第1話 それは真冬のある日
僕は基本的に無視をしてやり過ごしたい。
その方が効率よく高校生活を過ごす事が出来ると信じているからだ。だから当然に友達はあまりいないし、授業中は他にやる事もないから先生の話は割と集中しながら聴く事ができて、故に成績は中の上くらいをキープしている。
困っているのは、きっと何処の学校にでもいるであろう団体行動が好きで、クラスで割と人気があり、尚且つ節介を焼くのが好きな奴が何故か僕に目を付けている事だ。
「ねえ、見て」
上白まなぎ。ショートボブが良く似合う玉子顔の彼女。得意な表情は大きく口を開けての満面の笑みで、それと同じくらいに大きな瞳を更に見開いて僕の横顔を覗いてくる。
「──ちょっとでいいから、ほら早く、早く見て!」
夕陽によってオレンジ色に染められた教室、僕の机の真横にぴたりとくっつけられた彼女の机の上には一冊のノートが開かれた状態で置かれていた。
──そのノートには可愛らしい丸文字たちがまるで踊っているかのように賑やかに騒でいて、それ故に彼女の性格が反映しているようだった。僕はその賑やかな文章のタイトルを確認してから、ようやく一言を発した。
「……正しい食生活。タイトルからして随分あれだけど……えっ、これ本気で?」
「本気って……えっ、何が? 私はかなり本気だけど、あれ? そもそもなんの話をしているかちゃんと分かってる?」
本題は……──きちんと理解している。これがこの高校特有の特別授業である『生徒たちによる生徒たちだけで考える議論会』の議題に向けての打ち合わせだという事を。だから僕は上白まなぎにもう一度言った。
「本当に本気で?」
と。すると上白は僕の言葉をゆっくりと噛みしめるように少考をし、それから「ああ、なるほど。そっちか」と多分ポジティブに捉えた。
「──ダイエットって、本当はやっちゃいけない事なんだよ。だってダイエットって制限するわけでしょ、制限って我慢でしょ。我慢って、辛いじゃない。だからこれは、いいんだよ辛い思いなんてしなくってっていう私からのメッセージを込めた皆の為になる議論会になる予定なんだよ」
誇らしげに鼻をふふんと鳴らす上白。その間に僕はスマホで10代女性の平均摂取カロリーを調べ、その数値を上白のノートの中で楽しそうに騒いでいるカロリーたちを次々とぶつけていった。
「……ダイエット云々がどうのより……これ、正しい食生活ってタイトルの割には、全然正しくないんじゃないのか? だってこの本の内容って、要約すると好きな物を好きなだけ食べるって書いてあるじゃないか。カロリーの平均値を軽く超えたら、それはもう正しくは無いんじゃないのか?」
そう、上白まなぎのノートはそんな悪魔的な結論に結びついていた。
──が、
「幸せだよ。えっ、好きな物をいっぱい食べて何が悪いの?」
と、上白まなぎはあっけらかんとそう答えた。悪気や後ろめたさが一切感じられない寧ろ僕の方が御門違いな発言をしているような表情で。えっ、ヤバイねー、みたいな顔で。だから僕はふと気がついた。そういえば上白の玉子顔が1週間前よりも丸みを帯びている事に。
「──でも、深春くん──いいえ、深春あおくん。キミに拒否権が無い事はご存知よね?」
敢えてのフルネーム発言。ただそんな意味深な事をしなくても僕に拒否権がない事は充分に理解していた。
担任が特別授業の際に、どうしても議題が発表できない者は誰かの助手となるように。と救済処置が施されていて、僕は迷わずそこに逃げ込んだ口なのだから。
「……そもそも何だよ議論会って。議題って……こんなのパワハラだよな、学校の」
「何を言ってるのよ。良い事も悪い事も、学校には青春しかないのよ」
上白まなぎが即座にそう言って僕を咎めた。ただ、頭の中で復唱してみるとさらりと名言を吐いたような気もした──が、やはりそうでもないような気もしたので聞き流す事にした。
◇◇◇
太陽がすっかりと沈んでいった北海道の1月21日は暗く寒く、雪を踏み潰す音だけが辺りに響くほどに静寂に包まれている……のは一人でいる時の話しであり、そこに前を歩く上白まなぎが付け足されると状況は一転して騒がしくなる。
「マイナス7度だって。どうりで鼻毛もすぐに凍るわけだよ」
ねっ、ねっ? と振り返っては顎を突き出して鼻の奥を見せようとしてくるが、そんなのは電灯の真下にいたって確認は出来ないし、する気もさらさらなかった。
「冬なんだから、放課後は早く帰るのが鉄則だろ。夜になればなるほど気温は下がっていくんだから」
「なに言ってるのよ、結局どういう順序でどう話を進めていくのか全然決められなかったじゃないの。私たちの発表は来週なんだよ! 1週間後よ1週間後。深春くんも助手なんだからしっかり意見だしてよ!」
と怒る上白だが、マイナス7度の寒気にすぐに心が折られたらしく、「寒い、寒い、しかも今日は素足だし。どうしよう、マジ寒い」とすぐにぼやき始めた。
僕は冬でも女子の制服がスカートなのは大変そうだなと思いながらも、上白が実は夏は自転車で急斜面を一気に駆け上がれると豪語するくらいそれに見合った丈夫そうな太腿をしており、故に割と筋肉ががっしりとしていたので特に何も言わなかった。
「うん。見すぎ。ほんと男子って女子の素足が好きよね。あーキモいキモい」
「……上白さあ、1週間前より太ったんじゃ……」
僕はそう言いかけて、終える前にドカっと太腿を蹴られて悶絶をした。冷えた身体に打撃は正直キツすぎる。
「よし、ちょっと温まった! さ、今のうちに素早く帰りましょ」
そう言って元気に笑う上白。僕も、まあいいや、と苦笑いで応えると、その刹那──急に寒気が増した。
「……ん?」
強い、強い寒気。気温が秒速で下がっていく。
「──……な、なんだこれ……」
まるで冷蔵庫から冷凍庫へとなるような。空気の故障か、異常気象が原因か? と考える余裕も実はなく、数秒後にはまるで極寒の地に素っ裸でいるかのように全ての感覚が一瞬で麻痺をした。
寒い。痛い。震える。痺れる。
意識も……やばい。保てない。
なんだ、これ?
上白は……?
僕は必死に気力を振り絞って上白を見つめて声を上げようとした……が、声は音にはならず、彼女もまた意識を失い力なく膝から崩れ落ちていった。
そこに何かが近づいてきた。いや、近づいてきたというよりは、急に現れたというか、最初からそこに存在していたというか奇妙な登場の仕方だった。
……女?
白い着物のような衣服に身を包んだ、髪の長い人の形をしたような何か。
誰だよ、お前……。
顔を確認したかったのだけど、そこで僕の気力も潰えてしまった。
か……みし…………ろ……。