕を前に後ろに伸びやかに、曲げたりひろげたり、両手で輪を作ったり。
滑らかというか、しなやかというか、スッと腰を落とす動き。
後ずさりしたり、下駄を履いたつま先でちょんと地面に触れたり。
動きに合わせて視線も動いて、仕草ひとつひとつがきれいで。
少し後ろ重心で踊る姿が、美しくて。
ずっと目が離せなくて。
とても楽しそうで、学校で見たことない顔してた。
盆踊りの振りは、みんな同じようで微妙に動きが違って。
特に宥羽の場合。
『東京音頭』で右手で弧を描いて斜め上にかざすとき、左手で右の袖をくしゅっと掴む。
左手の時は右手を肘の上に添える。
他の人は、両方の袖を掴む人もいれば。
掴まない人もいる。
この辺の定義みたいのは分からないけど。
そんな仕草もかわいくて。
『大東京音頭』では、くるっと回るところで、両手をおでこの前辺りで覆うようにする。
その時の宥羽は、少し口をすぼめてはにかみながら回るんだ。
もう、夢中で見ていた。
そして気がついたんだ。
他の人より振りや動きが大きいのほんの少しだけ。
盆踊りすげー。
宥羽すげーって。
そして、踊りながら友達に向けて笑った顔が。
めちゃくちゃかわいくて。
メイクした顔が眩しいくらいで。
もう。
忘れられない。
一緒に踊りたくて、去年は俺も輪の中に入ったけど。
前の人を見よう見まねで踊ったけど。
全然覚えられないし。
少し恥ずかしさもあって。
散々だった。
でも、コンクールで決勝に進んだ宥羽が櫓の舞台で踊ってる時に。
下で踊っている自分と目があったんだ。
そうしたら、笑ったんだよ。
もう……
ダメでしょ。
『さぁさ葛飾 栄えるところ
街の景気も 文化の色に
ほんによさよさ 日がともる~』
ドン、カラッカッカ。
ドン、カラッカッカ。
ドドン、ドドン、ドン、ドン、ドン、ドン……
「おい、あの子だれだよ」
「何がだよ」
「太鼓叩いてる子。確かお前と同じだろ中学。かわいいじゃん。紹介してくれよ」
「は? お前には紹介しない。そんなんいいから踊るぞ」
「俺はいい。あの子見てるわ」
「ったく」
俺は大きく息を吐いて、踊りの輪の中へ飛び込んだ。
☆
ドドンドドン。
カラッカッカ。
ドンドン。
カラッカッカ……
この時期の騒音。
盆踊りの太鼓が閉め切った部屋にも容赦なく届いてくる。
会場の寺の近所だから仕方ないのだろうけど。
小学生の頃は幼馴染と踊りに行っていた。
中学に上がってからは部活が忙しくて行けないでいた。
だから気がつかなかったけど、今こうして家にいるとただの雑音にしかなっていない。
ピコン。
スマホが鳴った。
テーブルの上のスマホに手を伸ばす。
『まあくん、盆踊り行こ。今家の前だよ』
「無理、悪い」
『行こうよ、私ねコンクールに応募したんだ』
それがなんなんだ。
『浴衣もね買って貰ったの。まあくんに最初に見せたくて、待ってるから支度して行こ』
「一人で行ってこいよ」
『そんなこと言わないでさ、昔みたいに一緒に踊ろうよ』
ん?
画像が添付してある。
ピースサインをした浴衣姿の瀬那。
淡い黄色をベースに、青や赤の花が咲いている。
かわいい……
けど眩しいし、苦しい……
『ねえねえ、私かわいい?』
「似合ってんじゃない」
『連れて歩きたいでしょ? まあくんの隣ならいいよ。だから一緒に行こ』
「無理……悪いな……疲れてるから寝る」
スマホをテーブルに置いて、ベッドに倒れ込んだ。
もう、俺なんかに構わないでくれ。
カーテンを閉め切った部屋。
日が暮れたから明るさも抜け落ちて。
闇の世界に。
夜空のような天井。
瀬那の気持ちは分かる。
引きこもっている俺を連れ出そうとしてくれているって。
でもダメなんだ。
俺は――
ドン、カラッカッカ。
ドン、カラッカッカ。
ドドン、ドドン、ドン、ドン、ドン、ドン……
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