第13話 ストーカー少女
僕は知っていた。いや、そんな偉そうな台詞を口にするよりも、単に第三者だから気付きやすかったといった方が適切だろうか。
上白まなぎには──どうにもストーカーがいるようだった。
最近の僕はあの事件以来、心配という意味も含めて上白と行動をする事が割と増えたのだが、その時に会話に集中していないで心ここにあらずのような状態でいると、だからこそ突き刺さってくる視線に気づく事ができた。
いつも少し離れた死角(になっていない時もあり)からこちら側を見ている前髪ぱっつんのロングヘアーの彼女。天然なのか僕と視線が重なると慌てて隠れるのだが、その数分後にはまたひょっこりと顔を出して上白をじーっと見つめてくるのだった。
小柄で清楚でまだ幼さを残したどこかふんわりとした顔立ちの彼女。グレー色のPコートの首元から確認できるブレザーのリボンが赤い事から一年生と推察できた。
ただ害はなさそうなので、僕は取り敢えず放っておいた。
──が、たった今そうもいかなくなり、面倒だとは思いながらも僕は彼女との交渉を試みる事にした。
「……取り敢えず名前を聞いておこうか?」
僕は大きな木の後ろに身を隠している彼女に近づいてからそう尋ねた。
「……」
返事はなかった。一度は重なった視線も何故だかすぐに躱され、途端に大きな木に抱きつくようにべったりとくっついて、そこには誰も居ませんよ。なに独り言を語っているんですか? あなたの目の前にあるのは何の変哲もない木ですよ。みたいな雰囲気を醸し出してきた。
「……いや、無理だぞ。居るよな、目の前に。そんな事でやり過ごせるほど甘くないぞ」
「……」
それでも無視の姿勢を崩さない彼女に僕はいよいよヤバイ奴だと思った。深追いをしてはいけない一般常識の通用しない危険な相手だと思った。
けれど、
「ただ……もうちょっと今の状況を理解してくれないかな?」
──そう、今の状況を。
「──お前が同化しようとしているその大きな木だけど、それは元からそこに存在していたか?」
僕がそう言って、ようやく彼女ははっと驚いた表情を浮かべた。けれど彼女はそれでも依然として無言の姿勢は崩さず、ただ物凄く戸惑ってはいた。
それはそうだ、急に周りに大きな木が幾つも並び、背景の色は無愛想な白が充満をし、地面にはアスファルトではなく黒土が広がり、空は果てしなく無色が続いていて一向に雲にも青にもぶつからなかったのだから。
異様な空間──ほんの数分前までは僕たちは確かに見慣れた校門を抜けた筈だった。
「……ま、まなぎちゃんは?」
ようやく言葉を発した少女。その声は見た目の可愛らしさとは想像がつかないくらいにハスキーだった。
「上白は忘れ物を取りに猛ダッシュで教室に戻ったから、運良く“この中”から離れたみたいだな」
恐らくここは例の結界(異空間)の中。前回の時に上白の家がシャボン玉のような物で覆われていた事からもそこに範囲が存在しているのは明白で、だから僕はほぼ確信的にそう言えた。
「……端的に何を言ってるのか分からないんだけど……そもそもキミは誰?」
喜ばしい事にようやく会話が成立し始めたようだったのだけど、驚く事に彼女は上白と最近はよく一緒に居る僕の事を知らないようだった。過去には幾度か視線が合わさった事もあるようにも思ったのだけど……そこは流石はストーカーといったところなのだろうか、どうやらこちらの勘違いだったようだ。
──などと感心していると、ドスンッ! と地面が豪快に揺れた。振り返ると僕の5メートルほど背後で大きな木が倒れていた。
その奥には人の姿をした何かが立っていて、残っている根元部を邪魔くさそうに一跨ぎしてからこちらに向かってくると、距離が近づいた事で顔が人というよりは犬……いや、狼である事が分かり、黒い衣服だと思っていたのは体毛であり、その胸筋には尋常ではないほどの筋肉を纏っており、さらに距離が縮まってくるとその身長が2メートルを超えているという圧倒的な体躯の差も理解できてしまった。
「……えっ、なに……あれ?」
異形を確認した瞬間に腰が抜けたのかヘタリと尻から落下していく彼女。できれば僕もそうやって当たり前の恐怖に打ち沈みたかったのだけど、経験者でしかも年上の僕がそうであっていい筈もなく、故に仕方なく彼女に少しでも安心して貰おうと、「僕の名前は深春だ。深春あお。この学校の、お前の先輩で、だから取り敢えずお前を助けようと考えているから安心してくれ」と割と早口で伝えた。
──この状況で彼女がどれくらい理解できたかは分からなかったけれど、それはそれ程に重要な事ではなかったので深追いはせず、それよりも狼の顔をした何かはこちらに向かって小走りに歩を進めてきていて、その道中で徐々に猫背になり、ついには四つん這いになって力強く大地を蹴って飛んできたので寧ろ意識をしっかりともって歯を食いしばって身構えるしかなかった。
来る!!
