第6話 上白まなぎ
──途中、学校帰りの幼馴染たちと遭遇した。
「あっ、あお」
高い声と低い声が見事に重なって飛んでくる。
黄土すずり──と、さとりの双子の兄妹
「どうした? あおが走ってるなんて珍しいじゃん。なんかあったのか?」
すずりは夜に会っても朝のように笑顔が爽やかな男で、隣の身長が10センチは高いさとりは眼鏡とあまり口を開いて話さないせいか朝晩を通して無表情な女だった。
「雪道で滑って転んで、ついでに骨を折ったらいいのに」
「さとり……せめてそういう冗談を言う時は表情を変えろよ。普通に怖いぞ」
「あお、知ってるでしょ? 私は冗談は言わないの。それより、なんでそんなに背中が膨らんでいるのかしら?」
さとりは眼鏡の分だけ観察眼が鋭いのかもしれない。
「いや、俺も気付いていたけど……聞かない方がいいのかなって」
双子なのにさとりとすずりは性格がほぼ逆だった。
「こ、これは……りゅっ──」
リュックだよ。と、言いかけて、その前にさとりに「お願いだから分かりやすい嘘は言わないで。殺意が沸くから」と恐ろしい釘を刺されてしまったので僕は慌てて口を噤んだ。
「そうだね、あお。さすがにリュックはコートの外側から背負うのが一般的だよね」
「何よ、私に隠し事? 生意気ね」
さとりの圧力は幼い頃から強い。だけど少女(の姿をした北の大陸の覇者)をおんぶしているなどとは口が滑っても言える筈もなく、それに経緯まで説明を求められたら時間がいくらあっても足りなく……と心の中で呟いて、時間という単語を思い出して僕は改めて今はとても忙しいという事実に気付いた。
「いや、悪い! 本当に時間がないんだった。だから、またな」
強引な強制終了だけど、そこに込み上げてくる焦りが加わると自然なまでに慌てふためく事が出来た。
「ま、まあ、なんか色々あるよな思春期だし。あお、あんまり急ぎすぎて転ぶなよ」
すずりは幼い頃から物分かりが良いし優しい。
「滑って転んで頭から落下すればいいのに」
さとりの発言は無視だ。
◇◇◇
実は上白の家を僕はなんとなくでしか知らなかった。帰りの方向と過去の会話から大体この辺りだろうと目星が付く程度だった。
でも、それで十分だった。
距離が離れた所からでも分かる異質な家が一軒あったのだから。
シャボン玉──のような丸い何かが、屋根や外壁や地面までを覆っていた。
表札は案の定の上白家で、門を過ぎればしゃぼん玉に直に触れる事ができ、手のひらを当てた瞬間──僕の身体はたちまちその中に吸い込まれていった。
……白い地面。僕は気が付けば雪で出来た地面に手のひらと膝をついていた。左右を見渡せばそこにも雪で作られたような白い壁があり、前後は奥行きが確認できない程の直線となっていて、ここが建物の中なのか外なのか判別がつきづらかった。
僕は立ち上がると、ぐぐぐっと雪を踏み潰しながら一歩を刻んだ。
刹那──前方から強い風と雪の粒が襲ってきた。長年北海道に住んでいる僕でも数年に一度しか味わう事のないような前を見る事も困難な猛吹雪だった。
けれど、それに伴う寒気と風の威力を僕の身体が感じる事はなく、それがまだ目覚める気配のないが背中の少女のおかげなのだろうとは何となく想像がついた。ただ視界が悪いのは緩和できないようで、進むのには多少の時間が掛かってしまった。
猛吹雪を抜けると──行き止まるように木造のドアがあった。その表札には文字の前後をハートマークで挟んだ[まなぎの部屋]と記してあった。僕は「悪いな上白」と一言だけ礼儀を通すと、躊躇する状況ではなかったのですぐにドアを開けた。
想像以上に広い室内だった。その大きさはバスケットのコートくらいはありそうで驚かされた。もちろんさっき確認した家の外観からそんな筈もないだろから、これもまた例のアレの仕業なのだろう。
床は全てが氷で出来ていた。壁も天井も同様に綺麗で透明な静寂に包まれていた。
上白は、部屋の中央に居た。少し宙に浮いた状態で、猫のように大きな瞳は閉じられ、いつもの元気な笑顔は今は白い息を吐くしかできないくらいに苦しそうだった。首から上の顔と右手以外は床や壁や天井と同じように氷の塊で覆われていた。
「お前、いい加減にしろよ」
僕はそう言った。光輝かせた手のひらを上白を覆う氷に翳している白い着物姿のアレに。
「マジしつこいから。ってか、それはこっちの台詞だっつーの」
白い着物姿のアレは僕に振り返るともう片方の手を輝かせ、そこに氷の物体を生み出し、それを瞬時に2メートルくらいの大きさになるまで分厚く硬くしてった。そしてそれを悍しい笑みと共に僕に投げつけてきた。
速度はひと呼吸する間もないくらいに速かった。同時に襲ってきた吹雪によって視界が奪われなくとも、僕には避ける事は不可能だった。
グシャッ!?
