魔眼との出会い
周囲は大きな爪に抉られたような形の青い光を伴う壁面と天井だった。それはまるで天然の迷路。分かれ道十字路上り坂下り坂、そんな道が見渡す限りに広がっている。ここは迷宮。人々がダンジョンと呼ぶ魔物の中だ。
「おい、ノエル。もっと固くなれねえのかよ。お前もパーティの盾役を買って出るなら、もっと体を鍛えてからにしろよな」
そんな中を歩く冒険者、剣士の少年エルガーが盾役……俺、ノエルに苦言を呈する。冒険者は通常二人でエレメント、それが二つ合わさってパーティと呼ばれる。この四人一組がダンジョン攻略の基本構成だった。
左手に持った盾にぼんやり映る俺は赤みがかった黒髪に琥珀色の瞳をしている。種族はヒューマンだ。俺はパーティの最前衛を務める盾の役目を負っており……だが、それを真っ当するには不安になるほど細身の体型をしていた。確かに、これでは文句を言われても仕方ない。
「ごめんよ。小さいのは体質なんだ。でも、君達には一切攻撃が向かないようには動いていただろう?」
「ちょこまか動かれても邪魔だってんだよ。それでお前にダメージがきて撤退ってパターンばっかじゃねえか。パーティの盾役と言えば、もっとどっしりとしたよぅ……一歩も退かず仲間を守るモンだろうが」
エイガーはそう言うけれど、俺だって精一杯やっているのだ。冒険者志望者は一人に一つ備わるスキル。これを元に職業を選んでダンジョン探索を行う。
そして、ここに集まったのは『剣技』を持ったエイガー。火魔法を得意とする『炎熱』を使う魔法使いのエミリー。手先の器用な『盗賊』のレンファ。どれも他に類を見ないという程では無いありふれたスキルだ。
珍しいものといえば、俺の『ジャストガード』という唯一無二のスキル。だけど、俺はその真価をちっとも活かせないでいるのだ。そんな俺らのパーティの地位は冒険者界隈でも最底辺、錆級のパーティだった。
それも当然の話。エイガーの『剣技』はそこらの一兵卒並だし、エミリーの『炎熱』も魔物の殻を破れるほどではない。『盗賊』に関しては完全に戦闘向けではない。
「俺の『ジャスガ』がもっと使いやすければな……」
「魔物の攻撃にガードを合わせるだけなんだろ? ったく、自分のスキルくらい使いこなせよな。お前の代わりの盾なんていくらでもいるんだぜ」
エイガーはそう言うけれど、実際の所そういうわけにもいかない。冒険者はパーティを裏切ってはならないという鉄の掟がある。危険なダンジョンの中でもめ事を起こせば、パーティというものは成り立たないし他の冒険者にもとっても迷惑な話なのだ。
だから、エイガー達は互いに不満点こそあれど切れない。歪なれど、俺らを繋ぎ止めているのがその掟だった。だが、唯一パーティが欠ける事があるとしたら……魔物との戦闘や罠を引いた事で崩壊してしまった場合だ。
「あっ。『迷宮の贈り物』があるよ。開けてみない?」
「……こんな高階層にそんなものが残ってるかな。罠じゃないかい?」
「そこはアタシの『盗賊』スキルに任せてよ。まあ見てて。ヘマなんかしないからさ」
少し拓けた場所にぽつんと置かれた木箱。それは冒険者を喰うために迷宮が生み出した宝だ。中身が本物であれば魔物が駆けつける前に離れてしまえばいいし、罠なら魔物を呼び寄せるだけだが……探索に優れた者ならば誰でも見分けが付く。そういう代物。
「……うん。本物だよ。開けよう開けよう!」
レンファが緑がかったポニーテールを左右に振りながらウキウキで箱を開ける。その中には両手剣と杖が一本ずつ、そして軽装と小盾が詰まっていた。
「ちょうどいいじゃん。これ、皆で分け合おうよ。今月は少し余裕あるし……」
「迷宮産の武器か。ちょうどいい、今の剣がヘタってきた所だったんだ」
「私は今の杖で十分なのですが……まあ、予備はあっても困りませんものね」
仲間達は我先にと箱の中身へ手を伸ばすが、俺は一歩も動けずに居た。それは偏にその小盾に異様な雰囲気を感じ取ったからである。
これを手にすれば、自分は死ぬ。そんな錯覚さえするほど怖気と違和感に溺れていた。
「何してんだよ、ノエル。こんな時まで愚鈍だな、お前は。魔物が出てこないうちに行くぞ。ほれ」
だが、その禍々しい小盾をエイガーはポンと放り投げ、思わず俺は受け取ってしまった。彼が手にして大丈夫なら、構わないか……そんな油断が、命取りだった。
俺の手に渡った瞬間、小盾が漆黒の渦に姿を変えて、かと思うと今度は俺の顔に向かって桃色の花弁が覆い尽くし始めた。尋常ではない事態に思わず情けない声を上げてしまう。
「う、ぐああぁぁ!」
「なっ……『魔汚染武具』か!」
魔汚染武具。それは悪しき神によって人間の魂を喰らうために創り出したと云われる遺物。様々なダンジョンにランダムで生み出されると噂だけはエイガー達も知っているだろう。