その跳躍力は凄まじく一気に距離を詰められた。その刹那、へたり込んでいた彼女がついにはガクンと気絶をし、狼の顔をした何かは僕たちの頭の上を──頭の上を……頭の上を、何故だか跳び超えてから少し離れた大きな木の手前で軽やかに着地をした。
そして、
その逞しい上腕二頭筋と手のひらに力を漲らせながら大きな木の幹をその握力だけで握り潰して、こちら側に向けて倒木してきた。
──が、避けるまでもなくその大木は僕たちから10メートルくらい離れた位置でドスンッと地面を揺らした。
「……」
そして、狼の顔をした何かは再び僕たちを鋭く凝視してくると、歩を進めてきて、小走りなり、徐々に猫背になり、ついには四つん這いになって力強く大地を蹴って飛んできた。
今度はもうダメか!
などと僕が目をぎゅっとつぶっていると……どうやらまた頭の上を飛び越えていったようで、少し離れた大きな木の前に降り立っていて、そして、そしてその逞しい上腕二頭筋と手のひらに力を漲らせるとその握力だけで──
「もういいわっ!」
今まで気がつかなかったのだけど、いや、たぶん急に現れていつから居たのか分からなかったのだけど、僕の隣には身長130センチくらいの小さな少女がちょこんと並んでいて、そのベビーピンク色した髪を毛を手で気高くかき上げると、冷たい眼差しでそう叱咤してきた。
「──この世界の人間よ……いや、深春あおよ。アレは前回の奴よりも知能が格段に低いようだな」
異世界の北の大陸の覇者である、えの。と、改めての自己紹介と共に、大きな木がまた10メートルは離れた位置で地面を揺らした。
「──…….攻撃方法はあれしか知らないのだろうな、しかも修正も学習もできない。情けない。たぶんアレもわらが作った物だが、恥ずかしいくらいの失敗作だな。汚点だな。だから早く殺して無かった事にするぞ」
そう言いながら、「んっ、んっ」と相変わらずの催促の仕方で僕との手繋ぎを強要してくるえの。
「……いつから居たんだ?」
「深春あおよ、お前の命の一つはわらのだ。お前がピンチになるとわらに胸騒ぎが起きるようだ。結界に関してはこの汚点よりもわらの方が不力が高いから、なんか簡単に繋げる事ができたっぽいは」
ぽい……。と、けっこう適当ななえのの説明なのだけど、それは仕方のないこと。なにせ僕と彼女は現在をまだまだ手探りのように過ごしているのだから。
「何にしろ助かったよ。急に結界の中に閉じ込められても脱出の方法さえ分からないからな」
「深春あおよ、気を付けろよ。お前に死なれるとわらもたぶん死んでしまうからな」
「……気をつけろって言われても、結界って常にこんな感じなのか? 気が付けば閉じ込められてました、みたいな……」
「わらなら結界を張られる瞬間にすぐに気付いて対処できるんだが、深春あおよ、お前は鈍いんだろうな。それよりも早くアレを殺せ」
「に、にぶ……いや、対処の仕方も分からないし……いや、そもそも別にそんな奇妙な特殊能力はいらないんだけど……いや、それより、壊すだ。生命体ではないアレを今から壊す、だ。えの、そこは間違うな」
「……相変わらず面倒な奴だな。そんな事はどちらでもいい。だったら壊せ。わらは早く帰ってアニメの続きが見たいのだから」
物騒な台詞をどうでもいい理由で急かしてくるえの。異世界の北の大陸の覇者故か、そこら辺にこちら側の世界の権力者と同じ非情さを感じるのだが──なにはともあれ、僕は彼女の手を握ると、ちょうど頭上を飛び越えようとしている狼の顔をした何かの隙だらけの腹にそのままジャンプして頭突きをお見舞いしてやった。
その威力はやはり凄まじいもので、僕には帽子を被るくらいの感覚しかなかったのだけど、狼の顔をした何かは勢いよく上空に吹っ飛び、数秒後に何かに当たたった音が小さく響き、その後に、バリンッ! と破裂音が続き、それから結界がバラバラと剥がれ落ちていった。