◇◇◇
──こんな事になるなんて思っていなかったから、僕は慌てていた。
勿体ぶってる訳ではないけど、それを来年の卒業式の日までとっておくつもりだったから。
その方がもっともっと強い気持ちで言えそうだったから。
ありがとう、上白。
と。
僕は感謝しているんだ、上白まなぎに。本当に。
彼女があまりにも節介焼きだったから。学校生活を基本的に無視してやり過ごしたいと思っていた僕の願いを無残にも一蹴してくれた嫌な奴だったから。
──強がりでしょ?
高校2年に進級したばかりの時に上白はそこまで直接的にではなかったけれど、オブラートに包まれた部分を取り外せばそんな発言を僕にしてきた。
就職に有利だから仕方なく団体行動の場に来ているだけ。そんな人間は沢山いる。時間を経過させなければならないから仕方なく。誰もがみんな青春を大切などとは思ってはいない。不本意だけど通り過ぎなければならない場所というだけのこと。だから学業以外の面倒を僕は必要としていない。
それが当時の僕の回答だった。
深春くん──深春あおくんだっけ、あなた面倒くさいわね。
そうだな。だから尚更、僕の事は無視していいぞ。
女子でもないのに、何でそんなに化粧を上塗りしているの?
化粧? そんな趣味はないけどな。
だって深春くんは1度だって素顔を表に出さないじゃない。嘘を厚く塗り重ねた特有の仮面のように不気味な顔よ。
……笑えばいいのか?
ううん。楽しめばいいだけ。笑顔なんてその後にくっついてくるただのオマケよ。
……面倒は嫌いなんだ。
面倒なのは、面倒な事を考えているからよ。
……。
自然にしなよ。今日はこんな面白いテレビ番組を観たから明日はクラスの皆にその話をしよう。とか、美味しい物を食べに行きたいなあ。とか、テストは憂鬱だな。とか、女子とイチャイチャしたいな。とか、女子とスケベな事を……とか、話したい事や考える事は一日の中に沢山あるんだから、その度に表情を自然に変化させなよ。
……。
今は青春だよ。小学、中学と学んできた青春授業の集大成の時だよ。何やってるのそんな顔で、思い出が空白になっちゃうよ。
……正直、僕は上白が何を言っているのか分からなかった──けれど、分からなくて、分からなすぎて……だからこそそれまで懸命に我慢はしていた、笑みが、耐えきれずにぷっと吹き出してしまった。
笑った。それは久しぶりに。ああ、これが厚塗りしていた化粧かと分かるくらいに目尻も口角も喉も不慣れな為に突っ張って痛かった。
上白まなぎ。節介焼きで面倒で邪魔くさいけれど、彼女のおかげで、彼女といる時は少なくとも僕は青春を楽しいと感じるようになっていた。
ありがとう。
──だから、僕は上白まなぎを絶対に救わなければならないんだ。