俺が人体を内側から破裂させるような痛みに悶え苦しむ間、他のパーティメンバーは一歩も動けなかった。魔汚染武具の恐ろしい所は、持ち主の人格を支配し、他の冒険者を襲うという点にあるからだ。つまり俺は、端から見れば化物への変化を遂げているように見えるのだ。
迷宮において最も手にしてはいけないトラップ。しかしてそれはレンファ程度のスキルじゃ看破できなかったのだ。
「……う、うぅ……ど、どうなったんだ?」
やがて、むくりと上げられた俺の顔。それを見てエイガー達は驚愕する。俺は再び盾の反射で自分の顔を確認する。すると、他の部分にはまるで変化がないが……見開かれた大きな右目には赤い果実が埋め込まれたように深紅に染まっていた。
これは……魔眼か? 奇跡と災厄をもたらすという伝説の瞳……。
それを見て、エイガー達はようやく声を上げた。そこには確かな敵意がある。
「くそっ、こいつはもうダメだ。逃げるぞ。このままじゃ殺されちまう!」
「魔汚染武具の洗脳にかかれば、人格なんて消えてしまいます。レンファ、ほら立ち上がって! ギルドに助けを求めに行きましょう!」
エイガーと女魔法使いのエミリーはあっさりと俺を見捨てた。いっそすがすがしいほどに。しかし、それも当然の判断といえる。この場における最悪の事態とは、俺の手によってパーティが全滅し、魔洗脳された化物が外に解き放たれる事だったからだ。
しかし……それはあまりに薄情ではないか、と張本人の俺は思う。その気持ちは、どうやら箱を開けたレンファにもあったようだ。
「待って、今なら助けられるんじゃないかな……きっと軽い魔洗脳だよ。それに盾無しじゃ、アタシ達やっていけないよ!?」
「ノエルの代わりなんざいくらでもいる! 軽かろうが重かろうが身内から魔汚染者が出たなんて知れたらそれこそ新たな盾役も来てくれなくなるぞ。こうなったのは全部お前のせい、そしてこうなった責任はノエルの不運にある! どの先輩冒険者だって言うだろうぜ、ここは見捨てろってな!」
言いつつ、エイガーが両手剣を振り回して俺を遠ざけようと攻撃を仕掛けた。しかし、俺の身の丈を越えるほどの剣を全力で振るったというのに、俺は漆黒の盾を軽く軌道上に添えただけで跳ね返してしまった。
それは完全に無意識での行動で、反射的なものだった。だけど、こんなすごい技術……俺には無かったはずだ。
「見ろ、こいつ抵抗してきやがるぞ! 構えろ、エミリー!」
「ま、待ってくれ! 今のは反射的に防いだだけで……俺の気はしっかりしてる!」
俺は必死に正気があることをアピールするが、そんなものを二人は聞いていない。
確かに俺は自分の人格を保っていた。今回俺を襲った魔汚染武具は精神を乗っ取ったりしなかったのだ。だから、しっかり耳を向けていれば分かるはずだった。長年連れ添ってきた仲間の精神がまともかどうかなんて。
いや……分からなかっただろうか。俺以上にエイガー達は死の恐怖に慌てていただろうから。今の俺は見るからに化物だ。恐怖する気持ちが分からないでもない……だけど、信じてくれ。俺は俺のままだ!
「元々、居なくても問題ないくらいの盾でしたし……こんな不測の事態なら、冒険者の掟にも反していないでしょう。『熱線』!」
エミリーが杖からレーザー状の炎熱が発射される。最速の魔法により俺の胸は撃ち抜かれる……はずだった。手元がブレて見えるほど素早く構えられた小盾によって弾かれた熱線は角度を変えられ致命傷から逸れた。
あり得ない、もはやいかなる魔にさえ出来ない所業だった。魔法を防ぐだけならともかく、魔法そのものに干渉したように弾くだなんて……少なくとも、それをした張本人の俺には想像も付かなかった。
本格的に俺を脅威と見なした二人の目の色が変わる。それを見てレンファは俺を庇うように間に立った。しかし、その場所が悪かった。レンファが居るのは、ダンジョンの深層へ誘う崖の側だったのだ。
「ま、待ってって二人とも! ノエルの話をちゃんと……」
「ばっ! どけ、レンファ!」
再び俺を殺そうとしたエイガーの両手剣がレンファに向けられる。両者共に咄嗟の事態に体勢を崩そうとした……その瞬間を、見逃さなかった。
ガキィン! と大きな火花と共にエイガーの剣は止められ、その硬直を逃すまいと手で押された。そのままの勢いで、足を踏み外し崖から落ちそうになっていたレンファを力尽くで引き戻す。だが、それが俺にできる精一杯だった。
その全てを瞬く間に行った俺は、崖の向こう。地の底より深き奈落へ落ちる直前、せめて遺影には笑顔を遺したいと思い、にこりと笑って見せた。
「悪いな……ここを出るその時まで、お前らを守りたかった」
だが、それも一瞬の事。俺は重力には逆らえずふっと姿を消すように地下に落ちていった。
「ノエルゥ!」
「待て、馬鹿! お前まで落ちてどうなるってんだよ。仕方なかったんだ! これは事故、ただの事故だ!」
そんな声ももはや遠く。俺はただ奈落に落ちる。その果てに何が待っているとしても……もう、どうしようもない。なるほど確かにこれは、どうしようもない事故だった。