第16話 三つ子の幼馴染
嫌な事があると悪夢を見る。それだけ僕にとって、お構いなく。はストレスの権化でしかないようで、そのせいで睡眠の質は後味が悪いものとなり、お陰で不快に目覚めてしまった。ちなみにそれでも夢の内容は覚えていないからやるせない。
朝の6時──いつもは学校に遅刻しないぎりぎりの7時45分まで寝ている筈の僕が自室から階段を降りて居間へとやってきたものだから、両親はさぞかし驚くだろうと思っていたのだが、それはすぐに杞憂に終わった。
「寝ぼけてるのか? トイレはここじゃないぞ」
「そうね。早くトイレに行って二度寝しなさい」
上から父さん母さんの順にそう言われ、言い終えると二人は何事もなかったように食卓で朝食後のコーヒーを口に運んだ。
「違う。早起きだ」
僕はそう言った。
「やめてよ、早起きだなんて。外が吹雪になるじゃない。やめてよ、そんな縁起の悪い事」
「そうだな。父さんは電車通勤だから吹雪かれると電車が止まって困るから、冗談はやめてくれ」
僕の普段の行いなんてこんなもの。仕方がないので両親を無視して食パンを二枚焼いてそこにマーガリンを塗ると、自分の部屋に持って行ってから食べた。
6時半。制服に着替え、居間に行くのは嫌だったので洗面所とトイレで朝の用事を済ませると「行ってきます」と言ってから玄関に掛けてあるコートを羽織って外に出た。
北海道の冬の朝は太陽があってもなくても凍えるように寒く、外に出た瞬間、耳が痛くなり、鼻がもげそうになり、すぐに心が削られ、即座に家に帰りたくなる。
──その為、気合いで乗り切るしかないのだ。
「よし、行くか!」
つい、言ってしまう。
「いやいや、怖いよ。あお」
「死ねばいいのにってくらいの独り言よね。本当に死ねばいいのに」
家が斜め向かいで幼馴染の黄土すずりとさとりの双子の兄妹が、気が付けば僕を挟んで並んでいた。
「……さとり、相変わらず目が覚めるような毒舌だな」
僕は右隣の身長が数ミリくらいしか変わらない無表情の眼鏡の女にそう言った。
「でも、あお。今日のさとりの耳かけ可愛いだろ?」
左隣の冬でも夏でも爽やかで穏やかな笑みを浮かべるすずりにそう言われ、本当は最初から気がついていたのだけど、気持ち的になんとなく無視をしてやろうと思っていた箇所を仕方がないので掘り下げてやる事にした。
「……さとり、気でも触れたのか?」
さとりは眼鏡のガラスレンズ部分以外は基本的に黒を好む。毛先の一本一本までもが芯の通っている自慢のロングヘアーのように真っ直ぐを好む。故に彼女はもう5年くらいずっと超ロングのチェスターコートを着ていて、靴はシンプルなデザインのブーツを履いていて、そのどちらもが昨日買ってきたような新品のように綺麗で、だからこそ何となく近寄り難い雰囲気を醸し出していて、それがさとりの事を知る者ならば誰もが納得するさとりのらしさなのだけど、今日は珍しくワイヤータイプのイヤーマフを装着していて、その毛色はふわふわの白で形状は二つの耳をぴょんっと尖らせた兎さんだった。
「──今さらイメチェンか? 」
僕がそう言った次の瞬間、シュバッと空気を鋭く切り裂きながら僕の目の前を何かが勢いよく落下していった。
「あお、余計な発言をしたら死期が早まるわよ」
さとりはそう言いながら左の靴裏に新しい着地音を刻んだ。それは、恐らく格闘技における高度な技であるかかと落としが放たれ終わった瞬間であった。忘れていた訳ではないけれど、さとりは空手の有段者で、その実力は僕の目では彼女の技の速度が確認できない程であった。
「そうだよ、あお。普通に可愛いって言ってくれよ。せっかく俺がプレゼントしたんだからさ」
すずりがそう言い、故に僕はそれよりも彼の言葉に少し引っかかった。
「すずり、自分の分は?」
仲の良い双子の兄妹は普段はだいたい2人分を買う。なのに彼の頭部には元気いっぱいにあちこちに跳ねた見慣れた癖っ毛と両耳には真っ赤な霜焼けがあるだけだった。
「……小遣いが足りなかったんだ。意外と高かったんだその耳かけ。本当はお揃いのを色違いで買う予定だったんだけど、足りなくてさ。それで、そもそも、さとりが耳が寒いっていう理由でサプライズしたかっただけだから、取り敢えずさとりの分だけを買ったんだ。俺のは来月にしたんだ」
すずりは幼少の頃からさとりだけに限らず誰にでも優しい男。
「なるほど、だからさとりはそんなに可愛い耳かけを、しかも今日からずっと装着し続けるんだな」
さとりは僕の知る限りではすずりには優しい女。
「うるさいわよ、あお。すずりが煩いから取り敢えず今日だけよ。そもそも耳かけなんて私の趣味じゃないんだから」
もちろん彼女は素直ではない。
「そ、そんな事を言うなよさとり。昨日は喜んでたじゃん。それに耳かけは可愛い方が絶対にいいからさ。だから、今日だけとかって悲しい事を言うなよ」
「……じゃあ、今日と明日だけよ」
「ええー、明後日は?」
「……じゃあ、明後日までよ……」
黄土すずりとさとりの双子の兄妹は今日も相変わらず仲が良さそうだった。
