決別
ふと、目が覚めて思った。あれ、俺……生きてる?
痛む体を無理矢理起こすと、そこは最近ずっと使っていた花弁のベッドではなく、普通のベッドであった。窓から陽光が流れ込んでくる静謐な一部屋だ。どうやら、宿屋か何かのようだけど……ひょっとしたら、里のお客さん用の部屋だろうか。
時折訪れる上位冒険者やお偉いさんを招く施設があることは里の人間なら誰でも知っていることだ。いつかあそこでゆっくり眠りたいものだと思っていたけど……知らない間に夢が叶ってしまったらしい。
まだ眠気が残っているのか頭がぼーっとする。とにかく現状の確認を……と思った所に、ソプラノ声が部屋の静寂を切り裂いた。
「おっ! 起きたー? うんうん、顔色も悪くないね。もう痛む所はない?」
「……あなたは? いえ、失礼しました。俺はヒューマンのノエルです。もしかして、俺を助けていただいたのですか?」
相手の名を聞く時は自分から。基本中の基本だ。
そうだ、そうだった。俺は迷宮の奈落から逃れられず何年も彷徨い続けていたのだった。思い出したくもない地獄の日々だったが……こうして外に出てきているということは、きっとこの人が助けてくれたに違いないと思ったのだ。
ウェーブのかかった長い金髪に翡翠のような瞳。大きな白い翼を背から生えている所を見るに天使族だ。天使族といえばもっと偉そうな連中かと思っていたが、茶目っ気のある彼女の表情を見るにそのイメージは間違えていたようだ。
って、待て……この人って、まさか!
「あ、あなたはオリハルコン級パーティ『竜胆』のクリスさんですか?」
「うん、そだよー。よく知ってんね」
「当たり前ですよ! オリハルコン級なんて冒険者全員の憧れです! ああ、なるほど。たまたま通りかかった所を助けてもらったんですね……それなら、仲間達は無事ということですか……良かった」
その言葉に、クリスさんはピクリとこめかみをひくつかせた。そして、何故か唇を尖らせて問いかけてきた。
「あの子らなら無事だよ。君を助けようともせず逃げて行っちゃったから。君の大体の事情は知ってるよ。でも……悔しくないの? 君を見捨てたパーティメンバーに不満は? あの子達、君を見捨てたその日に新しい仲間を連れてたんだよ?」
「不満も何も……運が悪かっただけですよ。こうして俺も仲間達も生き残ってることですし……盾として力不足なのはあいつらの言うとおりですから。遅かれ早かれ、俺はあいつらにさえ付いていけなくなってました」
それを卑屈と呼ぶのは容易いだろうけど、紛うことなき俺の本心だった。俺はあのパーティには相応しくなかった。いざという時に見捨てられてしまうほどに。ならば、それはもうそういう話だろう。いちいち腹を立てていても仕方ない。俺がイラつく分損するだけだ。
「力不足……君が? だけど、すごいスキル持ってたじゃん」
「あれも、最近になってようやく使い物になったんですよ。それに、使えるようになった今だってまともなスキルじゃありません。自分の身しか守れない上に、錆級の魔物を複数相手にするだけで一杯一杯だったんですから」
「さ、び級……ねえ、ノエル。君、自分がどこに居たか分かってんの?」
クリスさんは何を言ってるんだという顔をしているが、そんな事を聞いてくるクリスさんの方が俺にとってはよっぽどおかしい。
「錆級ダンジョンの深層ですよね? だって、上層から落ちてったわけですから……俺らは深層にまで行った事が無かったんですけど、あんなに危険な場所だったんだなあって……あの、何ですかその顔は?」
「……ぷっ。あは。あはは。そっか、そうだね。君はそれでいいのかもね。うん、まあそんな所だよ。あのダンジョンの『すっごく深い』層に君はいた。ちなみに、どれくらいあそこで過ごしたの?」
「すごく長く居たような気がしますけど……五年はいってないんじゃないでしょうか」
「そうだよねー、やっぱ……ちなみにね、まだ君が落ちてから数日しか経ってないよ」
そう言いながら、クリスさんは窓を開ける。大きなガラス戸が開くと涼やかな風が舞い込んできた。
しかし、数日……数日だって? そんなはずは……いや、俺はもしかしたら本当にダメになっていたのかもしれないな。たかが数日のサバイバルで頭がやられてしまうなんて……。
「外、出よっか。あたし達を助けてくれたお礼に、特別に空へ招待してあげる。君も、上空から故郷を眺めたことはないでしょ?」
「た、助けたって……」
――俺が、守る。
一瞬、奈落の最後の戦いでそんな言葉を放った事を思い出した。極限状態だった事もあってろくに記憶もないけど……もしかして、俺ってばオリハルコン級パーティを前にしてあんな真似をしたのか?
それは……何というか、余計なお世話極まるというか恥ずかしい話だ。
「いいからいいから! せっかく天使族のおねーさんに恩を売ったんだから、空の旅くらい楽しまないと損だよ?」
「はあ……それでは、その……お願いします」
しかし、せっかくの厚意を断ることも出来ず、俺は頷いた。するとクリスさんは俺の腕を掴んで胸元に引き寄せた。女の人独特の艶やかな匂いに包まれて、するとそこには鎧を隔てても分かる柔らかな感触が……。
「く、クリスさんっ!?」
「恩人を空から落とすわけにはいかないでしょ。役得って思っときなー。それじゃ、行くよ!」
そのままクリスさんは俺を抱えて窓の外へ比翼を羽ばたかせてゆっくりと飛び立った。初めてのような女の子との距離感にドギマギしていた気持ちは……一瞬で大空の感動で消え去ってしまった。
地上では決して味わえない強烈で爽やかな風。地平線が見える。何もかもを過ごしてきた里があんなにちっぽけに見える。周囲を取り巻く街路と森。その果ては……まだ見えない。が、見たいと思った。こんなに美しい景色がどこまでも広がっているなら、生きているうちに見ておきたいものだ。
地面を歩くという束縛からも解放されたその衝撃に、俺はどこか視界が開けた気がした。
◇
しばし空中で色々と話しているうちに、徐々に里の中心へと舞い降りた俺達。
「はい、お疲れさん。どうだった? 空のお散歩は」
「は、はは……あれでお散歩ですか。俺としては人生観すら変わりかけてたんですがね……。でも、素晴らしい体験でした。ありがとうございます!」
「そっか。良かったー。あたしも人間抱えて飛ぶのは初めてだったからね。期待外れじゃないかって心配してたんだよ」
まさか。あんな経験をして喜ばない存在などいるわけもない。
「それじゃ、あたしからのお返しは、これでお終いね。あ、あと一つだけあったっけ。ねえ、ノエル。あたし達に付いてくる気はない?」
「えっ……『竜胆』にですか? でも、『竜胆』は既に四人揃ってますし……」
「あれ、組合を知らない? 冒険者同士、力を合わせる時もあるんだよ。その場合、こことここが連携して……って繋がりを作るの。そうなった時、『竜胆』の推薦状を持ってると持ってないじゃ話が違うよ。これが、『竜胆』としてのケジメってとこなんだけど……気に入らない?」
少し寂しそうな笑みを浮かべてクリスさんは小首をかしげる。俺はそれに慌てて反論した。
「いえ、断る理由なんてありません! ですが……俺はまだ錆級冒険者です。オリハルコン級パーティに付いていくことなんて……」
「あはは。別に最前線へ連れて行くつもりはないよ。君みたいに、身寄りの無い有望な冒険者をスカウトして支援くらいしてるんだ。あたし達四人の推薦状があれば、初日から段違いの待遇を受けるよ?」
クリスさんは「ま、詳しい事はルアクに聞いてね」と話を締めた。それなら最初からそのルアクって人に会わせてくれれば……と思う間もなく、彼らがやってきた。
「……ノエル、テメエ生きてたのかよ。ま、オリハルコン級パーティに助けてもらえればそうなるか。ふん、悪運だけは強いな」
「魔汚染はされたままみたいですね。それでは、私達の判断は間違っていなかったということでしょうか」
それは、エイガー達だった。後ろには目を見開いて何度も口をパクパクとさせるレンファと新たな盾なのだろう青年が立っていた。
だが、俺が口を開く前にクリスさんが俺を抱き抱えて大きな声で宣言した。
「そういうことなら、ノエルはあたしらが持っていっちゃうね。君達にはもういらないんでしょ? だったら、『竜胆』の全力を以てして支援しちゃうかんね」
その言葉はこの場の誰もが驚愕するものだった。もちろん、俺自身も。しかし、エイガー達の取り乱し方は尋常ではなかった。
「なっ……オリハルコン級パーティに……!? ふ、ふざけてんじゃねえぞ。そんな雑魚盾が……!」
「ノエルの力を扱いきれない君達にはもったいないよ。そんなんだから錆級から上がれないんだよ。ま、いーんじゃない? いつまでも底辺を彷徨っていたら、さ」
オリハルコン級パーティにそう言われては何も言えないのか、それでも憤怒の様子を隠そうともせずエイガーは歯をきしませていた。
「ちっ……行くぞ、お前ら」
そして舌打ち混じりに、その場を去って行く。最後に残されたレンファが、僅かな言葉だけ。
「……何を言っても許されないよね。でも……生きてて、よかった。これから、頑張ってね。ノエル」
「うん。頑張るよ、ありがとう」
その返しにレンファは苦笑し、エイガーの後を追い始めた。
ああ、本当に俺らは別れてしまうんだ。そんな実感が、ふつふつと湧いてくる。遠ざかる背中に、俺はどんな感情を覚えればいいのか分からなかった。
「それで、どうする? ノエル。あたし達と一緒に王都に来る?」
「……こうなったら逃げ場なんてないじゃないですか。行きますよ、もちろん。『玲瓏』の心当てに答えるためにも……俺の冒険者人生のためにも、やってやろうじゃないですか。第二の人生を……!」
クリスさんはそれを聞いて、ニッコリと笑ってただ頷いた。