◇◇◇
──それから僕たちは高校は別々なので別れ道までを一緒に歩いた。
「なんか、久しぶりだな。あおと一緒に登校するの。中学まではずっと一緒だったのに」
「あら、あおはよく寝坊していたから、そんなにも一緒じゃなかったじゃない」
僕を真ん中に挟んで僕の話を始める黄土兄妹。
「それにしても意外だったよな……あおが俺たちと違う高校に行くなんて。俺はてっきりいつまでも3人で一緒だと思ってたのに」
僕たちは幼い頃からよく周りの大人たちに、三つ子だね、なんて言われるくらいほぼ毎日を一緒に遊ぶ仲良しだった。
「……さとり、それは前にも何度も言っただろ……違う学校を選んだのは、こっちの方が家から近くて便利だからだって。ほら、僕は朝が苦手だから……」
僕がそう言うとすずりは一応は頷くが、そんな定型文のような嘘は通用しないと言わんばかりに府に落ちない表情をする。けれどもそれでもしつこく攻めてこないのが彼のらしさだった。
さとりはこの話の時は決まって何も言わなかった。
だから僕もこの話題に触れられた時にはすぐに変えるようにしていた。
「高校が遠いと大変だろ? いつもこの時間に行くのか?」
「うん、大体ね。駅までは遠いからバスで行くって選択もあるんだけど、親の負担は極力減らしたいからさ。何よりも俺もさとりも部活やってるから歩いたり走ったりするのは鍛錬も兼ねて都合がいいんだ。今日よりも朝が早い時はバスも確か無かった筈だし」
「まだ早く行く時があるのか……朝練か? あれ、でも、僕の高校では朝練は禁止じゃなかったかな? 部活やってないからよく分からないけど……あれ、いや、あれは冬限定の話だったかな? ごめんうろ覚えだ。さとり達の高校では朝練は禁止じゃないのか?」
「あお、それは多分、真冬限定の話かな。ほら、北海道の冬は予期しない自然の猛威が怖いからさ。ウチの学校はそんな感じかな。でもそれって自宅が学校に近い生徒にはあまり関係がなくてさ、生徒のやる気を尊重したい学校側との葛藤の末にそこは曖昧で緩いルールになっているのが現状なんだ。俺とさとりは電車通学で学校からは遠いんだけど……自分で言うのもなんだけど後輩からけっこう慕われててさ、指導って名目でよく後輩に朝練を頼まれるんだ。それを俺とさとりも望ましいと思っているしね」
後輩からの人望──温厚な性格のすずりなら分かるが、さとりは……と疑ったが、よく考えると彼女は今年から女子空手部の主将で、さっきのかかと落としの精度からも分かるように、空手家としての人望は厚そうだった。
「──でも、さすがに朝練の一番乗りは控えたいかな。後輩に気を遣わせたくないからさ。でも電車通学ってそこが難しいんだよな……朝練の日は本当は6時35分の電車に乗るのが望ましいんだけど……」
「ん? けど、けどってなんだよ? 何でそこで話が濁るんだよ? そんなの好きな時間に乗ればいいだろ?」
僕がそう問い詰めると、途端にすずりはさとりと顔を見合わせて、双子特有のテレパシーでも送り合っているのか少しの沈黙の後で、まあ言っちゃおうか、みたいな顔をしながら彼の方が口を開いた。
「変な意味じゃないからな、あお」
「なんだよその前置きは?」
「6時35分の電車に間に合うように家を出るとな、高確率であおの父さんとばったり遭遇するんだ。そしてそこから駅まで一緒なんだ。いや、もちろん嫌じゃないぞ。嫌だって話じゃないぞ。会話だって楽しい。本当だぞ。ただ、ほら俺達ももう高校生だろ? なんていうか大人に気を使って喋ってもらってる事に気付く年頃なんだよ」
「……」
それはよく理解のできる話だった。月に数度なら僕だってすずりとさとりの両親と楽しく会話する自信はあるのだけど、それが毎日となると端的にネタに困る。その時に生じる沈黙は想像しただけでも辛く、だからといって無理に話をしようとするのはもっと苦痛になってしまうだろうから。仲の良い相手なら尚更。
「それにさとりは、あおの父さんの前では借りてきた猫のように大人しくなるから、窮屈そうだしな」
「それはおかしいだろ!」
僕はすずりのその台詞にはすぐ飛びかかった。
「──猫ってなんだよ! 借りてきた猫って! お前は猫は猫でも猫科の虎だろうが!」
「煩いわね。どれだけテンション上げるのよ鬱陶しい。でも、仕方ないのよ……だって、あおのお父さんは私の事を子供の頃のままの良い子って思ってるから……それでなんか私もお父さんの気持ちに応えようってなっちゃうのよ。仕方ないのよ」
「さとり、お前は子供の頃から毒舌キャラだ。大人の前でいい子ちゃんぶるなよ。いつものように死ねばいいのにって言ってやれよ、遠慮しないで父さんを殺してやれよ。そしてお前も死ね」
久しぶりに見たさとりのしおらしさに妙に僕のテンションはなんとなくMAXなっていた。
「──そうね。じゃあ先ずは、あおから殺そうか」
忘れていた訳ではないのだけど、怒った時のさとりの威圧は早朝の寒気さえも凍らすように悍ましく、僕は即座に後悔をすると「ごめんなさい」としおらしく謝った。




